257.意志を宿す鋼
翌朝、煌照節二十三日。
この日の日中にはサタナキアの屋敷を立つ予定だったのだが、シンカとリンの体は未だ万全に回復したとはいえなかった。そのため、サタナキアの言葉に甘える形でその日は体を休めることに努めようとしたのだが、それを良しとしなかったのは当の本人であるシンカとリンだ。
逸る気持ちはわからないでもないが、休息とて大切なことだ。
しかし、少しでも早くミソロギアに帰りたいと言われれば、ロウとしてもその気持ちは尊重すべきだろう。深域の様子が気になるのは皆同じだ。
とはいえ、魔憑が全力で駆ければ一日で辿り着く道のりも、歩けば今日中に神都エレボス近辺まで辿り着くことは不可能だ。
途中で野宿を挟むことになるが、たとえゆっくり歩いたとしても、明日にここを立つよりかは早く目的を達することができるのは間違いない。
サタナキアから保存食や温かい飲み物を貰い、深い感謝と共にロウたちは彼の屋敷を後にした。
その中で、エウメニデスの三人はあまり目立つことができないため、ロウたちとは付かず離れずといった様子で行動していた。
周囲知られているのは名前ばかりで、その姿はあまり認知されていないものの、彼女らを知る者がいれば瞬く間に噂が広がってしまうだろう。畏怖される存在がのうのうと神殺しであるロウと歩いている姿は、周囲に変な誤解を与えてしまうかもしれないからだ。
たまにロウが彼女たちの気配を探るものの、さすが執行部隊といったところだろうか。まるで気配を感じさせない。そしてきちんと近くにいることを示すように、時折敢えて気を放っていた。
万が一のことがあったとしても、彼女たちなら何も心配はいらないだろう。
そうして雪道を歩くこと数時間……
「お前様」
「どうした?」
「疲れたのだ」
ロリエの訴えに応え、ロウたちは近場で休憩できそうな場所を探した。
年中雪に覆われたこの国は、時折見える鉄柱についた看板が行き先を指示ししてるだけで、道という道はない。荷を運ぶのは動物に引かせた雪車だ。
そんな中で休憩するなら雪の上でということになってしまうが、冷たい雪の上では疲れた体も休まらないだろう。そのため、雪から露出するほどの大きく平たい岩が一定の間隔で置かれており、そこには簡易的な屋根がつけられている。
道行く商人や旅人が休憩するためのちょっとした休憩所だ。
見つけた休憩所は幸い誰も使っておらず、ロウたちはそこに腰を下ろすことにした。
「ロリエに足りないのは体力だな」
「仕方ないんじゃない? 妖精だし」
「そういう其方はさすが鬼族悪魔だの。体ももう平気そうだ」
「そっか、そうなのよね。私って実は鬼族だったのよね」
妖精は魔力に長けた一族ではあるが、その分体力はからっきしだ。逆に鬼族悪魔は魔力値こそ低いものの、体力や純粋な力、自然治癒力は高い。
当然リンの中に魔獣などおらず、彼女がこれまで強化系の能力だったと思い込んでいたそれは、亜人としての力だったと判明したわけだが……
「そういえば、どうしてリンの額にあった角は消えちゃったのかしら。カリンさんは、えっと……狂華状態だっけ。その状態じゃなくても、普段から角があったわよね?」
「それを言うなら、ロリエの耳もジニアやシャムに比べてかなり小さいだろ? つまり、二人とも一族としてはまだ未熟ということだ」
「「むっ……」」
ロウの答えに、二人は同時にむすっとした表情を見せた。
自覚はしているが、力になりたいと思っているロウからそれを言われると、思うところがないでもない。それどころか少し悲しくなるというものだ。
そんな二人の姿を見て、シンカは慌てて次の疑問を投げかける。
「じ、じゃあ、シエルやクベレもまだどこか特徴的な部分が成長するってこと?」
「いや、あの二人はすでに一族としては成熟してるぞ。天使は翼の大きさ、人魚は足を完全に尾へと変えることができるかどうかだからな」
「……嘘」
「……ショックなのだ」
驚愕の表情を浮かべるリンとロリエ。
