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これは君のパラミシア  作者: 御乃咲 司
第一節『これは月が導く宿命の標』
85/323

82.崩壊の業火の先に


「お待ちください、姫!」

「……」

「引き返しましょう! 姫っ、聞いておられるのですか!?」

「……なりません」

「ッ! 相手は降魔こうまという魔物であれば、まずは兵を編成し――」

「それでは間に合いません!」


 スィーネは馬を走らせ、川沿いの村へと向かっていた。

 それを追随するのは、三人の部下を引きつれたファナティだ。


 何かが起きた時のためにと、彼が厩舎きゅうしゃで馬を走らせる準備をしていたところ、慌てた様子で駆け込んで来たスィーネが馬駐の縄を手早く解き、そのまま馬に乗って飛び出してしまったのだ。

 そしてすぐさまスィーネをを止めるために追いかけるものの、彼女は振り返ることなく馬を走らせている。


 このケラスメリザは馬上戦技ジョスト射撃競技アーチェリーが盛んな国だ。

 ファナティは馬上戦技ジョストで優勝したことのある実力を持っているものの、スィーネの馬を走らせる技術は相当なものだった。

 馬の心がわかるとでもいうのだろうか。とにかく、走らせるだけならスィーネの右に出る者はそういない。


 外見は大人しそうに見えるスィーネの元々の趣味は射撃競技アーチェリーだった。

 しかし、馬を自在に操り戦うファナティに感銘を受け、馬上戦技ジョストの教えを請うてからというものの、その頭角をめきめきと現した。 

 ファナティはともかく、彼が率いる男たちでは追随するのがやっとのことで、つまりはとても追いつけそうもない。


 故に、ファナティは焦っていた。

 スィーネの誰にでも向ける愛情の深さは、幼き頃よりずっと彼女を見てきたファナティにとって、痛いほど理解してる。

 しかし、スィーネはケラスメリザ王国の姫君だ。このようなところで、決して死なせてはならない。

 そんな彼の焦る思いをよそに、見えてきたのは歪な空間だった。


「あれが……降魔の……」

「なんと禍々しい」

「護るのです。見捨てられる命など、あってはなりません」

「姫ッ!」


 スィーネが馬を蹴ってさらに速度を上げると、ファナティの声が空しく響いた。






 ケラスメリザ王国、王都クレイオ領内――イダニコ村


「お、お姉ちゃん」

「大丈夫。大丈夫だから」


 川沿いの村は決して大きくはない、ほんとうに小さな村だ。

 若い者ぼ多くは王都で働いているため、残っているのはほとんどが年寄や子供たちだった。村の奥には、孤児を養護している教会がある。


 村の外の異変にたまたま早く気付いた者の知らせにより、村の者たちは皆、この教会に集まっていた。

 年寄りや女たちが隅で震え、修道服を着た女性が子供たちをあやしている。


「僕たちが悪いことしたから、罰が当たったの?」

「貴方たちは何も悪いことなんてしてない。きっと、騎士様が助けに来てくれるから」


 とは言ったものの、修道女シスター自身、胸の内は恐怖でいっぱいだった。

 突然現れた歪な空間は、今までに見たことがないものだ。まして、そこから魔物が現れるなど想像もしていないだろう。

 幸い、王都クレイオからそう離れてはいないし、王都の見張り台からでも村の状況はわかるはずだ。誰かが助けに来てくれるか、それとも何事もなくあの歪な空間が消えてくれるか……村の者たちはただ祈ることしかできなかった。





「あ……あれは……」


 スィーネの口から乾いた声が漏れる。

 前に見える魔扉リムが一回りほど大きくなると、そこから飛び出してきたのは異形の魔物……降魔だ。

 大きさは小さいものの、その姿を初めて見た者の反応はどれも等しかった。

 まるで呼吸の仕方を忘れたように息が苦しくなる中、手にした手綱を握る手が少し緩む。

 途端、四頭の馬が突然急停止し、鳴き声を上げながら前足を大きく上げた。

 咄嗟に手綱を強く握り直すと、それぞれが馬を落ち着かせる。その行動が、スィーネの止まりかけていた思考を再び動かした。


「動物にはわかるのですね。あれを村へ入れてはなりません」

「で、ですが姫。我らだけであれに挑むなど……」

「姫様。て、敵の数が……」

「っ、いったいどれだけ増えるんだ……」


 魔扉から現れた降魔の数は、たった(・・・)の十数体だった。

 だが、それを少ないと感じることができるのは魔憑か、もしくは運命の日を戦い抜いたミソロギアの兵士くらいなものだ。

 スィーネたちにとってそれはたった十数体ではなく、実に絶望的な数だと言えるだろう。


 そのとき、先に動いたのは降魔だった。

 足の速いナイト級の群れが村へと物凄い速さで駆けだすと、スィーネは無意識に馬を走らせ、弓を取って矢をつがえた。

 

