19話 混沌の生みだしし混迷
体温を奪われぬよう外套に身を包み、外気が外套を通り越してこないよう用心しつつ歩む集団があった。
大きく光る月のおかげで進む先を照らす光を生み出す必要もなく、一行は黙々とただ歩みを進める。
布を顔全体に巻き、目だけがギラリと野性味のある光を放つ先頭を歩く男に、同様に目以外を布で覆った人物が近づく。
「……今日はどの程度進むつもりなんだ?」
「さぁな。昨日あった行商が今はアクアノスの被害が相当らしいと言っていたからな……一応アクアノスから距離を取るつもりだ。」
声をかけた人物の声色には若さが垣間見え、対して先頭を歩く男の声からは疲れと年齢が感じられた。
「くそっ! 平和だったころが、まるで夢ん中の出来事だったみたいに思えるぜ。」
「……そういえば、お前はアクアノスの出身だったな……祖国を囮にしてるみたいな言い方をした。すまん。」
「あぁ気にすんなよ。もう出身がどっちかだとか大した問題でもないし……今の俺達にとって重要な事はそんな事じゃなく生き残る事こそが重要だからな。」
真っ直ぐ前を向き強く言葉を放つ若者。どこか強がりのようにも聞こえるが、その語気は男にとっては癒しのように感じられるのだった。
男は一時、外気の寒さも忘れ若者の頭に手を伸ばしグシグシと力強く撫でる。
「な、何すんだよ!」
突然頭を撫でられた事に驚く若者。どこか子供扱いされているように感じた気持ちが言葉に乗る。
「おお、すまん。
つい……未来はまだ消えてないと、なんだか嬉しくなってな。」
鼻を鳴らす男。
だが若者は子供扱いされたことを重く受け止め仏頂面に変わったことが布で顔を覆っていても十分に理解できた。
男は若者の様子に先とは違い、余儀をなくされたように少し申し訳なさそうに鼻を鳴らし、グイと自分の顔を覆う布を引き口元を露わにする。
露わになった顔は無精髭が生え、充分な食料を得ていないであろう事を推測させるには十分な頬。だが、それでも目は死んでおらず口元には優しげな微笑を浮かべていた。
「ほんの少し前まで、お前みたいなヤツは夢見がちなガキんちょだとか思ってたんだがな……どうやら俺は間違っていた。何時だって、どんな時だって、前を向けるヤツが強いんだ。お前に教えられたよ。」
男の真剣な目を受け若者は戸惑い、そして照れたように視線を外す。
「俺より全然強いくせに何言ってるんだよ。このオッサンはよぉ!」
照れを言葉に乗せて全て吐き捨ててしまうように投げ捨て、歩みを強め先へと進んでゆく。
その時、男は何かを感じとり立ち止まる。
静かに頭を掻き、そして小さく息を吐き捨てた。
「おいガキんちょ! 皆を連れてアクアノスへ向かえ。」
突然の大きな声に慌てて立ち止まり振り返る若者。
「はっ!? 何言ってんだオッサン! アンタ今さっきアクアノスから距離を取るって言ってたじゃねーか!」
「あぁ、そうだな。どうやらガセを掴まされたらしい。」
「ガセって、なにが――」
若者は口を開きながらも、どこか確信めいた何かが頭を過り始めたのを感じずにはいられなかった。
「……まさか。」
「あぁ、その『まさか』だよ。
あの行商。ナルの手の者だったようだ。」
若者の覆面の下の顔が青くなっている事が容易に想像できる反応。
震えが起き始める自分を叩き、震えを止める若者。
「俺も戦うっ!」
「ガキんちょが……足手纏いになるから行け。」
「何言ってんだよ!」
男の下へと走り寄る若者。
「アンタは……もう、限界だろうがっ!
