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これは君のパラミシア  作者: 御乃咲 司
第一節『これは月が導く宿命の標』
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69.黄色い果実にご用心


 シンカとカグラ、二人の表情には生気が戻り、起こした行動は迅速だった。

 何がどうなったか正確に理解できていないものの、間違いなくこれは好機だ。

 冷静にそう判断しながら、シンカは一番近いロウの元へと駆け寄った。


「ロウ、しっかりして!」

「――ッ、シン……カ……」


 シンカが体を揺すりながら声をかけると、ロウのまぶたがゆっくりと持ち上がっていく。それを見たシンカは僅かに瞳を揺らしながらも、安堵の息を吐いた。


「ロウ……大丈夫? 立てる?」

「問題ない」


 心配そうに声をかける少女に一言頷くと、ロウは痛む体を起こしながら、すぐさま状況を確認しようと周囲を見渡した。


 まるで巨大な嵐が通り過ぎたよう大地は荒れ果て、テッセラとエニャの姿は見当たらない。

 いったい何が起こったのか、当然ながらわかるはずもないだろう。



「リアンさ――」

「大丈夫だ」


 カグラの声を遮りながら、リアンは傍に倒れた木に手をついてゆっくりと立ち上がった。その声から強がっていると判断できたが、自力で立ち上がることのできたリアンに、カグラは一先ず安堵した。


「よ、よかったです……」


 そして倒れたセリスの元に四人が集まると、カグラがセリスの容体を調べた。

 

「いったい何が起こった? セリスは?」

「が、外傷は少ないので大丈夫です。たぶん、精神的なものだと」


 言葉通り大きな傷は見当たらず、呼吸も正常で苦しんでいるようには見えない。

 先の暴風をセリスが起こしたのなら、魔憑まつきとして完全に目覚めていない体であれだけの魔力を放出した反動、といったところだろうか。


 尋ねたリアンにカグラが答えると、ロウとリアンが顔を見合わせた。

 鋭い二人のことだ。ある程度の事情を察したのだろう。


 そんな中、シンカの怒鳴り声が鼓膜を揺らす。


「貴方たちね! 少しは自分の心配もしなさいよ!」

「大丈夫だ」

「……ふん」


 即答で返すロウと、視線を逸らすリアン。

 その二人の態度にシンカの目が一際鋭くなり、まるで睨みつけるような瞳で声を荒げた。


「――ッ! 私がどれがけ心配したかも知らないで!」

「……」

「私のせいで……こんなっ……」

「すまなかった……」


 シンカが辛そうにその顔を俯けると、ロウは彼女の頭にぽんっと手を置きながら静かに謝罪の言葉を述べた。

 まるで子供扱いされたように感じたのか、シンカの口元がへの字に変わる。


「うっ……」

「とりあえず、今はここを早く離れよう。手当はその後だ」

「そうだな」


 ロウの言葉にリアンが同意すると……


「――行かせないよ」


 その声に、全員の顔が強張った。

 激しい音と共に倒れた木々が吹き飛び、その中からテッセラが現れる。

 身に纏うタキシードは僅かに乱れ、汚れてはいるものの、次に出た口調からはいまだ余裕を失っていないように感じられた。


「そういえばエクスィの報告にあったね。セリスにも魔憑の素質があったのは正しかったようだ。しかも、僕と同じ風を扱うだなんて驚いたよ。で……エニャ、いつまで寝てるんだい?」

「うっ……ッ――!」


 テッセラが近くで倒れているエニャへと声をかけると、彼女は頭を押さえながら静かに起き上る。が、すぐさまその片膝を折り、地面につけた。

 打ち所が悪かったのだろう。その細い脚には、まるで力が入っていなかった。

 いくらこの中で最速の脚をもっていようと、その脚が使えなければ脅威ではない。


「頭をうったのか。仕方がないね、まったく」

「糞が……」


 リアンがテッセラを忌々し気に睨みつける。


「諦めるんだね。僕に勝てるわけがない」


 そう、テッセラは低い声で告げた。

 その無慈悲な勧告に、シンカとカグラが諦めの声を漏らす。


「もう……駄目なの?」

「や、やっぱり、私たちが捕まるしか……」


 このとき、シンカたちの戦意は半ば消失していた。エニャが当分動けないのを考慮しても勝てる見込みはないと……そう判断したのだ。


 ロウとリアン、二人の負った傷と尾を引く痛み、蓄積された疲労、そして魔力の消耗は大きい。シンカ自身は負傷もなくまだ万全で戦えるとはいえ、一人で勝つことは到底できないだろう。……ならばどうするか。


