77.血の記憶と狼王の雷
何度も何度も触手を殴りつけては逃れるが、その度にリンの体は捉えられていた。本体を狙うにも、遠距離からの攻撃手段は魔弾や魔砲しかない。
海中でそれを撃ったとしても威力や速度は軽減し、再生力の高い数多の触手の壁を貫くことはできなかった。
直接核を砕くには拳の届く距離まで詰める必要があるが、近づけばそれこそ全身を触手に絡め取られ身動きができなくなるだろう。
(地上ならこんな奴……)
いくら魔憑とはいえ、水中に特化した能力を持たない限り水中での戦力は劣る。
それは至極当然のことだった。
地上で大岩をも砕く拳をもっていようとも、水中でその威力を発揮することはできない。地上で大地を砕く足をもっていようとも、水中では無力に等しい。
「オ前、シブトイ。早ク、諦メロ」
(降魔なんかに……!)
鋭い瞳で睨みつけ、放った魔弾は二本の触手を千切るに留まり、それもまた瞬時に再生してしまう。
無論、マークイス級に焦りのようなものはない。
相手が肺呼吸をする生き物である以上、海中に縛り付けておくだけで容易くその命を狩り取ることができるのだから。
「オ前、強イ。デモ、ソレハ大地ノ上。ココ、海ノ中」
言って、マークイス級はリンの腹部を触手で強く殴りつけた。
水中であるにも関わらず鞭のようにしなる触手を回避できるはずもなく、彼女は堪らず貴重な酸素を吐き出してしまう。
「ッ! がはっ」
「息、デキナイ。コレデ、終ワリ」
(もう、息が……)
意識が少しずつ遠のいていく中、リンは生にしがみつくことを半ば諦めかけていた。
息ができない苦しみよりも、死に対する恐怖よりも、幸せになれない辛さよりも、苦しくて怖くて……辛いのだ。
大切な人が帰って来ない苦しみが、生きていても大切な人がもうすでにいないかもしれないという恐怖が、大切な人が見つからない辛さが……この七年の間、リンから生き残る為の力を徐々に徐々にと削ぎ落としていた。
だからリンは思ってしまった。
もし……もしも仮にここで力尽きたなら、あの世で再会できるかもしれない。
もう一度抱き締めて貰えるのなら、残りの人生をすべて捧げても構わない。
あの人の居ないこの世界で生きるのは、あまりにも痛いから……だから――
”リン、決して生きることを諦めるな。足掻き続けろ。無様でもなんでも、生きることを諦めないその心は――尊い”
諦めかけたリンの頭の中に響いたのは、懐かしいあの人の言葉だった。
(――ッ!)
薔薇輝石のような瞳に光が戻る。
そうだ、何を弱気になっていたのか。
生きなければならない。ここで死んでいいはずがない。
この命は、あの人が救ってくれた大切なものなのだから。
(私は諦めない……もう一度あの人に会うまで! 私は!)
途端、強く握ったリンの拳が激しく光る。
そして足を絡めている触手を強く引きながら加速し、マークイス級へと間合いを詰めた。
「ソンナモノ、当タラナイ」
突き出された拳をマークイス級が軽く躱すと、一瞬笑みを浮かべたリンは、そのまま海底へと魔力を纏った拳を叩き込んだ。
凄まじい砂煙が舞い上がり周囲の視界を濃い煙幕が遮る中、すかさずリンの振るった拳がマークイス級を捉え、海底へと殴りつける。
そして弛んだ触手からすぐさま脱出すると、必死に海面に向かって泳ぎ出した。
途端、近くで光る何かが視界の端に映り込む。
光った先に視線を向けると、その原因は氷漬けにされていたデューク級だった。
体中に激しい雷が走り、ひび割れる音が聞こえたかと思うと、大きな音を響かせながら巨大な氷塊が砕かれた。
海面に突き出た氷塊の先端が砕け、海中が一瞬激しく光る。
それが示す一つの事実に、ロウの中に浮かぶ焦燥が、嫌な汗となって肌からじわりと滲み出た。
心配そうに名を呼ぶ声を船上からの声を聞きながら、それでも言葉を返す余裕などなく、ロウは大きく息を吸い込み再び海中へと潜っていく。
氷塊から抜け出したデューク級は、じっとリンを見据えていた。
(……あの氷から抜け出すなんて)
ぎりっと歯を食い縛りながら、横目でデューク級を注視したまま海面へと泳いでいく。その表情に浮かぶのは色濃い焦り。
海中であのデューク級を相手に、リンには成す術がないのだから当然だ。できるのはただひたすら全力で海面に向かって泳ぐこと、それだけだけだった。
(あそこか)
再び海中に潜ったロウが泳いでくるリンを見つけ出した瞬間、眩い光と共に海中に走る雷撃。
彼女にそれを回避する術はなく、その体を一筋の眩い雷撃が貫いた。
(ぐっ! ッ、リンさん!)
