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これは君のパラミシア  作者: 御乃咲 司
第七節『これは光と闇の狂進する双駒』
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226.紫が宿す言葉


 一方、月国フェガリアルの執務室内では、大量の資料に囲まれた大きな長机(テーブル)で作業をしているクローフィの姿があった。

 月の女神であるセレノが不在な上に、仕事を分担していたリコスもいない。

 アルテミス派の月の使徒の任務の振り分けや黒い雪の対策案の作成。漸減作戦の配置と編成。各部隊の報告書に目を通し、それに対する指摘。問題があればその対策。日常業務に加え、その他様々な仕事を一手に行わなければならないクローフィの負担はとても大きなものだった。


 エパナスがいろいろと影で動いてくれてはいるものの、表だって協力することができない以上、軽減できる負担は微々たるものだ。

 いくら亜人種の体力が人のそれより多いとはいえ、当然睡眠時間や食事は必要だ。それを怠り気味になりながらもずっと働き続けていては、いつか倒れてしまうのは目に見えている。

 それでも代わりを務められる者がいない以上、クローフィがやらねばならない。


 無論、月の使徒の皆や宮殿に努める女中もクローフィの身を案じていたが、無理をするなという言葉をかけたところで糠に釘、暖簾に腕押しで意味はない。

 クローフィの場合、表情に出ないからこそ余計に心配されるのだが、今日も彼女は極僅かな小休止を挟みながら(ペン)を走らせていた。

 

 ――コンコン


「……どうぞ」


 聞こえた軽く扉を叩く音に返答し、尋ね人を招き入れる。


「邪魔するぞ」

「貴女でしたか。どうかしましたか?」


 手を止め、顔を上げた先にいたのはメリュジーナだった。

 メリュジーナは少し溜息を吐きながら歩み寄り、手にしていたサンドイッチの乗った皿を大机(テーブル)に乗せる。


「皆が心配してるぞ」

「だからといって、私が休むわけにはいかないでしょう。……これは?」


 クローフィが視線を落としながら問いかけた先には、置かれたサンドイッチ。

 しかしそれは、間違いなく女中が作ったものではないだろう。

 なにせ、見た目でいうならあまりにも不格好。素人が作ったような見栄えではあるが、メリュジーナが作ったにしても少しお粗末だ。


「世界などどうでもいいと言いながら、我らが女神様は近しい者の心配はするようだ」

「……そうですか」


 無表情でありながらもぴこぴこと動く翼に、メリュジーナは頬を緩めた。

 そして、壁際に置かれている椅子に腰を下ろす。 


「実のところ、今日は折り入って頼みたいことがあってね」

「珍しいですね」

「アトラスからの荷を受け取って来て欲しいんだが、陽国への許可証を持った部隊が残念ながら出払ってるようなんだよ。行って受け取って来てくれないかい?」

「また分かり易い手回しですね」


 それは暗に、気晴らしに外へ出ろということだろう。

 陽国ソールアウラには辛党のクローフィの舌に合う食べ物も多い。わざわざ陽国に行かせるあたり、ついでに観光でもしてこいと言っているようなものだ。


「けど、部隊に任務を与えてるのはそっちじゃないか」

「黒雪の対策として、遠方まで警邏の足を伸ばしていますから。このタイミングを計る為に、いったい誰が犠牲になったのでしょうね」

「人聞きの悪いことを言うもんじゃないよ。あたいはちょっと部隊の予定管理表を拝見できるようお願いしただけだ」

七深裂の花冠(セブンスクライム)である貴女の言葉は、お願いではなく脅迫に近いと自覚してください」


 他国への入国許可証を持つ者が率いる部隊は、原則としてそれなりに地位のある部隊なのは当然だが、すべての部隊がその動向を公開しているわけではない。上位の部隊である以上、秘匿性の高い任務を請け負うことも少なくはないからだ。

 一般兵ならまだしも、月の使徒すべての予定を把握しているのは現状ではエパナスと通じているクローフィのみといっていい。

 だが、一人だけ例外が存在している。


「あたいにまっこうから言葉をぶつけられる月の使徒もいるさ」

「はぁ……シャオクですか。彼女が今こちら側に来ているとはいえ、ここにいる以上は軍のことを簡単に口外しないで欲しいものです」

「まぁそういうわけで頼んだよ」

「まぁそういうわけにはいきません。私が今ここを離れるわけにはいかないでしょう」

「その固い頭は誰に似たんだい。セリニから許可は得てるからね。数日くらいはあたいが変わってやるよ」

「……」

「なんだそのじっとりとした目は」

「貴女が指揮を取った時の使徒たちの心労を思えばこんな目にもなります」

「言うようになったじゃないか」


 苦笑し、メリュジーナはまだクローフィが幼かった頃の日々を思い返した。

 リコスとまるで姉妹のように育った彼女たちは二人して当時から無表情だが、表に出すのが苦手なだけで感情はとても豊かだ。わかりやすい翼や尻尾がなければ、それこそ気付くことができなかっただろう。

