ある日の引きこもり竜女様
以前連載として投稿していたのですが、手違いで削除してしまい、短編として投稿しなおしました。前回投稿したものを読んでくださった皆様、ありがとうございました。そしてすみません。
「竜女さま~。いらっしゃいますか?」
山間の村に若い女の声が響いた。その村のはずれにひっそりと、しかし厳かに建つ高床式の一軒家の前で、少女の緊張感の無い声はどこか場違いに聞こえる。
地面から高床へと続く高さ4~5メートルの階段の下からでは屋内に声が届かなかったのか、反応が無い。
少女は手に持ったお盆の上の朝ごはんをこぼさないように、ゆっくりと階段を上った。上りきった先にある入り口には、独特の模様が描かれたのれんが掛けられている。少女は、手にしたお盆を慎重に片手に持ち替え、のれんをくぐった。
「……」
小さな背中の少女が、身じろぎ一つせず大きな岩を木々の葉で飾りつけた祭壇の前に座っていた。
(竜女さまは占い中でしたか……)
少女は小声で「失礼しました」といいながらゆっくり出て行こうとしたが、そんな少女に小さな背中から声がかかった。
「……ふむ。娘よ、もう終わったぞ。」
「すみません。占い中だとは露知らず……」
「気にするな。もう大体済んだところだったのだ。」
ゆっくり振り向きながら、祭壇からお盆を持った少女に声をかけた小さな背中の主は、その幼い容姿に似合わない、年より臭く、どこか偉そうな口調で返事をした。
「それに、たとえ占い中であったとしても、そなたに声をかけられたくらいで私の集中は途切れたりせんよ。」
ふふん、と着物がよく似合う体型の胸を反らせ、軽く目を瞑りながら竜女と呼ばれるその少女は得意気だ。
「さすが竜女さま!」
すかさず褒めるお盆を持った少女。
「気高き竜の血を引く私には、それくらい造作もないのだ。」
「竜女さますご~い!じゃあ、これからは気にしませんね!」
えっと竜女の表情が固まる。
「うm……いや、少しは気にしたほうがいいのではないか……何というか、立場的に……」
竜女はこの村では敬われる存在だ。竜女が望んだかそうでないかは別として、いつのころからかそうなってしまった。
「お祭りのときも、厳かにするのやめましょう。」
この村の年に何度かある祭りは、竜女の住むこの家の周りで行われる。村に住む人々は、祭りの際にほんの少しだけ見られる竜女の変わらぬ美しい姿に、畏怖と尊敬の念を抱くのだ。
と、竜女は思っている。
「い いや、それとこれとは話が別……」
竜女は、祭りの席で出される甘酒の味を思い出し、ほんの少しの間幸せな気持ちになった。しかし祭りの厳かさがなくなれば、村人に自分のすごさが伝わらない。酒蔵も、祭りにわざわざ甘酒を出さなくなるかもしれない。堅苦しい祭りの唯一の楽しみを奪われる。
それは絶対にあってはならないと竜女は憤った。
本来嫌でたまらないはずの堅苦しさが無くなる事と、祭りでしか飲めない甘酒を天秤にかけたことに気づかない竜女は、これまた気付かず余裕で甘酒を取った。
「みんなでこの「牡丹のお社」を囲んで、どんちゃん騒ぎしましょう!」
それは楽しそうだ……と一瞬竜女は考えた。厳かな祭りのあと、場所を変えて村人が楽しそうに酒を飲んだり、音楽に合わせて踊ったりしているのを竜女は知っていた。
いつもこっそり眺め、うらやましく思っていた。
「……い いや、だめだ!」
「なぜですか?竜女さま。」
言えない。威厳を失えば甘酒が飲めなくなるかもしれないから、なんて言えない。
「なぜって……そんなことしたら人が大勢来るではないか!」
竜女は話をそらすことにした。
「来るでしょうね。」
しかし、竜女は話をさらすのが致命的に下手だった。
「こ こわいではないか!」
「……」
「……えーっと」
竜女は、甘酒につられ厳かさと言う名の堅苦しい祭事を許容していることから話をそらしたかった。
なぜなら、竜である自分が甘酒ごときに心揺さぶられていることに恥を感じたからだ。そんなかっこ悪い自分が許せなかったからだ。
しかし、話をそらした結果、ある意味さらにかっこ悪くなっていることにも竜女は気付かない。
「竜女さまは人がお嫌いなわけでは……」
「ない!人には親しみを感じているぞ。」
村の人間は自分の指示をよく聞き、少しずつ暮らしを豊かにしてきた。
そんな村人たちを竜女は誇りに思っていたし、好きであった。甘酒も造ってくれるし。
「それでは……どんちゃん騒ぎするのが、竜女さまと同じ竜人さまであったら……」
「こわいっ!」
どうやら人か竜人かは関係ないらしい。
「……」
少女は沈黙した。これもしかして……
「たくさんの人に囲まれるのは、こわくないか……?」
少女は、そうかな?と思ったが、口には出さないだけの配慮はあった。いろいろ考えたが、竜女に聞くのが一番早そうだ。
「……竜女さまは、相当長い間この「牡丹のお社」にいらっしゃるのですよね?」
「ん?……うむ。それがどうかしたか?」
「その間、外界との接触は?」
「ほとんどないな。人との直接的な関わりは、そなたのような巫女と呼ばれるものたちとのみであったし……竜人である私が、ほいほい人々の中に混じるわけにもいくまい。私がこの村に入れ込んでいる間に他の竜人たちとも疎遠になってしまった。風のうわさに、天界にひきあげるものも多いと聞く。」
つまり、人との接触は最低限の生活を、それはもう長い間してきた、と。
「……わかりました。」
「?何がわかったのだ。」
竜女は巫女の少女の確信めいた様子に、思わず聞いた。
「竜女さまは……長い間お一人で居られた結果、」
「結果……?」
「ひきこもりになってしまったのです!!」
少女は笑顔で言った。いい笑顔だった。
「……っ!?」
竜女の小さな体がよろめく。
「……な なんということだ……」
頭を抱え、呟くように言葉をもらす。なんというか、辛そうだ。なんかそんな感じだ。
「天界に雨雲の竜女ありと言われたこの私が……ひ ひきこもり、だと……?」
わなわな震えながら、目をぎゅっと瞑って腕を振り上げ竜女はわめいた。
「巫女よ、撤回しろ!」
竜女は撤回を要求する!
