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  作者: さく
7/15

それぞれの過去

和室の事件から一週間。あれから気持ちの方は落ち着いているし、普通の生活も送れている。ただ気がかりなのは、あんな風に取り乱してしまった自分が情けないけれど、きっと何かを悟ったはずの若槻課長が何も聞いてこない事。けれど課長はあの時、放心状態だった私にたくさんの言葉をかけてくれた。どれもこれも優しい思いやりにあふれた、頼もしい言葉。


若槻理課長。


私の一番欲しい言葉をくれるひと。




私の暗い過去なんて、誰に話したって重荷にしかならない。


ずっとそう思ってた

でも、違うのかな

若槻課長は聞いてくれるかな

めんどくさいと思われないかな

私は単純だから、すぐ信じちゃう

流されやすいし、真に受けちゃう


・・・私ってずっとこうだったっけ?

いつからこんなに弱くなったのかな。








「若槻課長・・・あのっ、よかったら、一緒にご飯、行きませんか!?」


勇気を出して声を掛けてはみたものの、楓は場所を間違えた。


みんなの視線が突き刺さる。楓でさえ、こんなことになるとは思っていなかった。誘うと決めたからにはと意気込んでいたら、気合が入りすぎてしまったのだ。


「・・・いいぞ、行くか。」

「本当ですかっ!?あっ、ありがとうございます!」

「いや、なあ、お前らいつがいい?」


お前ら・・・?お前らって・・・


「しばらく皆で行ってなかったろう。たまには焼肉でも行くか。」

「うわ!まじすか課長!行きます!」

「えー、行く行く!やっほ~う肉肉ぅ!」

「課長のおごりですか?」

「ああ、久しぶりだからな。」

「やったあー!!!」


課長が他の事務員に声をかけ皆で焼肉に行く話で盛り上がる中、それも悪くないと思い始める楓は、いやいやいや、と頭を振って若槻課長に向き直る。


「あのっ、課長!」

「なんだ吉岡、焼肉は嫌いか?」

「違います!焼肉大好きです!」

「ならいい。」

「あの、あの、その、焼肉はみんなで行きましょう!行きます!行きます・・・が・・・その・・・」

「あ?なんだ?」

「ふっ」

「ふ・・・?」

「ふっ、ふたり、で・・・」

「・・・・・」


焼肉で盛り上がっていた皆の時が止まる。


「ふたりでも・・・行きませんか・・・」


最後は消え入るような形で、若槻課長を誘った楓。不安で仕方なかったが、俯いた顔をゆっくり上げてみると、若槻課長の時も止まっている。


「・・・ああ、行こう、今すぐに」

「ちょっと理!焦りすぎ!まだ三時だから!」


華絵のまともなツッコミで、皆が我に返った。


「じゃあ来月の勉強会の後にみんなで焼肉、二人はいつでも何度でもお好きなだけ行って来て!それでよくない?理。」

「・・・吉岡、今夜空いてるか。」

「・・・はい!家に連絡入れます!」

「さっそくかよ。じゃあ決まりね、みんな空けとくようにねー。」




楓がトイレに席を立った頃、理のデスクに忍び寄る華絵が、薄気味悪い笑みを浮かべて近づいて来た。


「よかったじゃーん!理!二人でなんてすごいじゃんか。誕生日うまくいったの?」

「誕生日は・・・いや、今はいい。それより華絵、吉岡をどこに連れて行ってやればいい?」

「うーん・・・楓ちゃんは可愛いからなあ、パスタとかイタリアンじゃないの?おしゃれなカフェとか、夜景とか。」

「かふぇ・・・」

「理はカフェなんか無縁だもんね。とりあえず、大人の魅力を最大限に活かして!あんたにはそれしか今は取り柄がないんだから!」

「俺ってそんなもんか、華絵。」








「・・・やっぱりここになるのか。」


仕事が終わった後、課長とあそこがいいここがいいと店を巡ってみたが、定休日・行列・要予約の三拍子でふたりともぐったり。いい加減お腹が減った。課長がここまでお店にこだわる理由がわからない楓は、やっぱりいつものラーメンにしましょうよと課長を引っ張ってここへ連れてきたのだ。


