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これは君のパラミシア  作者: 御乃咲 司
第十節『これは未来が贈る黎明の希望』
319/323

317.紫花の残した奇跡

 

 とても長く感じた戦いの終わり。

 この日に起きた戦いの結末としては、間違いなく最善だったといえるだろう。

 これまでの七七六回の世界線と比べても、ロウが想定していた結末よりも、これ以上の終わりを迎えることなどできなかったと断言できる。

 しかしそれでもだ。その理解に感情の方が追いつかない。

 大切な人たちの死は、そう簡単に割り切れるものではないのだから。


「サタナキアはリアンのことをとても愛していた」

「……ロウ」


 だからだろうか。ふと、リアンと共に虹の塔(イリスコート)に向かって歩いているロウの口から、そんな言葉が自然と零れ落ちた。

 それで罪の意識が軽くなるわけでも、心の痛みが癒えるわけでもない。

 それでもリアンには知る権利があるし、何より彼が知らないままでは、サタナキアが浮かばれない。


「それでも接触しなかったのは、メフィストにとってのサタナキア像がかつての彼のままだったからだ。もし一人の子に執着していると知られれば、そこを狙われるのはわかっていた。だから……」


 サタナキアがいた世界においての悪魔という存在は、今の彼からは想像もできないものだったらしい。血も涙もないわけではないが、冷酷ではあった。

 分かりやすく一言で例を上げるなら、人質など意味ない、といったように。

 だからこそ、彼が大切なものを守ろうとする動きは、それ自体が相手にそこを突いてくれと弱みを見せていることに他ならないということだったのだ。


「そうか……最後に一目見ることができたのはお前のおかげだ。感謝する」

「…………」

「俺の両親についても教えてくれないか?」

「もう見たんだろ? 黒雪の中であの日の記憶を」

「そうだな。だが、今はあれが仕方のないことだったと分かっている。だからこそ知りたいんだ。どうして……どうしてお前があの日、あの重荷を背負わなければならなかったのか」


 今のリアンにロウに対する恨みは微塵もなく、それは素直な言葉だった。

 それをどうロウが受け取ったのかはわからない。が、ロウは「いつか話すときが来ると思っていた」という前振りの後、ゆっくりと話し始めた。

 

「父親の名はアモン。リアンがシスターと慕っていた人は本当の母親で、名はバルバトス。二人はサタナキアの部下であり、貴族悪魔(ゲーティア)だ。とはいえ、バルバトスと違ってアモンは元々そうだったわけじゃない。別の世界から来た悪魔とはまた別の世界……太陽と砂の惑星(ほし)から来た彼は、そこの王だったらしい。ただ一人この世界に迷い込んだ彼はサタナキアに救われ、ちょうど欠けていた柱の席にその身を置いたんだ。つまり、リアン……お前は貴族悪魔と王族の血を引いているということになる」


「俺が……」


 その呟きと共に、リアンは剣を打ってくれた陽国のマレウスの言葉を思い出した。


”貴方にはイグニスと同じ力を感じます。……太陽の光”


”貴方は多くの苦難に向き合うことになるでしょう。多くの者が貴方に集い、それらを従え、多くの仲間と共に強大な敵と相対することになります。貴方には人を惹きつける太陽の輝きがある”


 そして陽国を訪れた際、リアンは知らないことではあるが、ソレイユやクローフィと共に彼を遠目に見ていたイグニスもまた、リアンに自身と同類の大きな何かを感じ取っていた。

 

「俺の父親はどうなったんだ? どうして、シスターだけが……」

「…………それは……」

「頼む。教えてくれ」


 ロウの方を見るでもなく、真っ直ぐに歩く先を見ながら、リアンは感情のこもった力強い声で懇願した。

 そんなリアンを横目に一瞥し、ロウは静かに口を開く。


「リアンが物心つく前に、バルバトスはある理由で蝕魔(エクリプス)を殺してしまったんだ。もう知っているだろうが蝕魔に討たれた者、討った者は遅かれ早かれ降魔になる。元いた世界の影響か、貴族悪魔(ゲーティア)鬼族悪魔(デモニア)にはある程度の耐性はあるものの、迎える結果は変わらない。バルバトスの場合はその抵抗に加えて、少ししか触れなかったからだろうな。その侵食は緩やかなものだった。それでも、リアンが大きく成長する姿を見るまでもつはずもなかった。そんなときだ。奴が……メフィストがバルバトスとアモン、二人の前に現われたのは」