リンはクベレにまだ会ったことがないものの、シンカたちから話だけは聞いていた。リンの中で、完全に変態であるという認識をしていたクベレと、ぽんこつといって過言ではない駄メイド天使であるシエル。そんな二人に負けたというのが、余程衝撃的且つ屈辱的だったのだろう。
だが、そんなリンやロリエの心情を知ってか知らずが、ロウはさらに言葉を重ねた。
「シエルは紛れもない天才だ。普段はあれだが、戦闘という点に関しては天使の中でも群を抜いている。空で彼女に勝てる者はそういないだろう。クベレにしてもそうだぞ。姉妹揃ってその強さには目を見張るものがあるが、特にクベレはトレネの力を色濃く受け継いでいる。鍛錬せずしてあれだからな」
「「「……」」」
言葉も出ないとはこのことだ。三人の口からは乾いた音しか出てこない。
「どうした?」
「私……ずっと月の使徒で頑張ってこれなのよ? もう心はずたずたよ」
「此方もだ……」
「何を悲観することがある。順当な結果だ」
少女が憧れを抱く男の口からさらりと述べられたその言葉に、いよいよリンとロリエの体は石のように固まってしまった。
「ち、ちょっとロウ。もう少し言い方があるでしょ」
「まてまて、何か勘違いしてないか?」
「勘違い?」
「生まれたのを順に言えばロリエ、シエル、クベレ、リンだ。そして妖精の成長はこれら亜人種の中で最も遅く、それに比べて天使や人魚は成長が早い。そして鬼族悪魔……鬼は狂華状態を制御できて一人前と認められる一族だ」
妖精は最も大きな魔力を持つが、最初からそれを持って生まれるわけではない。
簡単に言えば魔素を取り込み変換し、貯蔵する器官がとても発達しているのだ。自然の中で暮らし、自然に漂う魔素を呼吸するかの如く無意識に取り込んでいくことで、最終的に膨大な魔力を所持するまでに至る。永き時を若々しい姿で生きる一族である妖精は、生きた歳月がそのまま力になるといっても過言ではない。
そして鬼といえば、かつて貴族悪魔と鬼族悪魔が戦い、鬼族を率いていた三人の鬼が破れて以降、その力を目の当たりにした貴族悪魔が戦力として鬼族を従えようと試みた。だがその力はあまりに脆弱で、兵としての使い道はなく、隷属悪魔という不名誉な呼び名と共に半ば奴隷のような扱いでその一族を従えたのは地国で話した通りのことだ。
しかしそうなってしまった原因は、鬼族が力を解放するための条件が満たされていなかったからにすぎない。
鬼族の持つ鬼力は意図して使うことができず、魔憑の覚醒と似たようなものであり、当時それを完璧に扱える鬼族の存在はとても希少なものだった。
しかし、一度鬼力を使うことで狂華状態になり、その上で無事生存できれば、魔憑の能力と同様その後は意図してそれを扱うことができるようになる。
「ロリエが自分の力を錯覚していたのは、内にある魔力がその能力を完全に扱えるまでに達していないということだ。つまり燃料不足だな。だが、開花するまで後少しだと思うぞ」
「どういうことなのだ? 此方は特に何もしておらぬぞ?」
「ガミジンとの戦いで、あの礼拝堂の魔力は異常なほど満ちていただろ? あの中に長時間いたんだ。妖精の森で過ごした期間と合わせて考えれば、すでに能力を扱えるだけの魔力が満ちていてもおかしくはない」
「ふむ……」
あまり実感はないものの、ロウが言うならそうなのだろうと、ロリエは自身の掌を見つめながらそうであればいいと願った。仮にそうなら、なんとしても使いこなしてみせるという意気込みと共に、強く拳を握りしめる。
思えばシンカが妖精の森に立ち入った際、感じたのは周囲の魔素の多さだった。
ロリエが森から出て違和感を抱いたように、実際にあの森は魔素が集まりやすい場所にある。一人前になるまであの森から出ることを妖精が禁じていたのは、より魔素の多い環境で過ごすことで、その体に魔力を充実させるためだった。
ずっとあの森にいたにも関わらず、ロリエに未だ魔力が満ちきっていないのは、妖精の森の御神木である菩提樹と樫の木、その樫の木の方が過去に降った黒雪の際に折れてしまったことが原因だ。
