閑話 精霊の樹の崩壊
その日。あのエンシェントエルフが戻ってきたという報告があった日。
オレ――精霊の樹に住むエルフの第六王子――は、「世界の崩壊」という言葉が頭をよぎった。
◇
いつもと変わらぬ昼下がり。父上は何か重要な案件があると言っていたが、それがあのフィーニスとか言う女が関わっていることは分かった。
戻ってきたと言うなりの事だったので、さすがにオレでもそれくらいは察することができる。
とは言え、所詮オレは第六王子。継承権などあってないようなものであり、その権力も上位の兄弟に比べればないと言える。
それゆえに外から来た、上位種と思しきエルフとの婚約を義務付けられた。
エルフの上位種、ハイエルフやエンシェントエルフは、民にとってみれば英雄にも等しい者。
かつて人族が召喚したと言われる勇者にも近しい人気を持っている。
そのような存在が味方をしてくれるということは、自分たちが正義であるのだとわかりやすく民たちに伝えることができるのだ。
だが同時に、現行の王族を脅かす爆弾でもある。
上位種をトップに、国王に据えろと考えるものも少なくないからだ。
上位種と言うだけでは無理でも、何か功績をあげてしまえば、するするとその地位を上げていくだろう。
だからこそ、王子の婚約者として民意を操作しようとしていたわけだ。
そんなエンシェントエルフのフィーニスと話した時、気になることを言っていた。
最初は「本当に弱いものを助けるのだとしたら、世界にいるすべての人がわたしの敵になる」というもの。
それから、世界が崩壊するという話。
普通だったら聞き入れるわけがない与太話だが、どういうわけかフィーニスの言葉には説得力があった。
こういう与太話を言う輩は、信じてもらおうと鬱陶しいくらいに話をしてくる。
どこで調べたのか様々な数値を持ち出し、興味を引いてくる。
それと比べると、フィーニスはそう言ったことはなかった。
それどころか、伝えるだけ伝えて後はご自由にと言わんばかりの態度だった。
王族に対してその態度はどういうつもりなのだ、と思わなくはないが、遠慮がなければ迷いも戸惑いも見られない、ただただ事実を伝えているだけの姿に見えたのだ。
世界の崩壊については、牢に閉じ込めている前王も口うるさく言っていたらしい。
話を聞きに行ったが、まともには取り合ってくれなかった。
それでも精霊を解放しなければ世界が滅ぶのだと、かつて神託があったという話は聞けた。
父である現国王はその話を全く信じていないらしい。
フィーニスの話を聞く前であれば、オレも信じなかっただろう。
そうしてオレの至った結論は「どうやら世界は崩壊するらしい」だ。
そしてオレにできることは何もない。
父上に訴えかけてもまともに取り合ってくれないだろうし、下手すれば牢に入れられる。
オレにできることがあるとすれば、フィーニスが言っていた通りに民の避難計画を考えることくらいだったし、実際そうしてきた。
精霊の樹に住んでいる以上、絶対に安全だというのが王族の考えであり、避難計画など不要だというのが一般認識。
少なくとも国の上層部が考えることではない。
だがオレは第六王子。王族だが重要な存在でもない。
だからこそ、勉強の一環と称して堂々と避難計画を立てていた。
兄弟たちに比べるとオレの力は微々たるものだ。
しかし王族ではあり、民よりも力がある。
だとすれば、それを守るのがオレの仕事だ。
その思いで立てていた計画は、想定していたよりもずっと早く使うことになった。
オレ達の家である精霊の樹が揺れている。
今までこんなことはなかった。
今はまだ小さな揺れだけれど、このまま終わるという楽観的な判断はできない。
精霊の樹が崩れるという想定で動かなければ、王族としての矜持にかかわる。
自室で揺れを感じていたオレは、避難計画を立てるときに付き合ってくれた騎士を探して走り出した。
◇
「走るな! まだ時間はある」
「殿下。こちらの避難は終わりました」
別のところで誘導をしていた騎士がオレの元まで走ってくる。
手伝いのためかもしれないが、幸いこちらももう終わりだ。
目につく民たちは全員、精霊の樹の外に避難している。
こうやって外に出てみるとなお分かるが、揺れているのは精霊の樹だけらしい。
とりあえずオレのやるべきことは終わったかと、落ち着いたのも束の間、王族の姿が見えないことに気が付いた。
「おい誰か。父上を……陛下を見た者はいないのか?」
「い、いえ……」
「もしかして、まだ中にいるんじゃないだろうな?」
そんな馬鹿なことをと思って口にしたけれど、声に出してみてむしろ本当に中に残っているのではないか、という気になってくる。
何せ父上達は精霊の樹の中に居れば安全だと、信じて疑わないから。
「助けに行かなければ……」
「殿下。お言葉ですが、今から助けに行っても……」
残念そうに騎士が口にする。
精霊の樹を見れば、木であるはずのそれはボロボロと崩れ始めていた。
まるで砂で出来ていたのではないかと思うほどだ。確かに今から助けに入ったところで、オレも巻き込まれるだけ。
王族としてオレが何をするべきか……。
オレがいなくなったらどうなるか……。
エルフ族は獣人族との戦いの目前だった。
精霊の樹が無くなったのだと知られれば、これ幸いと攻められるかもしれない。
精霊の樹を失い、不安に思っているエルフたちをまとめるのは王族の役目。だとしたら、オレは陛下が生きていることを祈って民をまとめなければ。
◇
精霊の樹が崩れる。
オレ達の住んでいた家が音を立ててつぶれていく。
民たちはそれを一心に見つめている。
魔法が得意なものに頼んで、崩壊した時の衝撃がこちらに来ないようにしているため危険はないはずだが、天を突くような大木だから不安になってしまう。
幸いなのは、倒れるのではなく、崩れることか。
倒れていたら、周りの森に大きな影響を与えていただろう。
上手く行けば獣人族の集落にダメージを与えられたかもしれないけれど、それ以上にこちらが壊滅的な被害を受けるに違いない。
砂埃を巻き上げ、樹が完全に崩壊してしまった後、皆が呆然としている中で頼んでいた情報が入ってきた。
この瓦礫の中で王族と思わしき人々が死んでいたらしい。
人の形はしていなかったとのことだが……。
いつまでもこうしていられない。
オレは王族らしく、皆の前に立って声を張り上げた。
「精霊の樹に住んでいた民達よ、聞いてほしい。
たった今、父上……陛下以下、王族の多くが精霊の樹とともに殉じた。
不安なものも多いとは思うが、我々なら精霊の樹がなくとも生きていけるはずだ。
どうかオレに力を貸してほしい」