 ロウの言ったある理由など、リアンにとって想像に難くはない。

 わざわざロウが濁したということは、自分のせい……いや、きっと自分を守るためだったのだろう。

 だがリアンは口を挟むことなく、歩を緩めることもなく、ただ耳を傾けている。


「メフィストは二人に向かって、こう言った。私なら、子の成長した姿を見届けさせてやることができる、と。そして、今は不可能だとしても、未来では黒雪の浸食を打ち消せる何かがあるかもしれない。故に、諦めるのは時期尚早であると。だから、二人は縋ってしまった。悪魔に願うことの意味を、彼ら自身が一番よく理解しているにも拘わらず……願ってしまったんだ。リアン、お前を心の底から愛していたから」

「…………」


「メフィストの話を聞いて、二人はこう思った。メフィストはバルバトスの黒雪の浸食を遅らせる何かしらの手段を持っているのだと。そうすれば、リアンの成長を見届けることもできるし、未来に黒雪に対する何かしらの解決策を期待することもできる。そしてそれなら、大きな対価を必要とすることもないだろうと。だが、実際はそれとはまったく異なるものだった。勘の良いリアンならすでに気付いているだろ? お前が貴族悪魔と王族の血を引いていると聞いたときにこう疑問を抱いたはずだ。ならば何故、悪魔の血を引く自分は人間であるセリスたちと同じ時間を共有することができたのだろう、と」


 外界の人間や亜人種は内界の人間よりも成長が遅く、長寿だ。

 それこそが、未来の自分が知れと言っていた過去なのだろう。

 リアンの中には確かに大きな力が眠っているのだ。

 まだ発芽していない力。悪魔と王の……そして――


「メフィストは二人の願いを確かに叶えた。一つ目は、リアンの魂の一部を封じることで人間としてその成長を早めることで。二つ目は、バルバトスとリアンの二人を直接未来に送ることで。当然、それほどの規模の願いを叶えるには相当の対価必要となる。普通なら不可能だ。だが、アモンの魂ならそれができてしまった。アモン自身は自分を王族としか言っていなから本当のところは分からないが、俺は彼に神力に似たものを感じていたんだ。メフィストがそんな形で二人の願いを叶えることができたことから考えても、アモンの魂の質は相当なものだったんだろう」


 握る拳に力を強く込めながら、ロウは責めるサタナキアに対するメフィストの言葉を思い返した。


”相手が肉を望んだから豚を殺し、牛を殺し、その肉を提供する。私のしていることは、人間の商いと何も変わらないのだよ。弱きモノが食われ、強きモノの糧となるのはどの時代、どの世界においても等しき節理ではないかな?”


”第一、バルバトスとアモンの結末は彼女ら自らが望んだことだ。二人が望んだからこそ、私は自ら捧げたアモンの魂を糧にバルバトスの望みを叶えた”


”何を言っているんだい? 私は子の成長を早めるとは言ったが、その手段まで制限された覚えはない。そして、未来への可能性に懸けたのは彼女自身だ。そんな未来が極僅かな可能性だとしても、その場で水を差すのは野暮というものではないかね? 一縷の望みに縋るときの魂こそ美しいものはない”


 魂と引き換えに願いを叶えるという言葉の中で、代償は魂だけだと思うものは多いだろう。しかし、然るべき帰結を代償と呼ぶなら、他にもあるのだ。


 例えばある世界にはどんな願いも叶えてくれる書があるという。

 その力はその膨大な力ゆえに、魂の大きさや質次第では運命をも書き換え、望んだ現実を与え給う。であるからこそ、書き換えられた過程は是か非か問うことも抗うこともできずに現実へと至らしめる。


 分かりやすく説明すると、極端な例ではあるが「右腕が猛毒に侵されそれがやがで全身に広がり死に至ろうとしている者がいたとして、それを救ってほしい」そう願ったとしよう。