溜まりきっていない魔力が満ちるまで後どれほどか正確にはわからないが、そう時間は掛からないだろうとロウは推測していた。
「ロウ、私は?」
「リンは狂華状態に慣れることだな。詠唱を使ってから一定時間で意識が途切れていたのは、元々狂華状態に慣れるための前段階だ。狂華状態を疑似的に体に覚えこませ、体に負担がかからないよう自己防衛として強制的に意識が遮断される。今回のリンの暴走は時期尚早だったが、カリンが無理矢理リンの意識を覚まさせたことで事無きを得た。後はそれを完全に制御するだけだ」
「やっぱり意識は切れちゃうのかしら?」
「いや、体の負担こそ凄まじいが、おそらく次に同じ状態になったとしても意識は残ったままだろう」
「そっか……そうなのね」
たとえ体が動かなくなるとしても、意識があるのとないので大きく違ってくる。
それはリンにとって、紛れもなく大きな一歩だった……のだが……
「一応付け加えると、カリンは狂華状態を十分間維持した後に解除してもぴんぴんしてたぞ?」
「うえぇ~……」
「ただ気をつけないといけないのは、狂華状態を維持し続ければ戻れなくなる。それは死を意味するということだ。それだけは絶対に忘れるな」
「えぇ、わかったわ」
カリンの死はまさにそれだった。
黒い雪に触れてしまった彼女はいずれ命が尽きるならと、狂華状態を解くことなく中界で戦い続け、数多の降魔を屠った末に人知れずその命を散らしたのだ。その事実がリンへと重くのしかかる。
だが、大切な仲間を守るためにその力を使うことに恐れはなかった。
強き力には必ず危険が伴うものだ。それを恐れていては、守れるものも守れない。
自分の命を蔑ろにするつもりはないし、死んで構わないとも思わない。
生きる為に、守る為に、皆で笑いあう為にその力を使いこなしてみせると、リンは強く思うのだった。
「ねぇねぇ、私には何かアドバイスないの?」
「ない」
「ちょっと! 私にだけ冷たくない?」
「シンカには昨日しただろ」
「も、もっと具体的なやつよ」
「また今度な」
「……うぅ」
ロリエとリンに続いてシンカも教えを乞うものの、ロウはそれを一蹴。
拗ねたようにつっかかるシンカだが、微笑みながらさらりと誤魔化すロウに、少し頬を膨らませながら大人しく身を引いた。
「あまり休憩しすぎると体が余計辛くなる。そろそろ行こうか」
そう言ってロウが立ち上がると、三人もそれに続いて立ち上がった。
一方、休憩を挟んでいたロウたちを遠目から眺めていたのは、エウメニデスであるレイラ、ロコ、ペロの三人だ。
気配を殺し、森の木々の隙間に彼女たちはいた。
「いいなぁ、ロコもまじりたい」
「駄目ですよ。誰かに見られては事です。油断は大敵と知りなさい」
「うぅ~……ペロも少しくらいいと思うよね?」
「いや、吾輩も隊長と同意見だ」
そう言ったペロは魔力の鎧を纏っていなかった。魔力の鎧を纏っていては、気配を完全に断つことができないからだ。
鉄兜を脇に抱えた彼女の口調はガナドル仕様のままだが、その声音は少女のもので、ガナドルの時のような威厳さは残念ながら感じられない。
「……? 待ちなさい。ロウの髪、少しだけはねていませんか? これは……由々しき事態です。すぐに櫛で梳かなければなりません」
「じゃあ、ロコもついていっていいの?」
「えっ?」
「よいですよ。少しだけなら問題ありません」
「やったぁ」
「えぇっ!? ちょ、ちょっとタンマ、タンマ!」
足を踏み出そうとした二人の背中を掴んで止め、思わず素の口調に戻ってしまっているペロが慌てた様子で声を張り上げた。
「離しなさい」
「い、いくら隊長でも駄目だよ!」
「何故です?」
「何故って聞くのがおかしいよ! 隊長がロウくんの髪梳いてるところ見られるとか、駄目に決まってるから!」
「じゃあ、ロコなら大丈夫かなぁ?」