離れていたロウにも、その影響はあった。一瞬体が痺れ、硬直する。
デューク級がリンの髪を掴んだ。
すでに彼女の意識は朦朧とし、瞳は焦点が定まらずに揺れている。リンのそんな姿を確認したデューク級は、興味を失くしたように彼女を投げ捨てた。
ゆっくりと、暗い水底へと沈んで行くリンの体。
その光景を前に、ロウの胸が強く痛み、不意に襲いかかる激しい頭痛。左目の奥が熱く、まるで熱した針を突き刺されたように鋭い激痛に襲われる。
無意識に左目を手で覆うと――
”約束してくれ……いつか必ず、皆が笑って過ごせる日々を奪い返すと”
”それが儂らの……最後の願いじゃ”
どこかで聞いたことのある懐かしい声が聞こえた途端、処理しきれないほどの膨大な情報が、ロウの頭の中を満たした。
数多の場面を切り取った写真のようなものが、凄まじい勢いで流れていく。
その内の一つの光景も把握することができないまま、最後に残ったのは、紅に染まった長い金色の髪をした女性が力なく横たわり、優しく微笑む姿だった。
リンは沈みながらも微かに残る意識の中で、ずっと探し続けている仲間のことを思い出していた。
出会った時のこと、共に過ごした日々、命を懸けた戦場、これまでに何度助けられたか数え切れないほどの恩。
諦めたくはない。この命は、救って貰った大切なものなのだから。
それでもあれだけの雷撃を至近距離で受け、辛うじて意識があるだけでも不思議なほどだ。
咄嗟に自身を覆った魔力がその威力を軽減させていたとはいえ、そう耐えきれるものではない。
(……私……頑張ったわよね……)
誰かを助けて逝くのなら本望だ。それが、大切なあの人に似た優しい人なら。
きっと大切なあの人も、叱らず許してくれるに違いない。
しかし、心残りがあるとするのなら――
(最後に……もう一度だけ……貴方に)
朦朧とした意識。視界は白ずみ、指先すら動かすことができない。
そんな中、ふいに感じたのは温かさだった。
誰かに抱き留められるような柔らかい感触。
(だ……れ……?)
リンのぼやけた視界ではそれが誰なのか、はっきりと認識することはできなかった。しかし、そのときに感じたのは懐かしい温もり。
そんな感覚に彼女の瞳から堪らず涙が流れ、震えた唇が僅かに動くものの、辛うじて繋ぎ止めていた意識はすでに限界だった。
「マタオ前カ。ダガ、同ジ手ハ、通ジナイ」
正面にはデューク級の降魔。
「ココ、海中。オ前、一人。勝テナイ」
背後に現れたのは、受けたダメージから立ち直ったマークイス級の降魔。
目の前にいるデューク級は、運命の日に戦い、苦戦していた相手だ。
そして、同じ雷を扱うにもかかわらず、今目の前にいるデューク級の方が数段厄介だと言えるだろう。
元より同じ属性の魔力に対して耐性が向上するのは降魔も魔憑も変わらないが、エクスィがシンカの魔力反射による炎で傷を負ったように、決して無傷でいられるわけではない。
だが、このデューク級は船上で放ったシンカの魔力反射を平然と受け止めて見せた。それは純粋に魔力の基準値が高い、ということだ。
その上、後ろには水中に特化したマークイス級までもが控えている。
絶対絶命……そう言っても過言ではないほど、今の現状は危機的だった。
――そのはずだった。
気を失ったリンを抱きかかえたまま静かに片手をかざすと、その体に雷が走る。
無論、その光景に驚愕したのは二体の降魔だ。
雷を扱うデューク級が、まだなんの攻撃もしていないのだから当然だろう。
戸惑うデューク級を見据えた彼の左目が、暗い海の中、血玉のように紅い光を灯している。
「馬鹿ナ。一人ノ人間ガ、二ツノ属性ヲ持ツナド……アリエナイ」
(…………)
彼の感情をそのまま映し出すように、次第に荒々しくなる雷。
暗闇包まれる海中で、激しく轟きながら周囲に走る稲妻は、まるで雷雲の中にいるかのようだ。
