35.厳しい言葉の裏側
ロウのいる処置室の扉の前で、虚ろな表情を浮かべながら寄り添っているシンカとカグラに精気はなく、ただまっすぐに扉を見つめている。
そんな彼女たちのすぐ後ろで、フィデリタスと入れ替わるようにやってきた男の声が静寂に満ちた廊下に響いた。
「……フィデリタス隊長から経緯は聞いた」
声は聞こえているはずなのに、少女たちは振り返らなかった。
今の二人がどれほど心を痛めているのか、この光景を前にすれば、気持ちが分かるなんて言葉はとても言えたものではないだろう。
それほど、リアンの瞳に映る少女たちの背中はあまりにも小さく、そしてあまりにも痛々しいものだった。
「お前たちがここにいても何も変わらん。いくぞ」
リアンの言葉に何の反応も示さず、二人の少女はその場を動かなかった。
「お前たちには他にやるべきことがあるんじゃないのか?」
「……いや。ここに……いる」
「我儘を言うな」
「嫌っ! あの人が出てくるまでここにいさせて! お願い、だから……」
駄々をこねる子供のように首を左右に振り、懇願するように言った声音から察するに、その表情はとても見られたものではないだろう。
まるで大切な人を失ったような、悲痛な表情を浮かべているに違いない。
シンカとカグラは魔憑だ。
普通の人間より純粋に力が強く、体力もあり、打たれ強く、俊敏な動きができる上に自然治癒力も高い。
だが、それでも、心は普通の女の子と何一つ変わらない。
常人より遥かに身体能力にすぐれた魔憑でも、心まで強くはならないのだ。
それがわからないリアンではない。
それでも、リアンは眉一つ動かさずに抑制的な声で言い放った。
「運命の日は三日後だ。それまでずっとそうしてるつもりか? ミソロギアを救うんじゃなかったのか?」
「わかってる……わかってるわ……救ってみせる。でも……だからって……あの人をここで待ってちゃいけないの?」
「軍議が終わったあの日の夜、覚えてるかは知らんが言ったはずだ。九月十三日はロウが参加できない可能性が高い。だから、ロウを戦力に入れない作戦を立てることにはなった、と」
シンカの瞳が徐々に大きく見開かれていく。
ゆっくりと振り返りながらリアンの方へと向いた口元は、何かを言おうと微かに動くものの、それが音となって流れるには僅かな時間を要した。
やっとの思いで絞り出した声は、弱々しく掠れたもので……
「知って……たの……? あなたは……こうなることを……知ってた……の?」
「あぁ」
「だったら……だったらどうして止めなかったの! どうしてあの人を放っておいたの!」
勢いよくリアンの胸倉へ掴みかかりながら、必死の形相で迫るシンカの気迫にさえ、リアンは微動だにしなかった。
そして手を振り払うでもなく、まっすぐに彼女を見据えながら振りかざしたのは、拳よりも重く痛い言葉だった。
「知ろうともしなかった奴が何を言っている」
「――っ」
リアンのすべてを見透かしているかのような瞳と、感情を押し殺すような低い声に委縮し、シンカは怯えるように肩を竦めた。
そうだ、ロウがこうなってリアンが平気なはずがない。
確かに自分はロウと会おうとしなかった。話し合おうとせず、ずっと避けてきた。ましてや自分のせいでロウがこんな目にあったというのに、どうしてリアンを責めることができるだろうか。
むしろ、リアンが恨み言の一つも零さないのが不思議なくらいだ。
「ロウのことが知りたいなら……ついて来い」
緩んだシンカの手を軽く下ろすと、踵を返して歩き出したリアンはこのとき、軍議が終わった後の会話を思い返していた。
……――――
「すまないが、議長とロギさん。フィデリタスさんと、え……っと、総合管制部隊の第一隊長さんは残って欲しい」
皆が退室した後、ロウの声に集まったのは四人。
うち、唯一の女性であるタキアが小さく頭を下げながら、
「総合管制部隊所属第一小隊隊長タキア・リュニオンです。以後、お見知りおきを」
「もう知ってると思うがロウだ。よろしく頼む」
「で、兄ちゃん。どうして俺たちなんだ?」
自己紹介を終えた二人のタイミングに合わせ、フィデリタスはその意図を話すように促した。
「俺の起こした行動に理解を示してくれていたから、だな」
「私は軍議中、一言も話していませんよ?」