「姫! っ、行くぞ!」


 ファナティの声に引かれ、三人の男たちもスィーネの後を追いかける。

 スィーネは先頭のナイト級に狙いを絞り、その頭部を目がけて矢を射った。

 しかし、ナイト級はそれを躱すと九十度反転し、スィーネに狙いを切り替える。

 ドクンッと大きく跳ねる心臓を押さえつけ、スィーネは意を決したように手綱を握り直すと、大きな声で叫んだ。


「倒す必要はありません! 時間さえ稼ぎ続ければ、アイリスオウスの使者がきっと駆けつけてくれるはずです!」


 狙い来るナイト級の跳躍を躱しながら、スィーネは村へと向かう降魔へと次々に矢を放った。やるしかないと腹を括ったファナティたちも散開し、長銃を撃ちながら駆け抜ける。

 当てる必要はない。降魔の注意を向けることができればそれでいいのだ。


 その思惑通り、すべての降魔がスィーネたちへ狙いを変えると、そこからはまるで鬼ごっこのように、時折挑発の射撃を交えながら皆は逃げ続けた。

 しかし、スィーネたちは当然知らない。

 魔扉が開き続ける限り、降魔もまた、現れ続けるということを。


「隊長! 新たな降魔です!」

「なにっ!? っ、これ以上引きつけるのは不可能です! 姫だけでも今すぐお逃げください!」

「しかしそれでは……」

「ここは命に代えても我々が時間を稼ぎます! お早く!」


 ファナティの必死の呼びかけに、スィーネは顔を歪ませた。

 矢も残り少なく、兵たちの弾の残数も心許ないだろう。

 何か良い手はないなかと考えるものの、降魔が答えを待ってくれるはずもなく、挑発の手を緩めるや否や、新たな降魔が村へと侵攻を開始した。

 

「ファナティ、貴方たちは村の人たちを避難させてください!」

「しかし姫はどうされるおつもりです!?」

「私はここで降魔を引きつけます」

「なりません! それなら私が!」

「いいえ、なぜか私の方を狙う降魔の数が多い。私が適任です」


 確かに、スィーネの言う通りだった。

 十数体の降魔のほとんどは、スィーネを捉えようとその後を追いかけている。

 スィーネたちは知る由もないが、それは暗に、彼女の持つ潜在的な魔力の量によるものだった。

 彼女が村へと入れば、この場に残った兵たちよりも降魔は彼女を優先するだろう。それでは囮の意味がまるでない。

 降魔を引きつけることだけに限れば、スィーネこそが適任だった。


「姫を護るのが我らの役目です!」

「あくまで願いを叶えてはくれないのですね。でしたら、ファナティ・ストーレンと以下三名にスィーネ・ヴァスリオの名において命じます。村の者の避難を。誰一人として死なせることは許しません」

