27.本当の姿
軍議を終え、といっても、この後はロウたちの話を信じた上での軍議が予定されている。今はそれまでの小休止といったところだ。
同館内の一室に入ってからというもの、微妙な空気がこの空間を満たしていた。
シンカとカグラの視線が、ロウに何かを問いかけたいことがあるようにちらちらと注がれているが、当のロウは窓からずっと外を眺めたまま動かない。
部屋に入るなり熱い緑茶を入れ出したリアンは、やはり先程のロウの態度や発言に疑問を抱いていないのか、驚くほどにいつも通りだった。
そんな中、セリスは壁に背を預けて半ば放心していた。セリスは隊長という立場ではないため、今回の軍議に参加したのは特例だ。
軍議の空気に当てられたのだろう。
会議中ずっと言葉を発さなかったのは、その場の空気に委縮していたわけではなく、ただ単に、頭を使い過ぎていたという実にセリスらしいものだった。
するとリアンがお茶の入った湯呑を四つ、テーブルに並べた。
「茶がはいった。座ったらどうだ?」
「えぇ、ありがとう」
「あ、ありがとうございます」
少女たちが席に着くと、ロウも窓際の手近な椅子へと腰を下ろした。
ロウは椅子に座ると衣嚢から小さな魔石を取り出し、リアンの前へと差し出した。リアンはそれを受け取ると、襟の装飾へとはめ込む。
それは小隊長のみが所持している伝達石だった。
シンカとカグラが首を傾げると、そのまま疑問を投げかける。
「え? どういうこと?」
「伝達石は魔憑が使えば欠片同士でも互いに交信できるんだろう? だから、予め俺のものを持たせておいた。後は俺がホーネスから借りた伝達石の欠片にロウが繋げれば、離れていてもこちらの状況がわかるというわけだ。で、ここから見た景色はどうだった?」
その問いかけにロウは見た光景を思い返すように瞑目すると、そっと瞼を上げながら、包み紙に包まれた小さなチョコレートとキャンディを門や降魔に見立てながら言葉を口にした。
「そうだな……西門か東門の付近に魔扉が開けば、まだなんとかなりそうだ。このミソロギアは半分山に埋まったような場所にある。西門と東門なら降魔の侵攻ルートは正面と片方だけになるからな。問題は正門だ」
チョコレートの門に進攻してくキャンディを追うカグラ。その表情は真剣そのものだった。話に対して真剣なのは間違いないのだろうが、そんな彼女を見ているとなぜか違った意味に思えてくるから不思議だ。
「正面から左右に広がる群れを抑えきるのは厳しい。居住区が西部と東部に偏ってるのが唯一の救いだが、逆に言えば東西の門の場合、突破されればその時点で終わりだ。かといって、南部の商業区なら侵入されてもいいってことにはならないけどな。どこに魔門が開いても一長一短。事前に完璧な布陣で迎えるのは難しそうだ」
説明を終えると、ロウは長机の上に並べたお菓子を、何も言わずにさりげなくカグラの方へと寄せた。
「よかったわね」
「……あぅ」
微笑むシンカと恥ずかしそうに頬を染めるカグラ。
だが、ロウの説明を聞いていた二人の少女は内心、ロウに対してとても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
軍議の前にどこに行ったかと思えば、ロウは対策のために調べをしていたらしい。確かにこの議事堂は大きい上に、ミソロギアの北部でも一番奥に建てられている。議事堂の上からなら、地形を把握するのにもってこいだろう。
しかし、そうだとしても彼女たちの中には一つ、疑問が残っていた。
「ロウさんが何をしてたのかはわかったけど、どうして伝達石を持たせる必要があったの? 間に合うように帰ってくればよかったじゃない」
「……」
そんなシンカの問いに、ロウは難しい顔で沈黙した。湯呑を手に取ると、自分を落ち着かせるようにゆっくりとそれを傾ける。
何か理由があるのか、それは聞いてはいけないようなことなのか。シンカは何も言わないロウを見て、ふとあることに思い至った。
この軍議において、正当な攻め方では相手を説得させることは難しかっただろう。事実、そのときの皆の反応はシンカたちの胸に強く残っている。
だとしたら、ロウが遅れて来たことも、あの場の全員を納得させるための演出だったのではないのか。
そう思い至ったシンカは、慌てた様子で言葉を口にした。
