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これは君のパラミシア  作者: 御乃咲 司
第七節『これは光と闇の狂進する双駒』
249/323

247.人狼の真価

 

 礼拝堂の扉が軋みながらゆっくりと開く音が聞こえた。


「……」


 そして、すっと周囲の景色を潜るように現れたのは一人の女性。

 白銀の髪や健康的な褐色の肌を赤色に染め上げた彼女がそこにいた。

 

「時間ですねぇ」

 

 ガミジンの口元が喜悦に歪む。


「リコス……様」

「リコス、其方……」


 シンカとロリエが声をかけてもその声は届いていないのか、リコスは二人に見向きもしようとしなかった。

 青玉のようなその瞳にはいったい何が映っているのだろうか。

 ガミジンか、暴走を続けるリンか、それとも他の何かなのか。


「月の女神の側近……ふひっ。ガープ卿もなかなかの手駒を手に入れたものです。操ることはできずとも、反転した想いは自然と体を突き動かす。さぁ、貴女たちに対する元々あった人狼の想いは……どれほどのものだったでしょうねぇ、ふひっ。見物ですよ」


 ガープの持つ忌力は感情の操作であって、直接的に相手を操れるわけではない。

 だが、愛情を憎悪へ、憎悪を愛情へ……単にそれができるというのは結局のところ、操っていることに近しいものとなる。

 なぜなら、人とは感情に素直な生き物だからだ。

 理性を失い曝け出された激情は、その者をその感情のまま突き動かす。

 よって、ガープの忌力に唯一逆らえる存在があるとすれば、当然としてそれは限られているだろう。例えば、誰に対しても無関心を貫く者だ。

 そこに愛もなく、憎しみもない。揺れる感情がなければ、逆さにしたところで意味はない。

 だが、シンカたちは知っている。

 表情をまるで変えない、まるで周りに対して無関心だといわんばかりのリコスの中には、本当はたくさんの感情が詰まっているのだということを。


「……リ、リコス様」


 祈るように呟いたシンカの声に、リコスの耳がぴくりと動いた。

 リコスが視線を横へと送ると、寄り添い合うように不安気な顔を浮かべているシンカとロリエの姿が映り込む。

 そんな彼女たちに対してリコスは……

 

「仮にもロウ様の背を追おうという者たちが、揃いも揃ってなんだこれは」

「……え?」


 間違いなくリコスの口からが出た言葉に、シンカたちの目が丸く見開いた。

 聞き間違いじゃない。聞き間違えるはずがない。

 冷たい言い方ではあるものの、リコスの声に憎しみの色は含まれていなかった。

 なぜならガープの忌力にかかっているのなら、彼女が最も大切に想っているであろう男の名を、様付けで呼ぶはずがないのだから。

 そしてそれを裏付けるように、この場で一番驚いていたのは無論、ガミジンだった。


「ま、まさかっ……そんな馬鹿な。ガープ卿が裏切ったというのか? あ、貴女、あの男といったいどんな取引をしたというんです?」

「取引?」

「そ、そうです! あのガープ卿に僕以上の何か利益を提示したのなら――」

「……クスッ」

「何がおかしいんですかっ!? ――ッ」 


 声を上げ、苛立ちを露わにするガミジンを戦慄させたのは、彼を睨む鋭い双眸。

 異形に対してあまりに一方的な暴威を振るい続けるリンを間にしてでさえ、はっきり届くほどの凄まじい殺気だった。


「お前たちには私たちが旨そうに見えたか?」

「な、なにを……」

「思っただろ? 鴨が、ネギを背負ってきたと。冥国に足を踏み入れた時から、ロウ様の魂を奪うには絶好の機会だと計画の成就を確信した。だが、諦めることだ。お前の最後の晩餐は鴨鍋にはならんし、ましてや牡丹鍋にもならん」

「――ッ、ま、まさか……」


 ガミジンが慌てた様子で杖を振るうと、窓の外から使い魔の骨鳥が飛び込んできた。不気味な鳴き声を響かせながら、部屋の高い天井を旋回している。

 そこに何を感じたのか……ガミジンの体が小さく震え、両眼を大きく見開くと、リコスの口角が僅かに上がった。


「確認は済んだようだ。お前の計画の中、この展開は予想できていたか?」

「くッ、そ、そんな馬鹿な……」

「私をただの女神の側近だと思い込み、私をただの半端者だと思い込んだ時点で、お前たちの計画は無意味なものだ。言葉には気をつけろ、貴族悪魔(ゲーティア)風情が……」

「――」

「貴様如き輩が、ロウ様の魂を奪うなど言語道断。ましてや、あの御方の寵愛を受けし者たちの魂をも奪うなど、その命を以て償うべき愚行と知れ」


 反逆の箱船の生き残りである彼女の凜と響く頼もしい声は、シンカとロリエの胸を強く高鳴らせた。



 ……――――――――――


「余は願おう。せめて、余を楽しませる余興となってくれることを」   

 

