輝く
「言うつもりはなかったんだがな・・・」
吉岡を見送ったあと、車内でひとりぼやいてみる。
まああれだけ言えば、さすがのあいつも気が付くだろう。もっと違うところで鋭くなってもらいたいものだ。
きっと、あいつには話したかったんだ、俺は。
だが・・・
傷ついているあいつに俺の話をしたところで不安にしかならない。前に英一にそう話した事がある。俺の重たい過去なんか聞いても疲れるだけだ。
「それはきっとお互いが思っている事だ。だがな理、私はそれが光になると思っている。大事な人に何かしたい、役に立ちたいと思う事は生きる希望に繋がると思わないか?人間は誰かに必要とされたい生き物だ。そうやって皆生きる価値を見い出そうとする。今のお前たちには大切な事だと、私は思うよ。」
そうなんだろうか。
「・・・英一、大切なやつに負担をかけたくないと思うのも、また人間てやつだと思わねえか。」
9月初旬、月初めは毎度のことながら鬼の様に忙しく、今日も残業に勤しんだ。連日の残業、疲れに疲れ、足を引きづりながらやっとの思いで車に乗り込んだ楓は、座席にもたれかかって深く息をつく。
プルルルルル
「・・・お父さん、かなあ。」
光る画面には、なんと「若槻課長」の文字。楓は慌てて通話ボタンを押す。
「ふぁい!課長!?」
「・・・吉岡、お前に頼みがある。」
いつになく真剣な声に、楓は言葉に詰まりながらも恐る恐る尋ねた。
「は、い・・・何、でしょうか?」
「今から・・・家に来れるか?」
「えっ、課長の家にでしょうか?」
「ああ・・・璃子もいるし無理にとは言わんが・・・ぐっ」
「課長?課長??どうしました!?」
「はあ・・・はあ・・・うっ」
ブツッ
そこで電話は途切れた。
なんちゅう色気に溢れた吐息・・・
いやいやいや違う!あれは何だか苦しそうな声だったような・・・!?
お父さんに連絡を入れ、楓はすぐさま課長のアパートへと向かったのだった。
「すまねえ、な・・・」
インターホンを鳴らすと、ゼェハァ感の半端ない若槻課長がおでこに冷えピタを貼って、見事な前傾姿勢で出迎えてくれた。グレーの寝間着姿の課長、眉間の皺はいつもの三割増しである。
「わあ!やばそうじゃないですか課長!早くベッドに、ちょっと肩失礼しますよ!」
肩を抱きかかえ、ベッドまで運ぶ。
「課長横になってください!熱は何度なんですか?」
「いや、このままでいい。熱は言えねえが・・・結構高めだ。」
「高熱なんですね!?早く横に、」
「いや、いいんだ、このままが楽なんだ。吐き気がするし・・・背中がいてえ。」
「背中?あと痛い所あります?」
「・・・左の脇腹と、みぞおちが」
「課長、それってすいえ」
「言うな吉岡、それを言われると痛みが増す・・・いてえ・・・」
「朝は全然そんな風に見えなかったのに!」
「早番で帰ってきてから、なんか気持ちわりいなとは思っていたんだが・・・かれこれ一時間はこの痛みと闘っている・・・」
「一時間!?膵炎の痛みってやばいっていうじゃないですか!すぐ病院行きましょう、今日の当直はえっと・・・内藤先生ですよ!」
「あのひげ面か・・・ちっ」
「そんなこと言ってる場合ですか!歩けます?おぶりましょうか!?」
「お前の声が頭に響く・・・大丈夫だから落ち着け、歩ける。」
楓は課長を車に乗せ、また病院へと戻ったのだった。
「理か!?どうしたおい相当やばそうじゃねえか!」
「おう内藤・・・てめえに見てもらう日が来るとはな。びびって誤診すんじゃねえぞ。」
「それがこれから診てもらう態度かよ・・・ったく、とにかく横んなれ、腹出して待ってろ!」
「きゃあ!若槻課長の腹筋すごぉーい!!」
「看護師てめえどさくさに紛れてどこ触って・・・うっ・・・」
「はあ、なんてセクシーなんかしらあ、潤うわ~。」
「ババアうるせえな・・・」
