2 ピンクのケータイ
* * *
始まりは、数日前のこと。
ケータイサイトの掲示板に、奇妙な書き込みを見つけたのは法子だった。
――『安楽自殺薬、差上げます』――
「何これ」
法子からケータイを見せられたあたしの感想はそれだけ。
「何って、なんか気になんない?」
法子は期待に満ちた目で言う。
「ばっかばかし。どーせまたいたずらでしょぉ?」
知美が鼻で笑う。
ネットオタクな一面があるから、こういう時にまったく動じない。
「え~? でもさ、ここいらの掲示板のほぼ全部に書き込まれてんのぉ。しかもさ、書き込みの時間とか、全部ほぼ同時でぇ」
法子が少しムキになりながら説明する。
「それはねぇ、スクリプトっていって――」と、知美が冷めた声で返す。
あたしはそれを聞き流しながら、法子のケータイを凝視していた。
今時のJCだというのに、未だにパカパカのガラケーを愛用している法子が珍しいから……ではなく、掲示板の書き込みそのものに興味を持ったから。
安楽自殺薬……楽に、死ねる、薬。
自殺って、痛かったり苦しかったり汚かったりするもんでしょ……でも、本当に楽に死ねる薬がもしあるなら。きっともっと逝く人が増える。
――考えちゃ駄目だよ……気にしちゃ駄目だよ。
そんなもので楽にはならないんだから。絶対苦しむんだから。
かろうじて理性があたしを引き止める。でもその声は段々遠ざかって……
「杏~。あ~ん~!」
法子の声で我に返った。
法子たちは廊下の向こう端。階段を上ろうとして、振り返ったところらしい。
――遠ざかっていたのは理性の声じゃなくて、法子たちだったか。
なんて、くだらないオチを頭の中でつける。
「杏ってばぁ! 杏の忘れ物取りに戻ったんだからね? 早くしてよぉ!」
「あー……ごめ、今行くわ」
ケータイをたたんで、あたしは放課後の廊下を走り出した。
っていうか、法子は自分のケータイを他人に持たせてても平気なのね?
――自殺する人はきっと、忘れ物なんて気にしないんだろうね……
じゃあまだあたしは大丈夫。
* * *
教室の近くまで戻って来ると、数人の嘲笑が聞こえて来た。
廊下の窓から数人の女子が固まっているのが見える。多分いつものメンバー。
「またやってるよぉ、アズサたち。よく飽きないねぇ」
知美がため息をつく。
――ああ、またか。
あたしもため息をついた。くだらなさ過ぎる。
アズサたちの仲間内で流行っている『遊び』。真由美いじり。
いじられてる――ってゆーか、いじめられてる――真由美は、ちょっとぽっちゃりで大人しい感じ。まぁ、何をやらせても人より少し遅い。
体型関係ないのはわかるけど、体型に似合ってて遅い、っていうイメージを誰もが持つと思う。
で、アズサって子のグループが、いつも真由美からかってる。というか、やっぱりちょっといじめてる感じ。
それを「え~? いじってるだけだしぃ」と言い訳してるんだけど。
ま、さっさと帰ればいいのにこんなことに時間取ってるアズサたちも、逃げればいいのにいじられてしまう真由美も、どっちも暇なんだなぁ。
「真由美も何か言い返せばいいのにさ……」
法子があたしに耳打ちする。
そう思うんなら、それ、本人に言えばいいのにさ。
そうやってこそこそ陰で言ってるのも、割と同罪だと思うんだけど。
――ま、どれもこれも、あたしには関係ないけど。
冷たいと言われようがどう思われようが関係ない。興味ないんだもん。
興味あったり助けてあげたいと思うんだったら、そいつらも陰で言ってないで実際やってやればいいんだよ。有言実行。
「ね~ぇ、どうする? 杏の席占拠されちゃってるよ」
知美が面倒臭そうにあくびをしながら言った。
真由美の席はあたしの後ろ。んでもって今、アズサがあたしの机に座ってる。
――やだやだ……あとで消臭剤撒いておこう。
でもあたし、アズサの遊びが終わるまで待ってられるほど暇じゃないんだよね。
なので、教室の扉を一気にバタンって開けると、まっすぐ自分の席に向かって歩いてった。
「つーかさ、そこ、あたしの席なんで、ちょっとどいてくんない?」
「ちょっと、杏……」
入り口で法子が焦ったような声で呼んでる。
でも法子はいっつも心配するだけだよね。自分は安全圏にいて。
「はぁ?」
アズサはヤンキーがメンチ切ってるような顔で睨む。
板についてないし、ちゃちい。これで脅してるとか、他人をどうこうできると思ってること自体がくだらない。
真由美、この程度のメンチ切られてびくびくしてんの?
