42.少女の騎士
「……覚悟?」
「さっき言ってた、一人で戦って世界を救う覚悟じゃない。仲間でいるための覚悟だ。仲間を絶対に守り抜く覚悟だ。共に強くなり続ける覚悟だ。今のお前は強くとも弱い。それは俺たちも同じだ。だから、今はまだ守ってもらってばかりだ……悔しいがな」
シンカを諭すように、そして自分の決意を再確認するかのように、リアンは言葉を紡いだ。
「ロウはお前たちを守り抜くだろう。だったら、お前もロウを守って見せろ。一人で戦えという意味じゃない。背中を預け合えと言っているんだ。そうすれば……きっと失うはずだったものも、失わずにすむだろう」
そう言ってリアンが衣嚢から取り出した一つの魔石は、ロウから事前に預かっていた魔塊石だ。
美しく丸いその魔塊石を柱と柱の隙間から転がすと、停止した魔塊石から流れ出た冷気が人形を形成し、そこに現れたのはボーロ君だった。
そして、シンカに向かってトコトコと歩き出す。
「なっ、魔石から人形だと?」
「い、犬?」
魔石から出てきた氷細工の人形が歩く光景に、男たちがただ茫然とする中、ボーロ君はシンカの前に辿り着いた。
そしてシンカに背を向けると、その小さな手を精一杯横に広げた。
「は? な、なんだ? この人形は女を守ろうとしてんのか? くっ、ははははっ!」
その光景を見た御頭は堪えきれず、腹がねじ切れる程に笑い出した。
そんな高笑いも耳に届かず、少女は震える手をそっとボーロ君へと伸ばしていく。
そしてとても繊細な物を手に取るように、そっと、優しく抱き締めた。
「腹が痛てぇじゃねぇか! おい、お前ら。その人形は目障りだ、壊せ」
「ほ、ほら。御頭の命令だ。その人形を渡してくれ」
男の言葉も聞かず、シンカはボーロ君を抱き締めたまま離そうとはしない。
「は、早く渡せって。俺だって死にたくねぇんだよ。お前も死にたくねぇだろ?」
言って、男はシンカの腕を掴んで引っ張った。だが……
「い、嫌っ、止めてッ」
頑なに拒むシンカを前に、御頭の表情から感情が抜け落ち、瞳の色が濁る。
「お前は俺より、その人形を選ぶのか? そうかそうか。その人形はそんなにも大切か」
たかが人形如きにそこまで必死になる少女に、御頭は怒りを押し殺したように呟いた。
そして手を上に掲げると、地面から大きな土塊が削られる。
それを見た男たちは、逃げるように慌ててシンカから距離を取った。
そんな中、リアンが蒼白の顔で見守るカグラの肩にそっと手を置くと、安心させるように優しく言葉をかける。
「大丈夫だ。お前は誰となんの約束をしたんだ?」
「え?」
「それを信じていればいい。ロウは、お前たちのボーロ君なんだろ? なら、大丈夫だ」
「そうだぜ、カグラちゃん。ロウが言ってたろ? 魔憑の力は使い方。今のボーロ君には、いったいどんなロウの願いが込められてんだろうな」
シンカは胸に抱きしめた、氷でできているはずなのにどこか温かいボーロ君を見つめながら、掠れた声で呟いた。
「ロウさん……」
”どうして……君は泣いてるんだ?”
”仲間に手は出させない”
『信じなさい』
脳裏を過る光景の中、頭の中で誰かの声が響いたような気がした。
「ロウさん……」
”俺は君たちを絶対に裏切らない――約束だ。一緒に頑張ろう”
”俺がこの先、誰といるかは俺が決める。どうするかは俺が決める。俺自身が選ぶ道だ”
『護り、護られなさい』
響いた声は心地よく、まるで絡んだ糸を解きほぐすように響いていく。
「ロウさん……」
”あいつの言う命というのはお前たちのことだ”
”ロウの行動の中心は――いつもお前たちなんだよ”
『ずっと傍にいて……』
絡まった糸が解けると、残ったのはただ、素直な想いだけだった。
「わ、私は弱い。まだまだ弱いから……今はまだ無理だけど。私も貴方を守るから。い、一緒に強くなるから。だから、お願い……傍にいて。傍にいさせて……。助けて……」
「なんだ、今さら命乞いか? だが少し遅かったな。一度チャンスはやった。終いだ」
御頭は掲げた腕を振り下ろし、土塊をシンカに向けて放った。
「助けてっ! ロウ――――ッ!」
『そう、それがたとえ……地獄でも』
だが、その土塊が少女に届くことはなく――
「こんな状況で誰も助けてなんてくれねぇ、なにっ!?」
目を見開いた御頭の口から驚声が漏れる。
ボーロ君がシンカの腕から飛び出し、その小さな手を地面に精一杯叩きつけたのだ。そしてその瞬間、飛翔する土塊の真下から勢いよく氷の柱が飛び出し、土塊を打ち上げる。
その光景に、シンカは驚きを隠せなかった。
それは男たちも同様で、驚愕に口を大きく開けたまま固まっている。
打ち上げられた土塊がそのまま地面へと落下し、大きな音を響かせたそのとき、浅い霧が辺りを覆い始めた。
――チリン
「な、なんだこの音?」
聞こえた妙な音に、周囲の男たちが気味悪そうに騒めき立つ。
シンカの中にあったのは、根拠のない思いだった。
