閑話 第一王女の私室にて2
「なんて忌々しいのっ!」
目の前で精霊を盗られたのに、何もできなかった今日。
わたくし――トパーシオン――は、私室でみっともないのを承知で声を荒らげることしかできなかった。今までは王女として自室でもメイドが居れば感情を表に出すことはなかったのだけれど、今日ばかりは抑えることができなかったのだ。
「お城の方がなにやら騒がしかったようですが、何かございましたか?」
「精霊を持っていかれたわ」
「精霊を……ですか……。ですがトパーシオン様にお怪我が無いようで安心いたしました」
「ええ、ありがとう。だけれどそうも言っていられないわ」
「いいえ殿下がおられないと、取り返すこともできませんわ。ご自愛くださいませ」
わたくしの高ぶった気持ちを静めるように、お世話役のメイド――ソテルが落ち着いた声で諭す。
確かにソテルの言う通りではある。わたくしが生きていたことで起こる問題もあるけれど、わたくしに何かがあった場合、次の行動に移るまでに無駄な時間を使ってしまう。
勇者召喚をした日、マコトにしてやられた時以上の屈辱ではあるけれど、あの時以上に猶予はないのだからここで感情を吐き出し続けるだけではいられない。
戦争はすぐに起きるものではない。1つに他国に攻めようと王都から離れるだけで、かなりの負担になるから。なにせ国境付近は精霊の力がほとんど及んでいないのだ。
例えば食事、軍を連れて他国に向かった場合、国境周辺の町から食料を調達することはほぼできない。
なぜなら本来国境周辺は十分な食料が存在しないから。戦争のためと徴収しようものなら、町が無くなってしまう。
それだけならまだしも、2つ目に戦争をするには相応の理由が必要になってくるから。
一方的に戦争を仕掛けた場合、周辺国からの印象が悪くなり、他方向から攻められる可能性がある。
だから、ちゃんと理由をつけて戦争を始めないといけない。
「ソテルには話しておくわ。フラーウス王国は近いうちに戦争を始めるわ」
「元よりそのような予定だったと記憶しておりますが」
「そうね。勇者を召喚して、数年のうちにはニゲルと戦争をする予定だったわね。
だけれど今はそれでも悠長よ。可能であれば1年以内にニゲルを落とさなくてはいけないわ」
「それは……まず戦争をするに足る理由が用意できるでしょうか?」
本当ならニゲルが攻めてくるのを待ち構えるか、次にちょっかいをかけてきたときに策を弄しようと思っていた。
だけれど、もうニゲルの出方をうかがっている余裕もない。
マコトのせいでどれだけ計画が変更になったものか、分かったものではない。
「ええ、一応策はあるわ。だけれどこれは、身を削るようなもの。
こんな策しか思いつかないわたくしを軽蔑するかしら?」
「いいえ。殿下は王族でいらっしゃいますから、時にそのような判断もしなくてはならないのは分かっております。たとえそれがどれだけ非道に見えたとしても、それは全て民のためだとソテルは存じておりますので、どこまででもお供いたします」
「ありがとう、ソテル。貴女は自慢の従者だわ」
「勿体なきお言葉でございます」
ソテルに肯定され、少し心が軽くなった。
ここで否定されたところで折れるような教育は受けていないけれど、多少の迷いが生まれていたかもしれない。だけれどこれで、迷いなくこの計画を進めることができる。
「ところで賊の力量は如何ほどだったのでしょうか。
場合によっては戦争だけではなくて、精霊を取り戻す方法も考えておいた方がよろしいと思うのですが?」
「アレには手を出してはダメね。『勇者』とその従者。加えて2つ連れて行ったけれど、瞬く間に負けてしまったもの」
「それほどとは……」
「公にも、精霊を盗んだ後、正面から城を出ていけるだけの実力を見せていったわ」
「城の守りを固めていた騎士団でも歯が立たなかったのですか……」
「幸い騎士にも勇者にも死者は出なかったわ。いいえ、出ないように交渉したというのが正しいわね。
相手がその気であれば、今頃フラーウス王都は無くなっていたのではないかしら」
ソテルは絶句するけれど、それくらいの実力は持っていたように感じる。
経験不足とは言え、B級冒険者にも匹敵するであろう勇者6人を露でも払うかのような気軽さで伸してしまったのだから。
A級でも上位の実力があると見ていい。それだけの実力者であれば、暴れるだけで町に大打撃を与えることができるだろう。
「それほどの者が今まで見つからなかったのはどういうことでしょうか?」
「禁術を改造して、無茶な力を引き出すような術式を組み込んだのではないかしら。
力を隠していたのではなくて、つい最近作り出されたのよ」
「ということは、賊は死者だったのですか?」
「ええ、勇者の1人だったマコトよ」
「彼ですか……何かしら因縁があるような気がしてきますね」
ソテルの言葉に「そうね」と言って頷く。
殺したはずなのにこうやって、再びわたくしの頭を悩ませることになるとは思っていなかった。
「死体は念入りに処理したはずなのに生き返ったということは、普通の禁術ではないわ。
だけれど、幸いなのは禁術には違いないということかしら。
彼はいずれ自我を失うでしょう。無茶なステータスの引き上げは、その体を崩壊させるはずよ」
無理に力を引き出す方法は、無いわけではない。わたくし達フラーウス王家もその術式は知っている。
だけれど副作用として、長生きできなくなるというのがある。
彼ほど力を引き出されたとしたら、そんなに長くは体がもたないだろう。
「だからこそ、彼には触れずに計画を進めたほうが良いというわけですね。
ですが向こうから攻めてくることは考えられないでしょうか? おそらく彼はフラーウスを恨んでいるでしょう」
「それはないと、彼の言葉を信じるしかないわね。
彼はこの国を恨んではいるようだけれど、それ以上にかつての仲間を恨んでいるわ。
彼のかつての仲間、つまり勇者達が虐げられることが、彼にとっての復讐だと言っていたもの」
「つまり勇者達を今のまま扱い続ければ、彼からの報復はないということですか?」
「そういうことよ。フラーウス王国を復讐の道具にされていると考えると業腹だけれど、民たちの安全を考えれば受け入れるしかないわね。
基本は今までと変わらないというのもあるけれど。だけれど、勇者を簡単に殺せなくなったわ」
「復讐である以上、苦しみは長く続かせたいというわけですね」
そのあたりは不幸中の幸いだと言える。
彼が勇者達を恨み、早々に殺そうと考えていたならば、フラーウス王国は精霊と戦力の両方を失うことになっていた。
そうなったら、玉砕覚悟でニゲルに攻撃する以外の道はない。
今も似たようなものだけれど、勇者がいるだけで勝率は高くなる。
計画を進めるうえでも、勇者達は必要になる。絶対ではないが勇者が居なければ、騎士・兵士の士気は下がりさらに勝利から遠くなるから。
どれだけ酷使しようと、奴隷である以上ある程度の働きをしてくれるというのは、こういう時に助かる。
とりあえずは今日中には計画をまとめて、明日にはお父様に提案出来るようにしておこう。