これまで助けてもらってたからわかる。アンタの魔法……威力がどんどん落ちてるっ!」
少しの涙目で訴える若者。
だが男は飄々とした雰囲気を醸し出し答える。
「まったくこれだから目先の事しか見えないガキは困るねぇ。
いいか? これまではお前達を守ろうとしたからこそ余計な魔力を使っちまったんだ。
俺一人ならやりようがいくらかあるんだよ。」
「嘘つけよっ! アンタとっくに限界だろうが!」
たまらず男の胸ぐらを掴む若者。
必死に訴えかける若者に男の雰囲気が変わり、小声で――だがしっかりと確かな声で語りかけた。
「よく聞け。
このキャラバンは何人いる? そして何人が抗う術を持っている?」
若者は見回す。
若い男女が14人程視界に入る。皆一般市民で抗うにふさわしい魔法を覚えている者は皆無だった。男は若者の肩に手を置く。
「分かるだろう? ……お前がいないとダメなんだよ。
フレイドロンもアクアノスも生ける屍みたいになっちまって、一部の狂信者達が幅をきかせている今、俺達みたいにまっとうに生きている人間が足掻かないと本当に終わってしまう。
あの行商に化けてた狂信者が『アクアノスが危ない』って言ってたって事は、むしろ離れるよう誘導しようとしていたって事だろ? もしかすると勇者がアクアノスの近くで究極体を生み出す時が近いのかもしれない。
今向かうなら『アクアノス』だ。」
肚を決めてしまった様子の男を前に、若者の胸ぐらをつかむ力も緩んでゆく。
「……オッサン。
……あんた…諦めたワケじゃ……ないんだよな?」
男は驚いたように目を見開き、そしておどけたような態度。
「当たり前だろうが! なんで俺が諦めるんだってーの。
俺は諦めの悪い男なんだよ。」
優しさを孕んだ視線を若者に向ける男。
「……ほら、もう行け。」
「……」
若者は無言のまま目元を拭いアクアノスへとそのつま先を向け、そして歩き出した。
「行くぞ! 皆!」
男は笑い、離れていく背中に声をかける。
「おう、行け! できるだけ早く! 急いでな!」
男の声を背に受け、足早に移動して行く若者たち。
男は小さくなっていく姿を見送り、そして小さく首を横に曲げポキリと音を鳴らして踵を返した。
その視線の先にはいくつかの点が見え、男はその点に向けて歩みを進めてゆく――
男が歩きだしたその時、若者は一度足を止め振り返り、歩きはじめた男の背を見る。
そして顔を覆う布に手をかけ引く。
「どうか――無事で……」
色白の肌に大きな瞳に涙を溜めた少女は心から願い、そして、振り返る事は無かった。
--*--*--
「ハッハッハー! 腐っても元フレイドロン国軍指導官殿は伊達じゃないですねぇ。」
「すぐ気が付かなかったのは失態だったよ……危うく若い連中の希望を消しちまう所だった。」
男はプリップリの肌をした男達を前に涼しい顔で受け応える。
「なんとまぁ、若い方たちなのであればナル様の素晴らしさをすぐに理解できるでしょうに。」
「素晴らしさ?」
男は堪えきれず、くっくっくと笑いを漏らす。
プリップリの肌をした男は、さも不愉快そうに首を捻った。
「何がおかしいのです?」
「くっくっく、いやぁ別に。
ナル様ねぇ……ケツを襲われた自分を正当化する為なのか……必死過ぎて滑稽でな。」
「っ! だまれぇっ!」
憎々しげな形相を隠す事なく表すプリップリの肌をした男。
「あれはぁ『愛』なのだよ!
そう間違いなく『愛』なのだ!」
男はプリップリの肌の男の言葉に両手を上に向け肩をすくめる。
「そうかい。それは結構な事だ。
その結果が人間同士での殺し合いか?」
「違う! 私達はそんなことはしない! ナル様も望んではいない!
愛を知り! 愛を広めているのだ!」
「悲しいねぇ。自分を誤魔化して……都合のいい所だけを見て……考えることを止めたヤツを見ちまうと悲しくて仕方なくなるよ。」
ひくっひく、と右の目尻が引きつるプリップリの肌をした男。
「……愛を広めている私達だが……ナル様の御前に連れ出そうにも無礼がすぎる輩には『しつけ』も必要だものなぁ」
「そうかい? 悪いが俺は育ちも諦めも悪いんでね。ちぃと抵抗するかもしれんよ。」
水を打ったように静まりかえり、その空気に誰もが口を噤んだ。
「はぁっ!」
肌がプリップリの男が手から剣の如き炎を発し、男めがけて伸びてゆく。
男は炎を前にしてニヤリと笑い、そして両手を掲げ霧を作り出した。
一瞬でその場にいる者たちの視界が白に染まる……だが、砂漠の霧はあっという間に晴れてしまう。
「ふん! もう魔力も保持できぬ程弱っているのか! 指導官どのよ! ……あれ?」
霧を作り出した男はプリップリの肌をした男達を無視してフレイドロンに向けて一目散に駆けており、プリップリの肌をした男は誰もいない場所に向けて話しかけていたのだった。
「ま、まてぇー!」
「待てと言われて待つ馬鹿が居たら教えてくれ。」
男は若者とは逆方向に駆け、プリップリの男達は男を追いかけるのだった――
ナルの襲来以降、人の勢力図に新しい勢力が生まれた。
そのきっかけはナルの魅了をくらい襲われた男のメンタルは散々たるものだった事が大きな要因としてあげられる。
ある者は涙に暮れながら自分の尻を撫で、ある者は股間を押さえて中空を眺めてカラカラと笑う。
そうした中、ナルを襲った者、もしくは襲われた者達の中からナルに付き従う勢力が生まれたのだ。
新勢力は被害の拡大とともに徐々に勢力を増し、大きくなってゆく。
新勢力の教義は、ナルを愛しナルに愛される事のみ。それこそが至上の喜び。全ての人間はナルと愛し愛されるべきなのだと謳い行動した結果、人間同士の対立を生んだのだった。
ナルが襲来してから4ヶ月。たったそれだけの時間で人は
枯れた人間
目を逸らす人間
抗う人間
この3つに分かれ、そして抗う人間は窮地に追いやられ必死に逃げ続けている。
だが逃げる彼らにも希望が……勇者という希望が残されているのだった。




