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これは君のパラミシア  作者: 御乃咲 司
第一節『これは刻を越えた帰魂の挽歌』
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05.誘いと拒絶

 港には複数の貨物船や旅客船が停泊している。

 すでに接岸している船では、陸へと渡した板の上を忙しそうに行ったり来たりと荷下ろしをする乗組員もいれば、甲板の上で清掃をしている者と様々だが皆こんがりと肌が焼け、暑さなどもろともせず仕事に励んでいた。

 倉庫街の手前には雨除けのシートが掛けられた何かが並んび、子供たちが楽しそうな声を上げながらその付近を走り回っている。

 遠くで聞こえる汽笛の音を聞きながら、そんな光景を港の端から眺めている少女の頬を、穏やかな潮風がなでた。

 八月の太陽は日差しが強いとはいえ、穏やかな海を眺めながら日陰いる分には辛いというほどでもない。

 少女の柔らかそうな太腿の上では、そこに頭を乗せた一人の男が寝かされていた。

 

「ったく、どうして私が面倒見なくちゃいけないのよ。カグラも膝枕なんてする必要ないのに」


 この現状を作った原因である少女が悪態をつきつつも濡らした布をしぼり、それをカグラに手渡しながらその隣に腰を下ろした。

 

「お姉ちゃんがやりすぎたからでしょ?」


 不満気に愚痴るシンカにカグラは反論しながら、ロウの額に新しい濡れた布をそっと乗せる。


「それに昨日はロウさんのおかげで助かったんだから」

「別にこの人が降魔こうまを倒して、直接助けてくれたわけじゃないじゃない。ほんとになんなのよこの男」

「お姉ちゃんはどうしてロウさんを邪見にするの?」


 元々人をあまり信用しないシンカだが、ロウに対しては特にきつく当たっているように見えるのだろう。

 カグラは真っすぐにシンカを見つめながら、悲し気に問いかけた。

 

「それは……」


 真っすぐな瞳を向けながら問いかけるカグラに居心地の悪さを感じたシンカが、口ごもりながら視線を逸らす。

 事実、カグラの言葉は図星だった。

 昨晩の森の時からシンカの中に感じる妙に懐かしくて温かい、つい甘えてしまいたくなるような感覚に、彼女自身大きな戸惑いを感じていたのだ。何か答えようにも何も思いつかないまま、静かに時間だけが過ぎていく。

 最初に問いかけたきり、それ以上カグラが何かを問いかけることはなかった。

 