「い、言えないならいいの、ごめんなさい。きっと何か理由が――」
「それは単に迷っていただけだ」
慌てるシンカへ、ロウの代わりに湯呑を置きながら答えたのはリアンだった。
自分の想像した理由とまったく違うその答えに、シンカはぽかんとした表情で首を傾げたままロウを見つめる。
すると、ロウは誤魔化すように苦笑だけで返した。
「迷う可能性を考えて念のため持たせただけだ。それ以外の理由はない」
「そ、そうなんですか?」
「……」
カグラの問いかけに対しても、ロウは苦笑したまま何も言葉を返さなかった。
やがて、カグラの真っすぐな瞳に耐え切れなくなったのか、ゆっくりと視線を逸らしたロウの行動は、リアンの言っていることが真実だと告げたに等しいものだ。
そんな彼を見たシンカが思わずため息を零すと、ロウは急に立ち上がって扉の方へと歩き出した。
「ちょ、ちょっとだけ、外の空気を吸ってくる」
「次は迷わないでね。次、間に合わなかったら……」
「は、はい」
逃げるようなロウの背中にシンカが冷たい声を浴びせると、ロウは背筋が寒くなるのを感じながら部屋を後にした。
再び溜息を漏らすシンカをカグラは困ったように微笑んで見ていたが、ロウがいなくなると、リアンは少女たちへと問いかけた。
「今なら聞きたいことに答えてやるぞ。ロウがいたから聞けなかったんだろ?」
見透かしたようなリアンの言葉に、シンカとカグラは一瞬どきっとした。
確かに聞きたいことはあったが、ロウに対してそれを聞いていいのかどうか戸惑っていたのは事実だ。
軍議でのロウの声音、言葉、態度、行動。あれが本当のロウの姿なのか。
聞きたいと思う反面、聞きたくないという気持ちも半分ある。
それでも、きっとこれは聞いておかなければならないことだ。そう思ったシンカは意を決したようにリアンを見つめると、はっきりとした声でその疑問をぶつけた。
「軍議のときのロウさん。あれはあの人の本当の姿なの?」
「本当の姿……か。演技でないのは事実だな。あいつのあのときの言葉は真実だ。あれで話がまとまらなければ、本気でこの議事堂を破壊していただろう」
「そ、そんな……」
カグラの声は少し震えている。
迷いなく言ったリアンに、少女たちは胸が苦しくなるのを感じていた。
二人の知るロウは、決してそんな野蛮なことをする人ではなかった。本当に優しいお人好し。そう思っていたのだから、リアンの言葉にショックを受けていないと言えば嘘になる。
明らかな動揺を瞳に浮かべた二人を一瞥すると、リアンは言葉を重ねた。
「だからといって、それまでにあいつがお前たちに見せたものも、あいつの本当の姿だ。ロウに嘘はない。ロウは自分の過去を決して話はしないが、時々こう思うことがある。あいつはこんな平和な世界とは違う……そう、まるで常に命のやり取りをしている戦場にいたんじゃないか、とな」
「……え?」
「議事堂が潰れても、ひいては、このミソロギアの建物を次々に潰していったとしても、人は生きていける。だが、軍が話を信じなければ大勢の人が死ぬ可能性が極めて高い。平和な世界では得られない、普通の人間にはない感性をロウは持っている。それはきっと、誰よりも命の大切さを知っているからだろう」
ロウとリアンが出会ったのは約四年前。昨日、実は魔憑だったと知ったロウが、それまでどういった過去を過ごして来たのかはリアンも知らないことだ。
過去、リアンの知るロウの発言は大袈裟なものが多かった。若い少年少女たちによく見られる妄言……始めのうちはそう思ったこともある。
しかし別れ際の光景と昨日の一件を考慮し、今までのロウの発言を思い返していけば、妙に納得できるものばかりだった。
「それにしてもやりすぎだと、そう思うか?」
またしても本心を言い当てるリアンを見て、きっと彼も過去に自分たちと同じような気持ちを抱いたことがあるのだろう。そう思ったシンカたちは静かに頷いた。
「……お前たちが知っている未来では、ミソロギアが滅びるという話だったが、ミソロギアが崩壊したときの犠牲はどれほどだったか知っているのか?」
「そ、それはわからないけど……どうして?」
ミソロギアが滅びる運命の日。それがいつ起こりうるかはわかっているし、確実にその日が来ることもわかっている。追想石で見た母親の記憶とカグラのカードの導きとを合わせれば、それは間違いないことだと断言できた。