「しかし、実際に竜女さまはひきこもr」
無慈悲に巫女少女は切り返した。
「うわぁああああ聞きたくない」
かっこ悪い自分が嫌で話をそらしたはずなのに、なぜこんなことになってしまったのか。圧倒的な対人コミュニケーション不足の竜女には理解できない。
「これから、『息子が部屋から出てこない』なんていう母の悩みを相談されたとき、私はどうしたらよいのだ!」
竜女は半泣きだった。
「『私もそうだ。死にはしない。』などと言っておいては?」
「何の解決にもなってないではないかっ!」
竜女はここまでの展開に頭が追いついていなかったが、さらりと反論できた。まだ真の引きこもりとはいえないだろう。真の引きこもりは、とっさの反応に声がついてこない。
人と話さないため、瞬間的に声の出し方忘れてをしまうのだ!
「女の悩みなんて、大体聞いてほしいだけであって、解決策なんて求めていないものですよ。」
本気でへこむ竜女を前に、巫女少女は適当なことを言う。
「そうなのか。」
じゃあ、あのときのあの相談も……と、時々悩み相談にやってくる村の女性たちとのやり取りを思い出した。
「そんなものです。」
巫女少女はしたり顔だ。
竜女はしばらく、いい助言ができたと思ったのに当人の反応が芳しくなかったのはつまり……などと考えていたが、うまく話をそらされていることにはっとした。竜女も見習いたいものだ。
「ではなくて!」
「はて……なぜこのような話になったのでしょう。」
巫女少女はとりあえずとぼけた。
「そなたが意地悪だからだっ!」
竜女は言いようのない苛立ちをぶつける。しかし、巫女少女はポンと手をたたき、言う。
「あぁ、そんなことより」
「そんなことよりだと!?」
「朝食を御持ち致しました。」
巫女少女は、自分の後ろに置いた朝食を竜女の前にすっと出した。
それを見た竜女は、思わず黙る。朝食だけでなく、竜女の一切の食事は、巫女たちが無償で、善意で提供してくれていた。
「……いつもありがとう。」
「いえ、我が村をお守りいただいている竜女さまに、三食ご用意させていただくなど当然のこと。それを配膳させていただく私は、なんと誉れ高いことでしょう。」
にっこり笑う巫女少女に、少し言いづらそうにしながら竜女はお礼を言った。竜女は箸を取ると、手を合わせ頂きますと呟く。
そのあとすぐに食べ始めずに、しばらくの間手を合わせ、祈るように目を閉じていた。
「……その割に、娘は少し意地悪ではないか?」
食べ始め、思わずといったように竜女が言葉をもらす。
「竜女さま、いつも申しておりますが、お食事を召し上がっている最中の私語はお控えください。」
そう注意する巫女少女は、行儀の悪い子を叱る母そのものであった。
……あ、姉ですね。すみません。
「す すまぬ。」
思わず謝りながら、竜女は黙々と用意されたご飯を食べていった。その間、巫女少女は静かに竜女の傍らに控え、食べる様子を見守っていた。
「……」
巫女少女は、竜女の食べる様子を見ながら、静かに過ごすこの時間が密かに好きだった。
竜女の住むこの高床式の 「牡丹のお社」と呼ばれる建物は周囲を森に囲まれた村はずれに建っている。
静かな場所で研究がしたい、という竜女の要望を聞き、何代も前の村長がこの地に建築したという。周りに人は居らず、聞こえるのは鳥や虫の声、風に揺れる葉の音だけだ。
その音を聞きながら、自分たちの作ったご飯をおいしそうに食べる竜女の姿を眺めるのは、とても贅沢に思えた。
本当は楽しくおしゃべりしながら食べてもいいのだが、村の幼子のような容姿の竜女には、やはり幼子に対するしつけのような対応をついついしてしまう巫女少女なのだった。
そして竜女も、巫女少女に注意されると思わずしたがってしまう。
「……今日も平和ですね。」
まだ一日は始まったばかりだというのに平和な一日の訪れを確信した巫女少女は、竜女が食べ終わるのを見計らって声を掛けた。
「ふむ。今日は、な」
ご飯の器をお盆に置き、ご馳走様でしたと、時間を掛けて祈るように言ってから、竜女は返答した。