「いっしょに決まってるから! こうして離れてる理由思い出してよぉ」
「ですが、ここでロウの寝癖を捨ておくことなど……」
「そんな些細なことは捨ておいて!」
「でも、ロウちゃんの温もりが……」
「そんな欲望くらいこらえてよ」
「「……」」
「えぇ~……これって吾輩が悪いの? 吾輩が間違ってるの?」
じっと見つめてくる二人を前に、長い前髪の隙間から僅かに見えるペロの瞳がじわりと潤み、口を波打たせながら今にも泣きだしそうな表情を浮かべた。
そしてペロは鼻をぐすんと啜りながら、いじけたような声を漏らすものの……
「うぅ~、ロウくんは吾輩の味方のはずだから、吾輩がロウくんに聞いてくる……あれ?」
見ると、ロウたちの姿はすでにない。
いつの間にか遠くに離れている四つの背中を見つけると、三人は慌ててその後を追いかけるのだった。
長時間歩くときに大切なのは休憩の間隔だ。
基本、一時間に十分程度の休憩を挟むのが良いとされているが、重要なのは疲労困憊の状態になる前に休むこと。疲れ果てた状態で疲労を回復させるのは容易ではなく、少し疲れたと感じたくらいで早め早めに休むのが理想だ。
しかし休みすぎると体が冷えて筋肉が硬くなってしまうため、疲れたからといって長い時間休めば、次に歩き出した時が疲れやすくなってしまう。
シンカの体もまだ万全とはいえないこともあり、一番体力のないロリエに合わせながらその日は一日歩き続けた。
幸い吹雪くこともなく、休憩所で何事も無く一夜を過ごすと、翌日の昼には目的地である鍛冶神の工房へと辿り着いていた。
「リリス様、本当に怒ってないかしら?」
「大丈夫だ。さっきも言ったが、たぶんいないだろうしな」
何も告げず、いきなりいなくなってしまった自分たちを心配してはいないかと、リリスのことをずっと気にしていたシンカたちだが、リンとカリンのことに関してはむしろ彼女の狙い通りだったのではないかとロウは推測していた。
唯一気掛かりなのは、リンが狙われる直前にリリスがその場を離れた理由だが、単にリンを連れ去りやすくしただけなのだろうか……と、そこに関する疑念が頭から離れない。
もし仮に、他に何か理由があるのではないかという懸念がただの杞憂なら、悪びれた様子もなくこの場で平然とロウたちの帰りを待っていたことだろう。
しかし工房の敷地内に入っても、彼女の気配を感じることはできなかった。
変わった運命の中、自分の知らないところで自分の知らない”何かがあった”かもしれないという疑念は尽きず、それは大きな胸騒ぎとなってロウの不安を駆り立てていく。
だが、今ここでそんな根拠のない不安を表に出すわけにもいかず、ロウはいつもの微笑みを崩すことなくシンカたちに接していた。
「…………」
そんな彼の視線の先では、ゆっくりと深呼吸をするシンカへと、リンとロリエが励ましの言葉を贈っている。
「大丈夫よ。今のシンカなら」
「うむ。此方もそう思うのだ」
「えぇ、ありがとう二人とも。……絶対に認めてもらうのよ」
短い時間、瞳を閉じながら自分に言い聞かせるように小さく呟くと、気合いを宿した瞳を開き、意を決したようにシンカが扉を叩こうと手を伸ばした。その瞬間――
「ひゃんっ!?」
当然勢いよく開け放たれた扉に驚き、シンカは短い悲鳴を漏らしながら伸ばした手を慌ててひっこめた。
中から現れたのは鍛冶を司る神、鍛鋼神ヘパイストス、マルティだ。
つなぎ服に鉄色をした短い編み込みの髪。シンカと身長はさして変わらないにも関わらず、ぎろりと睨むような菊石のような緑色をした瞳はシンカの身を竦ませる……が、ここで引くわけにはいかないのだ。
それでも出鼻を挫かれたシンカの口からすぐに音が出ることはなく、若干反応が遅れながらもようやくにしてその口を開いた途端、
「あ、あのっ――」
「おい神殺し! オヌシがここにおるということは、もちろんわかっとるんだろうな!?」
「あ、あのぉ……」
「お前さんは黙っとれ!」
「ひゃい!」