――正直、変顔にしか見えないから、吹き出しそうになっちゃったよ。
「あ、ごめんねぇ。ひょっとして耳悪かった? あのねぇ! そこ! あたしの席だからぁ!」
吹き出す代わりにあたしが耳元で怒鳴ると、アズサは慌てて耳を押さえる。
「うるせーよ莫迦! 聞こえてるっつーの」
「行こ行こ。あほくさ。あーあ、しらけたし」
「空気読めよなぁ」
口々に何か文句を言いながら、アズサたちは教室を出て行った。
知美がくつくつと笑っているのが聞こえる。
「もう、杏ったらやめてよ、あーゆー人に絡むの」
近寄って来た法子が、まだびくびくしてるような声で文句を言う。
大丈夫だよ。
法子が心配してるのは、法子自身に被害が及ばないかどうかだけでしょ?
……なんて、口には出さないけどね。あたしもそこは打算してるのかなぁ。
「だってさー、邪魔だったし」
あたしはそう言いながら机を探る。
あー、あったあった。このプリント、明日までに提出なんだよね。
別に一日くらい遅れてもあたしはいいんだけど、担任よりママの方がそういうことにはうるさいので面倒臭い。
「あの……」
真由美が少し上気した顔であたしを見上げている。
「なに」
まだいたの? と、続けそうになったけど我慢我慢。
「あの、ありがとう。森谷さん、あたし……」
――ん~、なんていうか、ほんとすんごく聞き取りづらい。
お礼言うのは好きにすればいいけど、相手に聞かせるつもりないのかな?
せめて相手に聞こえるボリュームで言おうよ……小さい声で、口もたいして動かさずにボソボソと言われてもさ。
「別に、邪魔だったからどいてもらっただけだし。真由美もさ、なんか言いたいことあるんなら言い返しなよ」
誤解して欲しくないから釘を刺しておく。なのに、途端に傷ついたような表情に変わる真由美。
「あたしは……だって……」
――いや、あたしに言い訳をされても困るし。
「言い返せないんだったら、相手しないでさっさと帰ればいいじゃん? あんなのずっと相手にしてたら、わざわざいじめてくださいって言ってるようなもんだよ」
「ちょっと杏……」
争いを好まない法子が横から口を出す。
「酷い……森谷さんって、優しい人かと思ってたのに……っ」
真由美はカバンを引っ掴むと、教室を飛び出して行った。
なんだ? あれ。捨て台詞して逃走するとか。今度はあたしが加害者?
こっちだって慈善事業じゃないんですよ。
っていうか、そのくらいアズサたちにも捨て台詞吐いてみればいいのに。
さっきも、カバン引っ掴んで走ってったらよかったのに。
「あそこまで言わなくてもいいんじゃない?」
知美がため息をつく。
「ん~……あそこまで言わなきゃ、あたしがつきまとわれんでしょーが」
プリントを丁寧にたたみながら、あたしは答える。
「別に真由美を虐めるつもりはないけど、守るつもりもないのよね、あたし」
正直、めんどくさい。自分のことだけで手いっぱいなんだから。
「冷めてんなぁ、杏は」
知美が苦笑する。
「普段は知美の方が冷めてると思うよ?」
言い返すと、後ろ頭をはたかれた。