入学
朝の電車はいつも満員である。これでもかというくらいの人が、1つの小さな車両に押し込められる。乗客の心は、その中で少しでも自分のスペースを取ろうとするとする欲と、圧迫される不快感から出る他者に向けた敵意で埋め尽くされる。互いを押しあい、そして舌打ちする。ときには怒鳴り声をあげて喧嘩する人間もいる。蒸し暑い車内の乗客に共通するのは自分を守ろうとする本能だけだった。
※ ※ ※
電車から降りホームに出ると、そこには制服を着た男子高校生が、そそくさと歩いてるのが目にとれた。私は、彼らを追いかけるようについていった。駅から学園に続く一本道は桜が満開だ。道には、たくさんの生徒が歩いていた。もちろん男子しかいない。しばらく歩くと校舎がようやく見えた。聖マリーシア学院。超有名私立の男子校。ここが今日から私の入る高校だ。
あれは3ヶ月前のことだった。クラスで成績が良かった私は県内トップの公立高校を目指していた。塾にも通い、模試の結果はいつもA判定だった。
「絶対受かる」皆んなからそう言われていた。しかし、現実というものは残酷なものだった。2月に滑り止めのはずだった偏差値50くらいの私立に落ちた。
私は驚きを隠せなかった。周りからは「大丈夫だよ」「気にするな」とか励まされた。
しかし一度狂った歯車は、そう簡単には元に戻せなかった。受験予定の高校全てA判定だったはずの自分が落ちた。自分よりも成績が低い友達が簡単に受かった学校に自分は落ちた。この事実は私のプライドをズタズタに切り裂いた。もはやあの時の自分は冷静になるなんてことが出来なかった。成績が良くて頭のいい私は見る影もなかった。他の滑り止めも合格することはなかった。
そして第一志望校の入試を迎えた。一週間後の合格発表の日、高校に張り出された白いボードに私の受験番号は無かった。歓声をあげて喜ぶ合格者たちに背を向けて、そそくさと高校から立ち去った。一刻も早くその場から離れたかった。受験戦争に全敗した私に入れる高校は無かった。
それからのことはよく覚えてない。自分の部屋にこもってワンワン泣いていたことくらいだ。これからどうするとか、そんなこと考える余裕は無かった。ただただ自分のことが恥ずかしくて悔しくてたまらなかった。
人と話せるようになったのは一週間後だった。担任の先生が、私の進路を心配して家に来てくれた。
「どうだ姫宮?少しは元気を取り戻したか?」
「うん...前よりは楽になりましたけど..」
「そうか。」
先生は短く返事をすると、「ところで進路のことなんだが..」と本題を切り出した。
その頃には覚悟はできていた。もう一年必死に勉強して志望校に入る、つまり浪人すると。しかし先生から言われたのは全く違った。
「聖マリーシア学院に入らないか?」
私は驚いた。聖マリーシアは誰もが知る超有名中高一貫の進学校である。しかし男子校だ。女子である私が到底入れるはずがない。
「先生なにを冗談言ってるんですか?」
私は半ば呆れて答えた。私には浪人しか残されていないはずだ。しかし先生は続けた。
「何を言っている。私は本気だ。」
先生の目は確かだった。ふざけてなどいない。
「実は今年から聖マリーシアは数年後の共学化に向けて女子生徒を試験的に受け付ける。その入試が5日後ある。定員は5人のみ。姫宮、お前にはこの道しか残されていない。」
「え、でも...」
頭のなかが混乱していた。今まで男子校だから自分とは無縁だと思ってた学校だ。にわかに信じられるはずがない。
「受けてみるだけ受けてみろ。高校浪人する奴なんて周りに1人もいないぞ。」
先生の声が強く心に響く。
「けど私、もう1年勉強するって...」
そう言いかけて私の頭の中には色んな情景が浮かんだ。高校ライフを楽しむ友達。それとは逆に机に釘付けで孤独にいそしむ私。私だって早く高校に上がりたい。また1年も辛い思いをしたくない。十代の貴重な時間を無駄にしたくない。私の心には感情の渦が巻いた。決めた。私は聖マリーシアを受験する。
それからというもの。私は死ぬ気になって勉強した。次第に成績がよくて頭がよかったころの私を取り戻していった。「高校に行きたい」その思いが心の歯車の動力源となった。
5日たって入試本番。私は全てのエネルギーをそこにぶつけた。そして聖マリーシア学院の入学切符を手に入れた。