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これは君のパラミシア  作者: 御乃咲 司
第七節『これは光と闇の狂進する双駒』
254/323

252.境界線上に咲く花

 

 ロウはリンを抱きかかえながら床を強く蹴って跳躍し、シンカの前に降り立った。すると、彼女は不安そうな表情を向けながら問い掛ける。


「ロウ、リンは……」

「眠っているだけだ、心配ない。リコス」

「承知しております」


 リコスがリンを受け取ると、ロウはガミジンへと向き直った。

 三日月のように口元の両端を吊り上げた彼に焦りはない。

 確かにガミジンにとって、彼の思い描いた展開からはかけ離れてしまっているのは誤魔化しようもない事実だ……が、それがどうしたというのか。

 懸念していたのはロウに加勢が入ることであり、現状はロウ以外に戦える者はおらず、シンカたちがリンにかまけている間に十分な魔力を集めることができた。その上、二人の貴族悪魔(ゲーティア)は無傷のまま健在であり、自身も無論万全である。

 むしろ、ガミジンの望みを叶えるために必要な駒が揃ったことに、彼は歓喜していたのだ。


「お久しぶりですねぇ、神殺し。(したた)めた手紙を読んで頂けたようでなにより」

「あのときに警告したはずだぞ。金輪際、リンに手を出すなと」

「あれは警告だったのですか、ふひっ。あまりに貧弱な力でしたので、気付きませんでしたよ」


 過去に垣間見た際、ロウの放った魔弾はガミジンの魔障壁を砕き、壁を突き破るほどのもの威力だった。当然、ガミジンの張った魔障壁は彼の全力だ。

 しかし、それはあくまで瞬時に張ったものであり、ガミジンの強みは周囲の魔力を掻き集めれば集めるほどその強さを増すことにある。

 故に、ガミジンは知っていた。

 最低でもどれだけの力を増せば、ロウの全力を防ぐことができるのかを。

 

「踏み出した一歩を引く気はないということか?」

「くひっ……馬鹿な男ですねぇ。状況がわかっていないのですか? 大願成就はすぐそこだ。それなのに、いまさら引く必要が僕にあるとでも?」

 

 警告を受け入れず、戦う意を示した彼の前に歩み出たのは二人の貴族悪魔(ゲーティア)だ。

 されど、今のロウにそんな脅しが通用するはずもないだろう。

 現状ならば理解しているし、ガミジンの願いなど叶えさせるつもりもない。


「七十二柱にして序列五十番、フルカス。能力は無機物の透明化で、忌力は二撃必殺。そして同じく七十二柱にして序列五十二番、アロカス。能力は不安感の増幅で、忌力はそのとき起こり得る死の光景を見せること」

「……ふひっ」


 ガミジンは一瞬驚いたように目を開くも、すぐさま元の表情を取り戻した。

 秘策とも呼べる彼ら二人の力を知られていたのは意外だったが、過去になにかしらの面識があってもなんら不思議はないだろう。

 しかしそれがいったいどうした。

 能力を知っているからといって対策などそうできるものではない。


 ロウが言った通り、フードを被った巨大な(ハサミ)のような形状をした武器を持つ男の名はフルカス。能力は自身が触れた物の透明化だ。そして忌力は一度でも攻撃を与えた個所と同じ個所を、目を合わせながら忌力を発動した状態で攻撃した際、確実に切断できるというものだ。能力と忌力の相性はかなり良いといえる。


 そして内界の貴族を連想させる格好した男の名はアロカス。その力は相手の起こした行動に対し、その不安感を極限まで高めるというものだった。そして忌力は、目を合わせた相手にその時に起こり得る身近な死の光景を見せ、その時に相手が受けた傷は実際に体へ影響を及ぼし、一定時間感覚を麻痺させる。