「……占いに何か?」
「うむ。雨竜の相が出ている。十日とたたず嵐が来るだろう。」
「! 大変!急いで準備しなくては。風で飛びそうなものを取り込んだり、作物の対策も必要ですね。」
先ほど祭壇の前で行っていた占いで嵐の予兆が出ていた。竜女はこの村に招かれてから天気の占いをはずしたことは無い。巫女である少女はそれをよく知っていた。
「うむ。作物の対策に関しては、土を足し、藁を敷き詰め重しで固定するくらいか。」
「稲はいかがしましょう。」
「水を深く張って、稲が風で揺らされすぎないようにしよう。水の量は、危険だが、機を見て用水路の壇板を調節するしかないだろう。用は稲穂が水に浸からなければよいのだ。」
巫女はただの食事係ではない。竜女の言葉を聴き、それを村人に伝えることもまた重要な役目である。
「屋根の点検や、万一を考えて水害対策を……」
「屋根の点検はもちろん必要だが、水害対策はここ何年か重点を置いて行ってきた事業の一つだ。用水路の整備には特に重点をおいた。水はけがいいとはいえないこの土地にはなくてはならぬものだ。また、幾度かあった洪水を教訓に、川の堤防もずいぶん高くした。今更すべきことはそうない。川の点検を行って、心配なところに土嚢を積んでおくぐらいか。」
いつになく饒舌な竜女は、引きこもりらしからぬ舌の回転をもって、長い台詞を噛まずに言い切った。
「竜女さま、土嚢とは?」
「袋状のものに、土を入れたものだ。ほら、森で採った果実を入れる荒縄で編んだ袋があるだろう。あれに沢山土を入れたものを想像するといい。」
素直に説明されたものを頭に思い浮かべた巫女少女は、分かったというように軽くうなずく。
「それを重ねて、堤防の心もとない場所の補強をするということですね。」
「そうだ。荒縄の袋は大量に合ったほうがいいな。万一のときに役立つ。」
「わかりました。村の手空きの者に、作るようお願いしてみます。もちろん私も作りますが。」
「やることはやってきたのだ。あわてる必要はない。まぁ、ぼちぼち頼む。」
「はい。」
「……」
「……」
牡丹のお社に静寂が訪れた。
先ほどまでの生き生きとした姿とはうって変わって、竜女は静かになった。今は、先ほど占いで使った勾玉をつかって片手お手玉をしていた。以前暇つぶしにと、巫女少女が竜女に教えていた。
引きこもりは、自分の好きなことが話題に上れば過剰なほど舌が回るが、器用に相手が好みそうな話を振るのは苦手だ。苦手というか、できない。巫女少女とは親しいので沈黙も気にならないが、もし赤の他人と密室で二人きりになったら竜女はどうなるのか、見てみたい気もする。
巫女少女は、このお社のいじり甲斐のある主と過ごす静かな時間も気に入っていたので、黙って鳥や風の音を聞いていた。
しばらくたって、巫女少女がにこりと笑って竜女に話しかけた。
「いつになくまじめな話をしてしまいました。」
「仕方ないだろう。ある意味で私の見せ場なのだ。」
竜女が根も葉もないことを言う。
「……地味な見せ場ですね。」
確かに地味だ。
「っ!?地味?言うに事欠いて地味!?治水はな?竜の専売特許であってだな?」
唯一といっていい見せ場を地味と言われて、気にはしていた竜女がまたわめく。
「それでは竜女さまから伝え聞いたことをみんなに伝えてまいります。」
「は 話を聞かぬか!」
「では、竜女さま。後ほどまた。」
今日も竜女を十分いじった巫女少女は、満足してお盆を持って立ち上がった。昼食何にしようと考えながらお社を出て行く。外はいい天気だ。
「こらっ、まて!」
「失礼いたしました。」
巫女少女は、にっこり笑って姿が見えなくなった。
「まっ…ぬぬぬーーっっ!」
竜女は悔しそうだ。だがたぶん、巫女少女が昼食を持って来るころにはケロリとしている。
後に引きずらない竜女本人も気付いていない美徳を理解しているからこそ、巫女少女は安心していじることができるのだ。
「ぬぅー!」
今日もやっぱり平和そうだ。
読んでいただきありがとうございます。