 眼前にあるリコスの瞳をじっと見据えたガープの瞳が、アンダルサイトのような強い光を放つ。

 それは貴族悪魔(ゲーティア)のみが有する特殊な力、忌力を発動した時に見せる共通の光だった。


 彼の忌力は相手の感情を操作すること。

 強者に宿る意志は総じて強い輝きに満ちており、その根源にある想いは底が知れない。そういった者であればあるほど、内に秘めた感情は気高く美しく、尊いものであり、どのような感情であれ強さ()とは切っても切れない関係だ。

 だからこそ、ガープの忌力はそういった者にとっては天敵だといえるだろう。

 護りたい者に、尽くしたい者に対する絶対的な想いが反転し、その者に対して強い憎悪を抱いてしまう。裏切りという行為を強制的に与えられる。

 それは一国を揺るがすほどの力といっても差し支えないものだ。

 この忌力を以てして、かつてのガープは今の地位を築き上げて来た。


 自分を憎む者であればあるほど、自分に忠義を与えるだけの忌力。敵であるはずの者を味方とし、同胞を殺し合わせるという歪んだ力。

 そして、たとえ忌力を抜きに考えたとしても、あまりあるほどの魔力量とその力。自分の力に対する絶対的な自信。


 ガープがこの姿と成り、発動条件の瞳を合わせた時点で、リコスの道は閉ざされた。

 それ故にガープは確信していたのだ。最早この勝利を疑う余地は微塵もない。

 だからこそ――


十六夜の決断(エンスティンクト)


 リコスの唇が僅かに動いた瞬間、互いの視界が真っ赤に染まる。


「――なっ」


 ガープには何が起きたのか理解することができなかった。

 何故、リコスに自分の忌力が通じていないのか。

 何故、掴んでいたはずのリコスの身が自由になっているのか。

 何故、自分の視界に空が映っているのか。

 いつの間にか出ている月を視界に入れながら自問自答を繰り返す脳内で、なかなか答えに辿り着けない理由は明白だった。

 彼が自分の力を過信していたわけではない。その力は本物だ。

 ただ、彼は彼女を侮り過ぎていた。いや、それ以前の問題だといえるだろう。

 彼は単に、知らなかっただけなのだから。


「不思議そうな顔だな」

 

 倒れたガープに跨り、彼の首筋に突きつけているのは太く鋭い大爪だった。

 折れたはずのリコスの武器をそのまま体現したかの如く、流れるような美しい白銀の毛並みに覆われた大爪。獲物を狩る為に研ぎ澄まされた意志の具現。


 しかし、ガープは動けなかった。

 リコスに対して忌力を発動した瞬間、彼女の呟いた言葉と共に変質した腕。その大爪はすかさずガープの両腕を背面の翼ごと斬り落とし、リコスはガープを地へと叩きつけていた。そして地面に倒れたガープの首の両側を、まるで開いた大鋏のように鋭利な尖爪が地面へと刺さっている。

 少しでも動けば、頭が体と別たれる未来は容易に想像できるだろう。


「皆が私を鉄仮面だというが、私もなかなかに役者だとは思わないか?」

「なぜだ……いったい、何が……」

「私は確かに半端者だ。完全な獣化はできず、流れる人狼の血は紛い物。だが、この体に流れるこの力は私にとって、とても愛おしいものだ。……私が、ただの混血だと思ったか?」

