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これは君のパラミシア  作者: 御乃咲 司
第一節『これは月が導く宿命の標』
84/323

81.現実の先の理想―無か、全か


 月が照らす夜の王都を駆け抜ける三つの影。

 並んでいる高い建物の上を跳躍しながら走るロウたち気付いたのは、極僅かの住民だけだろう。

 しかし、仮に気付かれたとしても問題はない。一瞬の内に見えなくなれば、幻でも見たのかと考えるのが普通だ。


 とはいえ、ほとんどの住人は上を気にする余裕もなく、いったい何が起きたのかと不安そうな表情を浮かべながら、憲兵の指示に従って屋内へと避難している。

 幸い、取り乱したように暴れる者はおらず、動揺はあるものの混乱はなさそうだ。

 

魔門ゲートの規模がわからない。おそらく魔扉リム程度だとは思うが……油断しないでいこう」

「万が一、ミロソギアに開いた魔門の規模ならどうする?」

「皆が逃げれるだけの時間を稼げたら恩の字よね……」

「そうだな」


 ほどなくして魔門が見えると、すでに十数体の降魔こうまが王都クレイオに向けて走り出していた。

 王都を囲う防壁の外にはすでに誰もいない。これなら全力で戦うことができる。

 ロウたちは周囲を素早く確認しながら防壁から飛び降り、降魔の殲滅を開始した。


 幸い、現れているのはナイト級、バロン級、カウント級のみだ。

 それでも時間と共に魔門は拡大していく。いくらこの魔門が通常の魔扉規模とはいえ、そのうちマークイス級が出てくる可能性も決して低くはない。

 ロウたちは魔力を温存しつつ、次々に襲い来る降魔を消滅させながら魔扉へと近づいて行った。


魔憑まつきになった今ならわかる。この魔扉はさほど大きくならないようだな」

「よくわかったな。だが、マークイス級くらいは出てきてもおかしくない」

「え? リアンもわかるようになったの? っと」


 シンカは驚きと焦りを同居させたような声を発しながら、躍りかかって来たナイト級を容易く斬り伏せた。体が上と下に分かれたナイト級は紫黒の霧となって消滅し、それを確認することなく次の降魔へと細剣を光らせる。


「城からではさすがに何も感じなかったがな」

「む~……なんだか追い抜かれた気分だわ」

「魔力を感じる感覚に個人差があるのは仕方がないことだ」


 カウント級の放った魔弾を躱しながらロウがそう言うと、シンカの魔弾がそのカウント級へと直撃し、淡い紫黒の粒子となって消滅。

 次いでロウが背後から拳を振るうバロン級の腕を取り、中空から踊り掛かるナイト級へ投げ捨てると、リアンの放った炎が二体を同時に焼き尽くした。


「ね、ねぇ……じゃあ、今から出てきそうなあれの気配は?」

「あぁ、わかるぞ。少なくとも、俺一人じゃ勝てないということはな」


 試しに、といわんばかりにシンカが問いかけると、リアンは手近なナイト級の核を突き刺しながら答えた。


「マークイス級の中でも、かなり強い魔力を持った個体だ。リアンはマークイス級以外を後ろに逃がさないように頼む。俺とシンカで叩くぞ」


 二人がそれに頷き返すと、残った降魔を倒しながら前衛と後衛に分かれた。

 現れたマークイス級はカラスのような嘴に、骨と皮だけのようなやけに細い体つきをしている。……なんとも不気味な雰囲気だ。


 ロウが真っ先に駆け出すと、マークイス級はその場を動かずにそっと手をロウへと向けた。嫌な寒気がロウの背筋を走った瞬間、その手から放たれる魔力。

 前のめりになっていた体を咄嗟に捻り、ロウはそれを躱すが、マークイス級が放ったそれはかなりの威力をもっていた。抉れた地面が焼け焦げ、煙が上がっている。


 魔力を弾状にして放つ魔弾と違い、ただ純粋に魔力を放射しただけの攻撃。いわゆる魔砲と呼ばれるものだ。威力と範囲は魔弾より遥かに大きいものの、いかんせん圧倒的に燃費が悪い。