 この二人を一度に相手取るということが、どれだけ勝ち目の薄いものであるかは言うまでもない。

 不安感は一瞬の隙を生み、死の光景を見せられる度にどこかの感覚を失い、不可視の武器から鈍った体へと繰り出される攻撃はまさに死への宣告だ。その上、


「僕たち貴族悪魔(ゲーティア)の繋がりは複雑でしてね。そのときの状況によって容易く変わる無価値なものです。ですが、メフィスト卿が関われば少し話はかわりましてね。捧げる魂の質によって願いを叶えてくれるというのは、僕たち貴族悪魔(ゲーティア)にとってはとても貴重なものです。そして彼の望みは様々な魂に触れること。僕たちは大切なパートナーなわけですよ」


 つまりはこう言いたいわけだ。

 互いの求めるものが同じである以上、ガミジンに手を出せばメフィストが動く、と。そしてそれに呼応し、メフィストを失うわけにはいかない他の貴族悪魔たちも同時に動き出す、ということだ。

 今この場での現状はほぼ絶望的といっても過言ではない。

 であるなら、これ以上事を荒立て痛い思いをする前に、諦めて投降すればいい。

 そうすれば少なくとも、リンとロウの二人の命だけで済ましてやろう。

 まともな判断が下せるのなら、大切な仲間を守りたいのなら、どうするべきかわかるだろ。

 要約すれば単にそういうことで、これが最後の超えてはならない一線だというガミジンの警告だった。


 あぁ、もちろんわかるとも……だが――

 

「……それで?」

「くひっ、最後の一線を越える覚悟があるということですね?」

「状況がわかっていないのはお前の方だ。あまり調子に乗るなよ、ガミジン。踏み出した一歩を引く気はないと、お前は言ったな。こちらはすでに大切な家族が傷つけられた。つまりだ……」


 横に伸ばした左手に一振りの氷刀を掴むと、ロウはガミジンを睨みつけた。

 ゆっくりと踏み出した足元が凍てつき、氷の割れる音を響かせる。


「最後の一線を、お前がすでに越えてるんだよ」


 ならば当然激突することは間逃れず、動いたのは同時だった。

 哄笑しながらガミジンが杖を振るった瞬間、動き出したフルカスとアロカス。

 地を蹴るロウへと正面から向かい合ったのはアロカスだ。

 ロウが右手で柄を掴むと、


「本当にそれでいいんですか?」


 そう言葉を口にしながら、アロカスの両瞳がアンダルサイトの輝きを放つ。

 だが、驚愕の表情を浮かべたのはアロカスの方だった。

 寸分の迷いもなく、一瞬の隙もなく、抜き放たれた氷刀の一閃。咄嗟に長剣で受け止めたアロカスの体はなんなくと弾き飛ばされた。

 流れる動作で氷刀が虚空を斬ると、高い音を響かせながら床へ転がり落ちる飛刀。次に透明化させていた巨大な(ハサミ)を受け止めると、体を捻りながら繰り出された回し蹴りがフルカスの左側頭部を捉え吹き飛ばした。


「…………」


 故に、その場の空気が静寂に包まれるのも無理からぬことだろう。

 シンカとロリエはもちろんのこと、ガミジンでさえ薄ら笑いをそのまま固め、いったい何が起きたのかと頭の中は迷走状態に陥っていた。

 確かに生前の二人に比べて弱体化していることは否めないが、それでも十分な力を兼ね備えている。二人の貴族悪魔(ゲーティア)は他の異形に比べ少ない言葉は話せるし、人の形を成している上に能力と忌力も健在なのだから、生前より劣るのは単純な思考力のみにつきるとも言える。


 しかし、起こった事実はそう難しいものではない。

 不安を駆り立てる力など、これまでとても数え切れない程の死線を潜り抜けてきたロウに通じるはずもなかったのだ。数多の経験が体を動かし、最適解を導き出す。一瞬不安が駆り立てられたところで、身体がこれでいいのだと覚えている。

 そしてその時に身近に起こり得る死など、今のロウにどうして見せることができるだろうか。兎がそのような力を得たところで、微塵の油断もない獅子を相手にそのような光景など見せられるはずもない。

 その場の獅子に、身近に起こり得る死などそもそも有るはずもないのだから。


 後はさらに単純だ。

 いくら透明化させる能力であろうと、それが能力によるものである以上、必ず纏っているのは透明化させている魔力そのものだ。であるなら、その魔力を感じ取ることがでれば、いくら不可視であろうとその形状は見えてくるし、間接的にでも見えるのならその能力の利点はすでに失われている。

