86.金銀の鎧を纏う者
セリスの行方を知っているという店員の男に案内され、リアンとシンカの二人は王都の外れにある地下へと潜り、少し錆の匂いが漂う通路を歩いていた。
いくら王都といえど、端から端のすべてが綺麗な建物に囲われ、活気に満ちた声が響き渡っているわけではない。それは王都に限らず、どれだけ豊かに見える大きな都市にも、少なからずこういった場所はあるものだ。
「ねぇ……倒れてたって、そんなにひどい怪我だったの?」
店員の男が言うには、セリスは道の端で倒れていた、とのことだった。
「ありゃ複数人に袋叩きにされた感じだったな。でもまぁ、心配いらねぇよ。俺の知り合いの医者はなかなかの腕だからよ」
「……そう」
心配そうに影を落とすシンカとは裏腹に、リアンは言葉を口にはしなかった。さりげなく左右に視線を動かしながら、男の後ろをついて歩く。
地下に響く三つの足音だけを聞きながらしばらく進むと、鉄でできた一枚の扉の前で店員の男は立ち止まった。
「ここで待っててくれないか? 医者を呼んでくるからよ」
「ええ」
シンカとリアンが中に入って扉を閉める。
コツコツコツ……と、足音が遠のいて行ったのを確認すると、リアンはすぐさま行動に移した。
「調べるぞ」
「え?」
「あいつのことは信用できん」
言って、リアンは部屋の中をくまなく調べ始めた。
「まぁ、確かに怪しいわよね」
リアンの指示に従い、シンカも部屋を調べて行く。
小さな部屋で、物もそんなに多くはない。調べるのは簡単だろう。
「最近、魔憑や降魔の戦闘ばかりでわかりにくいが、セリスは軍人だ。当然、普通の人間相手には強い。袋叩きに合うような間抜けじゃない。なにより、袋叩きにされて倒れていたセリスを、どうして話すと残念なアホ面だと判断できる?」
確かに店員の男は、リアンの尋ね方でそれがセリスだと認識した。
が、道中の話によれば倒れていたところを発見したのだと言っていた。
これは明らかな矛盾だ。
倒れていたセリスにまだ意識があり、その一瞬で彼が溜息を吐きたくなるような呆れた発言をした可能性も零とは言い切れないが、怪しいのは間違いない。
「じゃあ、どうしてついて来たの?」
「他に当てがなかったからな。それに……」
物以外に壁や天井、そして床と隅々まで見て行く中、ふと、リアンの手が止まった。
「それに?」
合わせてシンカの手も止まり、リアンの言葉に耳を傾ける。
「セリスが間抜けを犯すことも、なくはない。たとえば、食物に一服盛られた場合……とかだな」
小さく溜息を吐いて、リアンは部屋の調査を再開した。
そんな彼の姿を見て、シンカの中で一つの結論に辿りつく。
「……ねぇ」
「なんだ?」
「さっきの人って、ドーナツ屋さんよね?」
「だな」
「間抜けだったって結論のほうが、確率高くないかしら?」
「俺の見立てでは九十七%そうだな」
「それって高すぎない!?」
シンカが思わず大きな声を上げてしまう。
九十七%……それは確信していると言っても過言ではないのではないか。
というよりも、甘い物が絡んだ時のリアンからセリスへの信用度が残り三%しかないということに驚くべきか。いや、取り乱してはならない。
九十七の疑惑も、三の信用も、結局辿りつく結論は同じだ。
セリスがぽかをやらかしたという可能性が極めて高い。
「あいつらがセリスを知ってるのは本当だろう。だが、セリスに何かを仕出かしたのも、おそらくあいつらだ。つまり、ここは敵陣の真っただ中だな」
「よくもまぁ迷わず……」
シンカは呆れたように声を漏らした。
一応の目星をつけたなら、ロウたちと先に合流してもよかったはずだ。
確かにセリスの身に何かが起こり、一刻を争うという事態であることも否定はできないが……。
そう考えてしまう時点で、シンカはあまりにもロウに頼りすぎな自分を少し恥じつつ、次いで出そうになったその言葉を呑み込み、部屋の調査を再開した。
「あいつらを騙すには、信じきった振りをしてるのが一番だ」
「それで何かあったらどうするつもりよ」
「だから、いざという時のためにこうして調べている」