そんな会話をカーテン越しに聞かされた楓はたまったものじゃない。若槻課長の腹筋・・・楓までゼェハァしながら生唾を飲み込んでいると、内藤先生に笑われてしまった。
「ははっ、理は看護師の間じゃアイドルだからな。こりゃ当直のナースはラッキーだったな・・・お前が連れてきたのか?」
「はいっ、あっ、何度も先生の事はお見かけしていますが、お話させてもらうのは初めてです。医事課の吉岡楓と申します。」
「あ、あんたか、理の嫁って噂の女は。」
「はっ、何なんでしょうその噂は!?逆に光栄です!(?)」
「はははっ、こりゃ噂にもなるわな。そしたらな嫁さん、こいつはきっと急性膵炎だ。入院が必要になる。必要な荷物を頼んでもいいか?」
「わかりました!任せてください!」
「やけに威勢がいいな・・・理、入るぞ~」
内藤先生はカーテンを開け、診察を始めた。カーテンの奥にいる課長に、楓は声をかける。荷物を取りに行かなくてはならないからだ。
「若槻課長!私、さっき預かった鍵お借りして荷物取ってきますね!ちょっとお部屋あれこれ探しますけどいいですか!?これは必要な事なので殴るのはどうかその後にお願いします!」
「おい吉岡、誤解を招くような事を言うんじゃねえ・・・逆に撫でてやるから頼む・・・ぐっ、おい内藤、そこクソいてえぞ殺す気か・・・」
「いちゃつくのは後にしててめえは大人しくしてろっつうの。嫁さん頼んだぞ。」
「はい!じゃあ行ってきますね!」
楓は急いでアパートへ引き返した。
「しかし理、よくこの痛みに耐えてたな。すぐ連れてきてもらえたおかげで重症化は免れそうだ。たまたま俺が消化器内科医だったってのも運がいい。いい嫁さんもらえそうだな。」
「ああ?まだ付き合ってもねえんだぞ。」
「は!?嘘だろ、じゃあ何で一緒にいんだよこんな時間に。」
「いろいろあんだよ・・・そのうち貰う予定ではいるがな。」
「は~~あたしもそんなセリフ言われてみたいわあ~!」
「・・・てめえら仕事しろ。」
課長のアパートについて部屋の奥にあるクローゼットを開けた。大き目な鞄が引っ掛けてあったのが目に入り、入院の手引きを見ながらそれに荷物を詰めていく。
「歯磨きティッシュはコンビニで買うとして、髭剃り?課長髭とか生えなそう・・・まあいいやそれは後回し、着替えは病衣を着るだろうし、あとは下着か、下着下着・・・え!パンツ!?」
今更赤面してももう遅い。楓は「失礼します!」と一声かけてから、衣装ケースを開けた。綺麗に畳まれた衣類に感動しながら、さくさくと詰め込んでいく。
「若槻課長ってボクサーパンツなんだ・・・」
時折独り言を挟みながら、なんとか支度を終えた楓はコンビニで更に必要な者を揃えてから病院へと戻った。
病院に着くと、いろいろな検査を終えたであろう若槻課長がよたよたと看護師に付き添われながら病室へ向かおうとしているところであった。
「課長、荷物取ってきました・・・って、何で車椅子に乗らないんです?」
「助かった吉岡・・・車椅子になんか乗らねえ、俺ならイケる・・・」
「もう!いつまで強がるおつもりですか!・・・はい課長、乗って乗って!」
「・・・仕方ねえ、うっ・・・くっ・・・」
「じゃあ嫁さんに任せて私は点滴の準備してくるからね~」
「はいっ!」
「随分いきいきしてんじゃねえか、吉岡・・・」
「えっ、だって課長がこの状態で放っておけるわけないじゃないですか!私に出来る事があれば何でもしますから言ってくださいね。何か欲しい物とかあります?一応手引き通りに持ってきたので、少し回復したら確認してみてくださいね。」
車椅子を押して個室の病室に入る。課長をベッドに移動させてから、荷解きを始めた。個室なので衣類を仕舞える棚や洗面台なども完備だ。
「課長、下着の着替えはここですからね。これはみんなここへ入れておきますよ。あとさっき着ていた服は汗もかいたろうし洗濯しておきますから。あと洗濯物はこの袋に入れておいてくださいね、取りに来ます。」
