5 青いパイプ椅子
* * *
白雪姫は、騒ぎが治まってからのんびりと伸びをして目を開けた。
膝枕をしていたドーベルマンの顎に、伸ばした手がぶつかりそうになって、ド―ベルマンのお兄さんは顔をしかめながら、その拳を避けた。
「あの、大丈夫ですか?」
『リスザル』と『子豚ちゃん』が白雪姫を覗き込む。
この子たち、ただあの子を見たいだけじゃないの? なんか照れたように顔がほんのりピンクだしさ。
「あぁ、ありがとう――っていうか、僕、さっきのはわざとやったんだけどね」
起き上がりながら白雪姫は笑う。
リスザルたちはびっくりしてたけど――うん、あたしもびっくりしたけど――顔色はまだ冴えないよ。
人前で倒れたのが情けないから、っていう負け惜しみにしか聞こえない。
「へぇ……?」と、つぶやいたら、ソッコーで睨まれた。
やっぱ負け惜しみだったんじゃないの?
あたしたちは、改めてパイプ椅子を並べ直した。
今度はさっきの保護者会かって並べ方ではなく、丸く、内側を向いた状態で。
これ、椅子でも『車座』って言うのかな?
今度知美に訊いてみよう――そう考えた直後に『今度』なんてないことを思い出して、ほんの少し寂しいと思ってしまった。
知美にも、法子にも、もう会えないんだ……仲が良かった子は他にもいたけど、あの二人に会えなくなるのだけは、ちょっと寂しい。
「なに。友だちのことでも思い出した?」
右隣に座った白雪姫が、またあたしの心を読んだ。そんなに顔に出やすいのかなぁ……
「別に。なんで」と、少しむっとした顔であたしは質問返しをした。
「だから、さっきから漏れてんだよ……『くるまざ』とか『ともみ』とか」
くすっと白雪姫が笑う。だいぶ血色がよくなってる。
その笑い方はちょっと可愛くて……男の子のくせに、そこら辺にいる女子より可愛いってのは、ずるい。
――あたしもこんだけ可愛く生まれたかったなぁ。
でも、どんなに可愛く生まれついても、借金のカタに売り飛ばされるんじゃ意味ないよね。
そして今のは漏れなかったか、直後にちょっと心配になった。でも漏れてなかったみたい。だってあたし、むっとして唇にチカラ入れてたし。
白雪姫は相変わらずにやにや笑ってるけど。
「――結構、残りましたね」
白雪姫の側にそっと寄ったドーベルマンが耳打ちしてる。
「そうか? 僕に言わせれば少ないくらいだ……まぁ、実際こんなもんだろうとは思っていたけど」
どうやら、白雪姫は残った人数に不満があるらしい。じゃあさっきの「これだけか」って台詞も彼のもの?
でも、あの時白雪姫はぐったりしてたし、あと、もっと年いってるような人の声だったと思うし。
少なくとも、あたしの左斜めに座っている、『狐』くらいの年齢。あの人多分、二十代半ばとかそれくらい。
今ここには男性は三人しかいないから、この中の誰かだと思うんだけどなぁ……
「まぁ今更人数の話をしてもしょうがないし、いいよ。始めようか――あれ、お願いできるかな」
白雪姫がそう囁くと、ド―ベルマンは一礼して舞台袖に引っ込んで行った。
「――今度こそ、本物の薬を用意するんだよ」
あたしたちの視線は、口から言葉が漏れてなくても充分饒舌だったらしい。
一同を見回してからくすくすと笑って、白雪姫が自ら説明してくれた。
「さっきのでわかったと思うけど、ネタ探しのために参加するような輩は少なからずいるんだ。こういうオフなら余計にね」
可愛い顔が、憎々しげに歪む。
そういえばあのスエットの人、録ってた音声をどうするんだろう。アップしたりするのかなぁ……
「あとはまぁ……そんなに死にたくないけど、死んでみようかなぁってノリで参加したやつとか。そういうのは最期の最後で醜く悪あがきするかも知れないから――」
白雪姫がまたあたしたちを見渡して言葉を切る。
「今からでも帰ってもいいんだよ? 別に、今ここにいるからって無理に拘束はしない。死ぬのが嫌だと思うなら、引き留めはしない」
だけど、白雪姫のその言葉を聞いても、誰も席を立たなかった。
その様子を眺めて、白雪姫は満足そうにうなずいた。
* * *
ドーベルマンが、黒いアタッシェケースを手にして戻って来た。
「――様、こちらで」
小さい声で白雪姫の名を呼んだように思ったけど、聞き取れなかった。
――あれ? そういえばさっきは『坊ちゃま』って呼んでたよね?