「タキアさんと同じ部隊の第二小隊長さんは、話さなくても表情を見ていればわかった。だが、この情報はできるだけ少ない人数に留めて起きたい。だから、第一小隊長のタキアさんだけを指名させてもらった」
「……よく見てたのですね」
タキアは感心するような表情を浮かべるものの、それが意味するところは一つしかないだろう。
ロウはこの軍議の後、あらかじめこの場を設ける予定だったということだ。
そしてこれから話す何かはとても重要なことで、ロウの中で信頼に足ると判断されたからこそ、こうして集められた。
選ばれた以上、それを察せぬ面々であるはずもない。
「ではお聞かせ願えますか? 国のため、できることは協力しましょう」
ロギの言葉にロウは頷くと、できる限りの真剣な声と表情で語りだした。
「未来を予知する。というのとは違うが、俺にも未来がわかるときがある。意図してそれがわかるわけじゃない。しかも、見える内容はそのすべてではなく断片的だ。が、複数見える未来の中で、確率の高いものはより鮮明に、低くなるにつれ霞んで見える。そしてこれが魔憑の力なのかなんなのか、俺にも正直よくわからない。ただ、俺のたまたま見える夢は……何も行動を起こさない限り外れたことがない。そんな話をどこまで信じることができる?」
「……」
ロウの説明はあまりに突拍子もなく、四人は戸惑いの表情を浮かべた。
いくら魔憑とはいえ、未来を見ることが本当にできるのか。しかし、カグラという少女の持つカードもまた、同じような力を有しているのならそれも有り得るのかもしれない。
魔憑の持つ能力が未知数であるが故に、その真否を推し量れないでいた。
そんな中、一番最初に口を開いたのはフィデリタスだ。
「なるほどな……だから兄ちゃんが俺を見る目は、そうだったのか。納得だ……」
「どういうことでしょうか?」
ゲヴィセンの問いに、ロウがフィデリタスへ問いかけるような視線を送ると、アイリスオウス最強の名誉称号である光明闘士の名を持つ男は苦笑しながら頷いた。
それにロウ頷き返すと――
「結論から言うと……九月十三日の戦いでフィデリタスさんはほぼ確実に命を落とす」
感情を押し殺すような低い声で漏れたロウの言葉は、フィデリタス以外の三人を絶句させたが、フィデリタスは半ば予想通りといった様子で目を瞑りながら顎を撫でている。
ロウが壁を破って現れたときに視線を交えたその瞳に宿る色の原因を、このときの彼は納得していた。
冗談では決して済まされないロウの言葉。冗談にしてはあまりに質が悪すぎる。
しかし、このような場面においてロウが冗談を言わないということは、軍議での彼の行動と発言を見ていれば理解できる。少なくとも、四人はそれが理解できる人間だった。
深刻な表情を浮かべながら、ロギがロウへの説明を求める。
「……なるほど、わかりました。ここにきて、貴方が嘘や冗談を言うような人とも思えない。話を伺いましょう」
「ありがとう……」
ロウは静かに頭を下げると、推測を交えた話になる、と前振りをして説明を始めた。
「まず九月十三日までの一つ目の問題は九月十日。この日、民間人の避難の最後の便が出発する。が、そこに魔扉が開く。昨日、カグラちゃんのカードが示した内容の――来たる狭間の軍勢は一つの試練、というのは運命の日のことじゃない。おそらくこれだと思う。そしてここが一つ目の分岐」
「降魔の襲撃に合うというわけですか……。して、分岐とは?」
分岐、というのは所謂一つの選択を迫られるということだ。そして一つ目の、ということはその先も同じように選択を迫られるのだろう。
できるだけ最良の状態で運命の日に辿り着くという道は、それだけで険しい道だということだ、
四人はロウの言葉を一字一句聞き逃さぬように、真剣な表情で耳を傾けている。
「ここでの行動が、十三日の運命の日に大きく関わるということだ。結論から言えば、みんなは魔憑である俺とシンカさんの力を当然当てにしてると思うが……俺たち二人が万全の状態で運命の日を迎えることが困難だということだ」
四人は内心その期待を裏切られたような発言に動揺したものの、表情に浮かべることはなかった。
未来を見るロウがフィデリタスの死を告げた時点で、何を言われてもすべて受け入れた選択をしなければならない。そう、自分に強く言い聞かせていた。