 事実、初めて出会った頃は感情がないのではないかと思ってしまうほどだった。わかり辛いことこの上ない。


 思えば厳しく接してきたものだ。与えてあげることができたのは、戦闘に役立つ力のみ。二人が努力する理由を知っていたとはいえ、もう少しくらいは手の抜き方も教えておくべきだったのかもしれない。

 とはいえ、”頑張りすぎたところでそれに比例した最良の結果は得られない”と言っても、”頑張らなければ最良の結果への道は作れない”と言ってのけるのが彼女たちではあるのだが。

 そんなメリュジーナの心境を察したのか、クローフィは小さく溜息を零し、渋々ながらではあるが彼女の想いを受け取った。


「はぁ……わかりました。各隊の隊長には伝えておきますので、数日はよろしくお願いします」

「それでいいんだよ。お前は少し頑張りすぎだ」


 立ち上がり、メリュジーナはクローフィの頭を軽く撫でると、そのまま部屋を後にした。クローフィは何も言わずにその背を見送ると、大長机(テーブル)の上に置かれている形の崩れたサンドイッチへと視線を落とした。


「頑張りすぎ、ですか。……頑張りすぎたところで、最良の結果は得られない。確定された死を覆すことができなかったのは、箱舟の存在自体がその証明かもしません。それでも諦めきれずにもがいているのは、貴女も同じでしょう……メリー」


 コツコツと足音を響かせ、長い廊下を歩くメリュジーナにその声は届かない。

 クローフィのような鉄仮面ではないが、何を想い、何を願い、何を考え、何をもって今の人生を歩んでいるのか。読めないという点では彼女も等しく同じだろう。


 メリュジーナは足を止め、廊下の窓から外の景色を眺めた。

 丁度そこから見えるのは、セリニのお気に入りの庭園だ。

 セリニが唯一好み、自ら進んで何かをすることがあるとすれば、それは庭園の手入れとそこで開くメリュジーナと二人だけのお茶会だった。

 薔薇園の隅の小さな一角。鮮やかな紫色の花がひっそりと咲くそこだけが、セリニの安らげる特別な空間なのだ。

 

(主は何も知らずに贈ったんだろうね。……理由や理屈がわからずとも、これほどわかりやすいメッセージはないだろうに。まぁ、信頼されてると思えばあたいとしても嬉しいかぎりだ。言葉にすれば、世界が気付いてしまうからね)


 心の中で呟き、メリュジーナは再び歩き出した。

 この後はセリニとお茶会の予定が入っている。それまでに、大切な用を済すまさなければならない。

 自分の部屋に辿り着くと、メリュジーナは長机(テーブル)の上に並んだ六つのぬいぐるみを眺めながら……

 

「お膳立ては整った。さぁ、次はどう動くんだい? ……デュランタ」


 そう言って、薄く微笑んだ。







 中立地帯聖域レイオルデンの南東に広がる湖アレトゥーサ。

 その傍にある家に住んでいるのは一人の男と居候の女。

 彼女の作った昼食を取りながら、神とは思えぬ身なりをした男の機嫌は上々だった。


「っはぁ~! 見かけによらず、なかなか種類が多くておじさん嬉しいよ」

「一言余計だ、黙って食べろ。それに料理ならクローフィの方が得意だ」


 救医神コル・アスクレピオスが徳利を片手に白い歯を見せて微笑む中、リコスはまるで作業のように淡々と箸を運んでいた。

 いつもの光景ではあるのだが、コルはリコスが笑ったところを見たことがない。以前リンがここを訪れたときが、一番感情豊かだったように思える。


(まぁこんなおじさんといても楽しくねぇよな。セレノ嬢ちゃんも目覚めねぇし)

 

 闘技祭典(ユースティア)以降、月神セレノ・アルテミスはいまだ目覚めぬままだ。

 身体に異常はなく魔力も充実しているが、元より弱くなっていた体で膨大な神力を放った上に、すぐにその通管(パス)を閉じることができなかったことで神力が与えた体への負荷は決して軽微なものではない。

