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これは君のパラミシア  作者: 御乃咲 司
第六節『これは刹那に見た郷愁の想火』
203/323

200.投影せし神想結界


 紅い大地に紅い空。流れる大河に、冷光を放つ魔力の氷輪。

 ロウの作り出した神想結界しんそうけっかいの中、遂に戦いの鐘は鳴り響いた。


 レベリオの率いる魔憑と虚人形クークラがロウへと向かって駆ける中、その瞳に捉えていたはずのロウの姿が忽然と消え、感じた風と共に前を走っていた数人が吹き飛ばされる。

 手と足に揺れる魔力オーラを纏い、静かに佇むロウの異様な姿に、確かに生まれた動揺は大きかった。だが、彼らとて降魔と戦い続けてきた魔憑たちだ。

 一度戦いが始まれば、身を竦ませている暇などありはしない。

 ロウの動きと纏った魔力オーラの特徴から、瞬時にロウの力に推測を立てる。

 

「ッ、強化系の結界か!」


 叫んだ男の声に反応し、周囲は素早く動き出した。


「強化系ならあたいが出る!」

虚人形クークラ共は月を落とせっ!」


 前に出たのは闘技祭典ユースティアに出場していた者たちだ。

 五感のすべてを増加させる強化系と、純粋に腕の筋力を増加させる強化系が前衛を買って出る。

 自分の意思を持たず、簡単な命令を遂行するだけの虚人形クークラが、近接戦闘よりも魔力戦の方に向いているのは間違いない。

 

「チッ、俺の魔力遮断キャンセルはやっぱ結界には効かねぇか。動きについていけねぇ奴等は、遠目から全体を見渡せ! 前衛の動きに合わせながら援護に徹する!」


 各自が一瞬で出した指示と、それに合わせた動きは的確なものだった。

 能力のはっきりしない相手に対しての咄嗟の判断としては見事としか言いようがなく、その一言に尽きるだろう。戦術的には申し分なく、相手の体が一つである以上は最も有効的な手段であると言える。


 相手はの神殺し。たとえ本来の力を取り戻していなくとも、たとえ魔力増幅を使えなくとも、たとえ武器を持っていなくとも、掛かる圧力は凄まじい。

 その上で彼らの動きには油断も迷いもなく、持ち得る全てをロウにぶつけようとしていた。

 だからこそ、これが彼らの最善であり、これが彼らの全身全霊だ。


 前衛と後衛に分かれ、且つ体が一つの相手に対し標的を分けるという正確な判断と采配。神殺しへの恐怖を振り払い、冷静な思考と忠実にそれを成す手足。

 

 

 だが、ただ一つ……たった一つだけ、彼らは見落としていた。


 此処が彼の者の心象世界の投影で、別空間に具現化されたものだというのなら……

 

 この世界にはロウとは別にもう一人、人の形を成す守護者まじゅうがいるということを。

 

 ――リンッ


 響いたのは白き鈴の音。煌めいたのは一筋の銀閃。

 虚人形クークラが一斉に放った魔弾が、空に浮かぶ魔力塊まで届く事無く爆ぜて消えた。

 小さな音を鳴らしながら着地したのは、肌蹴た白い着物を纏う白髪の女性。

 柘榴のような紅い瞳を静かに開き、そっと言葉を口にする。


「……不愉快……実に、不愉快です。……主君へ向ける、その腐った瞳は」


「な、なんだ……貴様は――」


 続くはずのレベリオの言葉を遮ったのは、砂煙を巻き上げながら激しく地を擦り飛ばされて来た、ロウに向かっていったはずの魔憑たちだった。

 慌てて視線をロウへ向けると、彼の纏う魔力オーラの量が増している。

 

「ハクレン。ここいるみんなは、俺の手にかかった犠牲者の遺族だ」

「……主君は主君の正義を成しました。……ですが、この者たちにはそれがありません」

「それを言うなら、俺にだって正義はない」


 予想通りの返答にハクレンは瞑目し、小さく息を吐いた。

 そして零下にまで冷えきった双眸を開くと、レベリオたちを真っ直ぐに見据え、


「……これ以上、主君の身に負担がかかる前に……散りなさい」


 薙刀を持った手を掲げ、それを回転させながら腕をへ引き、強く地を蹴り放った。すかさず虚人形クークラたちがハクレンを迎撃するために魔弾を連射するものの、その悉くをハクレンが斬り伏せていく。


 迫るハクレンを前に魔憑たちが構える中、ロウの声が耳に届いた。


「お前たちの相手は俺だろ? ハクレンより、俺の方がまだ優しい」


 ロウとハクレン。レベリオたちにとって、相手はたったの二人だ。

 しかし、そのたった二人を相手に、戦況は極めて一方的なものだった。

 三十からなる虚人形クークラの放った魔弾や魔砲を斬り伏せながら進むハクレンの進撃は止まらず、一度間合いに入れてしまうとその後はハクレンの独壇場。

 勢いを止める事無く一閃、二閃、三閃。

 斬られた虚人形クークラは、赤い魔力粒子を吹き出しながら一撃の元に地へと沈む。

 それでもハクレンの動きが一瞬たりとも止まることはない。

 まるで舞うように虚人形クークラの間を抜けながら、すれ違いざまに斬り伏せていく。

 

 一方、ロウと魔憑たちとの戦いも等しく一方的なものだった。

 空に浮かんだ魔力の氷輪が大きくなるのに比例し、ロウの纏う魔力オーラが輝きを増していく。

 ほとんどの者たちの目には止まらず、なんとか捉えることができる者も、その動きに対応することができない。

 魔弾を放つ、得物を振るう、魔障壁を展開し防御を試みては無意味に終わる。

 正面から打ち砕かれる、いつの間にか背後を取られる。

 何をしても、何をどう足掻いても、あまりの力と速さに翻弄され、一人、また一人と戦闘不能に落とされていった。

 