「なっ……」


 言って、スィーネは新たに現れた降魔の群れへと目がけて、残った矢のすべてを使い切る勢いで放っていく。……残る矢は後僅かだ。


「早く!」


 これは、今年十五になったスィーネの出した初めての命令だった。

 それは決して、いつまでも子供だと思っていた少女の願いではない。

 ケラスメリザ王国第一王女スィーネ・ヴァスィリオの言葉だ。


 このときのファナティの葛藤がどれほどのものであったかなど言うまでもない。

 たとえ命令に背いてでも、たとえその結果首を刎ねられようとも、力尽くでもスィーネを連れて逃げるという選択もできただろう。

 だが、スィーネに今は亡き王妃の面影を見たファナティは……


「必ず戻ります! それまでどうか……くッ、行くぞ!」


 ファナティが歯を食い縛りながら軌道を変え、村へと馬を走らせる。

 それを追いかける三人の兵たちの後ろを降魔が追随するも、スィーネは残ったすべての矢を使い切り、それを阻止した。

 ナイト級十二体に、バロン級が十体。そのすべてがスィーネに狙いを定め襲いかかるも、彼女は巧みな馬術でそれを懸命にそれを躱していく。


 運命の日、ロウは騎馬隊を編成には入れなかった。それは降魔相手に馬上での有利を生かすことはできず、ただの的になると判断したからだ。

 しかし、戦うことを目的とせず、逃げ続ける目的であれば話は変わってくる。いくら素早いナイト級とはいえ、駆ける馬の速度について行くことは容易ではない。


 といっても、一度でも馬が足を止めてしまえば終わりだ。降魔の間を巧みに走り抜けるスィーネの馬術は卓越したものと言えるだろう。

 これなら大丈夫だと、そうスィーネが思った瞬間、魔扉から現れた一体の降魔は彼女の初めて目にする個体だった。

 その一体の降魔が現れた後、魔扉は緩やかに小さくなっていく。

 放つ矢はもうないが、その降魔さえ引きつけることができれば……そう思い、スィーネは馬を蹴って加速させた。

  

 そして、スィーネがその降魔の目の前を横切った瞬間――


「っ!? きやっ!」


 突然地面が隆起し、馬ごと宙へと放り出されてしまう。

 手綱を手放し、スィーネは背中を強く地面へと打ち付けた。一瞬息が詰まり、すぐに起き上がることができないまま、視線だけをその原因へと向ける。


「ッ……な、なんなの……ですか。今のは……」


 降魔の中でもカウント級以上の降魔は魔力を扱う。最後に現れたそれは、まさにカウント級の降魔だった。魔憑からすればなんということはないその個体は、普通の人間にとっては死の宣告を告げるものだ。


 スィーネの周りには降魔の群れ。

 完全に囲まれたスィーネを襲ったのは、純粋な恐怖だった。馬は倒れたまま動かず、矢はとうに尽きている。他に使える武器はなく、助けを呼ぶにもファナティたちに声が届くことはないだろう。

 歯がカチカチと音を立て、小刻みに震える体は言うことを聞かず、早鐘のように鳴り響く心臓は今にも張り裂けそうで、目からは透明な液体が溢れ出た。

 




 バンッ、と激しい音と共に教会の扉が開かれると、村人たちの驚いた視線が開いた扉へと集まった。

 そこにいたのは待ち望んだ騎士たちの姿。


「無事か!?」

「あぁ……よかった。助かった……」

「これで全員だな?」

「はい、村の者はこれですべてです」

「よし、なら一刻も早くここをでるぞ。急げ、村の裏手から森へと向かう」

「は、はい。みんな、行きましょ。上の子は下の子と手を繋いで」


 ファナティの指示に従い、皆が教会を出ようとしたそのとき、激しい音と共に天井が崩れ落ちた。

 数々の悲鳴が響き渡る中、穴の空いた天井の上には、一体の降魔が不気味にファナティたちを見下ろしている。


 魔扉が閉じる直前、現れた降魔は一体ではなく二体だった。

 スィーネがそれに気付かないのも無理はないだろう。ナイト級、バロン級はそれぞれに外見は変わらず、地を走ることしかできない。

 しかし、ここに現れた降魔は翼を持ち、空中を移動していた。降魔の知識がないスィーネたちが見逃してしまうのも仕方のないが、見逃したそれは最も最悪なものだった。

 額には丸い石を中心に細い欠片が三つ埋まっている――マークイス級だ。





 スィーネは目の前の光景に、自分の死を悟っていた。

 そのときに脳裏に浮かんだのは、今は亡き母と村にいる子供たちの笑顔だ。

 

 彼女の母、セラフィはこの村の出身だった。所謂、パソスとは身分違いの恋だ。

 たまたま見かけたセラフィに一目惚れし、パソスの恋愛的猛接近アプローチが始まったのが馴れ初めだったと聞かされたことがある。

 孤児で身分の低い女が王族の者に見初められるなど、何か裏があるのではないかと、村で大騒ぎになったと苦笑しながら話していた。


 そんなセラフィは時折、スィーネと護衛を連れて彼女の故郷であるこの村の教会へと遊びに来ていた。

 そして、いつも子供たち同士でスィーネの取り合いが始まるのだ。

 スィーネはそれが堪らなく嬉しかった。

 親のいない子供たちの気持ちがわからない裕福な自分でも、子供たちを笑顔にできるのだと。

 