「どういう、ことだ」


 ガープがリコスから感じていた力は、確かに人狼のものだった。そこに人の血が混じっているというのであれば、人狼と人間の混血であることに疑う余地はないだろう。

 今の人狼は数が少ないとされ、どこに潜伏しているのかも定かではない。その上、その頂点に君臨していたとされる人狼王はすでに死んでいる。

 だから彼は知らないのだ。

 もう一つ、人狼と人間の狭間に生まれる存在があるということを。


「私は人狼と人間の間に産まれた子ではない。私はかつて、ただの人間だった」

「……眷属。まさか、そのような力が本当に存在したというのか」


 眷属の話自体は聞いたことがある。

 だが、この世界で人狼や吸血鬼が眷属を作った例など聞いたことがない。

 それはその二種族が人間を眷属とすることを禁じていたからだ……と、いつしか誰もがそういう認識になっていた。

 だが、過去の大戦で激減した種族の存亡が掛かって尚、そのような禁を守る必要が本当にあったのだろうか。


「死に瀕していた私と友を生かしてくれた御方がいた。確かに私は女神の側近ではあるものの、この忠義の根底はその御方にこそある。その御方が望まれたことだからこそ、私たちはアルテミス様の元で成すべきことを成しているのだ」

「……っ」

「だがお前の忌力が通じないのは何故、か? 簡単な話だ。お前は人狼という種族を勘違いしているようだが、人狼を人狼足らしめんとするは肉体の強化ではない。その芯にある忠義そのものだ。そして、人狼のすべてが眷属を作ることができるわけではない。それを可能にするのは王の力を宿す者に限る」

「馬鹿、な」


 ガープの中で点と点とが繋がっていく。

 人狼王も吸血姫もすでにこの世にはいない。

 だがそれなら、当時その二人が健在だった頃にいなかったはずの目の前の眷属はいったい――


「眷属は王を裏切らない。何があっても、決して、そこにどのような力が介入しようとも、我らが忠義を穿つことは何人たりともできはしない」


 ガープの忌力は確かに、一国を揺るがすだけの驚異があるといえるだろう。

 国に仕える強き兵を抱える大国にとって、彼ほどの警戒すべき対象はそうそういるものではない。意図も容易く反乱を引き起こし、仲間と仲間を戦わせるなど想像したくもない光景だ。

 故に、かつてこの地ではない大陸の西方を統べた彼にとって、まさか思いもしなかっただろう。

 この世に、自分の忌力の及ばない忠義を持つ一族が存在するなどということは。

 強き意志を持つ兵を多く従えた大国にとっての天敵であるガープ。そんな彼にとっての天敵が、よもやその忠義そのものであったなどということは。


「だから、私は私が許せなかった。その忌力を封じていながらも、何度も何度も敗北を重ねる私自身が。新たな命を与えられたにも関わらず、何度もあの御方を悲しませてしまった私自身が。志半ばここで息絶えてしまう、私自信が……」

「……貴様……何を言って……」

「理解しなくていい。理解する必要はない。ただ、私が理解してさえいればいい。貴様の狙いがロウ様の命だけでなく、その身体そのものだということも」

「――っ」


 ガープの目が驚愕に満ち、微かに揺らめいた。


「ロウ様の魂を必要とするガミジンの目的に対し、貴様の目的はロウ様の命を奪うこと。だが、それは上辺だけだ。貴様がその力を有していながら国を攻めようとしなかったのは、仮にこの冥国を落とすことができたとしても、それは貴様の力の危険性を明確にする行為。残りの五国を相手にするにはあまりに分が悪い。だから欲した……ロウ様自身を」

「……」

「神殺しの異名を持つロウ様であれば、その忌力を使って差し向けたとしても、自分に目は向けられないと考えた。あの御方が過去にした行いを考えれば、確かに再び神々に反旗を翻しても不思議はないと思われるだろう。同族ですら騙し、ただの駒と考えるとは……さすがは悪魔といったところか」

「何故……それを……」

 

 リコスの声から感じるのは、推測の域を遥かに超えたものだった。

 間違いなく、彼女は確信を以て言葉を口にしている。

 動揺するガープに追い打ちをかけるように、リコスは不敵に微笑んだ。

 

「貴様が口走ったんだ」

「……余、が」

「あぁ、今の貴様は知らないことだがな。どの道、貴様如き貴族悪魔(ゲーティア)風情があの御方の足を止めることなど叶わないことだが、それでも私はある意味貴様に感謝すべきだろう」

「……感謝、だと?」

「そうだ。何度も何度も貴様に敗れ、いつしか運命は変わった。そして今、さらに大きく変動した運命の中、私がこうして貴様を見下ろしているのは、それまでの敗北があったからこそ。……私はまだ、あの御方の役に立つことができる」