 魔力を扱う者が能力問わず基本的に扱える技が魔弾、魔砲、魔障壁の三つだが、魔砲だけは下手すれば能力そのものよりも大きく魔力を消費してしまう。

 能力の相性というものが存在しないのが利点と言えば利点ではあるのだが。


 ともあれ、魔力の消費が桁違いに大きなそれを迷いなく放ったいうことは、このマークイス級の魔力量の高さは計り知れない。

 おそらく、九つの惑星(エニアグラム)の基準値の部分だけを見れば、デューク級に近い。少なくとも、そう考えて対処する必要があるだろう。

 

 ロウがマークイス級の注意を引いた隙に、シンカはマークイス級の背後へと回り込んでいた。

 二人がマークイス級の前後からそれぞれに攻撃を仕掛けようと地を蹴ると、マークイス級は両手をロウとシンカに向けた。

 そこから撃ち出された魔弾はかなりの大きさはあるものの、速度自体は大した事もなく、容易に躱すことのできる程度のものだ。

 それどころか、二人に届くことなく地に落ちようとした……その瞬間――


「っ!? シンカ! 下がれ!」


 ロウの声にすぐさま反応し、シンカは急停止から全力で後方へと跳躍した。

 そしてマークイス級が放った魔弾が地面に触れると、爆音を轟かせながらそれが爆ぜる。

 激しい爆発の余波がロウとシンカを襲い、それは後方でカウント級以下の降魔を相手どっていたリアンにまで届いた。

 

「ッ、なんて魔力だ」


 肌が痺れる程の魔力に、リアンは舌打ちをしながら長剣を握り直した。

 ロウとシンカのことは気になるものの、少しでも気を緩めればナイト級に抜かれる可能性がある。力の扱いにまだ慣れ切っていないリアンにとって、目の前のことに集中することこそが最善だった。

 


「な、なんなのよこれ」

「一つ確認だ。これを反射することは可能か?」

「無理ね……たぶん、吸収しきれないわ」


 二人の額に汗が浮かび、近づくことができないマークイス級を前にどうしたものかと考えていると、マークイス級が初めて言葉を口にした。


「花園、行ク。邪魔ヲ、スルナ」

「花園? なんだそれは……」


 降魔という魔物に対して、ロウたちは明確な知識を持ち合わせてはいない。

 降魔は魔門から現れ、魔力を求めて人を襲い、満足すれば引き返す。そして魔門は自然と閉じていく。その中で引き返せなかった僅かな降魔が逸降魔ストレイとなり、それらが人を襲う現象が神隠しの正体だ。それがロウたちの認識だった。


 だからこそ、以前より疑問に思っていたことがある。

 降魔が魔力を欲するなら、より高い魔力を持つ魔憑を狙うのが自然なはずだ。

 しかし、運命の日の降魔はそれをしなかった。


 確かに序盤はロウが氷の壁を作ったり、上手く流したりはしていたものの、数百の降魔が一斉に現れてからはデューク級の相手に手一杯となり、そこまで気を回している余裕などなかったのだ。

 しかし降魔の群れはロウやシンカに群がるわけでもなく、まるで何かを目指すようにミソロギアへと侵攻していた。


 横からの攻撃が加われば、それに対して反撃をするのは降魔としての特性だが、ここでのカウント級以下の降魔も、ロウとシンカが攻撃を加えなければそのまま真っすぐに王都クレイオを目指している。


 そのおかけでマークイス級の相手に集中できるものの、その皺寄せはすべてリアンの方へといってしまっていた。

 今のリアンならカウント級程度なら苦戦することはないあろうが、数が増えてくれば一人で塞き止めるのも難しくなるだろう。

 一刻も早く、このマークイス級を片付けなければならない。


「主ノ、命令。我ハ、果タス」


 マークイス級が手を横に広げると、四つの魔力の塊が空中に浮かび上がった。

 すかさずロウが地面に手をつき、鋭利な霜を走らせるのと同時に、シンカが魔弾を放つ。

 すると、マークイス級の魔力塊の内の一つが地面を穿ちながら霜を砕き、内一つがシンカの魔弾を相殺。残りの二つがロウとシンカへ飛翔する。


 それを魔弾で相殺した瞬間、ロウに戦慄が走った。

 慌てた様子でマークイス級を注視しつつ、パソスに借りた伝達石に魔力を流す。

 