「まず魔扉が開くのはミロソギアからそう遠くない地点と少し先の二つ。一つ目で降魔が暴れれば、シンカさんがそれを感知して助けに向かうだろう。そうなれば彼女はそこで命を落とす。仮に俺がそれに参加し、共闘したとしてもその結果は変わらない。なぜなら、シンカさんたちが俺を信頼していない、というのと、巻き込むことを恐れているからだ」
「なるほど。嬢ちゃんが一人独断専行しちまうってわけか。てことは、それなりの規模ってわけか」
軍に所属してる隊長格ともなれば、互いの信頼関係が戦況に大きく影響するとこは理解できるだろう。しかし、魔憑であるシンカが命を落とすほどの規模となれば、それがいったいどれほどなのか。降魔を実際に見たことのない四人には、想像し難いものだ。
しかし、戦場とは生き物だ。人が多くいればいるほど、戦況はめまぐるしく変化する。ましてや民間人といった守るべき対象が多いとなれば尚更だ。
不意の一撃だったり、誰かを庇ったり、それとも単にシンカが対多数を苦手としてるのかもしれない。が、そんな理由は今は関係のないことだ。
今やるべきは、その事実を受け止めて策を練ること。ただそれだけだ。
「そして当然、俺はそれを許容することはできない。だからその日、正門からの護衛部隊をホーネスの部隊に任してもらう。ホーネスの部隊にはエヴァがいる。エヴァは一度降魔を見ているから、冷静な判断をすることができるだろう。他の部隊なら恐怖に呑まれてその場で終わりだ。ホーネスの部隊が魔扉を見つけたら、戦わずに逃げる選択をするだろう。その先で戦えば、シンカさんが魔扉を感知することはない。……俺が守り抜く」
「ロウさんなら命を落とすことなく守り抜ける……と?」
ゲヴィセンの言葉にロウは静かに頷いた。
とはいえ、知った顔であるホーネスの部隊を危険に晒してしまう。そのことについて何も感じていないわけではない。
表情を変えることなく、さらりと言ってのけた裏側には強い自責の念。
守る――必ず被害を出さずに守り切ってみせる。
その覚悟があったとしても、ホーネスたちに恐怖を感じさせてしまうことに違いない。
「シンカさんが守り切れない理由は能力にも問題がある。彼女は相手の魔力を反射するが主な力だ。大勢を守ることに向いていない。だが、俺の力は氷だ」
シンカの能力が反射である以上、相手が魔力を使わなければ無能力に相違ない。単純な魔弾、自身の技量のみで大勢の人間を守る必要がある。
が、仮に強化系を持つ降魔が現れたとしたら、それに即座に対応することはできても、必ず生まれるその穴を抜けた降魔が犠牲者を作り出すだろう。
対してロウは、大勢を一ヶ所に集めて氷の防壁を築くことで、その隙を限りなく小さくすることができる。
「確かに守りには適してるんだろうが……十三日に兄ちゃんたち二人が万全で迎えられないってことは、兄ちゃんも危ないってことだろ?」
それは当然の疑問だった。
しかしロウが見た未来の光景が、ホーネスたちや民間人にまで被害が及んでしまうなら、また別の手を考えていただろう。ロウがその大切な日にホーネスの隊に任せようとしたのは、たとえロウが傷ついたとしても、周囲への被害を出さずにすむ唯一の未来だったからだ。
とはいえ、やはり引け目があることに変わりはないが。
「より鮮明に見えたのは、周囲に被害を出さず守り切ることができても、俺自身は重傷を負い、十三日の戦いには参加できないということだ」
「そ、そんな……例えば、民間人の移動の日を別の日に変えるとどうなるのですか?」
タキアが提案したことはロウも一度は考えた。
その日が危険であるというのなら、魔扉が開く道を避けて通るか時間をずらす。それとも日にち自体を改めれば、そもそも戦う必用がないのではないか。
わざわざ危険な道を進む必要もない。というのは、誰もが思うことだろう。
が、ロウはそれを否定する。
「俺が見えた中にその選択はなかった。魔扉の発生原因はわからない。例えば正門の便を遅らせた場合やルートを変えた場合、西門、東門の部隊が襲われる危険性がある。すべての便を遅らせた場合、魔扉自体がそこに開くのか……別の場所に開くのかもわからない。まったく情報がない選択をするのはあまりにも危険すぎる」
ロウは魔憑ではあるが、その力は過去の恩人に託されたものであり、そのときに降魔や魔憑についての知識も授かった。