「そっか……今日は帰魂祭きこんさいなのね」


 ぽつりと、シンカの口から言葉が零れる。

 カグラがつられてシンカの視線の先へと目を向けると、港では露店を出すための準備が着々と行われ始めていた。


 帰魂祭きこんさい――その日は、死者が現世へ帰って来る日だと信じられており、同時に、亡くなった人の魂を無事にあの世まで送り届けるための日だと言われている。

 先立った死者が新しい死者を迎えに来て、思い残す事のないよう祭りを楽しみ、あの世へ帰る……そういう日だ。

 だからこの日は皆、この中に死者が紛れ込んでもわからないように顔をお面で隠すのが習わしだった。

 み《・》ん《・》な《・》が楽しみめるように、決して未練を残さぬように、そして……浮かべた涙を隠すために。


「だからロウさんも、お面をつけてたんだね」

「お祭りは夜からなのに、気が早すぎだと思うけど」


 再び訪れる沈黙。

 二人の少女の頭に浮かんだのは、つい昨日まで笑っていた馭者の男のことだった。

 もし本当に死後の世界があるのなら、降魔に体の魔力を根こそぎ奪われ、跡形あとかたもなく消え去ってしまったあの男は、きっと浮かばれずにこの世を彷徨さまようのだろう。

 締め付けられる思いを胸に抱えながら、二人はできあがっていく露店の光景をただ静かに眺めていた。


 どれだけ時間が過ぎただろうか。ロウのまぶたがぴくりと動き、その目をゆっくりと開いた。


「ここは……」

「気がついたんですね」

「カグラちゃん? と、シンカさ――」


 シンカに睨まれ、ロウは思わず言葉を詰まらせた。


「ん? なに?」


 どうもシンカの機嫌はかなり悪そうだ。

 ここは大人しくした方がいいと感じたロウは「なんでもない」と苦笑した。


「もう、お姉ちゃん!」

「カグラちゃん、いいんだ」


 そう言いながら上半身を起こしたロウの額から、濡れた布がぽとりと落ちる。


「カグラちゃんが診てくれてたのか? 膝枕までさせてしまってすまない。でも、ありがとう」

「いっいえ、それはおねぇ――」

「カグラ?」


 カグラの声を遮るように声をかけたシンカが微笑むと、カグラは慌てた様子でロウへの言葉を口にした。


「あっいえ、ど、どういたしまして」

「それで、どうして貴方があそこにいたの?」

「それはだな……」


 少し言葉を詰まらせながら、ロウは親指を自分の顎に押し当てた。

 理由を隠そうと、何かいい言い訳を考えているようにシンカの目には映ったのだろう。

 再度ロウに問いかけるその声には少しの苛立いらだちが感じられた。


「なに? 答えられないの?」

「いや、どうしてだろうな。俺にもよくわからない」


 ロウは少し苦笑しながら、シンカの方に姿勢を真っすぐにして向き直った。


「ふざけてるの?」

「ふざけてない。ただ……そうだな、放っておけなかったんだ」

「なんですって……?」


 低く押し殺した声。ロウの言葉に、シンカの両眼がすっと細まった。


「あんな森の中で女の子が二人倒れていた。それも傷だらけの状態でだ。心配するなというのが無理な話だろ」

「私は貴方より強い、貴方がいても足手まといよ。なんの力にもなれないわ」

「そう……問題はそこだな」


 ロウの言葉の意味を理解できないのか、シンカとカグラは顔を見合わせた。


「シンカさんは強い。さっきの広場での手合いを見ていて確信したよ。相手の力量を遥かに超えているからこその立ち回り。シンカさんが強くないとできないことだ。常に相手の力に合わせて、ぎりぎり勝つか負けるの勝負をしながら確実に勝つというのは。あれは偶然の連続なんかじゃない。君がえがいた勝負の筋書きだ」

「……貴方」


 ロウを見つめるシンカの瞳は見開かれ、驚きの色を浮かべている。

 確かにロウの言ってることは事実だった。

 しかし、それを実際見て見抜くということは、その人にもある程度の力を備えていないと見抜けないことだ。事実、シンカは今までもこの方法で稼いできたが、そこに気付いた者など今までに一人もいなかったのだから。


「にも関わらず傷だらけだった」

「――っ」


 続けて言ったロウの言葉に、シンカは言葉を詰まらせた。

 シンカは確かに強いが、それを過信していたこともまた事実。新たに現れたマークイス級の降魔相手に手も足も出なかった。そこにある確かな事実が、反論しようとするシンカの言葉を詰まらせたのだ。


「シンカさんはカグラちゃんを本当に大切に思ってる。それは昨日の君を見てたらわかることだ。羨むくらいに仲のいい姉妹だと思う」

「当り前よ。カグラは私にとって何より大切なの」

「そう、それが二つ目。倒れていたのはシンカさんだけじゃない。そんなに大切に思ってるカグラちゃんも一緒にだ」


 倒れているカグラのことを思い出したのだろう。

 シンカは悔しそうな表情で下唇を噛んだ。その手は強く握りこまれ、少し震えている。

 そんな何も言い返せないシンカを庇うように、今まで黙って聞いていたカグラがロウに言葉を返した。


「ロ、ロウさん、それは私がいけないんです。いつもは安全なところで待ってるのに、私が勝手に飛び出してしまって……」

「そうだとしても――」

「っ! 貴方いったい何が言いたいの!?」

「お姉ちゃん落ち着いて!」


 今にも飛びかかりそうな勢いのシンカをカグラがなだめる。

 人は図星をつかれたり正しいことを並べられると、程度はあれど相手を嫌悪してしまうものだ。その内容がその人にとって重要であればあるほどに。それは人に簡単に嫌われる方法の一つだと言えるだろう。ロウ自身それが理解できないほど鈍いわけではない。