 普通なら解毒薬を作り飲ませる、毒を取り除く、毒を浄化する、どんな方法でもまずは毒そのものをどうにかしようとするはずだ。

 が、その書にそういった人道的なものはなく、もっとも簡単に手早く「猛毒に侵された腕を排除する」という方法で願いを叶えるかもしれない。

 過程を選ぶことができないとは、つまりはそういうことだ。

 どんな願いでも叶えられるといったからといって、その願いの叶えられ方が、願った者の望んだ形になるとは限らない。

 使い方を誤れば世界の有り様に多大な混乱を引き起こし、己自身の破滅をまねく。ゆえにそのどこかにある書は、禁書となっている。

 その本は不可能を可能にしてしうが、その代償は計り知れない。

 それは望みの根源にある本質のみを汲み取り叶えてしまうのだ。


 同様に、メフィストによる願いを叶えるということにも、然るべき帰結を代償と呼ぶなら魂以外、その過程すらも代償と成り得るということだ。


「後はリアンの知ってのとおりだ。アモンの魂を代償に未来へ飛ばされたバルバトスは、たとえ未来でもどうしようもない黒雪の死に抗いながら、リアンの成長をぎりぎりまで見届けようと必死に生きた。そして俺は、バルバトスが降魔に堕ちる前に彼女を命を狩り取る……死神だった」


 そう何かを呑み込むように苦悶の言葉を漏らすロウに対し、リアンはいまだ燃え尽きぬ激しい怒りをその胸に宿していた。

 母であったシスターを殺めたからではない。真実を隠していたからでもない。

 それはただ単純に、ロウにそう言わせてしまう自分に対しての怒りだ。

 ロウの行いはどうしようもなく仕方のないことだった。彼ほど自分を犠牲にし、世界のため、仲間のために、心が壊れるほどの戦いに身を投じた者はいない。

 何百年もの時を、何百と繰り返す。それがどれほど辛い道だったのか、想像できるだなんてとても言えやしないだろう。

 そんな強く優しい男が、何故こうも自分を責め続けなければならないのだ。


「慰めの言葉をかけるつもりはない。お前はどうせ俺が……いや、この世界の誰が何を言おうと、決して自分を赦すことなどできないと知っているからだ。だから、俺から言えるのは事実だけだ」


 そう言って立ち止まると、リアンは僅かに振り返りながら真っ直ぐにロウの瞳を自身の瞳に映し出す。


「ロウ……ロウ・ユーフィリア。お前が救えなかった者、お前がその手にかけざるを得なかった者、お前が見捨てざるを得なかった者、そしてこれから先、それらと同様にお前が罪の意識を感じる出来事に見舞われる者。そのすべての者が、きっと……たとえお前が自分を赦せなくても、誰もお前を恨みはしない。仮にお前の正体が死神だとして、それがどうした。もしこの先、その大鎌が俺の首にかけられたとき、俺は笑ってその救いを受けてやる。この人と……同じようにな」


 リアンが下げた視線の先には、ただ良い夢を見て眠っているかのようなサタナキアの穏やかな表情があった。

 

「それにだ、ロウ。確かに変わらなかった結末ばかりだったのかもしれん。それでも、変わった未来も確かにあった。お前が自分を憎み続けるということは、その変わった未来をも否定することになるんじゃないのか? お前がこの先誰にどう思われていたかなんてものは、未来からすべてを託されて来たデュランタという存在が答えそのものだろう」

「そう、なのかもしれないな。ありがとう、リアン」

「感謝するのは俺のほうだ。俺はただ事実を口にしただけだからな。先に行っているぞ」


 それだけを言い残し、立ち止まるロウを置いて歩いて行くリアンの背を見送りながら、ロウは瞼を落ろし気持ちを落ち着けるように深く呼吸を整えていく。

 そして両眼を開きながら視線を横に向けると、そこには今にも泣き出しそうなのを必至に堪えているクローフィとリコスの姿があった。


「……ロウ様」

「ご無事で……なによりです」


 いつ如何なるときも表情を崩すことのない二人だ。その感情を表すのは、いつも尻尾や羽ばかり。そんな二人がこれほど表情を乱すことが、どれほど珍しいことなのか、誰よりも彼女たちを知るロウに分からないはずもない。