しかし、魔扉が何が原因でどうしてそこに開くのか、というのは何も知らないのだ。
わかるといえば降魔は魔力を餌にしている、ということ。それはより大きな魔力を持つ者へ集まる習性がある、ということだ。
民間人の移動中に予想外の場所で魔扉が開けば、少しの対処の遅れが致命的になりかねない。ロウが魔力を高めて囮になろうとしても、降魔がそれを感知できないほど離れていれば意味はないし、ロウが降魔を感知できない距離に開かれてもお手上げだ。
なにより、シンカが命を落とすという未来を回避できる可能性が低くなるだろう。
シンカをその日に戦わせない、というのがまず前提としてあるのだから。
「しかし先ほどロウさんは、運命の日に二人ともの状態が万全で迎えることが困難だ、と仰っていました。なら、一応は万全で迎える方法はある、ということでは? 例えばそう、カグラさんの治癒の力を使えば……」
ロギの質問は最もだろう。確かにあるにはある。
四人が何かを期待するような視線をロウへ向けるが、ロウの口から返ってきたのはとても普通の精神では選べないような答えだった。
「カグラちゃんの力は俺には使わせない。理由は後で話す。で、他の方法は単純な話なんだ。降魔の特性として、ある程度満足すれば魔扉へと引き返す。つまり、正門から出発する数多の命に目を瞑る、ということだ」
それは単純な計算問題だった。
運命の日を迎えるにあたり、魔憑の存在は多くの兵士の命に関わってくる。特に戦い慣れているロウの存在はより大きいものだった。
つまりここでの命を見捨てれば、それ以上の命が救われる。
しかし、命の数を数えるというのは、単純な計算問題には成り得ない。
四人は軍議中のロウとシンカのやり取りを思い出していた。
”運命は残酷で、目指す未来のために、目を瞑らなければならない不条理もある”
”すべてを得ることができないならどうするか。選ぶんだ……選ぶしか、ないんだよ”
この場に残された四人は当然その意味を理解してた、いや、していたはずだった。
犠牲なく運命の日を乗り越えることができないということを、頭の中ではわかっている。だからこそ、ロウにこの場に集められたのだから。
それでもいざ選択するとなると、それがどれほど難しいものだったのかが身に染みて実感できる。
初めての戦、初めての命の選択。それはそう簡単に選べるものではなかった。
「……仮にここでの命に目を瞑った場合、当然十三日の被害はかなり抑えることができる。そして、フィデリタスさんが命を落とす可能性は大きく減るだろう。そしてその命を救った場合。十三日の被害は拡大し、フィデリタスさんが命を落とす可能性は極めて高い。つまり……」
「すべてを回避するには、九月十日までにシンカさんの信頼をロウさんが得る必要がある、ということですか?」
そう問いかけたのはタキアだが、ロウは小さく苦笑した。
「それは難しいだろうな。信頼を得る、というのは言葉で説明してどうにかなる問題じゃない。あの子たちは運命の日を変えるために必死になってきたが、誰もそれを信じてくれなかった。俺が参加する前の軍議の会話を思い出してくれ。トレイト……だったか。あの反応が正常なものだ」
神話に登場する降魔が実在する。そんな話を簡単に信じる者はいない。
ましてや見ず知らずの少女の言うことだ。温かい目で話を合わせたり、馬鹿にしたり、からかったり、蔑んだり、その反応は様々だっただろうが、どれもその中には等しく信じていないという事実がある。
少女たちの言っていた通り、それは仕方のないことだろう。しかし、世界を救うためにたった二人で過去に来た少女たちがどういう扱いを受け、今までどんな思いを抱えてきたかなど、気持ちがわかるというにはあまりにおこがましい。
「人を信じることに怯えた相手には行動で示してくしかないが、あまりに日がなさすぎる。そして何より、あの子たちは優しすぎる。二人が信じる運命の導きに関係のない俺を巻き込むことを、自分以外の他の誰かが傷つくことを恐れている」
それは事実ではなく、単にロウから見た印象に過ぎない。それでも今までの少女たちの反応や言葉を思い返せばこそ、ロウの中でそれは間違いないと断言できた。
現に、ロウの見る未来での断片的な光景がそれを裏付けている。
「だったら話は簡単だ」
軽やかな声で言ったのはフィデリタスだった。