「……ロウか?」

「陛下、至急聞きたいことがある。この近くに町はあるのか?」

『近くを流れる川を少し上った先に、小さな村がある』

「見張り台の者に、すぐ遠見石で確認させてくれ」

『承知した』

「――ッ!」


 飛んできた魔弾を躱しながら、ロウは伝達石に魔力を注ぎ続けている。

 伝達石は魔力の量を調節することで、聞こえる音量を調節できる。ロウはシンカにもパソスの声が聞こえるように、開放状態を維持していた。


 そんな中、シンカは回避し続ける中で反撃の隙を窺いながら問いかける。


「ロウ、いったいどうしたの?」

「俺の感じたものが確かなら……」

『ロウ、聞こえるか?』

「あぁ」


 ロウは生唾を呑み込み、一言返事を返した。

 自分の勘違いであって欲しいと、そう願いながら耳を傾ける。

 すると、返ってきた言葉は願っていたものだった。

 

『……特に異常はないようだが』

「そうか」


 何もなければそれでいい。それでいいのだが、やけに胸騒ぎがする。

 ロウが感じたのは僅かな魔力の乱れだ。

 新たな魔扉が開くと推測していたのだが……


「まだ猶予があるということか」


 今はまだ異変はなくとも、時期に開くとロウは結論づけた。

 この時点で開くという最悪は回避できたものの、結果として手遅れになっては意味がない。


『どうしたのだ?』

「おそらく、そこにも魔扉が開く」

『それは誠か……』

「あぁ」

「そんな……どうするの?」


 シンカの表情には明らかな焦りの色が浮んでいる。

 セリスは魔憑の力に目覚めていないし、カグラの能力は戦闘向きではない。村を救うにはロウたち三人の中の誰かが、今すぐそこへ向かう必要があった。

 しかしマークイス級に加え、目の前の魔扉からはいまだカウント級以下の降魔が現れ続けている。

 まだ村の近くに魔扉が開いていない状態とはいえ、迷っている暇はない。村を確実に救うなら、迅速な判断が必要だ。


 すると、この現状をそのまま言葉に表したのはリアンだった。


「多くを救うなら、俺たちが動くわけにはいかない。そうだろ?」


 目の前のカウント級含む群れを一つ焼き払い、リアンはロウへと視線を送った。

 余っていた伝達石の欠片は二つ。その内の一つをリアンが所持していたため、今の会話をリアンも聞いていたのだろう。

 それに対して伝達石の向こうから返ってきた声は、パソスのものではなかった。


『お願いします! 村を救ってください!』

「不可能です。こちらは今でも手が放せない状態なんです」

『っ、すべてを救うのが……力を持つ者の務めではないのですか? あ、あそこには早くに親を亡くした子供たちが……孤児院があるのです。どうか……どうかお願いします』


 無常にも告げられたリアンの言葉にスィーネは鋭く息を飲むと、その後に発した声は酷く掠れていた。切実な願い、祈るような想いが伝わってくる。

 だが、それでも言わなければならない。


「勘違いしないでください。命を護るとは、より多くの命をです。命を預かるとは、戦いに出向いた者たちの命です。命を選択するというのがすべて(・・・)をという意味ではなく、そのままの意味であることを理解していただきたい」

『……選ぶ?』


 それは余りにも辛い選択だった。


「戦う覚悟があるなら選んでください。現状でも厳しいこの状況の中、俺たちの命を危険に晒して両方を救うという可能性の低い選択。失敗すれば俺たちだけでなく、村や王都も終わりを迎えるでしょう。それとも、より多くの命の集まる王都を確実に救うために、村一つを諦めるという選択か」

『そんな……』


 非常な言葉を告げつつ、リアンは目の前に迫る新たな群れへと斬りかかった。


「本当にどうするの、ロウ。時間はあまり残ってないんでしょ?」

「……」


 シンカが何とかマークイス級との間合いを詰めよう試みるが、マークイス級の放つ数多の攻撃がそれをさせてはくれなかった。

 まるで底無しだと思わせるほど、手当たり次第に魔力を撒き散らしている。


 スィーネの言葉を聞いて以降、ロウは一言も口にしてはいなかった。

 何も言わず、マークイス級の攻撃を回避しては迎撃し、隙をついては反撃し、ただじっと成り行きを見守っている。


『魔……魔憑はとても強いのでしょ? ロウ様だって精鋭三人を相手に、簡単に退けて見せたではないですか。そんな方が三人もいるのなら、なんとか……』

「なりません。陛下……陛下はどうお考えか?」

『お、お父様……』


 このままでは埒があかないと、リアンはパソスに選択を委ねた。

 スィーネの不安と願いの入り混じった声に対し、パソスは……


『スィーネ……お前の気持ちはわかる。だが……』

『――っ!』


 伝達石の向こうから鋭く息を飲む音が聞こえた後、すぐさまコツコツと走り去る高い音が聞こえてきた。

 現実を直視出来ず、逃げ出したといったところだろう。

 