 最後に二撃必殺だが、これを一番簡単な話であるとさせているのは、ロウの並外れた戦闘力によるものに他ならない。

 要は、当たらなければいいというだけの話だ。


 故にわざわざ目を反らす必要もなければ、忌力を臆することなく真正面からぶつかり合うことのできるロウは、この貴族悪魔(ゲーティア)二人を完全に凌駕していた。


「一つ、お前の勘違いを正しておこう。絶望的な状況にあるのはお前の方だ。この盤上に起死回生の一手はない。……俺たちの勝利(チェックメイト)だ」


 告げられた宣言を前に、ガミジンの頬が僅かに引きつり上がる。

 だが、それでも彼は揺るがない。数十年と焦がれた大願を成就させるその為に。

 

「心外ですよ、えぇ心外です。たかが二人の貴族悪魔(ゲーティア)と一手結んだだけで大した自信ですねぇ。ならば最早一切の加減も必要ありません。僕のすべてを以てして、死出の案内をいたしましょう、くひっ」


 集え――魂揺蕩う墓地(アルマ・セメンテリオ)


 そう、ガミジンとて神殺しの異名を持つロウの強さは知っているのだ。

 であるなら、それを打ち破るための算段がないはずもなく、その為に先程までそこにいたカリンを無視してでも、魔力を溜めに溜め続けていた。

 目先にある甘い誘惑には囚われず、あくまで最終的な願いのために動いている。

 よって、すべての魔力を解放したこの部屋一帯の魔力濃度は凄まじいものだと言えるだろう。

 体感したことのない者、新米の魔憑や常人がこの場へと迷い込めば、一瞬にして魔力に当てられ吐き気を催し、まともに立つことさえ困難なほどの密度だ。


 生まれ出でる異形の数はこれまでの比ではなく、広い礼拝堂の半分はすでに埋め尽くされている。中にはフルカスとアロカスほどではないにしろ、人の形を成す者まで紛れ込む始末。(しつ)で駄目なら物量といった勢いだが、その質自体も大きく向上しているのだから極めて(たち)が悪い。

 二人の貴族悪魔(ゲーティア)が纏う魔力も増幅し、手にした獲物をゆらりと構えた。

 

「っ、なんなのこの魔力は……」

「お前様……」


 壁際からロウを見つめるシンカとロリエの瞳が揺らぎ、募る不安はまさに限界を振り切ろうとしていた。

 これが亜人種の中でも特別だといわれる貴族悪魔(ゲーティア)の本領。


 だがしかし、それでもだ――


「これからもロウ様と共に歩むつもりなら、この程度でいちいち臆するな。あの御方の背負った宿命は、この程度の生易しいものではないのだからな」 


 星歴六七七年に起きた災禍、降魔の狂宴(フォールマキア)。 

 それを経験したリコスにとって、この程度は決して多対一と呼べるものではなかった。

 エンペラー級の出現と共に群がる降魔。先代の神々が命を落としたその大戦は、まさに地獄絵図ともいえる程に凄惨なものだったのだから。


 ロウと共に歩むのであれば、いずれ再び訪れるであろう災厄に動じぬ心を持たねばならない。それができなければ、そもそも戦場に立つ資格などありはしない。

 背中を預け合う事と、いちいち心配して助け合う事には大きな隔たりがある。

 真に背中を預け合うには自分の力量を、そして仲間の力量を知らねばならない。この程度なら大丈夫だ。あれくらいなら問題ない。それを把握できねば単なる無謀者とただの過保護に相違なく、無駄に起こした行動はさらなる窮地へと誘うことになるだろう。

 大切な仲間を死へと誘う木馬になりたくないのなら、信頼を培うと共に、何事にも動じぬ心を育まなければならないのだ。

 故に、リコスが動じていないのは今のロウの強さを知っているからに他ならず、


「決して引けない戦いだ。今の俺は……少しばかり強いぞ」


 ――咲け、曼珠沙華

 