しかし追想石で見る走馬灯のように流れる光景は、どれも漠然としたものだし、途切れ途切れの断片的なものだ。九月十三日、その日に降魔が押し寄せる光景と、その後の荒れ果て変わり果てたミソロギア。
そんな切れ端のような光景しか少女は持ち合わせていなかった。、
「仮に……お前たちが見た未来、追想石で見た母親の記憶だったか。それがより鮮明だったとしたらどうだ? いきなり現れた降魔相手に軍は何もできず、民間人が次々に降魔の餌食になっていく。助けを求める声、絶え間ない悲鳴、響く崩落音、いたるところから立ち上る煙……そんな光景を目にしていたら、お前たちならどうした?」
「そんなの何がなんでも――っ!」
想像もしたくない光景を思い浮かべ、少し引きつった表情で声を荒げたシンカは、自分の発言の意味に気付いて息を鋭く詰まらせた。
カグラもシンカと同じことに思い至ったのだろう。少し掠れた声で問いかける。
「……ロ、ロウさんも……未来を知ってるっていうんですか?」
「さぁな、そこまでは知らん。だが、ロウを見ているとなぜだかな……そう思えてならない。根拠もないのに実に俺らしくもないところだが……あいつの勘は昔から妙い鋭いところがある。後、もう一つの大きな理由、これは間違いないと断言できるがな」
「も、もう一つの理由って?」
生唾を飲み込み、緊張の眼差しを向けるシンカの瞳を、リアンは見つめ返した。視線を横に移動させると、カグラの瞳にも同じように緊張の色が浮んでいる。
そんな二人の少女を見て瞑目し、湯呑を口へと運んだ。
(ロウの気持ちを考えれば……お前たちへの視線を逸らすため、とは言えんな)
心の中でそう呟き、リアンはそっと湯呑を置いた。
初めて目にした魔憑に対しての印象は、トレイトがロウに対して感じた印象がもっとも正確だといえるだろう。普通の人間からすればまさに化物。同じ人とはとても思えない力を持っているのだから。
だからこそ、軍議での言葉に説得力を持たせることができたのは間違いないが、あれではロウへの印象が良いものとは到底いうことはできない。半ば力で屈服させ、脅迫したようなものだ。
だが、それはつまり皆の視線や興味を自分へ集めることができた、ということでもあるは確かだ。説得とは別のロウの思惑がそこにはあった。
逸らしたかったのだ。少女たちへ向ける訝し気な奇異の視線を。人を信じることが苦手な、不器用でまだ幼さの残る少女たちへの嫌な視線、そのすべてを。
リアンが目を開き、言葉を口にしようとしたそのとき……
「それは――」
「うおぉぉぉぉ! ふっ、かーつッ!」
言葉を遮るように部屋中に響くセリスの声。
活動を停止していた脳がようやく動き出したセリスが席に着き、にこにこと満面の笑顔を浮かべている。
「ん? どうした? なんの話してたんだ? 俺もまぜてくれよ」
シンカが額に手を当てながら溜息を零すと、話はここまでだ、というようにリアンが話の内容を切り替えた。
「そういえば、俺たちのファミリーネームが同じだったことについて何も聞かんのだな」
「え? えぇ、それは知ってたから」
「わ、私のカードに二人の名前が導かれたとき、フ、フルネームだったので」
「まぁ知ってたからこそ、二人が全然似てなくて最初会ったときは少し驚いたけど……」
「俺たちは孤児院出身だからな。パトリダってのはその孤児院の名前なんだよ」
軽い調子で言ったセリスの声音とは裏腹に、その内容はシンカたちを驚かせた。
なんと声をかけたらいいのかわからないのだろう。気まずい顔で少し俯く二人を見て、リアンがその場で静かに立ち上がった。
「そろそろ時間だな」
「え!? まじかよ! ちょ、もうちょい話していこうぜ!」
狼狽えるセリス。たった今復活したばかりだというのに、リアンのその言葉は彼にとって死刑宣告に等しかった。
しかし、それを後押しするように部屋の扉が開くと、ロウが控えめに顔を覗かせる。
「そろそろ時間だぞ。早くしないと遅れるぞ?」
「そ、そうね。行きましょうか」
まじかよ、と力のない声で呟いた放心状態のセリスをよそに、ちゃんと時間内に戻って来れたロウの顔は、どうだ、とても言うかのように微妙にほころんでいた。
それに苦笑いを浮かべて返す二人の少女。
しかし二人の頭の中には、リアンの語ったロウの話が、べったりとこびり付いていた。