「まぁ、ここまで来たら腹を括るしかないわよね」
信頼した仲間を頼るのは必要なことだ。……それは理解している。
だが、あれもこれもすべてを頼り切っていいことにはならない。
自分ができる事は自分でやる。無理と判断したなら素直に助けてもらう。
その塩梅が大切だというのなら、確かにリアンの決断は間違ってはいないのだろう。
…………
……
そうしてしばらくの時間が過ぎ、部屋の隅々まで一通り調べ終わると、リアンとシンカは大人しく男の帰りを待った。
特に怪しげな物も使えそうな物もなかったが、気になる点が一つ。
扉の外には鍵穴があったにも関わらず、扉の内には鍵らしきものはない。つまりこの部屋は元々、人を閉じ込める事を目的に作られたということだ。
とはいえ、それ自体は大した問題でもないのだが……。
すると、トントンっと叩打がした後、ゆっくりと扉が開かれる。
「いやぁ、待せたな。こいつがあんたの友達を見てくれた医者だ」
「君たちが引き取り人かい? 君たちの連れだけどね。とにかく酷い状態だったよ。今は一命を取り留めてるが、絶対に安静だ。だから、面会はすまないがお断りさせてもらうよ」
医者はセリスのことを説明すると、彼に会わせることを拒んだ。
「そうか。だが、顔を見るくらいならいいんじゃないのか?」
「そうね、私も一目くらい見ておきたいわ」
二人が詰め寄ると、医者は眉を寄せた。
会わせられないのではなく、会わせたくないのではないか。相手が敵であると判断している以上、二人がそう思うのは自然だ。
「まぁ、心配な気持ちはわかるけどね」
「いいじゃねぇか。面会謝絶でも、窓越しなら問題ねぇだろ?」
予想外にもそう言葉を口にしたのは店員の男だった。
「う~ん、そうだね。こっちだよ、ついて来なさい」
医者と店員の男が身を返し、部屋を出て行く。
もう少し粘るかと思ったが、あっさりと面会を許したことに意外だと思いつつも二人は目線を交わし、互いに頷き合ってその後について行った。
決して張り詰めた糸は解かず、周囲へと常に気を配りながら。
ロウたちがセリスの捜索を開始してから、すでに四十分程が経過していた。
もうすぐ一度宿に戻る時間だ。
セリスは一向に見つからず、目ぼしい情報もないまま時間だけが過ぎていく。
「な、なかなか見つからないですね」
「ん~、そうだな」
「や、やっぱりロウさんの尋ね方に問題があるんじゃないですか?」
カグラは眉を八の字にしながら、ロウの顔を覗き込んだ。
びくびくとした様子はもうすでになくなっているが、カグラはロウの手をしっかりと握ったままだった。特に恥ずかしがる様子もなく、あくまでこうしてるのが普通だといわんばかりの自然さだ。
とはいえ、指摘すれば顔を赤らめ、目を回しながら離れてしまうのだろうが。
「……そんなはずないんだけどな」
「ふ、普通はわからないと思います」
「本当に見てないからわからないだけかもしれないぞ?」
「でも、そろそろ時間じゃないですか? 一度宿に戻らないと」
「そうだな。遅れるとリアンがうるさ――」
と、ロウは発した言葉を不意に切った。
――チリン
鈴の音が聞こえた瞬間、鈴の音の方へと勢いよく振り返る。
「ロ、ロウさん? 急にどうしたんですか?」
「いや……(なんだ、今の音に感じた妙な感覚は……)」
ロウがカグラを見ると、彼女は心配そうにロウを見つめていた。
――チリン
「くっ!」
再び音の方へと視線を送るが、そこには何もない。
「ロ、ロウさん?」
「カグラには聞こえないのか?」
「な、何がですか?」
「鈴の音だ」
カグラが周囲をきょろきょろと見渡すも、彼女の目から見ても特に変わった何かがあるわけではなかった。
ただ客引きの声が聞こえ、通りを歩く人々がいるだけだ。
この喧騒の中で聞こえる鈴となると、それなりに目立ちそうなものだが……。
「わ、私には何も聞こえませんでしたけど……」
――チリン
「呼んでる……のか?」
呟くロウを、カグラは不思議そうに見上げた。
カグラに鈴の音はまるで聞こえなかったのもの、ロウの横顔は真剣そのものだ。
ロウがこの場面でそんな無駄な冗談を言うはずもない。