最初の意気込みとは裏腹に、完全にマルティの気迫に飲まれてしまったシンカの姿に苦笑しながら、ロウは収納石から酒の入った土瓶を取り出した。
そのラベルには大きく”薬”の一文字。そしてその下に控えめな字で”酒”。
それは別れ際にリコスから預かっていたコル特性の薬膳酒だ。
「おう、それだそれだっ!」
にかっ、と満足そうな笑みを浮かべ、マルティはロウからそれを受け取った。
基本的に好き嫌いのないマルティだが、この薬膳酒だけは特別なのだ。
コルの酒は本人が言うように薬としての効能が高い。当然、飲みすぎがよくないのを前提として、肉体疲労、病中病後、食欲不振、栄養障害など、体を元気にしてくれる滋養強壮の効果がある。
常に武器を打ち続けるマルティにとってはありがたい代物であると同時に、薬草のような独特で人によっては癖になる味もまた、彼にとっては好みで喜ばしいものだった。
「マルティ」
「みなまでいうでないわ。その娘のことだろう? 準備はできとる」
「助かる」
そんなロウとマルティの会話を耳に、じっとりとした目を向けていたのはリンとロリエだ。
「賄賂ね」
「賄賂だの」
「私……いらなかったんじゃ……」
そう小さく呟き気落ちするシンカだが、これで事が片付いていたなら最初からロウがついてくればよかっただけの話だ。だが、当然そんな甘い話があるわけもなく、無駄なことをロウがシンカにさせるはずもない。
「聞こえとるぞ、馬鹿者っ!」
「「「っ!」」」
鼓膜に残響するような怒声に三人が身を縮み上がらせると、マルティは後頭部をぼりぼりと掻きながら、面倒臭そうに口を開く。
「はぁ……確かにあのときのお前さんは不合格だ。しかし、隣にいる者たちを見ればすぐ答えに辿り着くことはわかっておった。だから、あの色魔もかまくらを作らせたんだろうて」
なんのことだかさっぱりだと言わんばかりに、三人は以前作ったかまくらへと目を向けた。降った雪が積もり、すでにかまくらとしての役割は果たせない状態になっているが、苦労して作ったそれにいったいなんの意味があるというのか。
疑問符を浮かべる三人の心情を察したように、マルティが言葉を紡ぐ。
「その規模のかまくらを作るのは重労働だ。低い位置や高い位置に雪を積み、手を守るために纏う魔力の維持。そして寒さを凌ぐために全身に纏った魔力は、動いた体の熱によって無意識にその調整をする。利き手、利き足、手足の癖、筋力、無意識下での魔力の流れ。本来なら全力で戦うところを見るのが一番だが、ワシにとってはそれだけ見れば十分だ」
その人に合ったその人の為だけの特注の武器を作るには、何より本人のことをよく知らなければならない。陽国ソールアウラのマレウスが、リアンとセリスに戦うことを強いたのはそのためだ。
「ずっと見ていてくれてたんですか?」
「見なければ打てんだろうが」
「っ――あ、ありがとうございます!」
今にも泣きそうな表情を浮かべ、シンカは深く頭を下げた。
目の前にいるマルティとここにはいないリリスには、本当に感謝の言葉しか出てこない。
感極まったシンカの背を見つめていたリンとロリエは顔を見合わせ、小さな笑みを浮かべていた。
すると、マルティは緩んだ心を再び引締めさせるように言葉を吐き、
「感謝するのはまだ早いわ。お前さんだけついて来い」
「は、はい!」
背を向け、工房へと戻って行くマルティを追いかけ、シンカも工房の中へと入って行った。
中に入ると、蒸しかえるような空気に混じった鉄の臭いが鼻をさす。飾り気など当然なく、奥には大鉄机が一つと寝袋が置かれているだけだ。
反対側に目を向ければ、そこにあるのは大きな火炉と金床。立てかけられているのは、花の刻印の施された金の大槌だった。
「ここに座れ」
マルティは小さな木椅子を火炉の傍に置くと、その向かいにも同じ椅子を置きながら腰かけた。おどおどとした様子でシンカが促された椅子に腰を下ろすと、
「いまから、お前さんにも手伝ってもらう」
シンカが予想もしていなかった言葉がマルティの口から零れ落ちた。