そんなどうでもいいことを疑問に思っている間に、白雪姫はダイヤルキーをくりくりと回してアタッシェケースを開いた。
ダイヤルを回すその指先は、不思議なくらい優雅で美しい。テレビドラマとかで手のアップが映る時の、あの感じ。
すぐ隣だから、その様子がよく見えて役得だなーなんて思いながら見とれてた。
「しまったダイヤルキーの番号もわかったかも知れないのに」ってその直後に思ったけど。
まぁ番号を知ったところで使い道はないんだよね。単なる興味本位。
ケースの中にはつるつるとした光沢のある布が張られていて、中央にふたつのくぼみがある。そのくぼみには瓶が一本ずつ。形や大きさは、さっきの瓶と同じものだった。
「さてこの薬、一方がダミーで他方が本物だ。素人には見分けがつかない」
白雪姫は座ったまま、アタッシェケースから取り出した二本の瓶を掲げて、あたしたちに言った。
「そしてこの瓶は、僕が肌身離さず持ち歩いている。そして、最終審査で合格した奴らには僕が直接薬を渡すことになる」
にやりと嗤いながら見回して、最後につけ加えた。
「――だから、抜け駆けしようとするなよ?」
一同がざわついた。
「あの、合格しなかったら薬をもらえないんですか?」
『リスザル』がおどおどと質問する。
「そうだね、合格するまではおあずけだ――もっとも、薬をもらったからといって、すぐ服薬する必要もない」
白雪姫が冷たい微笑みを浮かべて答えた。
「ただ、もらった順番にみんなが飲んで行ったとするなら、残される者には、徐々に後悔と恐怖が襲って来るかもねぇ?」
「ダミーっていっても、つまり片方は偽物でしょ? 適当に瓶を奪って飲んで、何も起きなかったらもうひとつの方が本物ってことじゃない?」
『猫』が首を傾げながら言った。
――あぁ、なるほどね。チャラいギャルなのかと思ってたけど、意外とこの子、あったまいーい。
そう感心していると、「さて、それはどうかな?」と、にやりとする白雪姫。
――え、違うんだ?
あたしだけじゃなく、猫もきょとんとしてる。
「確かに偽物を飲んでも死なない……でも、超強力な下剤なんだよねぇ、これ」
ニヤニヤしながらそう言うと、白雪姫は我慢できなくなったのか、ぷぷっと吹き出した。おかしくてたまらない、って感じで。
「偽物を飲んだら、それこそ『死んだ方がマシ』って状態になるかもね。あ、運が良ければ脱水症状で死ねるかなぁ?」
――完全に悪魔の笑み。性格悪い、この子。
質問した猫をはじめとする、あたし以外の人たちは、一様に蒼ざめていた。
「――まさか、ほんとに飲んで確かめようとしてたわけ?」
思わずつぶやいてしまう。
また横から、ぷふっと小さく吹き出したのが聞こえた。
「いいね、面白いよ、なんて名前だっけ――あぁ、そうだ。改めて自己紹介を始めようか」
そういえば自己紹介ってまだしてなかったんだっけ……忘れてた。ぶっちゃけ、他の人たちの名前なんてどうでもいいけど。
まぁせっかくなら、白雪姫とドーベルマンの名前は知りたいかな。