『……すまぬ。貴公には、言いたくないことを言わせてしまった』

「かまいません。では……」


 手早く会話を済ませ伝達石をしまうと、リアンはその手に炎を纏い、一心不乱に攻撃を開始した。

 猛る炎をその瞳に映し、悔しさを色濃く浮かべ、歯を食い縛りながら目の前の降魔を殲滅していく。

 スィーネに厳しい現実を突きつけた彼とて、平気でそれを選んだわけではない。救えるものなら救いたい。この戦場に立つ以上、それは当たり前の感情だ。


 そしてそれは当然、リアンだけではなく……


「どうして……どうしていつも私は――くッ! はあぁぁぁぁッ!」

 

 シンカはマークイス級を強く睨みつけ、お前さえいなければと言わんばかりに連続で魔弾を撃ち出すが、その悉くが迎撃されていく。


 また救えないのか。またみすみす犠牲を許してしまうのか。

 心に目視できる形があるのなら、下唇を噛み締めながら悲痛な表情を浮かべる少女の心は、きっと見るに堪えない程に血塗れだろう。


 そんな中、目の前のマークイス級を相手にしながら響く力強い声。


「リアン! 導きの選択を覚えてるか? 無か、全だ」

「――」

「これでいいのか?」

「だが……ここを離れれば、お前たちも王都も危険に晒される。無も全もない。確実に救える命を救うのが最善だ。……そうだろ?」

 

 ロウに同意を求めるように努めて冷静にそう告げたリアンの言葉が、本当に努めて(・・・)であることをロウは理解していた。


 優しい現実主義者リアリスト。優しいが故に、苦しみながらも現実を見る男。

 彼の心の悲鳴のような痛々しいな叫びが、ロウには痛いほど伝わっている。

 そして、孤児院の出てあるリアンの子供たちに対する想いが、ロウのそれに負けていないということも。

 ロウに対して子供に甘いと言っていたリアンだが、彼とて同じであるということをロウは知っている。


 だからこそ――

 

「運命を変えるには、不可能を可能に変える誰かが必要だ。それを変えるのに、可能性が低い以外の方法なんて存在しない。俺たちの先に待ってる戦いはそういうものだろ? 今はもうない……パトリダ孤児院」

「っ!?」

「なぁ、リアン。また繰り返すのか? お前はそれで、先に進めるのか?」

「だが……俺は……」

 

 言葉を詰まらせたリアンの脳裏に、大切な思い出が蘇る。

 母親代わりだった修道女シスター。周りに笑顔の絶えなかった幼き日々。

 無力な手から零れ落ちた日々が帰ってくることは……もう二度とない。


 そんな中、リアンの心に掛かった靄を晴らすようにロウがシンカの名を叫んだ。

 それだけで自分の考えが少女に伝わると、そう信じて。


「シンカ!」

「――」


 突然のことにシンカは肩をびくりと震わすが、余りにも強い想いが宿るロウの瞳を見て、彼女は思わず笑みを浮かべた。


「ふふっ、そうよ……そうよね。ロウが選ぶなら、当然そうなるわよね!」


 嬉しそうに口角を上げながらシンカが答えると、動いたのは同時だった。

 マークイス級へと一気に距離を詰める二人を迎え撃つのは、広範囲で爆発する遅く大きな魔弾だ。

 が、シンカは退くことなく、むしろ更に速度を上げてその横を通過し、ロウは自分の足元から太い氷柱を突き出し、宙へと高く跳躍した。

 