 その通管(パス)を塞ぐために使った生命力が自然に回復するまでの時間には個人差があり、いくら女神とはいえ体が弱ければ日々の回復量は小さいものだ。

 だが、最早外から手を加えられる余地はなく、後はただ待つことしかできない。


「嬢ちゃんは良い女になるぜ。もう少し歳食ってから外見年齢が固定化された方がよかったがな」

「見た目など、どうでもいいだろ」

「馬鹿言っちゃいけねぇな。嬢ちゃんだって、ロウ坊の見た目も好きなんじゃねぇの?」

「見た目が変わろうとロウ様はロウ様だ。それがたとえ蛙でも構わない」

「それって内界の絵本のネタか? おじさんが博識じゃないとわからんよ、それ」

「それよりもコル。お前は――」

「先生」

「……」

「先生ね」


 元々ただの人間であったコルが得た能力故に神格化され、神名を得た彼は基本その地位にこだわるようなことはない。畏まられるのは苦手だし、神医ではなく医者だというのが彼の口癖だ。医者は患者に寄り添うものだと言っては、敬われるような距離感を嫌う。

 白衣の下には”いのち”などと書かれた草臥(くたび)れたシャツ。そして短パンにサンダル。その時点で確かに神には見えないが、そんな彼が唯一こだわりを見せるのが先生と呼ばれることだった。

 

「はぁ……先生はこれから先、どういった立ち回りをするつもりなんだ?」

「おいおい、いきなりだな」

「ここに来てもう一ヶ月の時が過ぎようとしている。アルテミス様が目覚められるのも時間の問題だろう。出ていく前に、先々代の時代を生きたお前の身の振り方を聞いておきたかっただけだ」

「なるほどねぇ。まぁ、あれだ。俺は最初からなにも変わってねぇよ。未来がどう動こうと、俺はヘルメス坊と同意見だ」

「神の意見とは思えんな」

「おじさんはただの医者だ」

「だからこそ、ロウ様につくべきじゃないのか?」


 リコスが真剣な声音で問いかけると、コルは手にしていた徳利をそっと長机(テーブル)に置きながらリコスを見つめ返した。


「ある村に新種の病が蔓延したとして、その病を俺の力をもってしても治せない場合、国はその村を封鎖するだろう。仕方がないと嘆き、どうしようもないと言い訳し、多くの国民を守るという大義名分をもってそれを正義と言い聞かせる。それが普通だ。だがな、嬢ちゃん。医者である俺だけは、そこから目を逸らせねぇのさ。一度診た患者を見捨てる真似だけは絶対にできん」

「ならお前は、多くを救うことよりも心中を選ぶのか? 救えない者たちと共に」

「諦めないって話だよ。今研究してる、安全に仮死状態にする薬もそのためだ」

「……」

「嬢ちゃんもそうだろ?」

「無論だ。だが、それでもどうしようもなかった時は……私はロウ様の意志を尊重し、心中することを選ぶ」

「……ロウ坊が泣くぜ?」

「なら、私は私の涙に気付かないふりをすればいいのか?」

「そうならない為に最後まで足掻くって話だろ。たとえ、ロウ坊との道を違えたとしてもだ」

「とんだ神もいたものだな」

「神は血に準じ世界を一番に考える。医者は己に準じ患者を一番に考える。何度も言わせるなよ。俺はただの先生だ」


 昔、コルから聞いたことがある。

 コルがまだ人間だった頃、彼はただの町医者だった。いや、町というほど大きなものではなく、村といった小さな集落だ。

 コルは人という生き物を愛していた。 

 不平等に生まれ、平等に訪れるはずの死すら本当の意味で平等ではない。必ず訪れるという意味では平等だが、蝋燭の長さはそれこそ人それぞれだ。

 生まれながらに余命少なく、苦痛に苛まれながら逝く者もいれば、百年生きて安らかに眠る者もいる。それでも生ある限り力強く生きようとする人間というものが、コルは好きだった。