 刹那、礼拝堂一面に紅い花が咲き乱れた。 

 それと同時に周囲の空間が歪み、いつの間にか皆が立っていたのは夜の湖畔だ。

 リンが鬼華状態にあったときのような、ただの幻のようなものではない。 

 隔離された空間。心象世界の一つ、神想結界。


 シンカたちは知る由もないが、それは地国テールフォレでレベリオと相対した時に見せたものとは異なるものだった。

 だが、湖畔一面に咲く紅い花といえば、思い起こされる記憶は一つしかない。

 一陣の風が花を揺らし、きらきらと眩い粒子がロウの傍に集まると、そこに現れたのは番傘を肩にかけながらくるくると回すルナティアだった。

 

「神想……結界、くひっ。地に落ちた英雄が、神にでもなったつもりですか? どうやってその力を発動させたかはわかりませんが、所詮は紛い物でしょう。自ら咲かせた紅い花を手向けに眠りなさい。ふひっ、くはははははははっ!」


 一斉に動き出した異形を前にロウは氷刀を手放すと、次に手にしたのは一振りの太刀だった。手にした華刀をそのまま腰に構えると――


花亡ノ太刀(ハナノタチ)――桜天花(サクラテンカ)


 数多の氷花が咲き乱れた瞬間、手にした太刀が鋭く抜き放たれると同時に散る氷花。そして、寸分の狂いもなく斬られた異形がその体を二つに分かつ。


「ふふっ、(ぬし)様のお役に立てる歓びとはなんと甘美なものでありんしょう」


 上空に浮かんだ四つの篝火。

 身震いしながら自身を抱きしめ、ルナティアが歓びの吐息を漏らした瞬間、目も眩むような激しい光と共に篝火から放たれた野太い魔砲。

 迫り来る数多の異形共を一瞬にして飲み込むと、それを逃れたフルカスとアロカスへとロウが斬り結ぶ。響く金属音は、いったいどちらの死への秒読みか。


 この展開をリコス以外のいったい誰が想像できただろう。

 そこからは、あまりにも一方的な蹂躙だった。

 

 循環する周囲の魔力を糧に半ば永久的に生まれ続ける異形ではあるが、それ以上に魔力戦に特化したルナティアの殲滅力の凄まじさは言うに及ばず。

 端から見れば残存魔力をまるで考慮しない怒涛の攻撃にも見えるが、実のところはそうではない。

 魔力が霧散する度に新たに咲き出でる彼岸花。

 それは周囲の魔力が咲かせる紅い魔花。


 ハクレンとの心象世界を投影したもう一つの神想結界、黄泉氷輪が身体強化に特化したものであるのなら、ルナティアとの心象世界を投影したこの神想結界は、当然魔力に特化したものであるということだ。

 ルナティアが使用している魔力は自身のものでもロウのものでもなく、この場に漂う魔力そのもの。

 彼岸花が散れば魔力が霧散し、攻撃を放つたびに魔力を消費するものの、この空間から魔力が途切れることはなく、半永久的に使い続けることができる。


 ガミジンの魔力の循環を利用した能力に対し、ルナティアも循環する魔力を利用するのであれば、当然どちらがよりその魔力を利用できるかということになる。

 生まれ出でる異形より一度に殲滅する数が多いとなれば、戦況がどちらに傾くかなど言うまでもないだろう。

 数を減らし続ける異形に対し、彼岸花はどんどんとその数を増して咲き乱れていく。


 が、半永久的といった理由は、この空間の持続性はロウに掛かっているからだ。

 地国で見せた黄泉氷輪に欠点(リスク)が存在したように、この曼殊沙華にも反動(リスク)はある。

 魔力を吸って咲く魔花が紅いのは、ロウの血を媒体にしているからだ。

 普通に戦っていれば大した量は吸われずとも、一度傷を負えば吸いだされる血の量は一気に膨れ上がる。つまり、傷を負えば負うほどこの結界は発動者を追い込んでいくのだ。

 