 自分たちが大人しく捕まることで、犠牲を最小限に抑えることができる。

 思ったそのとき、


「……諦めるな」


 短くも強いロウの言葉が、二人の少女の耳へと確かに届いた。


「……えっ?」

「諦めることだけはするな。俺は諦めない、何があっても……」

「ロ、ロウさん……」    

「諦めが悪い奴は嫌いだよ」

 

 テッセラの受けた損傷は、ロウたちに比べると些細なものなのだろう。魔力をほぼ使い切っているリアンに対し、テッセラはまだ魔力に余裕がある。

 確かにシンカが判断した通り、テッセラの優位は揺るがないものだった。


「別にお前に好かれたくはないさ」

「言ってくれるね」

「仲間を売るくらいなら、死んだほうがまだマシだ」

「だったら、美しい僕に醜く殺されるといいよ」


 不適に微笑みながら、テッセラは刺突剣を水平に構えた。


「だが、売るつもりもなければ、死ぬつもりもない。残念ながら俺の死場所はここじゃないからな」


 言ってロウは、白い飾り紐に巻かれた刀に手をかけた。

 途端、運命の日にデューク級と相対した時のような痛みが走る。


”その刀は時が来るまで、決して抜いてはいけませんよ。――約束です”


 再び脳裏を過ぎる言葉。

 だが、その時とはいったい何時いつを指しているのか。

 大切な仲間を守る今こそが、その時ではないのか。

 

 そう信じ、ロウは奥歯を鳴らしながら痛みを堪えた。

 刀の柄を強く握りこみ、腰を落とし、抜刀の構えを取る。

 それにつれ心臓を打つ杭のような痛みが跳ね上がるが、ロウがそれを表に出すことはない。


「結果はすぐにわかるよ」

「そうだな」


 テッセラが刺突剣を構えると、緊迫した空気が満ちていく。

 うなじが痺れる感覚に、シンカたちは生唾を飲み込みながら、その空気にされるように自然と後ろへと後退した。


 浅く呼吸を整え、ロウが刀の鍔を少し親指で押し上げる。

 紐の隙間からその刀の刀身が少し見えようとした、その瞬間――


「いくよ!」


 テッセラが刺突剣を構え、勢いよく間合いを詰めにかかる。


「はぁぁぁぁぁぁ――ッ!」


 テッセラの気合の乗った声と共に、詰まって行く距離。

 ロウは抜刀の構えのまま、じっとその場を動かない。

 そして、その姿勢をさらに深く下げる。


 シンカたちはその光景を、息を呑んで祈るように見守った。 

 テッセラが距離を半分程詰めた、刹那――


 静まる空間。


 ただこの一帯を静寂が支配していた。

 皆の視線の先には、背を地面につけ、力無く倒れるテッセラの姿。


 その光景を前に、周囲の表情はただ唖然としていた。

 そう……テッセラを迎え撃とうとしていたロウさえもが。


 何故なら倒れた彼の足元には――バナナの皮。

 そう、テッセラは単に滑って転んだのだ。足下にある……バナナの皮によって。


 …………

 …… 


「…………え?」

「あ、あれって……」

「バナナの皮……よね?」

「……」


 ロウは構えたこの手、この姿勢をどうすべきかに、ただただ戸惑っていた。

 胸の痛みと共に、猛る戦意すら消えていくように感じていた。


 無論、緊迫した空気が残っているはずもなく、訪れた沈黙を破るかのように、男の笑い声が周囲に木霊する。


「はははははっ! 美しくねぇな!」


 その場に居た全員がそれに反応し、聞こえた声へと視線を向けた。

 捉えた視界の中には、可笑しそうに笑う一人の男の姿。

 風に乗って短いコバルトブルーの髪が揺れている。短かく切った前髪の下には、人懐っこそうな無邪気な瞳。どこかの軍に所属しているのか、その白い服装は軍の制服のようだ。しかしそれを着崩した姿から、この男の性格が伺える。