 少しでも長く生きてほしい。少しでも多くの幸せを見つけて欲しい。

 限りある時間の長さは人それぞれだが、その中でその人の最大限の幸福を胸に、安らかに逝って欲しい。

 それは確かなコルの願いだった。だが、いったいなんの皮肉だろうか。

 そう願い続けていたコル自身が誰よりも長い寿命を持ち、自分より遥かに年下だった子供たちを見送りながら、今もずっと生き続けている。

 そう語るコルの瞳はどこか寂し気だった。


 それと同時に、神名を得たことに感謝していたのもまた事実だった。

 しかし、それはより多くの人を救うことができるからという実に彼らしい理由だったのだが、その想いも時を経て儚く散ってしまうこととなる。


 内界より外界に移り住み、知った世界の現状はなんと非常なものであるのか。

 内界の平穏は外界の者たちによって与えられた仮初に過ぎず、外界で散る命は余りにも多い。それを前にすれば手にした力はあまりに無力で、世界に抗うのなら神の力など塵に等しく、己の手が本当に小さいものであることをコルは知った。

 どれだけ両手を差し伸べても、死へ流れ落ちる命を()おうとしても、指の隙間から零れ落ちてしまう命のなんと多きことか。

 国、地位、人種、強弱、老若男女、そこに優先順位などありはせず、どれも等しく一つの命だ。

 そんな中、コルが見たのはとても大きく、それでいて蛍火のような光だった。

 

 だからリコスはコルの答えに対し、深い感謝を胸の奥へと宿していた。

 たとえロウと相容れぬ道に進むのだとしても……いや、だからこそ、か。


「そういえば、私に頼みごとがあると言っていたが何の用だ?」

「頼みごと?」

「今朝方言っていただろう。昼食後に話すと」

「頼みごと頼みごと……あ~っ、あったあった! 嬢ちゃん、冥国に入る許可証持ってるだろ?」

「あぁ」

「頼みごとってのはお使いだ。嬢ちゃんが飯作ってる間にメモに纏めといた」

「はぁ……自分で行けばいいだろ」


 溜息を吐きつつ、コルが白衣の衣嚢(ポケット)から取り出した小紙(メモ)をリコスは受け取った。


「いやいや、俺はここを離れられんだろ? おじさん、これでも医者よ? 患者が来たらどうするの」

「開門の日でも漸減作戦があるわけでもないのに、患者が来るとは思えないがな」

「そう言いいつつ受け取ってくれる嬢ちゃんの優しさ、おじさん好きだぜ?」

「調子の良い男だ。……で? この”いのちティーシャツ”とはなんだ?」

「これだよこれ。もう結構くたくただろ? 修繕石も限界ってのがあるからな。そろそろ買いかえんと、だらしない男に見えるだろ」

「……」


 すでにだらしない男が今更何を、という言葉をリコスは飲み込み、今まさにコルが着ているシャツへと視線を落とした。

 そして受け取ってしまった小紙(メモ)を見れば、その中には冥国原産の地酒の材料と医療品、いくつかの魔石といのちティーシャツ、などが書かれている。

 他のものはまだしも、はっきり言って感性センスの欠片もないダサいシャツを購入する事に抵抗を感じていたリコスだったが……


「これだけあったら足りるはずだ。後、残った金で好きなの買って来ていいぞ。冥国にある甘味は貴族連中が好むだけあって、それなりに旨い。嬢ちゃん、好きだろ?」


 そう言われてしまっては、断るに断れないだろう。

 甘味に惹かれたわけではなく、単にこのお使いとやらが、リコスへの気晴らしの為だということを理解しているからだ。

 寝かせていた酒樽はまだあるし、医療品も魔石も、どちらもそう急ぐほど残量が少ないわけでもない。一節間に一度、此の地域を訪れる商人が来るまで待ったとしても十分にもつだろう。

 このタイミングからして、セレノが目を覚まして忙しくなる前に、一度くらい羽を伸ばせという意味であるのは明白だった。

 ここへ訪れる商人が仕入れていないであろう”いのちティーシャツ”が目当てでなければの話、だが。


「……わかった」

「この時期の冥国は特に寒いからな。防寒具はしっかりだぞ」

「私は人狼(リュカリオン)だ。寒さには強い」

「純血じゃねぇんだから過信するな。先生のいうことは聞いておけ」

「ロウ様は氷を使われるのだ。私が寒さに屈するわけにはいかない」

「なんだその理屈は。根性があっても、病気に屈する時は屈するんだよ」

「……」

「そんな恨めしそうな視線を向けてもダメなものはダメだ。万が一風邪でも引いたら、ロウ坊に心配かけることになるぞ?」

「防寒具は大切だ」

「それでいいんだよ、それで。はぁ……」


 意図も簡単に意見を変えたリコスを前に、コルは呆れたような深い溜息を吐いた。


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