13.知る者の信念
「こういうタイプは……周りからだな」
冷めた声で静かに呟き、手を目の前の中空で横に薙ぐと同時にリアンたちの周りの地面を炎が這い、瞬く間に取り囲んだ炎はまるで太く厚い壁のようだ。
生身でそれを突破することは到底できず、三人は完全に逃げ場を失っていた。
「お前さえ手に入れば十分だ。すべてを手に入れようとしたオレが悪かった。だから……大人しく見てな」
「やめてっ!」
シンカの制止の声も虚しく、エクスィは炎の壁に突き出した人差し指を軽く上げると、咄嗟にリアンとセリスがカグラを庇うようにその体を覆い隠した。
同時に、周囲の炎が渦巻くように中心へと向かいながら天高く聳える火柱のように激しく燃え上がる。
それを見たシンカは力なく地面に膝をつき、手にした細剣を地面へと手放した。
カランッと鳴った音は空しく響き、シンカは地面にその手をつきながら、目の前の現実を受け入れられないといった表情を浮かべている。
瞳が揺れ、宿る光はその輝きを失いつつあった。
「……人は脆い。一瞬で灰になるほどにな。諦めなければ何かが起こると期待したか? この状況を退けられると本気で思ったか? 奇跡が起こると夢を見たか? そんなものは存在しない。これが――現実だ」
上から降るエクスィの無慈悲な宣告も、今のシンカに届きはしない。
「チッ、聞いちゃいねぇな。そこのお前もだ、女。いつの間にか物陰に隠れやがって……逃げたんじゃなかったのかよ。お前も奇跡を信じる口か?」
そう言ってエクスィの向いた先には、逃げたはずのエヴァがいた。
逃げたら後で殺されると思ったわけではない。恐怖で逃げなかったわけでもない。確かに彼女はこの戦いが始まる前に逃げ出していた。
となれば、引き返してきただろうか。……ならばいったいどうして。
その目的はわらかずとも、エヴァにはエヴァなりの考えがあってのことだろう。
彼女の瞳は今を見ているのではなく、まるで未来を見据えているかのように、この状況下であっても不変だった。
それが逆に不気味だと思いつつ、エクスィは後頭部を掻きながら呟いた。
「どいつもこいつも……ったく、なんなんだ」
「――許さない」
「あ?」
「貴方は絶対に許さないわ」
エクスィを睨みつけたシンカの瞳は、強い怒りに満ちていた。
しかしいくら怒りに身を染めようが、いくら殺気を向けようが、人を殺すことを戸惑うような平和な世の中だ。そんな世界に生きる少女の生温い殺気など、ただ威嚇しているだけの獣を相手にしてるようなものでしかない。
その視線を、エクスィは軽く受け流す。
「許さなかったらどうするんだ?」
そう言った瞬間、シンカは左手で細剣を拾い駆け出した。
が、利き腕を負傷しているシンカの振るった一撃は、エクスィにとって児戯に等しいものだ。エクスィが体を横にずらしながらその突きを軽く躱すが、シンカもそれを読んでいたかのように細剣の軌道を変えて薙ぎ払った。
それを事も無げに受け止めたエクスィの大剣と交差し、甲高い音と共に小さな火花を散らす。
「許さないからと言って、今のお前に――」
エクスィがわざと大剣を手放すと、細剣に力を込め、押し合っていたシンカの体が前に崩れる。その瞬間にエクスィはシンカの腹部を蹴り上げた。
シンカの体が軽く宙を舞い、エヴァの傍へと落下する。
「かはッ――! あ、ッ!」
「――何ができるってんだ?」
拾い上げた大剣を肩に担ぐと、エクスィは呆れたように小さな溜息を吐いた。
「いい加減目を覚ませ、現実は甘くないんだぜ? 弱い奴は死ぬ。諦めなければ奇跡は起こるなんてのは、ただの妄言だ。もしそれを否定すると言うのなら、今度こそ守ってみな……そこの女をな」
言って、エクスィは大剣をエヴァに突き付けた。
しかし、死にも等しい宣告を受けたにも関わらず、エヴァは静かに声を発した。
恐怖に臆するでもなく、生を諦めたわけでもない。
ただただ冷静に、静かに、そして不思議そうに、彼の言葉の意味を問うた。
「今度こそ、とは……どういう意味ですか?」
