34.失意の不適格者
「このままシンカさんたちといれば、後悔に苦しみながら死ぬことになりますよ?」
瞬間、シンカとカグラは頭を鈍器で殴られたような鈍い衝撃を受けた。
――今……なんて
そう口にしようとしても上手く言葉が出てこない。
三日後といえば、それはミソロギアにとっての運命の日だ。
ロウはその日の戦いに参加しないのではなかったのか。
そして次の言葉……
――自分たちといればロウが……死ぬ?
強い衝撃と胸を抉られたような鋭い痛み。
このとき、二人の少女は自分自身でも理解できないほど、「ロウの死」という言葉に打ちひしがれていた。
端から見れば、ただ愕然としているように見えたかもしれない。震えもせず、声も発さず、ただそこに座りこんでいいるだけなのだから。
だが、実際はそうではない。
確かに驚愕もしただろう。愕然としたのも嘘ではない。
ただ、恐怖という単純な感情が、少女たちの何かを焼き切っただけの話だ。
狐面の女の発した、確証も何もないただの言葉。そう……ただの言葉だ。
それに対して彼女たちが見せた反応は、あまりに過剰だといえるだろう。
しかし、恐怖が心を侵食したということは紛れもない事実だった。
誰かの死に対する恐怖ではない。
ロウの死に対する恐怖と呼ぶには生温い何かが……。
そんなシンカたちの胸中に渦巻く何かを言葉にできないうちに、ロウに浮かんだのは哀切な微笑み。
このとき、ロウの脳裏を過ったのはいつかの赤い夢だった。
――が、それを振り払うように発したロウの声に一切の迷いはない。
「関係ないな。俺がこの先、誰といるかは俺が決める。どうするかは俺が決める。俺自身が選ぶ道だ」
すると、狐面の女は一呼吸置き、一際真面目な声で語り始めた。
「……己が人生という物語において、誰もがその主人公だといえるでしょう。ですが、世界というこの物語においての配役でいえばどうでしょうか」
「どういうことだ?」
「ディザイア神話のように異世界から来た英雄がいたとして、きっとその者は異世界においても英雄だったのでしょう。本来存在しないはずのこの世界における異分子が、この世界の物語で重要な役を担う。それを……世界は許すのでしょうか」
仮にAという物語の英雄が、Bという物語に介入し、その物語の世界を救ったのであれば、元々Bという物語に存在した英雄はどうなってしまうのか。
いや、Bという物語には元々英雄は存在しなかったかのか。が、つまりそれは、世界が救われなかったはずだという結果を塗り替えることになる。
「その英雄とシンカさんたちが出会うと、君にとっては不都合だということか?」
ディザイア神話が預言書のようなものだと仮定するのであれば、異世界から来て世界を救うはずの者は、いずれシンカたちと出会うことになるだろう。
カグラの導きのカードがこの世界を救う道を指し示すというのであれば、辿るはずの悲惨な運命に抗うために。
「他の世界の者が他の世界へ来たのであれば、なんの役も担わずに大人しくしていればいいのです。ですが、英雄を英雄たらしめるのはその思想。英雄は英雄にしか成り得ない……ならばよかったのですがね」
「……」
「どこまでも英雄で在り続けるということは、守るために未来永劫戦い続けるということです。苦難と、驚異と、そして悲劇と。それは終わりなき愚行。そして英雄はさらなる高みへと墜ちていくのです」
「高み……?」
「遍く縛鎖を引き千切り、涙の雨を振り払い、救世主へと至る。えぇ、それを世界は許容しない」
「それでも俺は、俺自身のために彼女たちとの誓いを果たす」
世界の命運を担うにはあまりに小さな二人の少女。
彼女たちへ掲げた自らの誓いは決して揺らがず、告げた言葉は覚悟そのものだ。
が、狐面の女はきゅっと艶やかな唇を引き締め――
「残念ですが……今の貴方に運命を変えることはできません。むしろ、今の貴方たちにこのまま戦場に立たれては不都合。よって……」
――貴方にとって、私は決して相容れぬ存在だと言えるでしょう
狐面の女が右手を横に伸ばすと、空間に出来た裂け目から一振りの刀を取り出した。
――シャン
鳴り響く五つの鈴の音が鼓膜を揺らし、その刀がロウから言葉を奪い去る。。
難しい理由は何もなく、単に在るはずのない物がそのに在るというだけの話。
そう、狐面の女が取り出した刀は……
――ロウが所持するそれとあまりにも酷似しすぎていた
そもそも、この国で刀という武器は珍しいものだが、まったく出回っていないわけではない。この世界に同じような刀が何本あっても不思議ではないのだ。