「……ロウ」


 小さく漏れた掠れ声は、それを静かに見守るミコトの小さな口から零れ落ちたものだった。

 かつての力に遠く及ばないとはいえ、ロウの強さは知っている。

 レベリオがいくら数を集めても、こうなることは予想できていた。

 今のロウを抑えることができるのは、一桁の討滅せし者(ネメシスランカー)くらいなものだろう。

 覚悟はしていた。しかし同じ国に住み、かつては共に国を愛した同胞が、大切な恩人に次々にやられていく様を見るのは、たとえ覚悟をしていても辛いものだ。


(……わかっておる。これは、余の甘さと弱さが招いたこと)


 悲痛に顔を歪めながら、ミコトは目の前の光景から目を反らさず見据えていた。

 自分の甘さを、自分の弱さを痛感し、ミコトはこれまでの行いを悔いた。

 自分の蒔いた種であるというのに自分で決着けりをつけることもできず、またロウに辛い思いを背負わせてしまった。


 最初から自分が感情的にならず、黙することができていたら。

 いつかは皆も分かってくれると夢を見た、そんな甘い考えを捨てることができていたら。

 立ち向かう覚悟を、力へと変えることができていたなら。

 そんな自責の念に押し潰されそうになりながら、ミコトは自分の代わりに戦うロウの姿を、あの日(・・・)のロウと重ね合わせていた。


「……あの時も、其方はそんな顔をして戦っておったの。哀しさをその瞳に宿し、まるで自分を責めるように、心の奥で哭き叫びながらその力を振るう……」


 ――哀哭の夜叉

 

 ロウが地国で多くの同胞の命を手折ったあの日、どれだけ一方的な戦いで、自身が傷を負っていなくとも、彼の姿はとても痛々しいものだった。

 怒りや憎しみに心が染まっていてはわからないほどの、本当に些細な変化だ。

 最初はミコトもわからなかった。

 誰から見ても多くの降魔を薙ぎ払い、多くの同胞を蹂躙し、戦場を駆けるロウの姿はただただ怖ろしく、不理解で、心無き悪の化身にさえ見えただろう。


”なぜじゃ! なぜ、其方がっ!”


”これが俺の成すべき事だからだ。ミコト、これが……本当の俺なんだよ”


 かつてロウが神殺しに堕ちる前、英雄と呼ばれたその時についた二つ名。 

 誰が最初にそう呼んだのか。

 太刀筋に迷いはなく、振るう力に手加減は無く、放つ技に容赦の欠片もありはしない。それでも力を振るうその瞳は哀し気で、きっと心はいていた。

 今ならわかる。

 きっと最初に二つ名をつけたその者も、同じロウの姿を見ていたのだろう。


 今のロウは、その時の姿()とはまるで違う。

 だが、今のロウがかつてのロウと被って見えたのは、きっと今戦っている彼らがその時の犠牲となった者たちの遺族だからだ。


 …………

 ……

 

 そうして戦いは一瞬の内にその幕を下ろした。

 三十もいた虚人形クークラはすべて消滅し、十人の魔憑たちは地に体を横たえ、ただ愕然とするレベリオの前にロウが立ち、その傍らにハクレンが静かに佇んでいる。


 後は皆を拘束し、虹の塔(イリスコート)へと連行するだけだ。

 この件に関してはそれで終わり、それで解決……そのはずだった。

 

「レベリオ……俺たちの勝ちだ」

「――ッ、神……殺しっ。なぜだ……弱者はただ、すべてを耐えなければならんのか。貴様に奪われた者たちの想いは、決して報われぬというのかっ!」


 レベリオの怨嗟の声に、忌々し気に眉を寄せながら一歩進みだそうとしたハクレンをロウは手で制止すると、彼の思いに応えるための言葉を紡いでいく。


「報われない想いなんてものはこの世にありふれている。それは決して弱者に限った話じゃない。そこにどれほどの正義があろうと、どれだけの強い意志があろうと、どれだけ強い力を持っていようと……報われない想いは確かにある」

「ならば貴様との違いはなんだっ! その力だろう! その手で、その力で、自分の欲望のまま自分の想いを成し遂げる為に、無慈悲に理不尽に不条理に! 我らが同胞たちを殺したのではないか!」

「あぁ、お前の言う通りだ。俺にだって報われない想いはあるが、それでも俺は俺自身の欲を満たす為に戦っている。その上で、俺はお前たちの同胞を手にかけた。無慈悲に理不尽に不条理に、この俺が、お前たちの同胞を殺したんだ」

「――ッ!」


 途端、レベリオの目が見開かれ、腰に差していた短剣を抜き放ち、ロウの腹部へと突き刺した。柔らかい肉を貫くような感触がレベリオの手に伝わってくる。

 そう……半ばやけになりながらも突き出したレベリオの短剣は、ロウの元へと確かに届いていたのだ。


 その光景を前に、訪れたのは一瞬ばかりの静寂だった。

 誰が予想しただろうか。傷一つ負うことなく、あれだけの数を圧倒してみせたロウに、怒りに身を任せたレベリオの攻撃が届くなどということを。

 地に伏しながらも顔を上げた周囲の瞳は揺れ、ただ茫然とするばかり。


「ロウッ!」


 そんな中、ロウの身を案じたミコトが彼の名を叫びながら走り出すも、すぐさまハクレンに取り押さえられてしまった。

  