あれだけの重症を負ったロウが助けに来てくれるなど、生死がかかった今のような状況で普通ならば期待しない。
なのにロウに助けを求めた自分が信じられないのと同時に、聞き覚えのある綺麗な音色がシンカの胸を満たしていく。
その胸の温かさをもって尚、少女はそれが錯覚ではないかと思ってしまった。
「……こんな状況で誰も助けてくれない? 笑えない冗談だ」
霧の濃いほうから地面が凍りだし、背筋の凍るような冷気が流れ込む。
シンカの耳に届いたのは自ら拒んでいた、だが本当はずっと聞きたかった声音。
それを聞いても尚、少女はそれが空耳ではないかと思ってしまった。
「こんな状況だから助けるんだろ」
「誰だ!? くそっ! 早くその魔憑の女を殺せ!」
霧に浮かぶ人影を見た御頭が、慌てた様子で男たちに命じる。
シンカの視界に映ったのは、顔を引きつらせながら必死に叫ぶ御頭の姿。
それを見ても尚、少女はそれが幻ではないかと思ってしまった。
「っ! 御頭の命令だ! 悪く思わないでくれ!」
「俺の仲間に、それ以上触れるな」
剣を振りかぶった男たちの足元から氷が突き出し、剣を持ったほうの肩に突き刺さる。
男たちの短い悲鳴と共に、その手から剣が地面に滑り落ちた。
剣が地面に落ちて響く金属音がどこか遠くに聞こえる中――
少女はゆっくりと振り返った。
「辛い思いをさせてすまない」
「ロウさん……」
少女の目に映ったロウの苦笑した顔。
少女の耳に届いたロウの温かい声。
それは決して錯覚でも空耳でも、幻でもない。
――本当に……来てくれた。
急に溢れ出す実感に、シンカの綺麗な顔が崩れた。
眉はハの字に垂れ下がり、口は何かを我慢するかのようにヘの字に変わる。
今にも、目から涙が溢れてきそうだった。
ロウの姿を見たカグラもまた同じで、声にならない声を上げている。
そんなカグラにリアンは衣嚢からもう一つの魔石を取り出し、それをそっと手渡していた。
「立てるか?」
言って、ロウは優しく手を差し出すものの、
「あ、当たり前よ。これくらい平気。ボーロ君のおかげでね」
シンカはロウの手を無視して、自力で立ち上がった。
そんな彼女の足元にボーロ君が駆け寄ると、その体をよじ登って行く。
半ば溶けかけた体でよじ登ろうとするボーロ君をシンカが掴むと、そっと肩に乗せてあげた。
「お、お前は誰だ!?」
額に脂汗を浮かべ、引きつった表情の御頭がロウへと問いかけた。
そんな御頭の問いに、シンカの肩に掴まるボーロ君の頭に手を置きながらロウは堂々とした態度で答える。
「名を、ボーロ君と言う」
同時に、シンカの肩に乗ったボーロ君が小さな右手を天へと突きつけた。
訪れる沈黙……唖然としている男たち。
するとロウは再び、
「名を、ボーロ君と言う。笑顔を届ける、シンカさんとカグラちゃんの騎士だ」
言って、ロウがボーロ君に魔力を注ぐと、ボーロ君の溶けかけていた体が元に戻っていく。
そんなロウの答えにカグラは嬉しそうに笑い、シンカは恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「アホか! 人形じゃねぇよ! お前のことだ! お前は氷の魔憑きなのか!?」
再び問う御頭に答えたのはリアンだ。
「だから言っただろ? 魔憑は三人だと。俺は嘘を吐いたつもりはないとな」
「なっ!? そ、それはお前たちのことだったんじゃ!」
「はぁ……馬鹿な奴だ。俺は魔憑が三人いるとは言ったが、俺たちが魔憑とは一言も言っていない」
「ははっ、勝手に勘違いしといて怒んなよ」
リアンが溜息を吐きながら説明すると、セリスは白い歯を見せながら笑った。
事前にロウと話した内容では、十日の日にロウが重傷を負ったときの行動は、リアンとセリスに任せるといったものだった。
まったく打ち合わせもないにも関わらず、リアンとセリスの二人はロウがここに来ることをあらかじめ知っていたように振る舞ってみせる。
実際にそれを想定し、時間を稼いでいた二人の中にあったのは、何一つ根拠のない確信だった。
未来が見えるわけではない。未来を知っていたわけでもない。魔憑でもない二人がそれを知る術などあるはずがないのだから。
それでも確信していたと、二人は胸を張って言えるだろう。
なぜ? どうして?
決して信頼という言葉では語れない、魂に刻まれたような何か。
ロウが現れた瞬間に感じたのは、まるで前世を共にしたような、ある種の既視感だった。
「現にいるだろ、こちら側には魔憑が三人。俺の言葉を嘘だと言った貴様に、俺は親切にも忠告したはずだ」
悔しそうに震える御頭に、周囲の男たちにも動揺が広がっていく。
「おっ、御頭!」
「魔憑がなんだ! こっちには人質がいるんだぞ! そこのお前! 刀を捨てな!」
「……どうしてだ?」
人質を盾にロウにそう言い放つ御頭に、ロウは不思議そうに首を傾げた。




