4 茶色の小瓶
にこやかな表情をあたしに向けたお兄さんは、どうやら参加者ではなく主催者の方だったらしい。
そういえばスーツ姿だ。
明る過ぎないお洒落茶髪をきれいにセットして、通販番組とかワイドショーのアナウンサーっぽい雰囲気があるかも。
優しい笑顔だし、ツンケンした男の子より全然感じイイ人じゃん――なんて思いながら会釈を返した時、気付いてしまった。
――このお兄さん、眼が笑ってない。
テストの見回りの時の先生の眼、みたいな、まるっきり『監視の眼』だった。
感じイイ人なんてとんでもない……○長の隣にびしっと構えているド―ベルマンみたいな威圧感だよ。
少しぞっとしながらあたしがぎこちない笑顔で会釈すると、お兄さんは笑ってない眼でまた優しく微笑んだ。
* * *
建物の内部も、やっぱりライブハウスのような造りだった。
入口からすぐ、地下に下りる階段になっている。内装は黒一色で、奥の方に小さなステージがある。スポットライトもその上に設置されている。
電気は通っているらしく、客席側の天井のライトが灯されていた。
え、「中学生のくせに、ライブハウスに来たことあるのか」って?
そんなの、当たり前じゃん?
なんて、あたしの場合は知美に連れて行かれただけだけど。
「イマドキ、地下アイドルのおっかけのひとつもしてなきゃ『じょーきょー』とは言えないよ」なんて知美は言ってたけど。
じょーきょーってなんなのかもわからないから、あたしは多分じょーきょーじゃない人だと思う。
* * *
あたしたち参加者は、観客席がわに並べられたパイプ椅子に、自由に腰掛けるようにと勧められた。
一列に十脚くらい並べられていて、それが五列分。
参加人数より多いのは席を選べるようになのか、それとももっと参加者がいると思ったのかわからない。
ひょっとして『当選しました』ってのは定型文で、応募した人全員にメール送ってるのかなぁ?
スカスカな座席を見ていると、学校の体育館で行われた保護者会を思い出す。
生徒が一所懸命、というか嫌々ながら並べたパイプ椅子の列も、実際保護者会が始まるとスカスカ過ぎて「あたしたちの労働力を返せ」って気分になったっけ。
その時と今の違いは、参加者たちの熱を帯びたような視線だった。
様子を見ていると、なんとなくこれから怪しげなセミナーとかが始まりそうな雰囲気でもある。
ちなみに仕切っていたのは、笑顔を絶やさず、しかし管理者としての威圧感をさり気なく漂わせていた『ドーベルマン』なお兄さんの方。
待っている間に知り合いになったのか、まさかと思うけど一緒に参加してるのか、示し合わせて隣り合った席に座る人たちもいる。
っていうか、これから死ぬって時に、オトモダチ作ってどうするんだろうね。
みんな大体は前の方の席を取っているので、誰とも馴れ合うつもりがないあたしは、一番後ろの列、入り口から離れた椅子を確保する。
ざわざわしながら全員が席に着くと、男の子の方が全体を見回して小さくうなずいた。お兄さんはそれにうなずき返してから階段を上り、入口のドアを閉める。
ギュイィ……
バタン
重たいドアの音と共に、ぷしゅうと空気の漏れるような音も聞こえた。ドアや壁に貼られている、防音用のクッション材か何かがすれた音なのかも知れない。
お兄さんが戻って来たところで、まず口を開いたのは、男の子の方だった。
「じゃあ、自己紹介代わりに、オフに参加した理由を話してもらおうかな」
『白雪姫』のような可愛らしい顔に、冷たい微笑みを浮かべて。
「はぁ? 何それ。必要?」
参加者の一人が、莫迦にしたような反応をする。
「あの薬は、とても貴重なものなんだ。だから、使うに値しない理由で使われるのは、こっちとしてもねぇ」
くすくすと、楽しそうに笑いながら白雪姫は話す。
「あの、名前も……本名も、言わなきゃいけないんですか?」
手を挙げて、小動物系の顔の女の子が質問する。神経質そうな声。同い年くらいかなぁ、あの子。なんかリスザルっぽい。
「ん~、どうしよっかなぁ~」
くすくすと笑い続ける白雪姫。途端に場内がざわつき始める。
確か募集してた時は本名を書くようになってなかったよね。その時書いた名前を名乗ればいいんじゃないの?