しかし、その刀はこの世界にたった一振りしかないはずのものだった。
そしてさらに、刀に巻かれているはずの白い紐が解けている。
「……どうして……それを」
「さぁ、どうしてでしょうか」
初めて見せた動揺から出たロウの掠れた声を、狐面の女は可笑しげに口許を緩めながらさらりと受け流す。
いよいよもってロウの頭の中は限界にきていた。
狐面の女が最初、ロウへ不思議だと言っていた意味は彼女が付けた仮面にこそある。彼女がロウに「聞きたいことがあるはずだ」と言ったそれは、何故、この世界に一つしかないはずの狐面を彼女が付けているのか、ということだ。
片耳を失い、まるで泣いているかのような特殊な模様の施された狐面も、鈴のついた一振りの刀も、ロウに魔憑の力を残してくれたあの人が授けてくれた、この世で唯一無二のもののはずだった。
ロウの想定にない人物が、想定していなかったシンカとカグラをここへ呼び、世界に一つしかないはずの狐面と白い紐の解かれた刀を持ち、ロウの行く手を阻んでいる。
(どういうことだ……なにが起きている。この人は何者なんだ……)
なにがなんだかわからず、上手く思考が纏まらない。
しかし、そんなロウの考えが纏まるのを、狐面の女が待つ理由はなかった。
狐面の女が刀を左脇に持ち替え、左手の親指で鍔を少し持ち上げる。
鞘と鎺の隙間から僅かに見えた刀身が光った瞬間――
それを瞳に映したシンカの意識が半ば無理矢理呼び起こされ、ロウの背後から悲鳴にも似た叫びが響いた。
「待って! その人は本当は関係ないの! 私が……私が巻き込んでしまった……。でも、ロウさんは三日後の戦いには参加しないわ! だからお願い! 傷つけないで!」
必死に懇願するシンカの声を受け、狐面の女が首を傾げた。
「……関係ない?」
「ほ、本当です。ロ、ロウさんはもう戦いには無関係です。そ、そうですよね?」
「……シンカさん……カグラちゃん」
振り返ったロウの視界に映ったのは、必死に何かを懇願するように見つめる瞳。
そんな二人の願いも虚しく、返ってきた声は酷く冷めきったものだった。
目の前の少女たちを責めるように、あるいは追い詰めるように、言の刃を紡いでいく。
「関係ない……ですか。それは違いますよ、お二人とも。あなた方がロウさんに出会った時点で、出会ってしまった時点で、それはもう通じないのです」
「私たちが……出会ったから? ど、どうして……そんな……」
「それが――決して変えることのできない運命だからですよ」
二人の瞳から光が消え、虚ろな表情を浮かべる。
途端、戦場に立つ者が持つ目には見えない何かを感じ取るような警鐘が、半ば強引にロウの意識を引き戻した。
今までじっと成り行きを見守っていたフィデリタスへと視線を向けると、彼はその意図を汲み取ったかのように悲痛な表情で強く頷き、指笛を吹いて近くに待機させていた二頭の馬を呼び寄せる。
ロウが極一瞬、視線を外したその刹那――狐面の女はすでに動き出していた。
一瞬でロウへと間合いを詰め、白銀の軌跡を中空に描きながら抜き放った刀を振り上げる。吹き出る血飛沫が狐面を紅く染め上げるも、狐面の女はさらに右手を引き寄せ間髪入れずロウの身体を深く突き刺した。
吐血し、口の中に広がる鉄の味。朦朧とした意識に赤く染まった霞む視界。
それでもロウは意識を手放すことなく、ある一点だけを見つめている。
刀身の根元に刻まれた小さな亀裂……そこに震えた手を伸ばすものの、それを避けるように刀を抜かれたロウの体は支えを失い、血溜まりの中へ崩れ落ちた。
目の前には真っ赤な返り血に染まる靴と細い脚。
手に持つ刀身の先からは、ぽたぽたと紅い雫が滴っている。
伏したロウを見下ろす彼女の頬を――紅い何かが流れ落ちた。
目の前でいったい何が起きたのか……その光景の意味をシンカとカグラはすぐに理解することができなかった。
空中で切り払われた刀から飛び散った血が、茫然とその光景を見つめる二人の少女の頬へとかかる。
一瞬遅れてその生暖かい感触の意味を理解した瞬間、二つの悲痛な悲鳴が大きく響き渡った。
「ロウさん、最後に貴方の質問にお答えしましょう。私はデュランタと申します。この刀もお面も……ある人からの頂きものですよ。そしてこの鈴も、ね」
そう言って女が刀を鞘に納め、右手の指先で自身の仮面を軽く小突くと、ロウはその声を最後に辛うじて繋ぎとめていた意識を手放した。
狐面の女は足元で倒れているロウを一瞥すると、完全に血の気を失い、真っ蒼をになった顔で小さく震える二人の少女へ視線を移す。そして……