「ッ、なぜじゃっ! 離せっ!」

「……愚かな」

「なんじゃと?」

「……主君の想いを無駄にするつもりですか? ……オマエが求めたことでしょう」

「余、が?」


 ハクレンが何を言っているのか、ミコトにはまったく理解できなかった。

 確かに”助けて欲しい”と願った。

 自分ではどうしようもなくなったこの国を、ルインの手に落ちようとしているこの国を”救って欲しい”と願っていた。

 だからこそ、ロウはレベリオたちと戦ったのだ……そのはずだ。

 すでに勝負がついている以上、後はレベリオたちを拘束して虹の塔(イリスコート)へ連行するだけであり、わざわざ攻撃を受ける必要など何処にもない。

 ロウが傷つくことなど決してミコトは願ってなどいなかった……ならば、何故。


「……我が主君に仇成す害虫を、本当なら今すぐ八つ裂きにして殺したいところです。……そんなワタクシが耐える中、オマエが目を逸らすことは許されません」


 ハクレンが強く握っていたミコトの腕を離すと、ミコトは腕に残る痛みを感じながら、レベリオと向き合ったままのロウに戸惑うような視線を送った。

 

 だが、この中で一番動揺していたのは、まさに刺した本人であるレベリオだ。

 レベリオは決して戦闘が強いわけではない。

 その能力を使っても、ロウの弱点など見えたところでまるで意味がないのは、今までの戦いでよく理解していたことだ。

 簡単に言えば、あまりの強さに表面上の弱点が弱点に成り得ない。

 それだというのに何一つ力を宿していないただの短剣が、悪足掻きともいえる程の弱者の放った苦し紛れの一撃が、ロウの腹部を深々と突き刺している。


 ロウのことが憎かった。神殺しを恨んでいた。

 そして今ここで、やっとの思いで一矢報いることができたのだ。

 だが、あまりにも想定外の出来事に、レベリオに達成感などありはしなかった。

 ただ茫然と、突き刺さった短剣を見つめているだけだ。

 

 すると、彼の鼓膜を揺らしたのは、思いがけないロウの声だった。


「そうだ……これでいい。これが、正しい在り方だ」

「貴様……なに、を……ッ!?」


 ロウが短剣を握り締めているレベリオの両手を掴むと、レベリオは肩を揺らして鋭く息を飲んだ。

 そして、レベリオの手を強く握ったまま、ロウは静かに言葉を紡いでいく。


「お前たちの憎しみは俺に対するものだ。その憎しみの矛先は俺にだけ(・・・・)向けられるべきだった。だが、お前たちは過ちを犯した」

「過ち、だと?」

「誰にでも自分の正義を成す権利を持っている。それでも、正義が力を振るう理由には成り得ない。自分の掲げる正義を信じる者同士が引き起こすのが争いだ。正義はあくまで、力を振るう理由を自身の中で正当化するためのものにすぎない」

「――っ」

「それでも俺は相手の正義を否定しない。確かな想いが、貫きたい意志が、そこに確かに在るのなら」

「ならば、私の何が過ちだというのだ。貴様を否定することが、私の正義だ」


 レベリオが眉間に大きな皺を作りながらロウを睨みつけると、ロウはレベリオの手を引いて短剣を引き抜き、僅かに震えたその手から短剣を奪い取る。

 そして、少しよろけながら数歩後ずさるレベリオを一瞥し、ロウは血の滴る短剣へと視線を落とした。


「互いの想いが相反したとき、戦いを避けることはできないだろう。俺にも譲れないものがあるからだ。お前の剣の矛先が俺にだけ向いたままなら、俺はお前の正義を疑いはしななかった。だが、お前たちはこの剣の矛先をミコトへと向けた。お前たちは確かな意志をもって、その行いが正義だと言い切れるのか?」

「ッ、ミコト様の貴様に対するその思考はこの国に対する裏切りだっ! 死んでいった同胞に対する、残された遺族に対する裏切りだっ! だから私はっ……私はッ!」


 レベリオはきつく歯を食い縛り、微かに震える両手を見つめ、ぎゅっと握り締めた。

 

「確かにミコトのとった行動は浅はかだ。女神の立場を弁えず、ただ感情に任せて俺を庇うなどあってはならない。それはミコト自身がより痛感しているはずだ。だがな、レベリオ……ミコトが同胞の死を悲しんでいないと、本気で思っているわけじゃないんだろ? お前たちは見てきたはずだ、それまでのミコトの姿を」

「……そ……れはっ」

「ミコトは確かに甘い子だ。全ての原因は俺にあるが、俺を庇ったからミコトは国民からの信頼を失った。俺を庇っておきながら、みんなに認められるまで神位を継がないことも愚かだと思う。だから、お前たちに力を与えるきっかけとなった。裏で画策するお前たちの存在を知りつつも、いつかは分かってくれるはずだとそれを放置した。その結果、ルインとの繋がりを持たせてしまった。本当に……甘い子だと俺も思うよ。だが……そこにあるのは確かな優しさ、だ――くッ」


 途端、ロウの体がふらつき、片膝を折り地につけた。

 目尻から血が流れ落ち、傷ついていないはずの腕からも滴る血が袖口から流れ落ち、地面を紅に染めていく。


「……主君、これ以上は危険です。……早く結界を」

「まだだ。まだ、解くわけにはいかない」

「……ですが」

「頼む」


 懇願するロウの言葉に、ハクレンは唇を強く結びながら押し黙った。

 そのやり取りを理解できた者はいない。

 ロウの身に起こった現象も、ハクレンの焦燥も、何一つとして。

 それは、この神想結界の代償だった。


 空気中に漂う魔力を集めて作るこの結界は、魔力の濃度が高い場所でしか使えない。濃度が高ければ高いほど、天に輝く魔力の月はその大きさと輝きを増していき、ロウへと力をもたらすものだ。その力とは、純粋な身体能力の強化。

 しかし、月から送られる魔力の量の調整はできず、そのままロウへと供給され続ける。

 纏った魔力オーラは一層輝きロウをさらに強くしていくが、供給され続ける魔力が一定の量を超えるとそれは猛毒だ。強化され続けることに体が追い付かず、耐え切れなくなった体を徐々に徐々にと蝕んでいく。