 その瞬間、着弾と共に起こる爆発。

 シンカがさっきよりも近い位置でその爆風に煽られ、吹き飛ばされた先はリアンのそばだった。

 ロウは空中からマークイス級へとその手をかざし、そのまま掌を握り込む。

 すると、甲高い音を立てながら、マークイス級が巨大な氷山に閉じ込められた。


「っ……いたた」


 お尻を強く打ったのか、腰の辺りをさすりながら漏れる小さな声。

 シンカは顔を歪めながらもすぐさま起き上がると、そのままリアンが交戦していた降魔へと斬りかかった。


「お……お前ら……」


 視界の中に映るのは、降魔を次々に斬り伏せるシンカの背中と、巨大な氷の前で真っすぐにリアンを見据えるロウの姿。

 自分を見る真剣な眼差しに、リアンは目を逸らせず立ち竦んでいた。


「リアン。俺たちは頼りないか?」

「そういう問題じゃないだろう!」

「そういう問題でしょ。私のことも仲間って認めてくれたなら、少しは私のことも信じて」

「だ……だが、もしお前たちを失えば……俺は……」


 尚も戸惑いを見せる中、再びロウの持つ伝達石から声が聞こえる。

 それは明らかに焦りの色を含んだものだった。


『ロウ、大変だ! 姫さんが、姫さんが行っちまった!』

「セリスか、どういうことだ!?」

『え、リアンか? それがよ、姫さんが部屋から出ていった後、窓から外を眺めてたら、何人かの兵と一緒に馬に乗って行くのが見たんだよ』

『き、きっと、村に向かったんだと思います』

「――なッ」


 リアンは歯を食い縛り、強く拳を握り締めた。


 スィーネは決して現実を直視できず、逃げたのではなかった。

 むしろ、それよりも遙かに質が悪い。

 何も知らないからこそ出来る無謀。無謀を無謀と思わぬ愚かな行為。

 このままでは、スィーネの辿る末路は目に見えている。


「一か十の命を秤にかけた今、お前は一度十を選んだ。だが、導きが告げたのは、無か、全だ。なら、十一の命をとれる可能性も零じゃないはずだ。それでもお前は嫌いな理想に、その手を伸ばすことを躊躇うか?」

「俺は……」


 あれから何分経過しただろうか。もう時間はない。

 ロウが感じた僅かな乱れが、今でははっきりと感じ取れるほどになっていた。

 しかし、ロウがこの場を離れることはできない。あのマークイス級を相手にできるのはロウだけだ。

  

 このとき、本当ならシンカの背を押すこともできた。

 彼女ならロウの声に応え、すぐさま駆けだしてくれるだろう。

 だがロウはそれをしなかった。


 なぜなら、ロウには一つの確信があったからだ。

 導きの札(カード)に浮かんだ文字。

 あの選択が今、このときのことを指しているのだとしたら……


「リアン、お前が見極めろ。これは――お前に与えられた選択だ」


 深い黒曜石の光を放つ双眸で見据えたまま、ロウはリアンに選択を委ねた。


 途端、ロウの背後から嫌な音が響き渡る。氷の塊に大きな亀裂が入り、その亀裂が小さな音と共にどんどんと広がっていく。

 氷漬けにして砕けば相手も砕ける、なんて都合のいいことはない。それをする為には、身体の表面だけでなく、中身まで完全に凍てつかせる必要があるからだ。

 でなければ、砕いたところで中の相手が無事出てくるだけだの結果となる。


 しかし身から血液、いたる臓器や細胞、流れる魔力から骨の髄まで凍らせることは実際のところ不可能だ。

 それをするには、相手の中に流れる魔力を容易に突破できるだけの力量差が必要になるだろう。

 それができるのなら、海上での戦闘でもすでにやっている。


 つまり氷に閉じ込めたところで、それはあくまで時間を稼ぐための小技に過ぎず、これまで通りいずれ抜け出されることはロウとて理解していた。


 しかしそれでも、すぐ背後で聞こえる音を気にする様子もなく、いまだ戸惑う男を見据えた真っすぐな瞳。そんな中――

 

「今の状況は十一の命をとることができるのか、できないのか……どっちだ。答えろ、リアン!」

「っ!? くっ…………ロウ、シンカ……ここを任せてもいいか?」

 

 力強い声に押され、リアンはロウたちの身を案じる思いを必死に押し殺しながら声を振り絞った。

 すると、返ってきたのは呆れたような、それでいて優しさを含んだ音。


「決めるのが遅いわよ」

「早く行け」

「……死ぬな」


 そう言い残し、リアンは全速力で駆けだした。

 すぐさま彼の背後から聞こえたのは氷が完全に砕ける音と、大きな爆発音だ。


 だが、リアンは振り返らなかった。

 ロウとシンカを信じると決めた以上、十一の命を選んだ以上、もう一秒たりとも無駄にはできない。

 無か、全か……すべて(・・・)の未来を掴むために。

  

 

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