 愛する母が亡くなったのは今年の七月……ついこの間のことだった。

 その原因は病によるもので、各地から名医を呼び寄せ手を尽くしたものの、セラフィはその生涯を終えることとなった。

 

 だからスィーネは守りたかったのだ。

 ただ、純粋に……今は亡き愛する母の故郷を護りたかった。


 無論、パソスにとっても苦渋の決断だったのは理解できる。

 そんな彼が下した国王としての決断を恨むことはないが、それならせめて、自分だけでも母の為にできることをしたい。

 その想いが突き動かした結果が、今という絶体絶命の窮地だった。

 

「ごめんなさい……お母様……」


 恐怖に流れた涙はいつしか悔し涙へと変わり、震えた拳を握りしめ、ファナティが村の皆を無事に逃がしてくれたことを最後に祈りつつ、スィーネは一斉に躍りかかる降魔を前にその瞳を閉じた。


 途端――スィーネが感じたのは痛みではなく、浮遊感だった。


 スィーネがおそるおそるその目を開くと、揺れる瞳に男の顔が映り込む。

 リアンは降魔の群れへと割って入り、スィーネを抱えて跳躍。彼女を窮地から救い出すと、少し乱暴に彼女を降ろして降魔を見据えた。


「あ、貴方は……」

「何を諦めている」

「え?」

「上に立つ者が諦めるな」


 言って、リアンはその手に炎を纏うと、目の前の降魔へと一気に解き放った。

 激しい炎が地を走り、次々に降魔を呑み込んでいく。

 それを躱したナイト級がリアンへと鋭爪を振り上げるが、彼はそれを難なく斬り伏せ、最後に残ったカウント級へと距離を詰める。

 カウント級は目の前の地面に地の壁を作ったが、背後に感じた気配に振り向いた瞬間、胸の核を貫かれ、その姿は紫黒の粒子となって消滅した。


「き、来てくれたのですね」

「お節介の仲間がいるからな」

「……ありがとうございます」


 力が抜け、へたり込みそうになるのをなんとか堪えつつ、スィーネは深く頭を下げた。

 しかし、そんな彼女を見下ろしたならリアンの口から出た言葉は……


「どうしてこんなことをした?」

「どうして……とは……」

「何一つ戦う力のない上に立つ者が戦場に出ることが、どれだけ愚かな行為かお前は理解しているのか?」

 

 リアンの冷めたような低い声音は、相手の立場がこの国の姫であることなど考えてはいないものだった。

 乱暴な口調で言ったその言葉が、スィーネの胸を深く貫いた。


「わ、私は……皆の命を護りたいと……」

「俺はお前みたいな頭がお花畑な人間が嫌いだ。すべてを救うだと? 力もないお前がそれを言っても、ただの綺麗事でしかない」


 現実を見る。過去にロウがいなくなって以降、それはリアンが常日頃から心がけていたことだ。理想は理想、夢は夢。それを現実と混ぜることはしない。

 自分のできることを、自分ができる範囲での全力を、それがリアンの生き方だった。


「っ……だったら……だったらどうすればよかったのですか!? 私に力がないことくらいわかっています! ですが、私が助けを求めても、力のある貴方たちは応えてくれませんでした! だったら……だったら自ら動くしかないではないですか!」


 悲鳴交じりの声、涙に濡れた顔。スィーネの浮かべた表情は、一国のお姫様とはかけ離れたものだった。

 理想を見る。平和な世界で戦いを知らない一人の少女。

 降魔の恐ろしさも知らず、ただすべてを守りたいという思いだけで、一国の姫が戦場に立った。上に立つ者が自ら戦場に立つというのは、一見勇敢で心強いものなのかもしれない。しかしそれは、強さがあってこそだ。


 彼女のとった行動は、ただの理想を口にしながら駄々をこねる子供と何一つ変わらない。

 そんなスィーネを前にリアンの漏らした声音は、先ほどとは違いとても柔らかいものだった。


「そうだ……愚かなのは俺も同じだ。ロウたちが背中を押してくれなければ、俺はすべてを救うことを諦め、きっと後悔していただろう。今回に関して言えば、お前のお陰で俺は間に合うことができた。それについては感謝している。だが、同じことが二度続くとは限らない。今回、一国の姫がしでかした無茶は俺の責任だ」