 戦いが終わり、こうして会話を続ける中もその供給は留まる事を知らない。

 それでも、ロウはこの結界を解くことはなかった。

 レベリオとミゼンが繋がっているとわかっているからこそ、今ここで誰かに邪魔をされるわけにはいかないのだ。


 ロウは地に片膝を折ったままレベリオを見上げると、さらに言葉を重ねていく。


「よく考えろ、レベリオ。ミコトはお前がルインと関係を持った時点で、正当に裁くことはできたんだ」

「そ、そんなはずはないっ! 今ここでこうしているのも、大義名分があったからこそ! だから今まで、私を排除したくともできなかったのではないか!」

「司法の女神はすべてを見通す。そこに言い訳は通じない。お前がミゼンと手を組んだ時点で、審天神の名の元にその罪を裁くことはできた。サラに偽りの言葉は通用しない」

「――ッ!」

「ミコトは決して弱くはない。持てる力を使えば、お前たちを捻じ伏せることは容易くできた」

「な、ならばなぜ……ミコト様はっ」 

「お前たちを、信じていたかったからだ」


 レベリオが目を丸く見開きミコトへ視線を送ると、彼女は悲痛な面持ちを浮かべ、小さな手をぎゅっと握り締めながら地面を見つめていた。

 

「神位を継承しなかったのも、自ら力を封じたのも、お前たちに対するできる限りの無抵抗の証だった。俺を庇いつつも、お前たちの悲しみも理解できる。だから、争わずにすむ方法を模索した結果がそれだった。だがお前たちは、闘技祭典ユースティアで遂に事を起こしてしまった。その瞬間、ミコトの優しさはただの甘さへと変わってしまったんだ」

「……」

「ミコトはお前たちを裏切ってなどいない。お前たちが、ミコトの優しさを裏切った。お前たちが、ミコトの優しさをただの甘さへと変えてしまったんだ」


 海神ヴィアベルのように、国民の心に寄り添いながら等しくロウを恨むことができていたら……だが、ミコトはロウを恨むことができなかった。

 月神セレネのように、違った思想を持つ相手側にエパナスのような支えがあったなら……だが、ミコトにそのような者はいなかった。

 誰かに救いを求め、助けてとその言葉をもっと早くに口にすることができていたなら……だが、ミコトに掛かる禁忌の呪いがその口を封じていた。

 

「たとえ国民がミコトへの信用をなくしても傍にいたお前たちは、ずっとすぐ傍でミコトの優しさを見てきたお前たちだけは、ミコトの優しさにも苦しみにも気付くことができたはずだ」

「っ、それは……」

「……俺はそれをお前たちに伝えたかった。俺の代わりにミコトが背負ってしまったものを、返してもらうために」


 そう言ってロウはふらりと立ち上がると、短剣の刃側を持ちながら柄の先をレベリオへと向け、そっと差し出した。

 

「俺がお前たちの同胞を殺したことは事実だ。どれだけ言い繕っても人殺しであることに変わりはない。俺の中に正義は無く、仇を討とうするお前たちにこそ正義はあるだろう。だがやり方を間違えれば、どれだけ理由を並べても正義としての形を崩す。己の正義を心から誇ることができないのなら、それはもう己にとっての正義じゃないんだ。……受け取れ、レベリオ。そしてもう二度と、その刃の先を向ける相手を間違えるな」

 

 レベリオが感じたのは確かな違和感だった。

 目の前にいる相手は先々代の神々を、そして多くの同胞を殺した男だ。

 自分でもそれを認め、自分に正義は無いのだと言っている。

 それなのに、どうしてロウの言葉がこうも胸を強く打つのか。


 レベリオはロウの差し出した短剣に視線を落とし、じっと自分を見据えるロウを見上げ、そしてそっと周囲へと視線を送った。

 虚人形クークラはすべて消滅し、敗北を期した魔憑たちは皆が皆、どこか思い詰めた表情で地面を見つめている。

 誰一人とてい重症の者はおらず、打撲や打ち身はあるだろうが服が血に染まっている者はいない。

 この場で唯一、身体を血に染めているのは、凄まじい力で圧倒してみせたはずの……勝者であるはずのロウだけだ。

  

「私は……」


 あぁ、本当はすべてわかっていた。

 レベリオや他の者たちとて、ミコトに対して厚い信頼があったのは紛れもない事実だ。

 誰にでも分け隔てなく接し、優しく手を差し伸べ、笑顔を絶やさず皆を見守り続けてきたこの国の象徴。

 全てを慈しみ、愛し、全てを護ろうと努力していた小さな少女。


 ミコトの優しさを、人は甘いと言うだろう。だが、その甘さがあったからこそ、この国はずっとこれまで降魔と戦い続け、繁栄し続けることができた。

 そんな彼女が神殺しを庇ったことで、裏切られたと思っていたのは事実だが、それでミコトに対して謀反を起こそうなど考えてはいなかった。

 それが彼女の優しさであると知っていたからだ。


 ミコトは何も変わっていない。昔から、誰にでも正す機会を与える少女だった。

 変わってしまったのは憎しみの縛鎖に囚われ、周りを正常に見られなくなってしまっていた自分たちの方だ。


 同胞を想い、国民のことを想い、信頼を失ったミコトを想っての言動は、いつしか神殺しへの憎しみと、神殺しを庇ったミコトに対する失望へと変わっていた。

 闘技祭典ユースティアでルインが起こした行動を目の当りにし、自分の行いが間違っていると、本当は気付いていたのだ。だが、もう引き返すことはできなかった。


 今ミゼンを裏切れば、この国は戦禍を被ることになるだろう。

 いや……それすらただ自分の誤った行いから目を逸らし、ただその行いを正当化したかっただけに過ぎない。


 わかっていたのだ、気付いていたのだ……このままではいけないと。

 神殺しへの憎悪が消えずとも、ミコトが悪いわけでないことも、このままルインと手を取り合うことが過ちであることも。

 ずっとそれを直視したくなくて、気付かない振りをしていただけに過ぎない。

 