 それだけ心配を掛けてしまったのだ。


「また、救われたよ。皆が俺を生かしてくれた」


 平和な世界に生きる者たちからすれば、命は平等であると言うのかもしれない。

 だが、滅びに向かう世界に於いて、命は決して平等ではないのだ。

 知恵のある者、力のある者、導く声を持つ者、何かしらに秀でたものを持つ者の命が優先されるだけで、その先に救える命は確実に増えるのだから。

 そしてそれ以前に個人的な感情としても、死が側にある者たちにとって、やはり生に対する優先順位というものは存在する。

 故に、クローフィとリコスは自身の想いを不謹慎であると思いながらも、ロウが無事でいてくれたことに確かな安堵を感じていた。

 

 その一方でロウも、二人の存在が確かな安堵となってその心を満たしていた。

 わざわざ口にはすまいが、本来ならここで死んでいた二人だ。

 救えなかった、結果を変えることのできなかった犠牲はあったが、こうして救われた命もある。それがせめてもの、ロウにとっての救いでもあった。


「……セリニはどうしたんだ? デュランタの残した魔石が鍵になるとは思っていたが、結局それがなんだったのか詳細までは分からないんだが……」


 デュランタの言葉の端々から示唆されていたことを元に、セリニがその魔石を使ってくれた結果がロウを救ったとそれは分かるのだが、話を聞こうにも肝心なそのセリニの姿が見当たらないのだ。

 すると、クローフィとリコスは顔を見合わせると、何か戸惑うように口を開く。


「その、私どもにもまだよくは分からないのですが……」

「ロウ様自身の眼で、確かめて差し上げてください」


 そう言って向けた二人の視線にロウもつられて見ると、木の裏側に隠れている少女が少しはみ出ているのが見えた。

 

「セリニ?」


 ロウが声を掛けると、小さな身体が僅かに跳ね上がり、おそるおそるといった様子で木の陰から姿を見せた。

 その姿を見て、ロウは彼女の身に何が起きているのかを理解するのに、暫しの時間を必要とすることになる。

 変わってしまった姿を見ても、魔力感知を試してみても、そして――


「……お兄、様」


 その呼び方こそが、紛れもないひとつの答えを示していた。


「そんな、まさか……」 

 

 ありえない、という言葉をロウは必至に呑み込んだ。

 その言葉は彼女の存在の否定だ。そんなこと、できるはずがない。

 しかし、そんなことが本当にあるというのだろうか。

 

「エリス、なのか?」


 漆黒だったセリニの髪には、エリスのように白い線が混じり、感じる魔力も一つではなく二つ。本当ならそんなことはありえない。

 七七七回そのすべてに於いて、ロウは彼女を救うことができなかった。

 七七七回目である今回だって、彼女は遠い昔にその命を散らしていた。

 その挙げ句、魂だけが黒雪の循環機構の一部として利用され、仮初めの肉体を得ていたそれさえも、今日目の前で散っていったのだから。


 何より、一つの肉体に二つの魂が存在するなど聞いたことがない。


 ――本当に?