「だって課長、私は最初からラーメンでよかったんです。さくっと食べれるしおいしいし。課長は今日イタリアンの気分だったんですか?」

「いや・・・まあいい、入るぞ。」


店内に入った途端、いい匂いにお腹の虫が鳴き始める。前傾姿勢の楓とまだ納得のいかないような顔をした課長は、並んでカウンターの席に着いた。


「課長何にします?私は今日こそ醤油にします!」

「お、頑固者がついに。」

「いや・・・やっぱり味噌、いや、醤油・・・味噌!」

「うるせえな、どっちにすんだ。俺は野菜味噌にする・・・いや、チャーシューメンも捨てがたい。」

「ええ!?なんて魅力的な言葉を・・・あ、課長、じゃあ私チャーシューメンに味玉トッピングするんで、半分こしませんか?」

「・・・半分こ、だと?」

「え、あっ、ごめんなさい、それは嫌でしたよね・・・」

「・・・吉岡、お前は天才か。」


即決で、さらに追加でチャーハンも頼んだ二人は大満足の中熱々のラーメンをすする。


「しかし吉岡、お前細いくせによく食うな。」

「私食べるの大好きなんで・・・課長、細いなんてどこを見て言ってるんですか。璃子を産んでからお腹とお尻のお肉が大変なことになっているっていうのに。」

「そのお腹とお尻を見せてもらわねえ限りは信じてやれねえな。」

「見せる!?こんなの誰が見たいんですか。余程の物好きですよ!」

「・・・・・」




ラーメンの後のデザートに、またサービスでプリンを出してくれた店長。なんでも、以前プリンを出した時に二人がぎゃーぎゃー騒いだのを覚えていたらしく、お兄さんおいしそうに食べてくれたもんなあと笑顔をこぼしている。スイーツ作りは趣味だそうで、カウンターに並んでいた二人はプリンを直に受け取った。


「しかし仲いいですねお二人さん、お付き合いは長いんですか?」


頭に巻いたタオルを巻き直しながら声をかけられる。課長はプリンをスプーンから落っことし、楓は頬張ったスプーンを咥えたまま固まった。


「え?え?・・・付き合ってないんですか!?」

「いや、あの、こちらは上司で、私が素晴らしく尊敬している方で・・・私は下っ端の部下なんです・・・課長、私ちょっとお手洗いに!」

「ああ・・・」


店長と理は楓を目で追う。その後、店長は理に頭を下げた。


「すみません・・・てっきり・・・」

「いや構わねえ、そのうちそうするつもりだ。」


その言葉に、ぱあっと花の咲いたような笑顔を見せた店長、鈴木太一28歳。


「おお!やっぱり!絶対、大丈夫ですよ。」

「どうだか・・・」

「いやだって、そうじゃなきゃラーメンのシェアなんてしないですって!取り皿ならまだしもどんぶりごとって・・・」

「なあ、普通はそんな事しねえよな?俺もしたことねえし、まず考えられねえ。他人の舐めた箸だぞ?麺だって噛みちぎってるし、それがスープに浸かってる・・・無理だ・・・」

「しかもお姉さん普通に箸ごとよこしてきましたもんね。たまたま見ていたんですが、びっくりしすぎてラーメン落っことすところでしたよ。お兄さん、お姉さんのは嫌じゃないんですね。お姉さんもあれは無意識でやってますよね。」