 リコスは大爪を締め、ガープの首を繊細に挟み込むように持ち上げた。

 彼女より大きな体が軽々と持ち上がり、失った両腕から滴る血が染まった雪にさらに大きな血溜まりを作っていく。


「ま、待て。余はもう戦うことはできぬ」

「だから見逃せと?」

「金輪際、神殺しには手を出さないと誓う」

「……もう一つ、貴様の勘違いを正しておこう」


 持ち上げたガープを見上げながら、リコスは表情を変えることなく淡々と言葉を紡いでいく。


「ロウ様はお優しい御方だ。貴様のような命でさえ、時に救おうとするだろう。私はロウ様の悲しむ姿を好まない。あの御方の意に添うことこそ我が誉れ。だが……あの御方の優しさを甘さへと変えてしまうのは、いつも救われた周りの者たちだ」

 

 その両眼がすっと細まり、リコスは忌々し気にガープを睨みつけた。


「ロウ様の意志にそぐわない行いは私にとっての恥でしかない。ここで貴様を葬れば、ロウ様は私を咎めるだろう。だが、あの御方の意に添うことだけが忠義ではない。たとえあの御方に咎められようと、そんな自身を憎く思おうと、あの御方に立ちはだかる害悪を屠ることが私の忠義の在り方だ。ここで貴様を逃せば、貴様は再びロウ様に立ちはだかるつもりだろ? あの御方の優しさを、貴様が甘さへと変えてしまう」

「っ、そんなつもりは――」

「あるはずだ。私は身に染みて知っている。貴様を逃した行いこそが、私の忠義に泥を塗ったのだからな」

「き、貴様はさっきから何を」

「最期にその薄汚い魂にしかと刻み込め。人狼はその忠義を成す為ならば、時に貴族悪魔(ゲーティア)よりも冷酷になれる存在だということを」

 

 リコスは左手の大爪でガープの体を持ち上げたまま右手の大爪を窄ませると、一切の躊躇を見せることなく体の中心を貫いた。

 吹き出す血潮。眼を見開き、ガープの吐血した赤い液体がリコスの顔を濡らすも、彼女が表情を変えることはない。

 小刻みに痙攣する体を無造作に地面へと投げ捨てると、まるで降魔のように魔力粒子となって消滅していく身体をを見下ろしながら、


「私の前で我が主へ反旗を翻そうとしたその愚行……地獄の底で悔いろ」

 

 冷めた瞳でガープを見送ると、リコスは手の獣化を解いた。

 ギラついた獣のような瞳も元に戻ると、一瞬体がふらつくもものの、倒れまいとなんとか足に力を入れて堪える。

 

「っ、やはり二戦目は無理そうだな。ガミジン相手にどこまで虚勢が通じるか」


 リコスは顔についた返り血を拭いながら、疲労を浮かべた瞳で礼拝堂を見た。

 一部とはいえ獣化した体への負担は決して小さなものではないが、リコスは元々ただの人間だったのだ。中途半端な獣化しかできず、体への負担はより大きなものとなって彼女へと襲いかかる。

 だがそれでも、ここで呑気に休んでいる暇などなかった。

 礼拝堂の中の気配を感じることはできないが、今の現状なら容易に想像することができたからだ。


「あのリンがコルから貰った物の存在を覚えているとは思えん。ロリエが加わったとて、ここでの運命はそう簡単に変わらないだろう」


 リコスは深呼吸して息を整えると、礼拝堂に向けて歩き出した。


(変わった運命は、この戦いの時期を早めた。それを知ってコルが私を差し向けたとは思えない。となれば……サラ様の入れ知恵か)


 自分の中で様々なことを整理していると、湧き上がってくるのは謀られたことに対するコルへの怒りだ。


「なにがいのちティーシャツだ。どうりで地酒を私に持たせたはずだ。あの男……帰ったら覚えておけよ。その日の夕食は嫌いなものばかり入れてやるからな」


 小さな愚痴を零しながらリコスは礼拝堂の入り口に立つと、静かに気合を入れなおした。震える足を叱咤し、頬を打ち、疲労を浮かべた瞳にぐっと力を籠める。

 そして、ゆっくりとその扉を開いた。


 ……――――――――――




 …………

 ……




「へ~っくしょい! ずずっ」


 盛大なくしゃみを零し鼻を啜ったコルは今、家を空けてとある場所を訪れていた。部屋の一室。椅子に座ったコルの横では、ブランケットを肩と膝にかけたセレノが車椅子の上で眠っている。そしてその向かいに座っているのは、