 そこまで思考した時点で、ロウは一つの可能性に辿り着いた。

 それは複数の魔獣を持ち対話できるロウだから気付けたのか、ロウの心象世界の祠に巣くう存在がいたから辿り着いたのか。

 何にせよ、魔獣という存在も魂を持つ者である以上、魔憑という存在は皆等しくその器に二つの魂を宿していると言えるのではないだろうか。

 本来、魔獣を介し能力を得ている魔憑と違って、亜人や神々は魔獣に頼ることなく己が力としてその能力を持っている。ならば、今の彼女は――


「お兄様ッ!」


 何も言わずともロウが名を呼んでくれたからか、おそるおそるといった様子は消え去り、ロウの胸に勢いよく飛び込んできた。

 考えることは後でもできる。ロウは無事と言っていいのか定かではないものの、確かにここにいるエリスの温もりを噛み締めるように、強く抱き締めた。

 クローフィとリコスはそんな二人を穏やかな表情で見守っている。

 しかし、金紅水晶のような瞳から涙を零しながら、エリスがロウを見上げて何か口を開こうとした途端、


「――ッ!? も、もういいですから!」


 エリスの瞳が黒曜石のような黒へと変わると、頬を真っ赤に染め上げながら、ロウの胸を軽く押して彼の腕から逃れた。


「セリニなのか?」

「だ、だとしら悪いですか?」


 今も悪態をついていたことに後ろめたさがあるのだろうか。未来の自分から真実を聞かされてロウの本当の気持ちを知っても、つい強気な態度をとってしまうのは実にセリニらしいものだった。


「いや、嬉しいさ。二人にきちんと伝えておきたいことがあるからな。さっきの反応からすると、今の会話はエリスにも聞こえてるんだよな? セリニ、エリス、ありがとう。二人のおかげで、俺は今ここにいる」


 その言葉で、元から赤くなっていたセリニの頬が顔全体に広がっていく。

 

「エリスはわかるけど……私は何もしていません」


 気恥ずかしさと自嘲が入り混じった様子で少し俯くと、ロウは小さく首を横に振りながら、セリニの頭にそっと手を乗せた。


「負けないで……あの言葉が届いたから、あの言葉を届けに来てくれたから、俺は最後の力を振り絞ることができた。メフィストとの戦闘だって、セリニの存在がなければ俺はあのまま殺られていただろう。それに、今みたいにエリスと話すことだってできた。本当にありがとう。二人は俺の自慢の妹だよ」


 優しく頭を撫でながら言うと、ロウは最後にそっと小さな頭を胸に引き寄せた。

 すると、小さな嗚咽が少女の口から溢れ出してくる。

 それがセリニのものなのか、エリスのものなのかはわらからない。

 途方もなく長い間、ずっとすれ違い続けて来た二人だ。

 そして途方もなく長い間、共に生きられなかった二人だ。

 セリニにとってもエリスにとっても、もちろんロウにとっても、この時間は本来くるはずのなかったまるで奇跡のような時間だった。

 だがこれこそが、デュランタの望んだ光景の一幕だった。 

 待つだけでは決して訪れない奇跡を、デュランタは強い覚悟と行動をもって起こして見せたのだ。

 

 そんな中、セリニはひとり思う。

 未来の自分が、今の自分と愛するエリスを救ってくれた。

 未来の自分が、今の自分と愛するロウを近づけてくれた。

 ならばこそと、セリニはデュランタの言葉を思い返す。

 

”夢を見なさい”


 それはきっと、未来の自分が今の自分へと託した想いだ。


”たとえ、そこへ行くための道がなくても……道なき空を飛べば行けます”


 そしてその想いは必ず成ると、デュランタはまさに証明してみせた。

 道なき道を飛び越えて、不可能を可能へと変えてみせた。


”夢を追いかけて顔を上げていなければ、万に一つのチャンスがやってきても見逃してしまうでしょう”


 だから次は自分の番だ。


”だから夢は、見るべきなんです。幸運を逃さないために。彼の死を回避する光を、見落とさないように”


 絶対に、再び触れることのできたこの温もりを手放しはしない。


”そこで死ぬことが、貴女にとっての幸せだというの?”

”私の命という掛け金でもたらす結末。私の命だけで足りるなら、結果には釣り合うんですよ。だから、たとえあの世で再会することさえ叶わなくとも、私にとってはあの人の未来こそが至高の喜びなんです”


 本当なら、自分がここに居たかったはずだ。

 過去の自分()を殺してでも、今の自分(セリニ)に成り代わりたかったはずなのだ。――()()()()()()のように。

 そして彼女にはそれができた。それだけの力があった。

 それでも、大切な兄と妹を未来に生かすため、あの戦いを切り抜けるためには彼女の力が必要不可欠だった。

 だから、成れるはずなのに成らない道を、死を受けいれた。


”最後に良いことを教えてあげましょう。それはとても簡単で、とても当たり前のことです。だけど、誰もが一度は後悔して、失ってからようやく気付いてしまうこと。貴女に……わかりますか?”