 そしてその発動条件、その場が魔力に満ちていなければ使えないというのは、どちらの神想結界も変わらない。

 密度が高ければ高いほど黄泉氷輪の魔月は輝きを増し、曼殊沙華の魔花は咲き誇る。

 つまるところ、ロウを倒すために万全を期したはずのガミジンは、自分で自分の首を絞めていたことに他ならず、魔力に満ちたこの空間はルナティアの独壇場。


「あぁ……(ぬし)様」


 前で戦うロウの背を酔いしれるように見つめながら四本(・・)の尻尾を揺らし、数々の異形を殲滅していく様は、相手からすればあまりに異常にも見えるだろう。

 相手の魔力を利用し、その場から一歩も動くことなく、主の力になれるのだと嬉々として敵を穿つ四本の閃光が放たれる篝火は、まさに死へと誘う道標。

 神想結界の中、天狐と化した死出の案内人は無慈悲な災害そのものだ。

 それが久しぶりの活躍の場であるが故に、ロウに良いところを見せようと意気込む単なる乙女心であるのだから目も当てられない。

 相手がその事実を知ったなら、たまったものではないだろう。

 挙句、やっとの思いで四つの死光を潜り抜けた異形が魔弾を放てど、魔障壁を纏わせ開いた番傘をくるりと回して跳ね除けられる始末。


 この場で彼女から優位を獲得するには同じ土俵、つまりは魔力で彼女を上回るか、強化系に特化した者が必要不可欠だ。

 対して、彼女はこのような雑兵の群れに対しては無類の強さを発揮する。

 一点に特化した戦闘型(タイプ)とは、得てしてそういうものだ。

 同じ土俵で上を行かれれば逆転の目はなく、苦手な相手にはとことん弱い。

 つまりそれができない時点で、ガミジンのルナティアに対する相性は最悪だった。

 よって、彼に勝機があるとすれば、今まさにロウと斬り結んでいる二人の貴族悪魔にかかっているということだ……が――


「っ、(やつがれ)の力を知りつつ目を逸らさぬ男は、同族以外で貴様が初めてだ」

「そうだね、それは私も同じさ。実に不愉快……不愉快だよ」


 そう言葉にしつつもその瞳は虚ろだ。

 それは魂に刻まれた生前の記憶から生まれた単なる音にすぎず、そこに言葉通りの感情はない。見た目は完璧であれど、死者を完全なる状態で蘇らせることなどできるはずがないのだから。

 そんな思考の欠落した相手にロウが後れを取るはずもなく、ルナティアのお陰で周囲からの邪魔が入らないこの現状、ロウの優位は揺るがない。

 

 アロカスの巨大な鋏と飛刀から繰り出される連撃は、本来なら確かに脅威に成り得ただろう。

 斬り払い、突き、開けば二つの刃が相手を切断せんと迫り来る。その間に繰り出される飛刀は僅かな隙を生むには十分で、それらが不可視であれば尚のこと。

 見えないというのはそれだけで精神を摩耗し、アロカスの持つ忌力の特性上、一撃でも食らえば死への恐怖はより強いものと変わり、冷静な思考さえをも奪い去る。

 そしてそこにフルカスの力が加われば、勝ち筋を見出すことは絶望的だ。

 死への恐怖は不安感をより一層高める。そこにさらなる揺さぶりをかけることで、身近に起こり得る死の幻は相手自身が思い描く通りになるだろう。

 そうなれば、攻撃を受けることで麻痺した部位とはさよならだ。アロカスの二撃目が相手を地獄へ送り出す。

 それでもそれらを使いこなすには、当然ながらまともな思考が必要不可欠だ。

 ただ力任せに相手を追い込もうと無駄に能力を使っても、それが通じるのは相手が格下な時だけであり、無論ロウがそこに当てはまることはない。 

 故に、この結果は必然であり……


桜紋ノ太刀(オモウモンノタチ)――八重桜(ヤエザクラ)