 しかし、それをまず前提にしなければ話が進まないこともあるのだ。

 ロウはさらに言葉を重ねた。


「シンカさんは確かに強い。そしてシンカさんはカグラちゃんを本当に大切に思っている。それでも二人とも倒れていたのは、君がカグラちゃんを守れなかったからだ」


 強めの口調で現実を突きつけるロウ。

 そして、悔しそうに歯を食い縛りロウを睨みつけるシンカをよそに、ロウは視線を少しも逸らさずに続ける。


「俺の言いたいことは一つだ。君たち二人の手助けをさせてほしい」

「ふ……ふざけんじゃないわよっ!」

「お姉ちゃんダメ! やめてっ!」


 両眼を見開き、いきなりロウに掴みかかろうとするシンカをカグラが必死に止めようとするものの、


「離しなさい、カグラ!」


 カグラを振りほどき、シンカはロウの胸倉に掴みかかった。

 正面からロウを睨みつけるその双眸には、明らかな怒りが宿っている。


「何が狙いなの!? 危険だとわかってて他人事に首を突っ込むなんてありえないわ!」


 今までのロウとはまるで別人のようだ。

 微塵の動揺もなく、落ち着いてシンカの両眼を真っすぐに見据えている。


「なんとか言いなさいよ! 何も知らないくせに! 何もわかってないくせに! そんな簡単に……軽い気持ちで、放っておけないとか手助けをしたいとか言わないで!」

「……何をそんなに怒っているんだ? 誰かの手助けをしたいということが、そんなに気に食わないか?」

「うるさい! 赤の他人のために自らの命を危険にさらして、あんたになんの得があるって言うの!? 私は何も聞かず、簡単にそんなことを口にする奴なんかを信じたりしない! 私が心から信じているのは、カグラと運命の導きだけよ!」

「お姉ちゃん……」


 感情的になって次々に投げかけるシンカの言葉を、ロウは全て受け止めた。

 こんなにも感情的になるシンカを見たのは久しぶりなのか、カグラが心配そうにシンカを見ているように端からは見えただろう。

 しかし、実際は違った。

 カグラはシンカの言った言葉に悲しんでいたのだ。信じるのはカグラと運命の導きだけと断言した、シンカのその言葉に。


 訪れた静寂の後、シンカのあがった息が落ち着くのを待っていたかのように、ロウがそっと口を開いた。


「……そうか。それが本心ならどうして……」


 ロウがそっとシンカの頬に触れ、まるで涙を拭うように親指で目許を撫でた。

 シンカを映すその瞳には、憐憫の色が濃く浮かんでいる。


「どうして……君は泣いているんだ?」

「え……」


 ロウのその言葉を聞いて、カグラが驚いたように目を見開く。

 シンカも驚いたような表情を見せるが、それもほんの一瞬のことで、すぐにロウを睨みつけながらその手を勢いよく払いのけた。


「ッ、ふざけないで! 私は泣いてない! 私の顔のどこに涙が流れてるってのよ! 言ってみなさいよ!」


 シンカの目に涙はなかった。

 本来なら、怒っている相手に言うような言葉ではないだろう。

 なぜロウがそんな言葉を口にしたのか、二人にはまったく理解することができなかった。

 払いのけられた手をゆっくりと下に降ろしたロウの瞳は、決してシンカから逸れることはなく真っすぐに見続けている。


「何も知らないあんたが……好き勝手言わないで」

 

 シンカの口からもれた声はさっきまでと違い、とても弱々しいものだった。

 ロウを掴んでるシンカの手から力が抜け落ちる。


「ロウさん、今のは……」


 ロウに近寄ろうとするカグラをシンカは空いた手で制すると、ロウを掴んでいた手を離して立ち上がり、背を向けてそっと声を出した。


「……放っておいて」


 唇の隙間から漏れる声は掠れている。

 

「お願い……私たちのことはもう、放っておいて」


 再度言ったシンカの言葉を受け、ロウは静かに立ち上がると二人を見つめた。

 眉をハの字に曲げながらロウを見上げるカグラとは反対に、シンカは俯いたままロウを見ようとしていない。

 放っておいてと懇願こんがんした言葉の裏に、いったいどんな気持ちを抱えているのか。言葉通りにそのまま「わかった」と素直に受け止めることなどロウにはできなかった。


「この町は港町だ」

「……知ってるわよそれくらい。だからなんなの?」


 シンカの言葉に棘はあるものの、さっきまでの勢いは完全に失われている。

 

「港町だけあってミステルの料理は最高だ。特に広場のはしにあるペイシェという店はいい。ここに来たなら食べておいて損はないはずだ」

「……」

「まぁ、つまりだ。世話になったお礼に、夕食をご馳走させてもらえないか?」


 予想外の提案にカグラは目を丸くしていた。シンカにいたっては表情こそロウに見えないものの、なかば呆れていたに違いない。今の流れからどうして一緒に食事をするという発想が出てくるのか。