あたしがそんな風に考えていたら、ドーベルマンが白雪姫に何か耳打ちをした。
途端に、すねたような表情になる。
「……わかったよ。名前は、別に。言いたきゃ言えばいいし、偽名でも何でもいいよ。どうせみんな一緒に逝くんだろ?」
吐き捨てるようなセリフ。それを聞いて誰かが息を飲む。
――そういえばそうだった。
あたし、死ぬためにここにいるのよね。時々、忘れそうになる。
「あと、やっぱ自己紹介の前に、今日のオフの手順を説明しろってさ。それ聞いて帰りたくなった奴は帰っていいらしいよ」
やっぱりすねたような、不満を隠しもしない様子で、白雪姫は説明を続ける。
「それからこのオフに関して、撮影したり録音したり、あと呟いたりするのも禁止な。それ判明した時点でソッコー退場だから」
「呟くのはまだわかるけど、撮影とか録音って……今更そんなことする意味もないんじゃないの?」
つい、疑問を口にしてしまった。
みんなの視線が一斉に、あたしに向かって来る。
「ま、そう思うよねえ普通は。でもさ、世の中には冷やかしが好きな人種もいるんだ。あと、動画配信とか? そういう奴ってスクープ欲しがるじゃない?」
白雪姫が苦笑する。
「あぁ……」と感心する声が、あちこちから湧き上がった。
あたしも感心してしまった。
そういう人も参加してるかも知れないなんて、全然考えてなかった。
あ、『自殺』とか『死ぬ』とかいう単語を避けて説明してて、やたら回りくどい奴だなって思ってたけど、ひょっとしてそれもわざとだったのかなぁ?
* * *
「――で、その薬を飲んでから大体一時間か二時間すると、効き目の遅い人もみんな気持ちよく眠っている状態になるわけです。そこでこれの登場です。さて、皆さん――」
白雪姫は、ズボンの両ポケットから、茶色の小瓶を一本ずつ取り出して、高く掲げた。みんながその瓶に注目しているのをゆっくりじっくり確認して、ようやく満足げな笑みを浮かべべ、またおもむろに口を開いた。
「温泉の素ってご存知でしょうか。と、いっても、別に珍しくもなんともないよね。お風呂に溶かせば自宅で温泉気分ってやつ。ところがこれが、今回のオフでは重要なわけです――何故だかわかりますか? わかりますよねぇ」
白雪姫はそこで言葉を切り、またあたしたちを見回した。
温泉の素なら知ってる。お歳暮とかでたまに来るやつだよね。
でも、あのいい匂いのするものと――たまに、ゆで卵クサイのとかあるけど――この集まりと、なんの関係があるのか、あたしにはわからない。
でもでも、みんなうんうんってうなずいてるから、「わかりません」って言うのは恥ずかしかった。
「と、いうわけで、僕が右手に持っているのは塩酸が入った瓶です。そしてこっちにあるのは――」
そしてそれから、ねずみ色のスエット男が録音してたとかで白雪姫がキレちゃって、さっきのあの騒動が起きたってわけ。
* * *
あたしは騒動のあとに残った人数を数えてた。
『子豚ちゃん』に『狐』。『リスザル』と『豹柄猫』。あとは主催者の二人とあたしで、やっぱり七人しかいない。
じゃあ、さっきの声は誰のものだったんだろう? 男性だったのは確かだ。
「結局、これだけか……」
――あたしたちはこれから自殺しに行くのに。
なのに、『これだけ』ってどういう意味なんだろう?