「リアン……様」

「だがな、次同じことをすればそれはお前自身の責任だ。無茶はこれっきりにしておけ」

「……」


 スィーネはこのとき、リアンがどういった人間であるのか、少しだけわかったような気がした。

 気まずそうに視線を逸らすリアンがなぜだか微笑ましく思え、スィーネが指先で涙を拭ったそのとき、リアンは目を見開き、村の上空の一点を見つめた。


 スィーネが彼の視線を辿ると、そこにいたのは翼の生えた降魔の姿。

 降魔の掲げた手の上にあるのは、大きな魔力の塊だ。

 彼女が再びリアンに視線を戻したとき、すでにリアンは駆け出していた。

 

  

 


 子供たちの泣き声が響き渡る。

 大人たちも腰を抜かしたようにへたり込んだまま、上空の降魔を見つめていた。

 その体は、まるで死の宣告を待つかのように震えている。

 

「餌ヲ、喰ラウ。王都ヘ、行ク。大人シク、死ネ」


 振り掛かる声は今までに聞いたことのない、低く不気味な音だった。

 震えが止まらない。それでも民を守るのが騎士の務めであり、主であるスィーネが身を挺してそれを願ったのならそれに答える義務がある。

 いや、それは義務ではなく、それこそがファナティの生き方だった。


 ファナティはごくりと唾を呑み込み、やっとの思いで掠れた声を振り絞る。

 

「は、話せるのか?」

「会話、意味、持タナイ。スグ、話セナク、ナル」

「ま、待てっ! どうして、この村を襲う?」

「餌、喰ウ。力、ツケル」

「え、餌と言うのは、人間のことか?」

「人間ノ、魔力。死ネバ、溢レル。ダカラ、殺ス」


 言って、マークイス級の降魔は手を上に掲げた。

 掌から紫黒の魔力の塊が現れ、徐々にその大きさを増していく。


「く、くそぉぉぉーッ!」


 叫んだファナティが残弾を使い切るまで発砲し続けるが、マークイス級は躱す素振りすらみせず、そのすべてを体で受けた。他の兵たちもそれに続いて発砲するが、マークイス級の体には傷一つついてはいない。


 カウント級以下の降魔相手なら、上手く核にでも当たれば消滅させることができる銃弾も、マークイス級以上になると玩具の鉄砲となんら変わらない。子供が獅子に豆鉄砲を撃っているようなものだ。


 すべての弾を使い切り、カチカチと引き金を引く空しい音だけが静かに響く。

 

「女神様。月の女神アルテミス様。どうか、せめてどうかこの子たちだけはお救いください。お願いします……どうか……」

 

 月の女神アルテミス。この国の信仰する女神像に向かい、子供たちを胸の中に庇いながら、修道女シスターの口から漏れた震えた声は……祈りだった。





 リアンは自分を強く責めた。

 どうして外の降魔を殲滅して安堵したのか、周囲への警戒を解いたのか、これほど近くにいた降魔の気配に気が付かなかったのか。考え出せばきりがないほどの後悔が、リアンの胸中に渦巻いている。


 教会は村の中でも奥のほうに位置していた。どれだけ冷静に考えても、いや、冷静になればなるほど確実に間に合わないということがわかってしまう距離だ。

 リアンはロウに比べ、まだ魔力を扱える範囲がかなり狭い。空にいるマークイス級を攻撃するには、できるだけ近くまで接近する必要があった。


 それでも、リアンは諦めなかった。決して諦めるわけにはいかなかった。

 ロウとシンカはリアンを信じ、すべてを救うために危険な役を買って出たのだ。

 ここで諦めれば、その二人を裏切ることに他ならない。そしてそれは、守り切れなかった結果を残しても同じことだ。

 リアンがロウたちに報いるには、確実に間に合わない現状でも、すべてを守り切るしか方法はない。


 リアンは今はもうすでにない、パトリダ孤児院のことを思い返した。

 ――あのときの後悔を繰り返すわけにはいかない。


 リアンはトレイトが、多くの兵が死んだ運命の日の戦いを思い返していた。

 ――あのときの思いはもうたくさんだ。


 リアンは送り出したロウたちの姿を、戦いたくても戦えないセリスたちの姿を思い返していた。

 ――あいつらの思いを裏切ることはできない。


 リアンはスィーネの涙に濡れた顔を思い返していた。

 ――あの覚悟を無駄にはできない。

   

(後少し、後少しだ。間に合え……間に合えっ……間に合えッ!)