「来ルナラ来ルガイイ。二ツの属性ヲ持トウガ、我ニ雷は聞カヌ」
デューク級がそう告げても、彼の表情は変わらない。
まったく微動だにしないその姿に、二体の降魔は僅かに後ずさった。
それは本能が鳴らした警鐘。本能から感じる危機感。
(狼王の雷は、敵と認識した者にのみに裁きを下す)
手を振り振り下ろた瞬間、激しく轟く音と共に、思わず目を閉じてしまうほどの眩しい光。さらに瞬間、上から下へと一筋の光が二体の降魔を貫いた。
「ギッ、ガアァァァァァッ!」
「馬鹿ナ! 魔憑トイエドタカガ人間ガ、コレホドノ雷ヲ扱エルワケガ……。吸、収……シキレンナイ。我ノ体ノ雷ヨリ、強大……ナド――」
雷に貫かれた二体の降魔の体が、小さな紫黒の粒子となって消滅する。
そんな中、リンを悲しげに見つめた瞳は、元の黒い瞳へと戻っていた
「な、なんだ今のは!?」
「さっきのと威力が桁違いだ」
セリスとリアンの額から、小さな粒が頬を伝って顎へと流れ落ちる。
海上からでも目を覆うほどの眩い光と、耳をつんざくような轟音。
波が上がり、船体が大きく揺れている。……明らかに異常だ。
「ロウは……リンは無事なの?」
「お、お願いします。ど、どうか……どうか無事で……」
シンカは必死に海面を見つめ、浮かんでくるはずの二人の姿を探している。
カグラは心の底から二人の無事を祈りながら、悲痛の面持ちで海面をじっと見つめていた。
「何が起きたかはわからねぇ。でも、確かに今のは異常だ……やっぱり俺も行く――っ!?」
スキアが発光石に照らされた自分の影から、武器を出そうとした途端、上がる水飛沫。
ロウとリンが海面に顔を出すと同時に、皆は次々に二人の名前を叫んだ。
シンカとカグラは安堵の色を浮かべ、急に力の抜ける感覚に襲われながらもなんとか辛うじて踏み止まる。
ロウがリンを抱えたまま船の梯子に手をかけて登って来ると、男三人がロウとリンを引き上げ、意識のない彼女を横に寝かせた。
「二体の降魔は消滅した。シンカ、リンを頼む。後は任せたぞ、スキア。俺は少しだけ眠……る……」
それだけを言い残し、まるで事切れたようにロウはその場に倒れ込んだ。
「今のは……ロウ、なのか?」
セリスの問いに、誰も言葉を返せずにいた。
明確に表現することはできないが、今までのロウとはまるで雰囲気が違ったように感じる。
誰も言葉を返せないところを見るに、皆がセリスと同じように感じたのだろう。
そんな中、スキアがその場を取り仕切る。
「それより今はリンの手当てだ。シンカちゃん、カグラちゃん。悪いがリンを頼む」
「えぇ、わかったわ」
「は、はい!」
「じゃあ俺が運ぶぜ」
セリスがリンを抱え、シンカとカグラと共に船室へ急いだ。
スキアは何かを考え込むように、じっと倒れたロウを見つめている。
(いったいどうなってんだ。今のはまるで……)
「何か知っているのか?」
途端、リアンの声がスキアの思考を遮った。
「……リアン」
「さっきのロウの様子はいつもと明らかに違っていた。上手くは言えんが……俺たち側よりも、お前側の台詞のような……そんな感覚だ」
スキアは何も答えず、黙り込んでいた。
「スキア!」
「さっきのロウは――」
リアンの声に圧されるようにスキアが言葉を出すと、船室のほうから聞こえるシンカの怒鳴り声。
「セリス! いつまでいるつもりなの!?」
「いや、俺は何か力になれないのかと純粋にだな!」
「いらないわよ! カグラが泣きそうじゃない!」
「えっ!?」
「いいからさっさと出て行きなさい!」
途端に聞こえる鈍い音と共に、扉から廊下へとセリスが飛び出してきた。
いや、正確には飛ばされてきた。
「ぐへっ!」
壁に勢いよくぶつかると、潰れたような声を上げる。
そしてむくっと起き上がったセリスが痛そうに頭を擦りながら、リアンたちの元へと歩いて来た。