「救医神が風邪でも引いたんなら、笑えん話やねぇ」

「いやぁ~、どこぞの熟女が噂をしとるんでしょう。あそこのおじさんかっこいいよね、とか」

「一そしり二笑い三惚れ四風邪。噂やとしたら、それはきっと誹りとちゃう?」

「だとしたら、噂の出所は熟女ではなく男でしょうな。モテるおじさんも辛いもんです」

「ふふっ、言うやないの」

「サラ様との付き合いが長いとそうもなりますよ」

「これだけ可憐な乙女を前にして失礼やねぇ。ん~、美味」

「……ははっ、そうですな」


 コルが差し入れに持ってきた梨を、満面の笑みを浮かべながら美味しそうに口に含むサラを見ながら、コルは若干乾いた笑みを零した。

 乙女と呼ぶには時を長く生き過ぎているのでは、などと口が裂けても言えるはずもない。

 だからそれを遠回しに伝えるように、控えめな言葉を口にする。


「ここにも宮廷道化師を置いてはいかがです?」

「うちに意見するもんはもう十分おるやないのぉ。これ以上増えたら、耳が痛ぁてかなわんよ」


 いったいどの口が言うのか。

 仮に咎める部分がサラにあったとして、それを咎める者がいるとすれば、それはただの怖いもの知らずの愚か者か、余程譲れない意志を持つ者だけだろう。


「やかましい言うてくるのはロウはんだけで十分や。まっ、楽しませるという点において、あの子はちと面白味にかけるけどな」

「そう言いつつ、ロウ坊の話をしてる時のサラ様は、一番表情豊かに見えますがね。良くも悪くもですが」

「そんなことあらへんよ? こと愛想振りまくことに関しては、うちの得意分野やからね。ほら、えぇもん献上してもらうには、愛らしいてか弱い乙女の方がえぇからなぁ」

「そ、そうですな……ははっ」

 

 にこにこと笑みを浮かべるサラを前に、コルは思わず微苦笑を浮かべた。

 まるで王自身が道化師のようであったなら、さすがの宮廷道化師も困ったものだろう。

 

「それで……そろそろ本題に入ろうか。単に梨をお土産に持って来たわけでもないんやろ?」

「えぇ、まぁ。サラ様の言伝通り、リコスの嬢ちゃんを冥国へ行かせましたが、当初予定していた時期より早くなってるというのが気になりまして」

「それはつまり、黒雪の天災(スノウカタストロフ)の訪れも早まることについて心配しとるってことやろか?」

「端的に言えばそうなりますな。神々や七深裂の花冠(セブンスクライム)がそれほど戦いに関与していないというのに、あの黒雪(・・・・)の到来が早まるというのはどういうことかと」

「簡単な話や」

「といいますと?」

 

 サラはロウがここへ訪れた際に見せた、なんとも言い難い外見をしたぬいぐるみを膝の上に乗せ、前足をふにふにと動かしつつ問いかける。


「黒い雪の仕組みは知っとるやろ?」

「えぇ。大気中の魔力が一定値を超えると降る、公には単に死を告げる雪。だからこそ、より魔力が高く強き力を持つ者が戦うというのは、余程のことが起きた時の最後の切り札」


 黒い雪は普通の雪が降る原理とほとんど差はない。

 雲とは簡単に言えば、とても小さな水滴や氷の粒の固まりだ。その雲を形作っている水滴や氷の粒が上空で結合し、次第にその大きさを増していく。そしてその重みに耐えきれなくなった固まりが、雨や雪となって地表へと落ちてくるのだ。