 死の際での僅かな兄との会話だけが、彼女の素直なひとときだった。

 どれほど悔いただろう。どれほど共に在る時間を望んだことだろう。

 今の自分にそれらの言葉を伝えることが、どれほど羨むものだったのだろう。


”明日在りと思う心の仇桜……ねぇ、セリニ。気持ちってね、目には見えないの。だからこそ、きちんと伝えないと……届けないとね……なかったことになってしまうのよ?”

 

 だからこそ、剪定され滅びた未来の自分の分の願いもすべて――


(兄様……私にも、戦う理由ができました。伝えなければなかったことになってしまうのだとしても、私は満開の桜の下でこの想いを伝えます。だから、ねぇ……エリス。一緒に未来を変えましょ。手伝ってくれる?)


(……ぐすっ……っ……その答えは、必要ですか?)


 鼻を啜りながら涙声で応えるエリス。その姿を端から見ることができたなら、一見頼りなさそうに思えるのかもしれない。

 しかしセリニにとって、それはとても頼もしい言葉だった。


「兄様、私は――ってちょっと!」


 ロウの胸から離れ、きりっとした顔を作りながらセリニが何かを伝えようとした途端、


「どうしてすぐに離れちゃうんですか~! もう少しだけ!」


 瞳の色が黒曜石から金紅水晶の光へと変わり、きりっとした顔からふにゃけた顔へと変えながら、再びロウの胸へと小さな体が飛び込んできた。

 が、すぐさま羞恥と怒りの籠った表情を浮かべながら……


「ちょっと、何をしてるのよエリス!」

「だって久し振りなんですよ? しかもさっきは何も伝えることなく今生の別れをしたところなんですよ? もう少しくらい喜びの余韻に浸っても罰は当たりません」

「確かに半分は貴女の身体だけど、もう半分は私のなのよ!?」

「さっき自分の意思で飛び込んでおいて、そんな言い訳なんて通用しませんよね?」

「うぐっ、だ、だからもう十分って話よ!」

「昔から素直になれないところは全然変わっていないんですね。私は自分を兄愛主義(ブラコン)であると自負していますが、セーちゃんだって同じ――」

「――じゃないわよ! いい加減にしなさい!」


 などと、ロウたちの前で繰り広げられるのは、目まぐるしく変わる表情と自分への一人突っ込みをしているような、なんとも不思議な光景だった。

 だが、もう二度とできなかった、もう二度と見るはずもなかった仲の良い姉妹同士の言い争い。そして、セリニが自然と自分の身体の半分をエリスのものだと言う優しさに、ロウは自分の胸が温かくなるのを感じていた。

 

 そうして数分言い争った後、肩で息をしながら疲れ切った様子のセリニがロウに向かって「私はブラコンじゃありませんから!」と顔を真っ赤にしながら言い放ち、一先ずとしてこの場は収束したのだった。

 

「あのセリニ様がこれほど豊かな感情をお見せになるとはな」

「えぇ、喜ばしいことです」

「リコスとクローフィにも御礼を言わないとな。セリニをここまで無事に送り届けてくれてありがとう。そしてこれからも、セリニとエリスをよろしく頼む」

「もったいなきお言葉。ですが……」

「その任、しかと拝命致しました」


 セレノが目覚め、セリニとロウのわだかまりも解けた以上、もしかすると昔のようにロウの側に仕えられると少しばかり期待していたのだろう。

 決してセレノやセリニの側に居ること自体が不満なわけでもないし、彼女らのことを大切に思っているのは間違いないのだが、特徴的な部位(チャームポイント)が萎れてしまっているのは、やはり二人にとっては直接ロウの力になりたいと思っているのだ。