「あぁ……いてぇ……」
「今のはお前が悪い」
「なっ!? 俺はただ純粋に!」
リアンの言葉にセリスは弁解し、スキアに同意を求めるような視線を送るものの……
(すまん、セリス……)
スキアはぎゅっと両眼を瞑りながら顔を逸らした。
女性の容体を診るのに、男がその場にいられるはずもない。たとえそこにやましい気持ちなど微塵もなく、純粋に何か力になれることはないかと、そう思っていたとしてもだ。
「なんでだーっ!」
海に向かって心の内を叫ぶと、セリスはふらふらと隅のほうへ行き、めそめそと蹲った。……なんとも寂し気な背中だ。自業自得ではあるのだが。
「話が逸れたな」
呟きながらリアンはロウを抱え、
「どちらにせよ、ロウはロウ。俺たちの仲間だ」
そう言い残して背を向けると、船室へと歩いて行った。
見たところロウに外傷はなく、リンを抱えて船まで上がって来たことからも大事ないと思えるが、このまま甲板に寝かせておくわけにはいかない。
「……ちゃんとわかってるさ。ロウは俺の探してる仲間に似てるが……別人だ」
「ふん」
「まっ、待てよリアン!」
振り返らずに歩いて行くリアンの背中を、セリスは慌てて追いかけて行った。
そんな二人を黙って見送ると、スキアは伝達石を取り出し、そこに魔力を流し込む。すると、伝達石から声が聞こえた。
『こちら――』
「報告だ、アフティ」
相手の言葉を最後まで聞かず、スキアは幾分声調を落としながら言葉を吐き出した。
『荒れてますね。その声を聞くだけで十分です。成果はなかったようですね』
「あぁ。似た奴は確かにいた。だが……別人だ」
『……そうかですか。そういえば、リンが情報を掴んでそっちに向いました』
「あぁ、一緒にいる。文句言われまくりだったぜ」
『そうでしょうね。リンはブラッドの事となると制御が効きません。鼻もいい……。どこから情報を入手したんだか……』
伝達石の向こう、アフティの声は溜息交じりのものだった。
対してスキアも小さく息を吐きながら言葉を紡ぐ。
「はぁ……まったくだ。オトネはこのことを知らないままか?l
『はい』
「そうか。なんにせよ、今回もハズレだ。すまないが次の情報を集めてくれ」
『それは丁度掴んだところですよ』
「さすがじゃねぇか。手が早いな」
『当然です。なにせ、ブラッドに直接スカウトされた身ですからね』
落ちた声調から一転、少し浮かれたような声で返すスキアに、アフティは誇らしげな声で答えた。
「ははっ、違いねぇ。じゃあ、俺はリンと一度戻る」
『了解しました』
「じゃあな」
通信を切り、スキアはじっと海を眺めた。
普段の無邪気さはまるで感じられず、遠い過去を探るような哀切な色を浮かべた瞳に暗い水平線を映しながら、
「早く帰ってこいよ。みんな待ってんだぜ……。なぁ、隊長さんよ……」
口からぽつりと零れた音は、とても弱々しいものだった。
船内にある一室の寝台では、横に寝かされているリンが、規則正しい寝息を吐いていた。
魔憑は常人よりも身体能力は高いが、強化系の能力を持つ者はその基礎的な部分がさらに高い。それは能力に付随する効果であると言える。
たとえば、氷の魔憑はその魔力が馴染んでくると寒さに強くなったり、炎の魔憑は同じく魔力が馴染むと暑さに強くなったりもする。
能力を使用すればするほど、その付随する効果は効力を増していくのだ。
リンの耐久力と回復力は思っていたよりも高く、幸い命に別状はなかった。
というよりも、元より損傷はそれほど対したものではなく、長時間呼吸ができなかったことが気を失った原因だ。
安らかな寝顔を見るに、もう心配はないだろう。
一束に束ねていた髪を解いて静かに眠っている姿からは、戦っている時の姿を思い描くのが難しいほど、普通の少女に見える。
シンカにしてもそうだが、魔憑の力を持つ少女たちは皆そうだろう。