…………
……
「お前様お前様。シンカは今から何をするのだ?」
シンカを見送り、庭に積まれた角材の上にリンと並んで座っているロリエは、工房の方を見ながらロウへと問いかけた。
「打つんだよ」
「えっ、素人でもできるの?」
「普通ならできないな。だが、マルティたちの武器の打ち方には必要だ」
「どういうこと?」
本来、武器の制作というのは匠の技だ。武器によって制作過程は違えど簡単な作業など一つもあるはずがなく、まったくの素人が手伝えるはずもない。
例えばロウの持つ刀でも、水へし、小割り、積沸し、鍛錬、皮鉄造り、心鉄造り、素延べ、火造り、土置き、焼き入れ、といったように、いくつもの過程を経てやっと完成に至る。
だが、鍛冶を司るマルティたち鍛鋼神はどの武器においても、そういった本来一般の職人たちが行うような過程というものを必要としない。
「魔憑の力に意志が強く影響するように、亜人の力にもそれが影響するのはどうしてだと思う?」
「そ、それは……気合的な?」
「うむ。火事場のお馬鹿力というやつだの」
「まぁそうなんだが……お前たちが言うと何故か頷きにくいな」
魔憑の力が意志の力といわれる所以は、内に宿す魔獣にこそある。だからこそ、宿主の意志を糧に成長する魔獣との意思疎通ができる者は、より強い能力を扱うことができるのだ。そう、魔力そのものではなく、”より強い能力”をだ。
熟練した魔憑と未熟な魔憑とを隔てる大きな壁は能力の練度だが、脳内構成したものを技として昇華させること然り、本当の能力を知ること然り、魔獣がもたらしてくれる恩恵は計り知れないものがる。
その意思疎通に当たり、宿主の核を成す意志が強く影響しているのは間違いない。故に、魔憑の強さは意志の強さと言われているのだ。
亜人が魔憑より基本的に強いといわれているのは、魔獣を通して能力を得て把握するのに魔憑に対し、亜人は自身の力として能力を宿しているからに他ならない。
ならばこそのロウの問いかけだ。
意志の強さをより重要とするのは魔獣を宿す魔憑だが、ならばどうして自身の力として能力を扱う亜人にも意志の強さが影響してくるのか。
それは、魔力と呼ばれるもの自体が人の想いに強く影響を受けるからだ。
内界の人間も知らず知らずに魔力を体内に宿している。外界の人間がより強い魔力を宿しているのは、内界と外界の自然に漂う魔素の量が圧倒的に違うからだが、外界の人間のすべてが魔力を扱えるわけではない。
それでもロリエの言った通り、ここぞというところでの”火事場の馬鹿力”というものは確かに存在している。生命の危機に瀕した時、大切な人を守る時、そういった重要な場面での刹那、人は己の限界を超えるのだ。
それこそが、内に秘めた魔力が意志の力に呼応し、身体能力を極限まで跳ね上げている状態だといえる。本来魔力を扱えない者が、無意識下で内なる魔力を爆発させているのだ。
「魔力とは生命力だ。つまり正解に言えば、意志の強さとは生きとし生けるもの強さということだな」
「へぇ……」
「ほぉ……」
「マルティが武器を打つ時、扱うのは神力と魔力の両方だ。武器へ想いのすべてを乗せて打つ。内界の製法と違うのは、ただただ想いを乗せて打ち続けるという過程しか存在しないところだ。そして今回の場合、仕上げる武器はシンカに合わせて打たなければならない」
「あっ、そっか。つまり、シンカの魔力が必要なわけね」
「ほうほう……意志の強さが武器の強度や切味に影響するということか?」
「そうだ。ただ、その意志っていうのが少し問題でな……」
「問題?」
「まぁ、シンカなら大丈夫だろう」
誤魔化すように微笑むロウに、リンとロリエは顔を見合わせながら首を傾けた。
すると、工房の煙突から薄い煙が上がり始めるのが見えた。
工房に付けられた防音石のせいで中からの音はまるで聞こえないが、いよいよ始まったということだろう。
待つことしかできない三人は、祈るような瞳で工房を見つめていた。