 それをシンカが口に出そうとしたとき、それより先にロウが言葉を重ねた。


「ここで決めろとは言わない。今は俺がいないほうがいいだろうからな。それと……さっきはすまなかった。確かに何も知らないのに、余計なことを言いすぎたようだ。俺の言葉を信じるかどうかは好きにするといい。だが、手助けがしたいと思ったのは紛れもなく本心だ。もし許されるなら、君たちの手助けがしたい。それで、夜闇の迷花まよいばなに月の光を照らせるのなら」


 ロウが言ったその声は、それが本当に真実だと思わせるほどに真剣だった。思わず俯いていた顔を上げたシンカの視線がロウを捉える。 

 瞬間、シンカは息を呑んだ。

 ロウの瞳にまぎれもない確固たる信念のような、一つの覚悟を感じたのだ。それはカグラも同様で、ロウに返す言葉が見つからないまま大きな瞳が揺れている。

 二人の少女はこのとき、大きな疑問を感じていた。

 道端で気を失って倒れていたなど、誰がどう見ても面倒事だと思うだろう。ましてや、ロウは相手の正体すら知らないはずなのだ。それなのに、どうして見ず知らずの赤の他人相手に、そこまで真剣に言い切ることができるのか。

 

「あと、看病をしてくれてありがとう。君たちに月の恩寵おんちょうがあらんことを……夕食、楽しみにしてるよ」


 そう言い残して歩き去って行くロウの背中を、二人は黙って見送った。

 波の音が静かに聞こえる中、最後に見せたロウの微笑みが二人の頭から離れずこびりついている。

 

「……なによ。お礼ならさっきも言ってたじゃない」

「言ってないよ。だってロウさんがさっきお礼を言ったのは私にだもん。今のお礼はお姉ちゃんにでしょ?」


 言って、カグラはくすっと微笑んだ。


「……別にどうでもいいわよ」

「どうするの? ロウさんなら――」

「頼らないわよ」


 カグラが言い終わるのも待たず、シンカは最初から彼女が何を言いたいのかわかっていたように即答した。

 

「お姉ちゃん、確かにロウさんはお姉ちゃんの触れて欲しくない部分に触れたかもしれない。でも、ちゃんと謝ってくれてたよ?」

「関係ないわ。私が信じるのはカグラと運命の導き……それだけよ」


 その言葉に、カグラは何かを堪えるようにきゅっと下唇を噛んだ。

 カグラの視界に映っているのは、ロウの歩き去ったほうへと視線を向けたまま逸らそうともしないシンカの横顔。

 その横顔を見たカグラの口から、ぼそりと微かな声が零れた。

 まるで本当は、ずっとずっと言いたかったかのように。


「……違うよね?」

「何が違うの?」

「わかるよ。私はずっとお姉ちゃんと一緒だったもん。だから……わかるよ」

「カグラ……」







”地面に大きな血溜まりができている。

 紅い泉の中に男が倒れていた。

 その目の前には、真っ赤な返り血に染まる靴と細い脚。

 手に持つ細剣の先からは、ぽたぽたと紅い雫が滴っている。

 それは今のロウにとって、間違いなく見覚えのある人物だった。

 知った誰かが、血溜まりに倒れる男を見下ろしている。

 その先を辿っていくとそこに立ち、見下ろしていたのは――”


「……っ!」


 ロウが勢いよく眠りから目覚める。恐怖と焦燥しょうそう余韻よいんが頭の内側にこびりついて離れない。


「またこの夢か」


 上半身を起こし、汗ばんだ片手で額を覆う。背中にはいまだ夢の余韻が冷たく貼り付いたままだ。


「間違いない……よな。あそこに立っていたのは……っと、こうしてる暇はない」


 夕刻まで軽く睡眠をとろうと酒場(けん)宿屋であるペイシェの一室で休んでいたのだが、窓から見える空はすでに暗くなり始めている。

 今日はせっかくの祭りだ。本当なら、露店で夕食をとも思ったが、外で一緒に食べ歩くとなればより来てくれる可能性は低くなるだろう。

 ロウはベッドから降りると、顔を洗って気持ちを切り替えた。冷たい水が今は心地良い。


「二人は来てくれるかな」


 ロウは部屋を出て、一階の酒場へと足を進めた。

 階段に差しかかったところでふとその足を止めると、何かを思い出そうとするかのように頭をひねらせる。

 そして思わず「あっ」と口にすると同時に、両眼が大きく開いた。


「ちょっと待て、あれ? もしかして、俺って時間言ってないんじゃないか?」


 自分の馬鹿さ加減にうんざりするかのように、ロウはその場で項垂うなだれた。


「やってしまった。どうするんだ……これ」


 

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