 レベリオはロウの差し出した短剣を受け取ると、どこか落ち着いた様子で声を発した。


「……神殺しよ。私は……貴様を許すことができない」

「わかってる」

「だが、私は……ミコト様に反逆し、この国を危険に晒してしまった自分も許せないようだ。貴様の言う通りだ、神殺し。私の中に誇れる正義は無く、貴様への恨みを形にする手段を間違えた。だから、ここですべてを終わらせはすまいか?」


 そう言ってロウを見上げた瞳は、今までのレベリオとは違っていた。

 瞳の奥にあるのは、確かな強い信念だろう。

 そこには怯えも怨みも恐怖もなく、ただまっすぐな瞳をロウへと向けている。


「もうすぐここにミゼンが現れるだろう。私の犯した罪の後始末を貴様に頼みたい。その代わり、我々は貴様の犯した罪に対し、禍根を残すような真似はしないと誓う。そして……」


 レベリオは受け取った短剣の刃を握り、柄の方をロウへと差し出して返した。

 

「私の命を代償に、この国を救ってくれまいか」


 はっきりと告げたその言葉に、ミコトや魔憑たちの間に大きな動揺が走る。

 だが、レベリオの向ける真剣な眼差しを前に、その覚悟を前に、誰一人として口を挟むことはできなかった。

 何も言わずレベリオの視線を受け止めるロウを前に、彼はさらに言葉を重ねる。


「憎しみの刃……その先を向ける相手を間違えるなと、貴様は言ったな。この取引で貴様への憎しみを終わらせる。そして最後に、私が憎む私自身をこの刃で貫けば、すべての憎しみはこれで終わりだ。……神殺しよ――私を、裁け」


 ロウに殺された者たちの遺族を、今度は生かす為にロウが護る。

 その者たちが犯した過ちで危地に陥った国を、神殺しであるロウが救う。

 そして最後に、ミコトを裏切り国を危うい状況へと追い込んでしまった自分がけじめをつけること……それがレベリオにとって、この憎しみを終わらせるために思いつく最善のやり方だった。

 

「言ったはずだ。俺はお前を裁くために来たわけじゃない」


 だが、ロウは差し出された短剣を受け取らなかった。


「昨日も言ったように、俺はミコトに会いに来たんだ。後、可愛い妹たちを傷つけた事への腹いせというやつだよ。もう十分、そのときの借りは返した」


 そう言って、ロウは闘技祭典ユースティアに出場していた者たちを一瞥すると、再びレベリオへと視線を戻した。

 

「な、何を……本気で言っておるのか?」

「だが、いざミコトに会いに来てみれば、どうやらルインと事を構えているようだったからな。神殺しである俺が関わるのも差し出がましいとも思ったが、国を守るためなら四の五の言っている余裕はないだろう」

「ど、どういう……」

「ルインの手から守るため、ミコトとイズナを敢えて隔離していたのは英断だともとれるが、もうその必要もないはずだ。ミゼンとの決着は俺がつける。あいつには個人的に大きな借りがあるからな。悪いが、ここから先は俺個人の問題だ」


 困ったように小さく微笑み、ロウは踵を返して歩き出した。

 その背を、レベリオはただ茫然と見つめている。

 ロウがいったい何を言っているのか、それを理解するのに暫しの時間を要しながらも、レベリオはなんとか掠れた声を漏らした。


「……神殺し。貴様は本当に、我らが同胞をその手にかけた男……なのか?」

 

 それは本当に心から出た疑問だった。

 それに答えるため、ロウは一度立ち止まるも、


「これもすでに言ったことだが、それは事実だ。俺の行いに正義はない。俺が再びお前たちの許せない罪を犯した時は、その短剣を持って俺の前に立ちはだかるといい。今度こそ、互いに譲れないものを懸けて戦おう」


 振り返ることなくそう言い残し、ロウは再び足を進めた。

 そして、ハクレンの傍に佇む小さな少女と視線が交わる。


「ロ、ロウ……其方、どうして……」

「言っただろ」


 ロウは微笑みながらそのまま歩み寄り、向かい合うことなくミコトの隣で立ち止まると、その小さな頭に手を乗せて優しく撫でつける。


「君の声は確かに届いたって」


 その言葉に、ミコトは大きく目を見開いた。


”誰が、この戦いを終わらせてくれるかと聞いたな”


”君の悲鳴も、救いを求めるその声も……君の声はちゃんと俺に届いてる。だから、取り戻しに来た。君の笑顔を……俺たちが取り戻す”


 あぁ、そうだ……確かにロウはそう言っていた。

 だが、誰がこの結末を予想しただろうか。

 諦めていた。覚悟をしていた。

 もう分かち合えない事も、自分の甘さと弱さが最悪の結末をもたらす可能性も。

 

「君はまた、笑ってくれるか? ……ミコト」


 それでもロウは、ミコトの本当の願いを聞き届けていた。

 ミコトの心の底から願う”助けて”をロウはちゃんと受け止めていた。

 このままレベリオを一方的に力尽くで捕えて虹の塔(イリスコート)へ送っても、本当の意味でミコトを救ったことにはならない。

 だからこそ、ロウは戻そうとしてくれていたのだ。

 甘さへと変えられてしまったミコトの優しさを、再び純粋な優しさへと。

 