「き、気になるなら行ってみませんか?」
「だが……」
「少しくらいなら、まだ集合までに時間はありますよ?」
「ありがとう」
「はい」
ロウが微笑むと、カグラも柔らかく微笑み返した。
そうして鈴の音を辿って行くと、人気が徐々に失われていくにつれ賑わいの音も遠ざかり、寂れた空気へと変わっていく。
どこか思い詰めたような表情を浮かべるロウに、カグラは声を掛けることができなかった。繋いだ手をそっと見下ろし、胸のざわつきを押さえつける様に空いた手を胸の前でぎゅっと握りこむ。
すると、町外れに見えてきたのは広く開けた場所……空き地だった。
その中央に立っていたのは……
「よく来たな」
「待っていましたよ、ロウ」
金銀の鎧に身を包んだ二人……カグラにとっては見知らぬ男だった。
胸には肩と一対になったような板金鎧。手には単純な形状をした鉄籠手。腰の部分は膝上までしかなく、動きやすさを重視した設計というのがわかる。
一人は黄金、一人は白銀。全体を覆う鉄兜のせいで顔はわからない。
そこから出た曇った声は普通の人のそれではなかった。変声石を使っているのだろうが、全体を通してみるとおそらく男だろう。
黄金の鎧を纏う男の腰には、紫色をした一つの鈴がぶら下がっている。
「お前たちはあのときの……」
「お、お知り合いですか?」
「ハクの話をしたときに言っていた相手だ」
「じ、じゃあハクちゃんも近くに?」
カグラがきょろきょろと辺りを見渡す。
しかし、そこにハクレンらしき狼の姿は確認できなかった。
「一つ尋ねたいんだが、白い狼を見なかったか?」
「心配するな。後で会える」
白銀の鎧を着た男が答える。
「それより、ゆっくりとお話をしたいので先に伝えておきます。今宿に戻っても無意味ですよ」
次いで黄金の鎧を着た男が告げた言葉に、ロウの表情に緊張の色が浮んだ。
「……なにか知ってるのか?」
「男の身柄は、こちらで預かっている」
「セ、セリスさんのことですか?」
「強い子ですね。恐怖はありますが、その中に強い光をもった目です」
「セリスさんをか……返して下さい」
導きの札の示した警告が脳裏を過ぎり、不安げな声で急くカグラを、白銀の鎧を着た男が抑揚のない声で静かに宥めた。
「慌てるな」
「シンカさんたちに関しても同じです。宿に戻っても会えません。シンカさんとリアンさんは今頃、セリスさんを取り戻しに向かっているはずですから」
「そ、そんな……」
「……確かにそれで集合の時間は気にしなくていいわけだが、他に急ぐ用事ができた。案内してもらうぞ」
ロウはカグラを下がらせるように一歩前に出ながら、二人の男を見据えた。
実質の二体一。しかし、感じる魔力はさほど大きくはない。
魔憑である可能性は否定できないが、今の話を聞いて引き下がるわけにもいかないのだ。
すると白銀の男が鉄兜の奥で、小さな嘆息を漏らしたような気がした。
「変わらん奴だ」
「どういう意味だ?」
「案内してもらうだと? 俺たちが大人しく、言うことを聞く義理はない。ならば、お前はどうする」
「……」
白銀の鎧を着た男の言葉に、ロウは言い返せずに言葉を詰まらせた。
先程通り、大きな魔力は感じない。なら、男たちのこの余裕はなんだ。
それが示すところは一つしかないだろう。
ロウが感じ取れない値まで魔力を抑えている。つまりそれは、ロウの感知能力を男の操作力が凌駕している事に他ならず、一言で言えば純粋な強者だ。
そしてその結論を裏付けるように、黄金の男が言葉を口にする。
「はっきりと言っておきましょう。貴方では、私たちのどちらにも勝てません。むしろ、勝負することすらできないでしょう」
「なぜだかわかるか? それは――」
――お前に過去の記憶がないからだ。
「か、過去の……記憶?」
白銀の鎧を着た男の言った言葉は、カグラに強い襲撃を与えた。
一瞬何を言ったのか理解することができず、真っ白になってしまいそうな頭の中、ただ無意識に同じ言葉を復唱してしまう。
そうしてやっと言葉の意味を理解したカグラは、僅かに開いた小さな唇から問いかける音を出すことができず、揺れる琥珀の瞳でロウを見つめた。