 だが、運命とはどうしてこうも残酷なのか。

 リアンがもうすぐそこまで迫った瞬間、マークイス級の腕が無慈悲にも振り下ろされた。


「シスタァァァ――――ッ!」


 リアンの悲痛な叫びも虚しく、伸ばした手が届くことはない。

 そして、マークイス級の放った魔力の塊が教会へと襲いかかろうとしたそのとき――


 ――シャン


 幾つかの鈴が纏めて響いたような音が聞こえた瞬間、一筋の閃光がマークイス級の魔力塊を貫き、上空で大きく爆ぜた。

 あの閃光がなんなのか、誰が放ったものなのか、そんなことは今のリアンにとって二の次だった。ただ一つ言えること、ただ一つ確かなこと。

 それは、確実に間に合わないはずだった伸ばしたこの手が――今なら届く。


「っ、うおぉぉぉぉ――っ! 崩壊への業火(メルトブレイク)ッ!!」


 リアンの手に紅蓮の炎が宿り、解き放たれた炎の威力は凄まじく、それはマークイス級を一瞬にして呑み込んだ。

 明らかに今の彼では扱えるはずのない異常な魔力。それは、たとえデューク級が相手でもひとたまりもないであろう程の威力を宿していた。

 それを示すように、技を放ったリアンの手には火傷の痕が残っている。

 無意識化で放った渾身の一撃。これがスキアの言っていたことかと、そう思いつつ彼は足を止めなかった。

 

「はぁ……はぁ……」


 教会に辿り着いたリアンが全身で息をしながら周囲の気配を探るが、大きな魔力は感じられなかった。

 マークイス級は消滅し、この危機を救った誰かはもう近くにはいないようだ。

 

「間に……合ったのか……俺は……」

「い、今のはお前がやったのか?」

 

 ファナティの声が届いていないのか、リアンはふらふらとゆっくりとした足取りでその足を進めて行く。

 さっきの一撃で、リアンの魔力はほぼ枯渇したといっても過言ではない。それだけの魔力を一気に解き放てば、いくら魔憑といえど体力の消耗はあまりにも大きいものだった。


 遅れて後を追いかけてきたスィーネが教会に辿り着くのと、怯える子供たちの前にリアンが辿り着いたのは同時だった。

 リアンは両膝を力なく折り地面へつけると、真っすぐに子供たちを見据えて震えた声を漏らす。

 

「よかった……今度は……救えた」

「お兄ちゃんが助けてくれたの? 怖いの、もういないの?」

「あぁ、もう大丈夫だ。怖かっただろ……? よく頑張った」

「うん! ありがとう、お兄ちゃん!」


 小さな微笑みを浮かべ、とても優しい声音で言ったリアンの姿は、今までにスィーネたちが見てきた姿とはまるで別人のようだった。

 目尻に涙を浮かべながら感謝の言葉を言った子供たちの笑顔を見て、リアンは安堵する。

 子供たちに続いて次々に投げられる感謝の言葉が、本当に救うことができたのだという実感と共に、リアンの胸を満たしていった。


 しかし、ここで悠長に構えている暇はない。

 リアンはパソスから預かった伝達石に魔力を通すと、ロウへと繋いだ。

 本来なら今のリアンではまったく感知できない距離だが、だいたいの位置がわかっていれば話は別だ。

 

「ロウ、聞こえるか? 全員無事だ。いますぐそっちに戻る」


『……』


「ロウ、聞こえないのか? ロウ」


 リアンが何度も呼びかけるも、ロウからの返答はなかった。

 そんなリアンにファナティと他の兵士が顔を見合わせ、首を傾げながらリアンへと声をかける。


「伝達石は一方通行だ。こちらからの声が届くはずがないだろう」

「少し黙ってろ。ロウ、応答しろ」

「なんだと! 貴様、無礼だぞ!」


『……』


「っ、くそっ! 後は頼んだ!」


 駆け抜ける嫌な予感にきつく奥歯を噛み締めると、リアンはすぐさまロウたちの元へと駆け出した。


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