 ロウの手は温かかった。

 昔と何一つ変わらず、ロウの手は優しかった。


 笑いたい。ロウの想いにきちんと笑顔で応えたい。

 だがそんな想いとは裏腹に、きつく閉じた目からはぽろぽろと涙が零れ落ちる。

 それでも、ミコトはそっと頷いた。


「なら、地国の女神ミコト・デメテル……後は君の仕事だ」


 ロウが優しくミコトの背を押すと、ミコトは必死に目許を擦りながら、


「うっ……っ、其方に……其方に大いなる感謝を」

 

 想いを振り絞り、ミコトはまっすぐにレベリオを見据えながら歩き出した。

 その小さな背中を見つめつつ、ロウは荒い息を耐えるように静かに吐き出しながら、その場で静かに片膝を折った。

 

「……主君はあの娘よりも甘い人ですね」

「っ、あぁ……甘さと優しさは紙一重だ。俺の甘さはただの甘さだが、あの子の優しさは守りたかった。ミコトの甘い優しさが、俺は好きなんだ」

「……はぁ……もう十分でしょう。……お早く結界を」

「大丈夫だ。後少し……後、少しだけミコトに、時間を」


 この後に控えるミゼンとの戦いを考えれば、これ以上体への負担を大きくするのは得策ではない。早急に神想結界を解き、ミゼンの襲撃に備えるべきだ。

 そう頭では理解しつつ、それでもロウは結界を維持し続けた。


 結界内にいれば、いくらミゼンとて手を出すことはできない。

 レベリオの犯した過ちは裁かれるべきではあるが、できることなら地国での問題は地国内で解決するべき問題だ。

 国が手に負えない案件は虹の塔(イリスコート)へと回されるが、ミコトは本心でそれを望んではいないのだから。

 


 ミコトはレベリオの前に立つと、小さく彼の名を呼んだ。


「……レベリオ」


 すると、レベリオはミコトの前に跪き、頭を垂れながら両手に乗せた短剣をそっと前に差し出した。

 

「ミコト様。私の犯した罪は重く、そして深いものであると自覚しております。いかような罰も受ける覚悟」

 

 虹の塔(イリスコート)へ連行することは間逃れたものの、レベリオの罪を無罪とすることはできない。

 それはミコトに対しての行いよりも、ルインとの繋がりを持ち、この国を危険に晒した事への罪だ。

 だが、ロウは言ってくれた。ただ一言……任せろ、と。

 国民は今の状況を知らず、漸減作戦に備えたただの軍事演習だと思いこんでいる。そこに実害はなく、この事実を知るのはここにいる者たちと、ミコトに忠を成す者たちの極一部だけだ。

 このままロウたちがルインを倒し、国に被害がでなければ。

 本当に、嘘を真とすることができたとしたら。

 そんな事が脳裏を過るも、それこそただの甘さ……いや、ロウへの甘えだろう。


 地国の女神としての決断を、ミコトが伝えようと口を開いた……その瞬間――


『……流星(ミーティア)


 静かに響いた声と共に、甲高い音がこの空間に鳴り響いた。音は空から。

 皆が視界を跳ね上げると、神々しく輝いていた魔力の氷輪が砕け散っている。


 途端、周囲の景色が割れた硝子のようにひび割れながら崩れ落ち、元の大広間へと戻ると同時に、ロウは口から赤い鮮血を吐き出した。


「ロウッ!」


 慌ててミコトが駆け寄るが、ロウは必死に息を整えながらある一点を見据えていた。その額には大きな汗の粒が浮び、その表情には確かな焦りの色が見える。

 事実、これはロウの想定外の出来事に他ならない。


 神想結界は別の空間に心象世界を投影して造られたものだ。

 外部からの干渉はできず、脱出する方法はその結界によって違ってくるものの、共通して言えるのはその結界を任意での解除ではなく破られた場合、使用者に甚大な反動をもたらすということ。


『……主君』


(俺は大丈夫だ。それよりも……)


 あの場にいた誰も、ロウの神想結界を破ることなどできなかった。

 そう……破られるはずがないのだ。

 サラ以外の誰一人として、外部からの干渉などできるはずがない。

 たとえどれ程の力を有していようと、それはミゼンであっても同じことだ。


 シンカとシエルが同行したことで、夢に視た未来とは確かに違ってきていた。

 だからといって、外部からの干渉で結界が破られるなど、ロウはまるで想像もしていなかったのだ。

 

 故に、ロウには大きな油断があった。

 故に、ロウは気付くことができなかった。

 サラ以外にも、この空間に干渉できる者がいるということに。


 ロウの見据える視線の先の空間が歪むと、中から現れたのはミゼンともう一人。


「……ステラ」


 星国の女神、ステラ・アストライア。

 星暦六七七年に起きた大戦から行方を眩まし、ルインに捕えられていた星神。

 空間を操る能力を有し、流星の如き神力を扱う少女。

 この世界において彼女だけが、神想結界に外部から干渉できる存在だった。 


 ステラは空間の能力で神想結界に干渉し、目にも止まらぬ速さをもって、ロウやハクレンさえも反応できない一瞬の内に空に浮かぶ月を破壊したのだ。

 


「やぁ、レベリオ。求められた通り助けに来てやったというのに、向ける目の色を間違ってやいないか?」

「……ミゼン」


 レベリオが忌々し気にミゼンを睨みつけると、周りの魔憑たちも武器を支えに立ち上がりながら臨戦態勢を取った。


「怖い目だ。せっかく俺自ら援軍として来てやったというのに」

「もう貴様の手は必要ない」

「……ほう、なるほど。すでに強欲を捕えていた事も、昨日神殺しを捕えたことも、俺に報告もせずそれを取引材料にしようとさえしていた男が、今更どういった風の吹き回しだ?」

「き、気付いておったのか」

「当たり前だろう。裏切るとわかっていた貴様に、監視を付けないわけがない」


「――くッ、うおぉぉぉぉぉっ!」

 