「・・・吉岡、こんな事までお前に頼んでいいのか?」
「えっ、あ・・・すいません、でしゃばりすぎましたか?」
「いや、構わねえが・・・おっさんの汚れた下着なんざ触りたくもねえだろう。」
「課長、そんなこと気にしてる場合ですか!私は課長の下着がどうとか気にしませんから、課長は治すことだけ考えてくださいね!」
「・・・吉岡、ちょっと来い。」
課長に呼ばれて傍に寄ると、ベッドに腰掛けた課長は楓の頭を優しく撫でてくれた。
「吉岡、助かった。礼を言う。」
「・・・いえ、課長が私を呼んでくれてよかったです。課長の役に立てて嬉しい・・・」
楓は素直に思っている事を口にした。
「早く良くなって、またラーメン食べに行きましょうね。」
「そうだな、しかし礼がラーメンてのもな・・・今度こそ予約してイタリアン行くか。」
「いいんですって、ラーメンで!課長と一緒なら何を食べてもおいしいんですから。楽しみにしていますね。」
「俺も楽しみにしている。」
見つめ合う二人。病室に入るタイミングがなかなか来ずに待ち焦がれていた看護師が意を決して突入する。そうして点滴をつけた課長を見届けて、楓は帰路に着いた。
翌朝。
「理、大丈夫か?」
「よう英一。」
朝一で病室に顔を出した英一。
「重症化しなくてよかったな。少しは回復したんだな、元気そうで安心したよ。昨日は電話に出れずすまなかった、会長と食事をしていてね・・・」
「いやいいんだ、会長様には逆らえねえ。璃子がいるってのに吉岡には悪い事をした。症状は幾分落ち着いた。ただ絶飲絶食だからな・・・しばらく続くと思うと気が滅入る。英一お前、院長室の掃除はどうした?汚くしてたらただじゃおかねえからな。」
「秘書に頼んだから大丈夫だよ。本来は彼女の仕事だからね。若槻課長が退院してからご乱心しないように頑張らなきゃって、朝からせっせと床を磨いていたよ。」
「そりゃ安心だ・・・つうかな、てめえいつになったらあの女を貰ってやるつもりだ、早くしねえと誰かに持ってかれるぞ。」
「・・・理、気づいてたのか?」
「何十年一緒にいると思ってやがる。てめえがのんびりしてっから、あの女のスカートが日に日に短くなってんじゃねえか。好きな女の露出が増えて嫌じゃねえのかよ?」
「必死な彼女も可愛いだろう?色目を使ってまで私を夢中にさせたいなんて、なんて健気なんだろうね。それより君はどうなんだ、朝から看護師の話題は「嫁さんの吉岡楓」で持ち切りだぞ。」
「そりゃいいこった。その勢いでどうにかなりてえもんだ。しかし吉岡のやつ、本当に嫁さんクラスの働きっぷりなんだ。荷物の整理から汚れた下着まで・・・引き出しからアルコール消毒のウェットティッシュが三箱出てきた時は泣きそうになった。」
「ははっ、お前の潔癖を知ってか。そりゃ大したもんだな。あんなに可愛い嫁さんと一週間離れ離れなんだ、おちおち寝てもいられないな?」
「クソが、一番心配な事を言うんじゃねえ。榎本から聞いたが、吉岡は結構人気があるんだそうだ。納涼祭の時に俺が焼きそばを焼いて手を離せないのをいい事に、野郎どもに話しかけられまくっていたらしい。目の届く所にいねえってのは厄介なもんだな。」
「理、可愛い嫁さんをもつと気苦労が絶えんな、お互いに。まあ今は余計な事は考えずにゆっくり休め。心配しなくても彼女の事だ、休み時間や修了時間には顔を出すだろう。」
「ああ、荷物を頼んだりしているしな・・・あいつ、なんかいきいきしてんだ。役に立てて嬉しいって、きらきらした顔で俺に言うんだ。ここで抱き着いたらセクハラになるか?」
「ここは病院だから我慢しろ。しかしこの間言った通りだろう。誰かの役に立ちたいと思う気持ちは人を輝かせる。今は素直に甘えてもいいんじゃないか、理。」
「・・・了解だ、英一。」
英一は私室に戻り、掃除に勤しむ秘書を丁寧に可愛がった。