9 琥珀色のお茶
* * *
等々力さんの話は所々難しかった。
要約すると、派閥争いの道具にされて大勢の人に迷惑を掛けるよりは、自分がいなくなった方がみんなが幸せになれるんじゃないか、ってことらしい。
「わたしなんて、穀潰しですから」と等々力さんは力なく笑った。
うちにお見合いを持って来たのは、等々力さんのお義兄さんのお母さんか、その親戚筋らしい、ってこともわかった。
っていうことは、あたしのパパ、お義兄さん派ってことになるんだろうか?
今更お見合いもあったもんじゃないけど、ちょっと気になるからあとで訊いてみよう。ほら、未練が残ると駄目って言うじゃない?
「ところでさ、あなたさっきはすごくどもってたけど、なんで今は平気なの?」
大人しく話を聞いていたレイが、手首をくるっと返して等々力さんを指差す。
そういえば、どの瞬間からニワトリじゃなくなったんだろう?
「え、な、なんででしょう?」と、等々力さんはまたあわあわしかけたけど、はた、と手を打つと苦笑しながら答えた。
「わたしは、仕事など、失敗してはいけないという場面に弱いんですよね。一応、数少ない趣味の友人とは、普通に喋っているんですよ。生まれついての吃音症というわけではないのです」
――キツオンショウってなんだろう? 多分、話し方のことなんだろうけど。
って、ゆーか、オジサンでも、趣味を語り合うような友だちがいるんだ。
あたしは趣味とか、特にないかも。趣味の友だちとか、いいなぁ。
学校のは、多分高校生になったら……ってか、クラス替えしただけでも、あっという間に交流が切れそうな友だちばっかりだし。
「その、緊張すると駄目なようで、人前でも、電話でも、どもってしまうんですね……なので営業や交渉役や、まして人の上に立つような、役員なんて立場になど、なれるわけがないんです」
あーわかる。あたしは逆に饒舌になっちゃうけど、緊張してどもるんなら、社長とかやりたくないよね。
「今も少し緊張してると言えばしてますが、た、多分みなさんがわたしの話に耳を傾けてくださるから」
等々力さんは、いつの間にか自分もちゃっかりドーナツをひとつ手に持って、ふへへ、と気の抜けた笑い声をたてた。
「ふぅん……人間ってそういうものなんだ。面白いね」
レイがふむふむとうなずきながらつぶやく。
――え、今なんて?
『人間って』だって。自分は人間じゃないみたいな言い方。
そういやさっきも「僕は死ねないんだ」とか言って気がしたし、ひょっとしてこの人――見た目によらず、中二病なんだ?
「――それに杏さんも」
「え? あたし?」
ぼやっとしているうちに、等々力さんの話が進んでいたみたい。
「ええ。わたしがいなくなれば、杏さんもこのオフに参加しなくてもよくなるでしょう? だいぶふさぎ込んでいたとお聞きしましたから、それが原因なんだと」
「え……まさかあたしのために参加してんの? あ、してるんですか?」
信じられない。確かに、等々力さんがいなくなれば――っていう言い方は失礼だけど――あたしは等々力さんと結婚しなくてもよくなると思う。
「――あ、でも、それじゃ……それだけじゃ駄目じゃん」
そうだよ。結婚が嫌とかいう話じゃなくて。
ううん、そりゃこんな年齢で結婚が決まっちゃうのも嫌だけど、それより、あたしの結婚のお祝い金ってことで出資してもらう話だから。
「等々力さんがいなくなっても、結局パパの工場は立ち行かなくなっちゃうんじゃないのかな……」
あたしがそう言うと、
「それこそ、親が子に背負わせるようなものじゃないんですよっ!」
だんっ!
と、等々力さんは両手の拳を自分の膝に叩きつけた。
――うわ痛そう……
「親が責任を取れないことを、どうして子どもが責任取らなきゃいけないんですか! そんなの間違ってる!」
突然の、等々力さんの剣幕に、あたしはもちろん、みんなも驚いてる。
キリトさんはまぁ、大人だし『こっちがわ』じゃないから表情変わらないんだろうな――って、目が合っちゃった。
キリトさんはあたしを見て、ほんの少し首を傾げてから席を立った。
――ところでレイは、どう思ったのかな……
やっぱり気になって、ちらりと隣を盗み見た。
――え……笑ってる?
レイは、等々力さんが感情的になっている様子や、周りの反応を見て、うっすらと嗤っていた。
なんで笑えるの? 他人事だから? 同情とかないの?
「――まぁ、お話はわかりました。とりあえず合格、でいいでしょうね」
等々力さんの話が一通り終わった所で、レイがそう宣言した。その瞬間のポカーンとした等々力さんの表情はちょっと面白かったけど、しょうがないよね。
あたしも、なんでレイが責任者なんだか、理解不能だよ。
「お茶、どうぞ。ドーナツのお供に」
突然、後ろから声が掛かり、あたしは飛び上がりそうになった。
いつの間にかキリトさんが、お茶の入った紙コップがいくつも乗ったトレイを手にして立っていた。
「気配を消すとか、どこのニンジャだよ?」って、知美なら言いそう。最近は、アメコミ風のニンジャ漫画にハマってたし。
「あ、すみません。ありがとうございます」
ペコリとしながら受け取ると、キリトさんは完璧な微笑を作って応える。
そのまま輪を一周して最後にレイにも勧めると、レイは「今はいらん」と断わっていた。
みんな飲んでるんだから、レイも形だけでも付き合えばいいのに。
そんな風に考えながら、あたしはお茶を飲み干す。
それにしても、キリトさんは何種類お茶を用意してるんだろう。
お弁当の時に一緒に出されたのは緑茶だったし、最初にもらったのは紅茶みたいな味だったし。
これは……なんだろう? 香ばしくて、少し苦味のある、甘い物のお供には、確かに最適な味のお茶だった。
キリトさんがさり気なくまた回って、飲み終わったコップを回収する。等々力さんも、一気に飲み干していた。
* * *
あたしたちは、等々力さんも含めて八人で出発した。
ライブハウスの裏手にある細い田舎道を五分ほど歩くと、小さな駅があった。
「この辺にイマドキ無人駅なんてあるんだねぇ」
アケミはきゃっきゃとはしゃいで、モエミやコンタと駅舎をバックに記念撮影してる。
「あれ? アップできない……アンテナ状況は悪くなさそうなんだけど」
早速SNSに上げようとしたらしいアケミがぼやいてる。
「アップ? できるわけないじゃん。何しに来てるのさ」
レイが呆れたように言うと「あ……そうだった」って、ようやくアケミが思い出したらしい。モエミとハナは少し表情が暗い。
「なに? 帰りたくなった?」
レイは意地悪い顔で言う。
アケミたちはちらちらと顔を見合わせる。バツが悪い、って感じ。
レイはアケミたちのことを鼻で笑いながら、駅の古ぼけた時計を見上げた。
「ジャスト。ほら、あれに乗って山の方に行くんだよ」と、レイが指さす方から、一両編制のローカル線がやって来る。
オレンジ色の、古ぼけた車輛。駅も、時計も、電車も――どれもがまるで、ノスタルジーな映画の撮影セットみたいに、時代に取り残されてる色合い。
「こんなの見たことないよ」
コンタが目を丸くしてる。
「『鵜和羽線』、知らない? まぁ超々ローカル線だから知らなくても無理はないね」
そう言いながらレイが乗り込んだ。