「お二人が彼の仲間であったなら、こうはならなかったでしょう。早く……仲間を探しなさい」
まるで親が子供に優しく諭すような声音で最後にそう言い残すと、デュランタと名乗った狐面の女は、背後にできた靄のような空間へとその姿を消した。
デュランタがその場から立ち去ると、二人は慌ててロウへと駆け寄った。
シンカがロウを抱き起し、カグラが能力を使おうとするが、あまりの出来事に手が震えて上手く魔力を制御することができない。
「嬢ちゃんたち、どけっ!」
馬が到着すると、フィデリタスは二人を払いのけながら力なく倒れるロウを担ぎ上げた。
「なにするの、やめてっ!」
「早く治さないとロウさんが! ロウさんが……っ!」
必死な形相で見上げる少女たちを見て、フィデリタスは心が痛むものの、彼もまた退くわけにはいかなかった。
彼とて、ロウを救いたいという気持ちは同じだ。だが――
「これは兄ちゃんとの約束なんだ。俺は……兄ちゃんとの約束を守らねばならん」
言って、フィデリタスはロウを担いだまま馬へと跨った。
そしてシンカとカグラを見下ろすことなく、その瞳は真っすぐにミソロギアへと向けられ、口早に一言残しながら、
「嬢ちゃんたちはその馬を使え」
すかさずフィデリタスが馬を蹴ると、背中から聞こえるのは悲痛な叫び声。
しかし、彼に振り返ってる余裕はなかった。
額に脂汗を浮かべ、奥歯を食い縛りながらミロソギアへと駆ける。
いつも浮かべていた温厚な表情はそこになく、早馬の手綱を強く握る拳からは、赤い液体が流れ落ちていた。
夕刻、中央守護部隊所属第一小隊長フィデリタス・ジェールトバーが必死の形相でミソロギア内を馬で駆け抜けて行ったという情報は、瞬く間に兵たちの間に広がっていた。
少し遅れてそれを追随する馬には、血で肌を真っ赤に染めた魔憑の少女。
ただ事ではないと動揺が広がる中、ロウは軍事施設内にある医療班の元へと担ぎ込まれた。
指示を受け、昼間からずっと待機していた医療班の対応は手際よく、フィデリタスはロウを預けると、処置室の前でもうすぐ来るであろうシンカたちを待っていた。
待った、というには早すぎる時間でシンカとカグラが到着すると、シンカはすぐさまフィデリタスへと詰め寄った。
「どういうつもりなの!? カグラの力を使えば確実に救えるわ!」
体格の良い高身長の男を睨みつけながら見上げるシンカの瞳には、明らかな怒りと不安の色が宿っている。シンカの後ろで佇むカグラも、このときばかりは物怖じせず、赤く腫れあがった両眼で正面からフィデリタスを見据えていた。
「どいてください、お願いします。私がロウさんを治します」
「それは聞けん」
「だからどうしてよっ!」
「さっきも言った通り、これが兄ちゃんとの約束だからだ」
「だったら力づくでも――」
「止めときな」
力強い静止の声を無視するように、横を通り過ぎようとしたシンカがフィデリタスに腕を掴まれた瞬間、シンカはそのまま勢いよく振り返ると、目の前の男の姿に両眼を丸く見開いた。
眉間に深い皺を作り、口端から血が流れ落ちるほど食い縛った歯の隙間から、フィデリタスの掠れた声が漏れる。
「ここの鍵はそう簡単には壊れん。今はほんの些細なミスすら許されんほどの治療をしている。嬢ちゃんが壁を壊した衝撃で、手元が狂うかもしれん。だがら……やめておけ」
「そ……んな」
シンカはふらついた足取りで一歩、また一歩と前に進んでいく。
それをフィデリタスは止めなかった。
扉に縋るように両手をつき、そのままずるずると力なく崩れ落ちたシンカの口から、弱々しい微かな声が聞こえてくる。
「どうして……どう……して」
フィデリタスの後ろでは、カグラが嗚咽を漏らしながらその場にへたり込んでいた。
そんな少女たちの姿を直視できなくなったフィデリタスが、両眼を瞑りながら顔を逸らす。
――貴方はあそこで何をしていたの?
――貴方には何が見えているの?
――貴方の本当の声が聞きたい……
呟くようなシンカの問いの答えを、フィデリタスは知っていた。
だが、彼は何も言わずにじっとその場で佇んでいる。
そんな中、通路に響く規則正しい足音。
通路の先から来る誰かを見つけると、フィデリタスは胸中に残った僅かな不安さえも押し潰し、自信を律するかのような厳しい表情を浮かべながら、その誰かの方へと足を進めた。
「……まだだ。まだ終わっちゃいない。運命は……必ず変わる。そうだろ、兄ちゃん」
そう小さく呟き、少女たちへと背を向けたフィデリタスの瞳には、確固たる覚悟が色濃く宿っていた。