 そんな中、三人の会話に待ったをかけたのはセリニだった。


「はぁ……何を言っているんですか、兄様。目的を見失わないでください」

「どういうことだ?」


 首を傾げるロウにセリニは小さく溜息を吐くと、ロウの質問に答える代わりに、


「クローフィ、リコス、これまで私を支えてくれて本当にありがとう。言葉では足りないくらいに、とても感謝してるわ。だから今このときをもって、二人の任を解きます。とても長い間、二人を縛りつけてしまったことに今の私じゃ報いることはできないけど、せめて来たるべき時までの残りの時間くらいは貴女たちの自由に生きて欲しい。兄様も、ここで無理を強いるほど野暮じゃありませんよね?」

「だ、だがな、セリニ」


 クローフィとリコスが生きてここにいる。それはロウの知る未来になかったことであり、ここから先の彼女たちの影響はまったく予想もできないものだ。

 それに最悪の場合、後僅か二年足らずで世界は終焉を迎えてしまう。

 故にセリニの言うことはもっともであり、ロウとてたくさんの無理を強いて来た二人が生き残ることのできた今を、自由に生きて欲しいとも思う。

 だが、彼女たちの自由とは即ちより危険に身を置くことであり、多少の強制であってもセリニたちと共に比較的安全な場所にいて欲しいというのが本音だ。

 命を拾ったクローフィとリコスだからこそ、奇跡に呼び戻されたエリスだからこそ、やっと溝を埋めるこのできたセリニだからこそ、過保護に思ってしまうのも無理はないのではなかろうか。しかし、


「お兄様、今のセーちゃんには私もいます。それにセーちゃんはやればできるんです。それはお兄様が一番よくご存じのはずです。あまり過保護がすぎると、また反抗期が来るかもしれませんよ?」

「ッ、は、反抗期って言い方は文句の言いたいところだけど、今はまぁいいわ。兄様、私たちには私たちの目指したい場所ができました。だから、譲りたくないところは譲られません」


 ロウの中ではいつまでも幼かった二人から責められ、ロウは先程癒やされた分、また別の傷を負ったかのように半ば放心していた。

 これが兄離れというやつなのか。


「もう一度言います。目的を見失わないでください。クローフィとリコスは兄様の力になれる。そうですよね?」


 二人の実力は折り紙付きだ。力になれないはずがない。

 が、敢えてそういう言い方をしたということは、おそらく気付いているのだろう。それはロウが懸念していたことではあった。

 黒雪に深く関わっていたエリスだからこそ、クローフィとリコスの二人の特性に感づいた。そしてエリスと身体を共有したことで、おそらくはセリニも。

 ロウにとっても不確定であったが故に、望まぬ結果を恐れとても決断できることではなかったが、エリスが感じたのならほぼ間違いないとも言える。

 それはかつてロウに救われ、彼の魔力を宿す二人にも、少なからず黒雪に対する抵抗力があるかもしれないということだ。

 つまりこれから先、避けては通れない危険種との戦い、蝕魔との戦いにおいて、重要かつ貴重な戦力となり得る可能性。

 だが、それを告げればクローフィとリコスは必ず命を賭し、無茶をするだろう。

 いずれ知られることになるのだとしても、今はまだ。

 そして、ロウの口から伝えるべきだと思ったからこそ、セリニは敢えて遠回しにロウにそう言ったのだ。

 つまり、ここでロウが頷かなければセリニの口からその可能性を二人に伝えられ、目の届かないところでより無茶をされるかもしれない。

 そうなるかもしれない以上、ロウに選択の余地はなかった。


「……わかった」

「ロウ様、では……私たちも……」

「ロウ様にお供してよいのですか?」


 小さく息を吐き、半ば諦めたようにロウが頷くと、クロリコの表情はそのままに特徴的な部位(チャームポイント)が激しく揺れ動く。

 そんな二人の姿にセリニは少しばかりの寂しさを覚えるも、それ以上に二人の望みを叶えさせてあげられる喜びが勝っていた。


「でも兄様、とりあえずの目的地は同じですよね?」

「そうだな。虹の塔(イリスコート)まで歩きながら、セリニとエリスがどうしてそうなったのか、できる限り詳しく聞かせてくれ」

「理解できていることは少ないですけど、お兄様が望むならもちろんです」

 

 そう言って、エリスは寄り添うようにロウの隣を陣取りながら、虹の塔(イリスコート)に向けて足を進め始めた。

 

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