戦える力があるから戦ってはいるものの、彼女たちは決して化物などではない普通の少女なのだから。
リンの眠る寝台の横に二つ並んだ丸椅子には、シンカとカグラが座っていた。
「……最強の能力は存在しない、か」
「うん。スキアさんもリンさんもあんなに強いのに……状況や相手の能力次第でこんなに変わるんだね」
「えぇ……いろいろ勉強になったわね。……九つの惑星」
呟きながら、シンカは自分の能力について考えてみた。
魔力反射の能力が自然系でない以上、スキアの影のようにおそらくありふれた力というわけでもないのだろう。
いったいどの部分が秀でているのか……相手の技の威力を向上させて放つ以上、相手の強さに依存するこの力を正確に計るのは難しいように思えた。
となれば、鍛錬するにしてもどの部分を伸ばせばいいのだろう。
長所を伸ばすにしても、短所を補うにしても、今のシンカにはどうすればいいのか皆目見当もつかなかった。
「……私、ちょっとロウの方も見て来るわね」
「うん」
言ってシンカが立ち上がると、カグラの言葉を背に部屋を出ていく。
そして隣の部屋を軽く叩打すると、扉を開いたのはセリスだった。
「お邪魔するわね。ロウの具合は?」
「心配ない。よく眠っているだけだ」
「そう、よかったわ」
リアンの言葉に、彼女はほっと安堵の息を吐く。
「リンちゃんの方は大丈夫なのか?」
「えぇ、リンもよく眠ってるわ」
それを聞いた二人もまた、ほっと息を吐いた。
一時はどうなることかと思ったが、二人とも無事に戻って来てくれた。
まだ記憶に新しい運命の日のように、誰かが死ぬところはもう見たくない。それは当然のことだが、自分たちが何もできずに誰かの死に目を見ることのなんと辛いことか。
全身全霊を懸けることもできず、誰かに頼ったままその人が死ぬことなど、耐えられたものではない。それが近しい人ならなおさらだ。
するとリアンが席を立ち、扉へと歩いて行く。
「俺たちは少し風にあたってくる。ロウを看ててくれ」
そう言い残し、シンカの返事も待たずに出て行くリアンに、セリスも続いて部屋を出て行ってしまった。
きっと気を使ってくれたのだろうと思いつつ、シンカは寝台の横にある丸椅子にそっと腰を下ろした。
そして困ったように目尻を下げながら、静かにロウの寝顔を見つめる。
「……本当に、貴方は無茶ばかりするのね」
当然ロウは何も答えない。規則正しい寝息だけが聞こえてくるだけだ。
何をするでもなく寂静な時間が過ぎる中、しばらくしてロウがぽつりと寝言を呟いた。
「……セツナ」
「セツナ?」
寝言と共に、ロウは寝苦しそうに眉を寄せながら、額に汗を浮かべていた。
きっと嫌な夢を見ているのだろう。
シンカは起こさないように気をつけながらロウの額を綺麗な手巾で拭うと、少し強張ったロウの手をそっと両手で包み込み、優しく声をかけた。
「ロウ……貴方にはみんながついてるわ。だから、大丈夫よ」
そして少女はすっと息を吸い込むと、静かに歌い始めた。
それはシンカがロウと初めて出会った森の中、カグラに聞かせた歌だった。
曇りなく澄んだ美しい音。
その歌はシンカ自身、誰かに教わったわけでも、聞いたことがあるわけでもない。実際のところ、どの国においてもおそらく珍しい曲調なのだろう。
心を和ませるような歌、とでもいうのだろうか。
この歌はシンカにとって、記憶が朧げでありがらも、まるで魂が覚えているとでもいうのかのように、自然と込み上げてくる大切な歌だった。
まるで子守唄のように優しい声で歌う少女の歌が、うなされながら眠っているロウにも届いたのだろう。その表情は次第に安らかなものへと変わり、いつの間にか規則正しい寝息へと変わっている。
そんな子供のように思えるロウにシンカは小さな笑みを浮かべると、ロウの手を離すことなく、少しの間そのまま歌い続けていた。