 男は太い木の枝の上に座り、こちらを見下ろしながら笑っていた。

 その手には――バナナ。


「そこのアンタ。諦めないその精神、俺は好きだね」


 言った男は、ニッっと笑顔を浮かべてみせた。


「くっ、君は誰だ!? いきなり何をするんだい!」


 ふと我に返ったテッセラが跳ねるように起き上がり、その男を睨みつけた。


「俺か? 俺は……死神」


 いつの間にか、背に回した手の中に握られた赤い雫の滴れ落ちる鎌。

 男は怪しげに片方の口の端を鋭角に持ち上げた。

 誰もが目を見開き、その言葉に強い衝撃を受けた。


「し、死……神?」

「いつの間にあんな大きな鎌を……」


 カグラとシンカが驚きの声を漏らす。


「この鎌はなんでも斬れる。もちろん――その首もな」

「――ッ!」


 男がテッセラをじっと見下ろすと、テッセラは気圧されるように一歩後ずさった。


「見てな」


 唐突に、男は手にした鎌で横の大木へと斬りかかった。


「えい!」


 ……が、その鎌が大木を切断することはなく、その先端がぶにっと曲がる。


「なんてね。実はこれ、玩具なんだよな。で、こいつは血のりね」

「なんだい君は! ふざけてるのか!?」


 お茶目に舌を出しながら、手で鎌の先を曲げて見せる男に、テッセラは憤慨したように顔を僅かに赤らめながら怒鳴り声を上げた。


「はははっ! 俺の名はスキアだ、よろしくな。後、別にふざけるわけじゃねぇって」


 スキアと名乗った男は薄く微笑んだ。そして――


「ふざけてんのは……アンタだよ」


 スキアの表情が一変し、背から新たに取り出した鎖の付いた小さな鎌を、テッセラへと勢いよく投擲した。


「ふん、どうせそれも玩具だろ?」

「避けなきゃ死ぬぜ?」


 余裕を見せていたテッセラがスキアの言葉に反応し、咄嗟にそれを弾き返す。

 すでに近くまで間合いを詰めたスキアが弾かれた鎌を手に収め、そのままテッセラへと斬りかかった。


「くそっ!」


 テッセラの刺突剣とスキアの鎖鎌が何度も交差し、高い剣戟の音を響かせる。

 刺突剣を鎖でいなしながら先の鎌で斬りかかり、それを躱しながらまた刺突剣が突き出される。鎌と逆側の鎖の先についた分銅を巧みに使うスキアに対し、テッセラは風の刃でそれを打ち返しながら、得物と得物がぶつかり合う。

 高い技量を持つ熟練者同士の激しい攻防の最中、スキアが静かに口を開いた。


「アンタさ、ルインだろ?」

「そうだよ! どうして知って――」

「じゃあ、遠慮はいらねぇな」

「ちっ!」


 スキアが左手に飛刀クナイを持ち、下から手首の返しだけでテッセラへと投げつける。彼はそれを避けると、より一層警戒心を強めながら後ろへと間合いを取った。


「まただ……いつの間に」


 テッセラの額にうっすらと汗が滲み出る。

 それは彼が初めて見せた、紛れもない焦りの色だった。

 




「強い……」

「味方と思っていいのかしら?」

「まだ断定はできないが、今はそう願うしかない」


 目の前で繰り広げられる二人の戦いを、ロウたちは静かに見守っていた。


 スキアと名乗った男の力は、最初のバナナの皮だけでも判断することができる。

 あれだけ激しい戦いの最中、ロウとテッセラの間にバナナの皮などあるはずもなかったし、いつの間にかそこに置かれていたのなら気付くこともできただろう。


 考えても見て欲しい。

 真剣に向かい合う男と男の間に、バナナの皮が落ちている光景を。

 あまりにも……そう、滑稽だろう。


 つまり、あのバナナの皮は事前に置かれていたものではなく、覇気を放つロウを注視したまま駆け出したテッセラ。そんな彼の足が地へと着く瞬間に。驚くほどの精密さで投げ込まれたものであることに他ならないのだ。

 

 そんなスキアがロウたちにとって、敵か味方かはまだわからない。この場は助けてくれたとしても、それが善意なのか何か目的があってなのかがわからない以上、迂闊な行動はできなかった。

 何か目的があると仮定するとして、今のうちに逃げようものなら、その標的をいきなりロウたちへと変えることもあり得るからだ。


 何も言わずとも、二人の少女もそれを理解したのだろう。

 ならばせめて今のうちにと、繰り広げられる戦いを注視しつつ、シンカとカグラは傷ついたロウとリアンの手当てを始めた。



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