 華刀と氷刀の二刀から繰り出された連撃が、二人の体を無慈悲に切り刻む。

 膝をつき、二人の身体が光の粒子となって空へと消え逝く最中、


「……見事。(やつがれ)が生前の時、貴様と相対してみたかった」

「はっ……私はごめんだね。死を恐れない愚者の相手は……本当に疲れるよ」


 零れた言葉は記憶から生まれた単なる音か、それとも最後に魂が見せた本心か。

 生前の二人を相手にすればこれほど圧倒的な勝利が得られるはずもなく、間違いなく苦戦を強いられたであろう様を思い描きながら、


「……今は安らかに眠れ」


 両手の刀と太刀を収め、ロウは暫し瞑目した。

 

 一方、ロウの決着を目にしたルナティアはゆっくりと周囲を見渡しながら、残る異形の数の把握に努めた。

 ロウが戦いを終えたのであれば、あまり主を待たせるわけにもいくまい。


「もう少し、この悦楽に浸っていたいのは山々でありんすが、主様にお褒めいただくためにも残念ながらこれにて――」

 

 途端、一際強い風が吹き、咲き乱れる彼岸花の紅い花弁を舞い上げた。

 はらはらと舞う花びらの中、ルナティアの尻尾の先に灯る四つの篝火。

 折りたたんだ番傘を突き付け、その双眸が獣の如き鋭利な光を宿すと、

 

「――閉幕でありんす」


 放たれた魔砲は基礎的な技でありながら最早魔砲の域に留まらず、一つの技として昇華しているといっても過言ではない。

 放つと同時に、ルナティアの背面から世界が割れるようにこの空間が崩れ去り、彼岸花の紅い花びらを巻き上げながら突き進む魔力は、舞った魔力の花弁を吸収しさらなる肥大化を遂げる。

 異形の張った魔障壁など障壁としての機能を微塵も果たさず、それすら突き破る魔力に沿いながら、神想結界の景色が次々に硝子のように割れていくと、


「ッ、馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿なッ!」


 残る力のすべてを使いながら張ったガミジンの魔障壁と激突。

 稲妻が如き光を迸らせ、最後に激しい爆発音を残しながら神想結界は消滅した。

 魔障壁が砕かれ、吹き飛ばされたガミジンの体が壁に激突すると、詰まらせた息の後に血反吐を吐きながらその体が崩れ落ちた。


 ルナティアの姿はすでになく、静寂の帳が下りる中、聞こてくるのは小さな一つの足音だ。

 ガミジンにとってはまさに死を告げる足音で、奥歯をぎりっと噛み締めながら視線を上げると、同時に首元へと当てられた冷たい感触。

 冷気を放つ氷の刃が、彼の敗北を告げていた。


「最初に言ったはずだ。俺たちの勝利(チェックメイト)だと」

「くひっ、確かに……でもまさか、この僕がこうも一方的にやられるとは。さすが、神をも殺した男といったところでしょうか」

「下準備をしてくれていたお陰で、無駄な力を使わずに済んだことには感謝する」

「とんだ皮肉ですねぇ、ふひっ。それで……どうしますか?」

「……」


 見上げる双眸に挑発的な色を宿し、試すような笑みを浮かべるガミジン。

 

「殺るならばどうぞ。そこの娘たちに、貴方の本性を見せて上げるといいですよ。どう取り繕おうとも所詮貴方はただの人殺し。今更僕を殺したところで、数百数千の屍の山に一人積み重なるだけです。血に濡れた穢れた手で、大切な家族とやらを連れて帰るといいでしょう。何も知らぬ無垢な子供を誑かし、手を引き連れ去る悪魔のように……ふひっ」


 絶体絶命の状況においても尚、ガミジンの顔から笑みが消え去ることはない。

 それは暗に、ロウが少なくともこの場で手を下すことはないという確信に近い推測からくるものだった。

 ガミジンからしてみれば、人の死に慣れているかどうかなど目を見ればわかる。

心配そうに成り行きを見守るシンカの瞳を見るに、彼女が人の死に慣れていないことは明白だった。

 結果としてロウ側に命を左右するほどの被害は出ていないのだから、そんな彼女の前でロウが無駄な殺生をするはずもない。

 ロウが時に冷酷でありながら、それでいて甘い男であることをガミジンは知っているのだ。


「かつて英雄と呼ばれた裏切りの神殺し。貴方が家族を、愛を語るなど分不相応が過ぎるのでは? どうせ、貴方は本当の愛など知らないのでしょう。身を焦がすほどの愛、愛、愛っ! ふひっ……貴方は独りです。貴方の語る愛など所詮はまやかし。孤独な英雄が奪った多くの命に対する愚かな贖罪に過ぎません。あぁ、見えますとも――貴方と共に歩む者の末路は地獄だ」