音ではなく、瞳でその真意を問おうとする少女を前に、黄金の男は言葉を紡ぐ。
「聞かされていないのですね。ロウには過去の記憶がないのですよ。四年前、リアンさんやセリスさんたちと出会う前の記憶。正確にはそれよりも前……セツナと出会う前の記憶、ですか」
「ッ、セツナのことも知っているのか?」
過剰とも思える反応。目を見開き、ロウは二人に問いかけた。
「あぁ、当然だ。むしろ今のお前より、俺たちの方があの女のことは知ってるだろう」
「なぜ――記憶を探さないのです?」
「それは……」
その問いにロウは表情を歪め、唇を噛み締めながら俯いた。
僅かに漏れた声に覇気はなく、眉間に皺を寄せながら細めた瞳には悲愴感が漂っている。
「それほどまでに今という時間が大切か? もはや過去など、どうでもいいか? お前という人間は……過去を捨てたのか?」
「違う!」
ロウは即座にそれを否定した。
「もしかすると、過去に大切な仲間がいたかもしれない。待っててくれる人がいるのかもしれない。そう考えると……確かに記憶は取り戻したい」
再び地面に視線を落とし、堅く拳を握りしめた。
ずっと言えなかった秘密。それはまさに過去の記憶のことだった。
ロウには確かにないのだ。セツナと出会った七年前より以前の記憶がすべて。
何度も探そうとした。何度も過去を思い出そうと努力した。
しかし、何一つ手掛かりもないまま時は過ぎ、気付けば七年だ。
「だがそれよりも、今は――」
「貴方に世界は救えません」
ロウの言葉を遮った黄金の鎧を着た男は、ロウの言おうとした事を予め分かっていたというように、出るはずだったその言葉をはっきりと否定した。
「……っ」
「お前は弱い。世界が闇に呑まれるのを、見て後悔することしかできない。だから――」
「もうやめてくださいッ!」
「カ……カグラ?」
今までロウの真実に動揺し、何も言えないでいたカグラが、いきなり大きな声を張り上げた。
そんな小さな少女の姿を、ロウは驚いた様子で目を丸くしながら見つめている。
カグラは臆病で人見知り。そんな少女が初めて会った相手に対し、ここまで声を荒げた姿を初めて見たのだから当然だろう。
それだけ、男たちのロウを責める言葉に少女は心を酷く痛めていた
「ロ、ロウさんは弱くないです。いつも助けてくれます」
「「……」」
男たちは何も言わず、大人しくカグラの言葉に耳を傾けている。
「や、約束してくれたんです。一緒に世界を救うんです。だ、だから……もう、ロウさんを悪く言うのはやめてください!」
カグラの声は必死だった。普段の弱々しさはない、力強い声音。
目の前の男たちを見据える双眸は、逸れることなく真っ直ぐなままだ。
しかし、そんな少女の想いの乗った言葉を白銀の男はあっさりと否定する。
「そうだ、こいつは約束を破らない男だ。だが、その約束だけは果たされない」
「そんなことありません!」
「わからん娘だ、いいだろう。ロウ、全力で撃ってこい。技はなんでも構わん」
「心配いりませんよ。貴方が全力を出したところで、傷一つ負いません。なんでしたらその刀……抜かしてあげてもいいんですよ?」
そう言った男が、鉄兜の奥で少し笑ったような気がした。
大した自信だ。いや、それは自信ではなく確信なのだろう。
「お前たちはどこまで俺のことを知ってるんだ……」
「どこまでも」
「ふざけるな」
「ふざけてなどいない。それだけ俺たちは、お前を見てきたのだからな」
「俺を……見てきた?」
本当にわけがわからない。
セツナの事を知り、ロウの記憶の事を知り、あまつさえロウのすべてを知っていると言わんばかりの口振りだ。
いったい何が目的で、こうして目の前に現れたのか。
そんな思考すら与えまいと、白銀の男がロウを急かす。
「まぁ、そんなことはどうでもいい。来ないならこちらから行くぞ」
男の言葉に、ロウは咄嗟に前に出た。……カグラを巻き込むわけにはいかない。
相手の能力も実力もわからない以上、まずはそれを見極める。
そして、ロウが構えた瞬間――彼の体を、白銀の鎧を着た男の腕が貫いた。




