6 銀の指輪
「じゃあさ、そっちの、チャラチャラした奴、お前から」
白雪姫は『狐』を指差して言う。てっきり白雪姫たちから始めるもんだと思ってたので、あたしは落胆した。
指差された狐は、相変わらず前髪をいじっていた。小さく舌打ちをしながら座り直して、偉そうに脚を組む。
「オレぇ、こんどーしょーた。ツレはぁ、コンタって呼ぶな。バンドやってんだぁ。オレベース」
『やってた』って過去形じゃなく?
心の中で突っ込みを入れていると、白雪姫が鼻で笑った。
「お前、ホントに死ぬ気あんの?」
「なっ……」
酷くプライドを傷つけられたという顔で、狐――じゃなくてコンタは白雪姫を睨んだ。
でも白雪姫はどこ吹く風。
「さっさと帰って、そのバンドとやらを続ければ? バンドやってれば、少しはモテたりとかして、楽しいこともあるんじゃないの?」と、つれない。
「そりゃまあ、そうだけどよ……」
何故かコンタは急にしぼんでしまう。いつの間にか、みんなも注目している。
もったいぶってないで、さっさと何か言いなよ……という空気になって来て、ようやくコンタは口を開く。
「オレさぁ……戻れないんだよね」
少し芝居がかった様子で言うと、コンタは深いため息をついた。
「もう、あいつらの所には戻れないからさ……」
「あ、それ、理由になってないよ。失格」
――早っ。
雪よりも冷たく言い放つ。
「僕、三文芝居のために人を集めたんじゃないんだよね。はい、一名お帰り――」
「ちょちょっ、待ってくれよ。ちゃんと言うよ。ちゃんと言うからさ」
コンタはすがりつくような目。必死過ぎる。
白雪姫はコンタを一瞥してから、あたしたちの反応を確かめるように見回した。
「ん~……まぁ、そこまで言うなら聞いてもいいけど」
そう言われて、コンタはようやく少しほっとした表情になる。
「俺、バンドのみんなで貯めた金を使っちまったんだ……女に騙されて、全部つぎ込んじまった」
「それって、いくら?」
つい気になって訊いてしまう。
一瞬みんなの視線があたしに集まって、またコンタに戻る。
コンタは力のない瞳であたしを見た。
「三百……いや、四百くらいあったかなぁ……あぁそうだ。三百五十七万八千円だ。何度か数えて、五十万ずつ封筒に分けて、それを輪ゴムで束ねてて……」
コンタはお金を数えるような、身振り手振り付きで説明した。話しているうちにまざまざと思い出したのかも。
「働いて返せないんですか?」
『子豚ちゃん』がおそるおそる質問する。
「ばぁっか、何年働いたら返せるんだよこんな金額。オレ、ただのバイトだぜ?」
――なんだそれ。自慢になんないよ。くだんない。
「ははっ……その程度で死にたがるなんて、大した根性じゃないよ。たかが借金じゃん?」
『リスザル』が見掛けによらない、莫迦にしたような口調でつぶやいた。
「あ~……そこそこ」
白雪姫がうんざりした表情でリスザルを指す。
「死にたい理由なんて基本、他人からみたらどうでも良さそうなことなんだよ。そんくらいわかんねーのかよ」
途端にリスザルはバツの悪い顔になった。
――うん、あたしもだ。コンタごめん。
「つーかさ、質問とかならいいけど、人の話を否定する奴はペナルティな」
白雪姫はリスザルと、何故かあたしのことも見ながら、にやにやして付け加える。リスザルは焦ったようにせかせかと手を動かした。
「えっ……ちょっと、じゃあ今の」
「今のは、説明してなかったからしょうがないけど、これからは駄目」
「わ、わかりました……気をつけます」
――あたしも気をつけよう……
「で、お前は?」
白雪姫が急にあたしに振って来た。
――え、並んだ順番とかじゃなかったんだ?