 嘲笑うように言ったミゼンに、猛り声を上げながら駆け出したレベリオが手に持っていた短剣を振りかざした。


「つくづく無能な男だ」


 ミゼンは冷めた瞳でレベリオに手を向け、躊躇いなく魔弾を解き放った。

 だが、そこに割って入った一つの影。

 ロウは魔障壁に氷壁を重ねて展開し、外殻の氷壁が砕けるも、放たれた魔弾を防ぎきった。そして、顔だけ後ろへ振り返りながら声を掛ける。

 

「よかったじゃないか、レベリオ。裏切るとわかっていたということは、お前はやはりこちら側の人間だったということだ」

「……か、神殺し……なぜ」

「簡単なことだ」


 僅かに掠れた声で問うレベリオから視線を外し、ロウはミゼンを見据えながらそれに対するあまりにも単純な答えを口にした。


「お前が死ねば、ミコトは笑えない」

「――」


「お前たちはすぐにこの場を離れろ」

「だ、だが」

「早くしろ」


 急かす声にレベリオは歯を食い縛ると、右手を大きく振りながら振り返った。


「お前たちっ! ミコト様をお連れしてこの場から離脱せよ!」


 下された命令に従い、魔憑たちは残った力を振り絞ると迅速に動き出した。

 すぐさまミコトの手を取り、この場からの逃走を計る。だが――


「おっと、女神は駄目だ。エニャ」

「……流星(ミーティア)


 途端、ステラの姿が皆の視界から消え去ると同時に、ミコトの前に現れた。

 ミコトを奪い、すぐ傍にいた魔憑を鋭く空を裂くしなやかな足で蹴り飛ばすと、


「――祈れ、星河の祈夜」


 響いたのは、星神ステラ・アストライアの零した言霊。

 彼女の想いが告げた世界の具現、彼女の神想結界(心象世界)だった。


 ステラの発動したそれを、誰にも止めることはできなかった。

 周囲の空間が歪み、再び違う場所へと景色がすり替わる。


 辺りは暗く、夜空には数多の煌々とした小さな輝きが見える。それは、今では最早見る事もできないが、かつて内界と外界、そのどちらにも存在した宝石の光。

 夜に空に浮かぶ月と共に人々を見守っていた――”星”と呼ばれるものだった。


 周囲は無数の大きな竹に囲まれ、その竹の先端ではたくさんの短冊が風に乗って揺れている。竹林の奥には細い道があり、その先には架かっている朱色の橋。

 さらにその先の開けた場所には一際大きく立派な竹が一本、聳え立っていた。


 この神想結界の効力も脱出の手段もわからないが、どうやら引き摺り込まれたのはロウ、ミコト、レベリオの三人だけのようだ。

 

 ステラがロウに向かってミコトを投げ捨てると、

 

「ミコト、大丈夫か?」

「う、うむ」


 ロウはミコトを抱き留め、怪我も無く頷いた彼女をそっと地面に降ろした。


 すると、ミゼンは口角を小さく上げながら言葉を投げる。

 

「お前たちには見届ける義務があるだろう? この国の未来を決める戦いだ」


 ロウがミコトとレベリオに”下がっていろ”と視線で訴えると、ミコトは何かを言おうと口を開くも、悔し気に下唇を噛みながらレベリオと共に後退した。

 いくらロウが疲弊しているとはいえ、加勢するといえる程の力が二人にはない。

 ただの足手纏いにしかならいということは、誰よりも二人自信がわかっていた。


 二人が下ったのを確認すると、ロウはミゼンを強く見据えながら問い掛ける。

 

「セツナはどうした」

「ん? あぁ、闘技祭典ユースティアのときと違って記憶が戻ってるんだったな」

「答えろ」

「そう急くな、気が変わっただけだ。確かに最初はエクスィとズィオ、そしてセツナだけで十分だと思ってはいたんだが、お前と共にいたエンペラー級を倒した女と天国の天使アンジェ。それらを相手にするには少し戦力不足だと思ってな。アリスモスを四人、そして女神。こちらも今回は本気ということだ」


 変わった未来。それは、ロウにとってあまりにも大きな違いだった。

 ロウの視た断片的な光景はこうだ。

 神都の門を守るのはズィオとエクスィの二人。彼らの相手をリアンとセリスがしている間に、ロウはミゼンが連れて来ていたセツナを相手にする。

 しかし、ズィオとエクスィ以外に二人増えただけでなく、この場で相手にしなければならないのは神の力を持つ少女だ。


「外が気になるか?」

「いや、何も心配していない。シンカたちはお前が思っている以上に強いからな」

「なるほど……しかし、ここでお前が敗北すれば、そいつらの努力も無駄になってしまうな。お前を取ればこの戦いは終わりだ」

「……」

「強がりも大概にしておくんだな。万全な状態ならまだしも、そんな体でエニャを相手にできると思っているのか?」


 決して表には出さないようにしているものの、ミゼンの言う通りロウの体はすでに大きな傷と疲労(ダメージ)を負っている。

 変わった未来の中で、結界を破られたという事が一番致命的だといえるだろう。

 体の節々が痛み、このまま戦闘するにはあまりに大きな負担ハンデだ。

 しかし、ルナティアがいまだ目覚めず深い眠りについている以上、魔力戦に持ち込むには力及ばす、何よりステラとの相性が悪すぎる。

 どう抗おうとも、近接戦闘は避けられないだろう。


 だが、ロウはそんな不利をおくびにも出さずに問い返した。


「その言い方だと、お前が戦う気はないということか?」

「お前を倒した後は強欲の確保だ。相手は七深裂の花冠(セブンスクライム)が一片。当然、この力は置いておくべきだろ?」


 そう言って余裕を見せるミゼンだが、それは決して油断しているわけではない。

 惜しむことなく、神力を有する星神をすでに負傷しているロウにぶつけるのだ。

 それも、先に神想結界というステラの土俵へ引き摺りこんだという状態でだ。

 故にこれは慢心ではなく、ステラが負けるなど万に一つも有り得ないという状況下での先を見据えた戦力温存であり、適切な判断だといえるだろう。

 