「……ッ」
「なに!?」
エヴァが指し示した先の火柱。それを見たシンカとエクスィが驚きの声を漏らす。
なおも燃え続けていた炎の中心で半球状に光っているその中には、三人の無事な姿があった。
その不思議な光により、炎から守られていたということだろう。
「バカな……あれはどいつの魔獣の力だ? お前が魔憑に目覚めたってのか?」
エクスィがエヴァに疑問の声を投げかけるものの、彼女は真っすぐにエクスィの目を見つめたまま何も答えようとしない。
その瞳を見たとき、エクスィは自分の背筋に一瞬だが寒気を感じたことに大きな戸惑いを見せた。
さっきまで、降魔の存在も魔憑の存在も知らなかった無力な少女の瞳ではない。むしろ、数多の戦場を駆け、数多の命が散りゆく様を見て来たような瞳だとエクスィは感じていた。
平和な今の世界では決して宿らないその眼光に一瞬とはいえ、エクスィは遺憾ながらも恐怖に似たものを感じたのだ。
「そういや、さっきまでと雰囲気が違うな。お前は……誰だ? と、まぁいい。どうせ答える気はねぇんだろうさ。お前を消せばあの光の壁も消えるだろうよ」
「やらせない!」
手に溜めた魔力の弾を放ち、すかさず間合いを詰めるシンカ。エクスィは炎の魔弾でシンカの放った魔弾を打ち落とすと、シンカの振るう細剣を大剣で受け止める。
剣が交った刹那、シンカはそれを軸に跳躍し、エクスィの側頭部に向けて蹴りを放った。が、その足がエクスィに届くことはなかった。
片手でシンカの足を容易く受け止めると、その攻撃などまるでなかったかのように彼女を投げ捨てた。
強く打ち付けられた岩壁が窪み、赤い線を残しながらシンカの体がずるりと地面に崩れ落ちる。
そんな彼女を一瞥し、エクスィはエヴァへと歩み寄りながら問いかけた。
「どうして逃げない。怖くないのか? 今からお前に襲いかかる死が」
「……怖い? なぜです?」
なんの怯えもない瞳のまま、首を傾けたエヴァが問い返した。
「神に祈れば奇跡を起こせるか? それとも、お前には感情がないのか?」
「貴方こそもうすぐ知るでしょう。どれだけ強い力があったとしても、捻じ伏せられないものがあることを」
「なに?」
「そこまで来ています。無牙の狼が」
「はっ? ははっ……はははははっ!」
真面目な顔でそれを言うエヴァの言葉を聞いて、エクスィは片手で顔を覆いながら大きな声で笑い出した。
「何を言い出すかと思えば、牙を持たない狼だと? だからどうした? 牙を持たねぇ獣に何ができる。今はペット自慢の時間じゃないぜ。獣如きにオレはやれねぇよ」
「その狼は運命の楔に牙を封じられたのです。抗う力を削ぐために。ですが彼の大切なものに手を出せば、封じた楔は解かれるでしょう」
「……お前は何者だ?」
さっきの高笑いが嘘のように、努めて冷静に、静かな口調で問いかけた。
すると両眼を閉じながら小さな口元から漏れた声に、またしてもエクスィは戦慄した。
――瞋恚、執念、愛憎、無念、欲望、哀愁、郷愁、慈愛、後悔
あまりにも異質、あまりにも異様。
肌で感じた複雑な数々の感情、そのすべてを本当に目の前の少女が宿しているのだとしたら、彼女の瞳にこの世界はいったいどう映っているのだろうか。
そう感じさせるほど、畏怖するほどに、決して折れぬ強靭な想いを宿した音だった。
「私は決して許さない――あの人を殺したこの世界を。
私は決して許さない――それを許した私自身を。
私は決して許さない――この者たちがこれから歩む運命そのものを」
エヴァの言葉に、エクスィは何も答えることができないでいた。まさか自分の理解が追いつかないことが起こるなど、まったくもって想像していなかったのだろう。
そんなエクスィから尚も目を逸らすことなく、エヴァは言葉を重ねた。
「――見えます。自分の力を過信し、早く私やあの者たちを確保しなかったことを後悔する……貴方の姿が」
「……いいぜ、結果はすぐにわかる。後悔するのがオレか、お前たちかっ!」
言って、エクスィは大剣を振り上げた。