あたしは少し焦り、ためらいながら話し始める。
「あたしは……杏っていいます。あたしん家、小さい工場なんだよね。自動車の部品とか作ってる。大きい工場の、下請けの下請けの下請けって感じで」
あぁ……という声が誰かから上がる。
みんなの顔を見れなくて、あたしはうつむき加減で話を続けた。
「うん、最近ずっと不況じゃん? でもうちのパパ、大きい工場のお偉いさんと旧知の仲だからとかで、今までそこそこの生活はできてたんだけどさ。でもやっぱ、贔屓って上手くは行かないみたいで……うちの仕事、そこからのがなくなっちゃうらしいんだよね」
「でもそれ、両親の話だろ? なんでお前……えーっと、アン? が死にたくなるんだ?」
コンタが首を傾げる。
そうだよね。普通はそう思うよね。
「ん~……実はね。うちに融資してくれるって人がいたんだよ。お偉いさんの関連会社の社長だか会長だか親戚だか」
「良かったじゃんねぇ?」
『猫』が言う。
「まぁね……でも、そこの息子の嫁に、あたしをくれって話になったんだよね。それが駄目なら融資はしない、って」
あたしは笑いながら続ける。
だってこんなの、笑うしかない。あたしにはどうしようもない。
「何それ。今時、政略結婚みたいな?」
「でも玉の輿じゃん?」
猫は他人のことなのに憤慨してくれた。コンタは能天気。
コンタだって数百万で――って、言い返したくなったけど我慢我慢。
「てゆーか、息子って言ってもさ。お見合い写真見たら、もう三十過ぎのオッサンなんだよね。んで、絵に描いたようなキモオタデブっての?」
今まで誰にも、知美たちにも言ったことがなかった。
「一応、会社の役員ってことになってるらしいんだけど、仕事してないらしいし。昼間っから部屋に篭って何やってんだか、って話。アニメ観てんだかなんだか知らないけど、ってさぁ」
こんなこと、恥ずかしくて情けなくて、知美たちになんて言えなかった。でも一度喋りだしたら、全部吐き出してしまいたくて、あたしの口は止まらなかった。
あたし、ずっと誰かに聞いて欲しかったんだ……そう自覚したら、なおさら止まらない。
「そんなトコにさ、あたしまだ誰とも付き合ったこともないのに、嫁に行かされるって、どうなのよ。しかも、お金のためにさ」
「それ……嫌だ、って言えないの?」
『子豚ちゃん』が、目をうるうるさせている。あたしのために泣いてくれてるんだろうか。
「言ったけど……でも強く言えない。パパもママも大変なの、わかってるから……でも、最初は困ってたパパも、最近じゃ『早く返事してくれ』って催促するようになったしさぁ。パパとママが困るのも嫌だけど、あいつと結婚しなきゃいけないのも、絶対! 嫌なの!」
最後は叫ぶような声になってしまい、あたしは肩で息をする。
誰かがそっと肩に手を掛けた。
「……お座りください。これ、お飲みになると落ち着きますよ」
『ドーベルマン』だった。いい香りのするお茶を用意してくれたみたい。
「ありがとう。ごめんなさい……取り乱しちゃった」
お茶を受け取って一口飲む。ほんのり甘い。
見ていた白雪姫はくすりと笑った。
「お前さ、それに毒が入ってたらどーすんのよ」
隣にいた猫がはっとする。
――確かに、ちょっとだけ考えた。でも……
「自殺したいって人に、そんな簡単に毒なんて盛ってくれないでしょ」
そう言うと、白雪姫は「ははっ。確かにな」と楽しそうに笑った。
「って、ゆーか、あなたたちはそういう卑怯なことしなさそうだから」
あたしはお茶を飲み干す。
白雪姫が目を丸くして見ていた。
「……なに?」
「いや……そんな風に言われるとは思ってなかったんで」
そう言って、白雪姫は、ふいっと目を逸らした。