 ロウはガミジンの吐き捨てた言葉一つ一つを噛み締めるように瞑目した。


「俺は大切な家族や仲間と共に陽だまりに留まるつもりはない。地獄への切符は俺が一人で買い占める。誰にも譲るつもりはない。ただ……」


 脳裏を過る家族の笑顔。仲間の笑顔。そして……誓いを立てた少女の涙。

 いずれ地獄に落ちるのは自明の理。あまりに多くの命を奪いすぎた。

 そして再び、この体を血の海へ沈めることになるだろう。

 それは避けられぬ宿命であると同時に、避けるつもりも毛頭ない。

 だから願わくば後少し、いずれ訪れるその時が来るまでの間だけでも――


(みんなの笑顔に包まれていたいと思う俺は……身勝手、だよな)


 自嘲し、手にした氷の刃を消滅させると、ロウは静かに踵を返した。


「一つだけ忠告だ。もう無駄な足掻きはするな。偽りの言葉は喉の奥に塞ぎ込め。――死にたくなければな」


 そう言い残し、歩き去るロウの背を見据えながら、ガミジンは不敵に微笑んだ。

 いったいどの口がそのような言葉を吐くのか。

 忠告などと言いつつ殺すことができなかった甘さは、ガミジンの推測をより確信へと近づける。ロウは仲間の命を何よりも優先し、自らの犠牲を厭わない紛れもない愚者であるのだと。


 であるのなら、常に最悪の事態を想定して事を構えるガミジンからその笑みを消し去ることはできず、この盤上にて起死回生の一手を打つことに迷いなどありはしない。

 魔力が満ち満ちた場所においてはガミジンもまた、その魔力を利用することに長けた貴族悪魔(ゲーティア)であるのだから。

 

 散り散りになりながら消えようとしていた霧がそれ以上消えることなく、まるで生き物のようにゆらりと蠢き始めた。

 しかしそこに気配はなく、安堵の色を浮かべるシンカたちは気付かない。仮にそれを目にしたとしても、ただ小さな風に流れる霧程度の認識でしか映らないだろう。無論、ガミジンに背を向けて歩き去ろうとしているロウもまた、見えるはずのないそれに気付けるはずがなかったのだ。


 だからこそ、シンカたちはもちろんガミジンもそれには気付けなかった。

 ……やはりこうなるのか。そう言わんばかりの哀切な色を瞳に浮かべてきつく下唇を噛み締めた、未来を知るが故に心を痛めるロウの姿には。


 途端、天井高くを舞う骨鳥が奇怪な声を上げると、その姿を歪に変化させながらロウへと急降下した。

 同時に床から飛び出す異形はロウの周囲だけに留まらず、シンカたちの周りからも魔の手を伸ばす。さらに感じる気配は床だけではなく、弾けるように掻き消されたはずの霧は天井に留まり続け、ロウとシンカたちの上空からも複数の異形が躍りかかった。


 いくらロウとて、自分と離れた仲間を同時に狙われては対応できるはずがない。

 ガミジンのニヤついた口元がさらに口角を上げ、その張り付いた笑みの性質を静かに変容させた。己の優位と勝利を確信した類の愉悦。

 これでロウを完全に仕留められるとは思ってはないが、現状足手纏いでしかないその仲間は別だ。

 それらを人質とすれば、ロウが抵抗することは絶対にない。だが――


「すべては愛しきカリンのために! ふひっ、ふははははっ――――なッ!?」


 ガミジンの高らかな勝利への哄笑は、耳を劈く激しい破砕音に掻き消された。

 

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