 そしてこの世界には二種類の雲がある。先に述べた普通の雨や雪を降らす雲と、その実態が水滴や氷の粒ではなく、魔力粒子によってできたもの。

 ならば何故黒い雨が降らないのかということになるが、それは魔力の性質によるものだ。

 雪と例えてはいるものの、実際は上空の魔力粒子があるモノ(・・・・)と結合し、雪のようにゆっくりと舞い落ちてきているにすぎない。


 多大な魔力を消費する大規模な戦闘は黒雪の誘発へと繋がってしまうのだ。

 だからこそ神々や七深裂の花冠(セブンスクライム)など、有する能力によって魔力の消耗が大きい者の戦闘は極力禁じられている。

 深域(アヴィス)を死守しながらも、できる限り黒雪の誘発を避けるというその塩梅が大切なのだ。何故なら、黒い雪は触れた者を死へと導く天災。

 それこそが、世界に知られる公的な黒い雪の実体だ。


 だが、厄介なのはシンカが地国の妖精の森で見たその循環機構(システム)だ。

 それは現神々さえも知らない黒い雪の真実の一端(・・)……降魔を全滅させることができない理由そのものでもある。


 まず降魔を倒した時、魔力を使わないバロン級以下の降魔は霧となって消滅するが、カウント級以上の姿は魔力粒子となって大気中に散って消えていく。

 そして黒い雪が降る中心では、新たな降魔がこの世へ生まれ出でる。

 すでにわかる通り、この世界の魔力は循環しているのだ。


 しかしそうだとするなら、一方的に降魔が増え続けるとも考えられるだろう。

 分かり易く魔憑や亜人の扱う魔力を正の魔力、降魔の紫黒の魔力を負の魔力とする。

 降魔を倒すのに正の魔力を消費することでその魔力が大気に溶け、それによって消滅した降魔の負の魔力も大気中に溶け込む。そしてそれらがいずれ黒い雪となって大地に降り注ぐなら、それらを繰り返すことで降り注ぐ黒い雪は頻度と規模をます一方だ。

 対して魔憑らの魔力を回復する手段は、自然的に回復するのを待つのみ。

 数多の自然が酸素を生み出しているように、同時に生み出しているのは魔素だ。つまり魔憑らにとって酸素を取り込む呼吸こそが、魔素を取り込み体内で魔力へと変換する自然的な回復手段だといえる。


 しかし実際は倒している降魔の数や消費している魔力量に対し、黒い雪の発生、つまりは降魔の誕生がそれとほぼ拮抗しているといった状態だ。それは何故か。

 その答えは、降魔の放つ魔力や消滅する際の負の魔力を、この世の自然が二酸化炭素のように取り込み、綺麗な魔素へと変換しているからだ。

 なら黒い雪、降魔を発生させる負の魔力はどうして生まれるのか。

 それは先に述べた上空の魔力粒子があるモノと結合する、というあるモノが原因だった。


 内界、外界の只人問わず、人は誰しも必ず体内に魔力を有しており、それが火事場の馬鹿力をはじめとする激情の発露と共に、無意識下で微量ながらも使われている。

 そんな中、負の魔力の源たるそれは、人の生み出す負の感情そのもの。

 怒り、悲しみ、憎悪、無念、怨嗟、絶望、それら人の負の感情が大気中の魔力を黒く染め上げ、黒い雪となって地上へと降り注いでいるのだ。 

 しかし、人は理性的な生き物だが、感情を完全に御することは難しい。戦の続く世ならばそれは尚更だ。故に降魔がこの世から完全に消え去ることはない。


 此の世界に降魔が現れるまでは、自然が取り込む負の感情と吐き出す魔素の均衡が保たれていた為、黒い雪が降るといった現象は無かった。

 が、負の魔力の塊である降魔が現れたことで、その均衡が崩れたということだ。

 それが黒雪の真実の一端であり、過去の大戦を乗り越えた一部の者しか知らない黒雪もう一つの特性、最後の真実へと繋がることでもある。 


「つまりや。黒い雪の発生は意図的に早めることができる。それを早めたのは、間違いなくロウはんとその周囲の出来事やろなぁ」

「すべての事象が早まったからこそ、天災の訪れも引き寄せられるように早まったと」

「今年に入って、ロウはんがこの塔を出てから運命は加速した。たった一節、たったそれだけの間に、まだ先に起こるはずやった事象が詰まりに詰まって起こっとる。反逆の箱舟(リベリオンアーク)の忘れ形見を中心にな」

「……狐の半面を付けた少女、ですな」


 サラはぬいぐるみをもふもふと弄っていた指を止め、静かに頷き返した。


「サラ様にも正体のわからない相手となれば……この世界に来た一部の亜人同様、外の世界の住人ということでしょうか」

「仮にそうやとしても、この世界に降り立った瞬間からの人生は世界の記憶に映るはずなんよねぇ」

「未来から来た、ということは……ははっ、ないでしょうな」

「過去に時間を少し巻き戻す力は存在しても、過去に行く力は存在せん。それに……この世界にはまだ未来がないんは知っとるやろ?」

「失礼しました」


 互いに悲しみを宿したような瞳を細めて苦笑し、小さな息を吐く。

 そして窓の外を見つめながら、コルがポツリと心配そうな声を零した。


「鬼の嬢ちゃんは大丈夫でしょうか」

「……」


 そう言って、二人は当時のことを思い返した。

 あれは今のようにサラとコルが丸机(テーブル)を囲み、他愛無い歓談をしていた時のことだ。

 

 ……――――――――――

 

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