 それだというのに、ロウは可笑しそうに小さな声を漏らした。


「ははっ、お前は俺の妹よりも神戯については弱そうだ」

「なに?」


 ミゼンが眉を寄せ訝し気にロウを見ると、ロウは右手を横に伸ばしながら再度問い掛ける。


「お前には勝利への棋譜が見えているのか?」

「……本当に気に入らない目だ。お前は仲間を信頼しているんだろうが、他の戦場においての結果なんてどうでもいい。お前(キング)を取れば戦い(ゲーム)は終わる……エニャ」


 ミゼンの声に応えるように、ステラが一歩前に出ると、


華刀カトウ叢ノ紅雪(ムラノクレユキ)


 ロウは手に付けた手に付けている細身の腕輪バンクルを普通の刀よりも長い太刀へと変え、左手に持ち替えた。右手を柄に添えながら、ステラを見据える。

 一挙一動、ステラの動きを見逃さないように深く集中力を高めていった。

 一際強い風が吹き、揺れる竹林が葉の擦れるような音を立てる。


 そして、その風がぴたりと止まったその瞬間――


「――ッ!」


 太刀と足がぶつかり合う音が響き渡った。

 一瞬にして間合いを詰めたステラに対し、合わせるようにロウが刀を抜き放つものの、ステラはロウの側面へ回避しながら長い足を振り抜いた。だが、ロウはその蹴りを左手に持った鞘の方で受け止めると、そのままステラを弾き飛ばす。

 すかさず納刀しながら左手を後ろへ引き、柄を強く握りこんだ。


「花亡ノ太――ッ!?」


 抜刀しようとした瞬間、すでにステラはロウの視界から消えていた。

 それと同時に背後から感じる気配に、ロウが姿勢を低くしながら振り返ると、ステラの激しい蹴りが動きに送れた毛先を掠めていく。

 そのままロウが地面に手をついて放った蹴りは空を切り、途端、腹部に感じる強い痛みと共にロウの体は吹き飛ばされた。


 中空で体勢を立て直しながらステラを視界に捉えると、足の底が地面へと触れた瞬間、間髪入れず太刀を抜き放とうと柄を握るが、再びステラがの姿はロウの視界から消えていた。

 刹那、柄を持つロウの右手をステラは左手で抑え込み、右手でロウの胸倉を掴むと、そのまま背負い投げのように持ち上げる。そして、空中で逆さになったロウの腹部へと鋭い膝蹴りを叩き込んだ。


「がはッ」


 肺の酸素を混じる僅かな血と共にすべて吐き出し、吹き飛ばされたロウの体が勢いよく竹に身をぶつかると、笹に掛かっていた短冊がはらはらと舞い落ちる。



「……な、なんなのですか……あの強さは」

「星国の女神、ステラ・アストライア。この世で最速の女神じゃ」 


 レベリオの魔憑部隊を傷一つ負うことなく倒してみせたロウが、これだけ一方的にやられる姿を前に、レベリオに走ったのは大きな動揺だった。

 確かにロウは万全とはいえない状態だ。

 しかし、この一瞬でこうも力の差が出るなど彼は想像もしていなかった。


「神殺しは天神にさえ勝利したと聞きましたが……」

「ブフェーラはそのときのロウと同じ土俵で戦っておったからの。神想結界を発動させたからには、ステラに一切の手加減はないということじゃ」

「その上、神力を使われては……」

「いや、この結界内でステラは一度も神力を使っておらん」

「なっ」


 驚愕に目を見開き、レベリオはミコトから視線を前へと戻した。


 ロウの攻撃は一切当たる事無く虚しく空を切り、それどころか太刀を抜かせてすらもらえない。一度も真面に技を放つことができず、魔力の温存などしている場合ではないと、ロウは戦闘方法を氷へと切り替えていた。

 だが、地面から突き出る鋭利な氷柱も地面を走る霜柱も、ステラの動きを捉えることはできず、防御に回した氷盾や氷壁の悉くは鋭い蹴りに砕かれる。

 どれだけ素早くロウが動こうとも必ずステラはその速度を上回り、強靱な脚力から放たれる一撃を積み重ねロウを追い詰めていく。


 しかし、ロウを翻弄するほどの速さを見せながら、ミコトの言ったように、ステラはこの神想結界内において一度も神力を使用していない。

 その速度の秘密はこの神想結界にあった。

 

「――ッ、はぁ……はぁ……ここが心象世界の投影であるのなら、この結界内で君を超える速さは出せないということか」

 

 それは昔のステラを知るロウの推測だった。

 事実としてそれは正しく、ステラの結界は自身の速度を極限まで高めることだ。

 仮に脚力に特化した強化系がここにいたとしても、ステラの速度は必ずそれを上回る。相手がどれだけ速くとも、ステラを捉えることはできない。

 そしてその代償は、この結界内では自身が一切の武器を扱えないということだ。

 仮にステラの手に鋭利な刃物があったなら、ロウはすでにその身を赤く染め、無残に地に伏していたことだろう。


 ロウの推測にステラは小さく頷いて返すと、


「武器は使えない。でも、速さこそが私の武器。誰よりも速く……誰よりも」


 その言葉を聞いたロウは、思わず小さな微笑みを浮かべた。

 

「そうか。なら、一つ聞かせてくれ」

「……なに?」


 ロウは静かに息を整え、一呼吸を置き、まっすぐにステラを見つめながら問いかけた。


「君は――なんの為にその速さを願い、手に入れたんだ?」



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