「たぶんな、俺も最初はびびったが・・・可愛いから教えてやらねえんだ。」

「相当ですね、入れ込みようが・・・」


楓が手洗いから戻ると、店長と課長が仲良くなっている。


「なあ吉岡、お前何か話したいことでもあったんじゃねえのか。」

「えっ、あ・・・はい、実は。」

「ここじゃなんだしな、どうする。俺んち来るか、そんな遠くないぞ。」

「え!課長のお家・・・いいんですか?」

「ああ、何もねえけどな、ゆっくり話せる。」

「・・・じゃあ、お願いします。」


会計をする課長に、店長がこっそりとプリンを渡す。


「応援してますね、若槻課長。」

「おう太一、悪いな。ありがとう。」

「・・・課長、ファンが出来たんですか?」

「まあ、そういうことにしておくか。」


プリンを大事そうに抱える課長が可愛らしくて、ひっそりと微笑む。そして課長の車で、自宅のアパートへと向かったのだった。










「お邪魔しまーす・・・」


若槻課長の部屋は言葉の通りほとんど余計なものがなく、すっきりとしていた。二間続き、焦げ茶色のフローリングはピカピカに磨かれており、奥の部屋にはベッド。床には黒いラグが敷かれている。


「なんか・・・さすが課長の部屋って感じですね。」

「そうか?ソファがねえからベッドにでも座ってくれ、俺は床でいい。」


冷蔵庫にプリンを仕舞いながら課長が言う。言われた通りベッドに腰掛けようとするが、とてもきれいに整われたそれに腰掛けるのはなんだか少し気が引けた。皺ひとつないベットにゆっくりと腰掛けると、思いの外ふかふかで、ずんと身体が沈む。

しばらくの沈黙が続いたあと、楓が話しやすいように若槻課長から声をかけてくれた。


「この間の和室の事だろう。」

「・・・はい、本当にありがとうございました。もう落ち着いたし何ともないんですが・・・聞いてほしい事がありまして。」

「ああ、話してくれ。」



楓はあまり長くならないようにと、なるべく簡潔に話すことにした。



楓の旦那であった男は一年前、車の中で手首を切って自死した。死亡推定時刻は午前四時。遺書などはなく、自死の理由ははっきりしないままだったが、仕事や友人関係のトラブルなどはなかったとの事で、プライベートでの出来事が原因だろうと推測された。そうなれば当然楓の名前があがり、根も葉もない噂話がたったりもした。旦那が死んでもびくともしない鬼女房とまで言われていたらしい。誰も本当の事など知らないのだ。



「お前は泣かなかったのか。」

「・・・泣きましたよ、一人で。」

「そうか。」

「自分がしっかりしなければという思いが強くて・・・お通夜やお葬式の事とか、決める事や手続きがたくさんあって。泣いてたら務まらないし、必死だったのに。そんな事を陰で言われていたなんて知った時は本当に・・・胸が苦しくて。」

「そうだな・・・人が死ぬと忙しい。悲しんで閉じこもってたら、後から困るのは自分だ。」

「そうです、だから・・・感情を殺して目の前の事に必死だったんです。璃子もいるし、泣いていられなかったんです・・・」

「家族は「死んだ」という事実を受け入れなきゃならんが、皆が知りたいのは「何故」という過程だ。結果じゃない。外野なんてそんなもんだ。・・・でもきっと、上手く泣けない理由が他にもあったんだろう?素直に悲しめない理由が。」

「・・・何で、課長には・・・全部分かっちゃうんですかっ・・・」


ぼろぼろと溢れ出す涙が虚しくて、でも自分の気持ちに寄り添ってくれる人がいることが嬉しくて、泣けた。課長はベッドに座り、楓の頭を優しく撫でてくれた。


「何でだろうな。」


独り言みたいに呟いて、背中をさすってくれる。楓が落ち着くまでずっと、穏やかな手つきが大丈夫だとそう言ってくれた。




「・・・不倫と、ギャンブルの借金です・・・」

「そりゃ絵にかいたようなダメンズだな。」

「はい・・・本当、情けないです・・・」




職場で不倫をしていた楓の旦那は、それがバレたあとすぐに家を出て、離婚したいと申し出てきた。楓はたくさんの言葉で傷つけられ途方に暮れたが、璃子の事を考えて何度も説得し、再構築をする事となった。だがおさまらない怒りや悲しみで喧嘩が絶えず、そうこうしているうちに借金までこさえてきた旦那にいよいよ見切りをつけた楓は自ら離婚を申し出たが、その晩に旦那は失踪し、翌日の夕方に近くの山で遺体となって発見されたのである。楓は旦那の両親から、何故気づかなかったんだ、お前のせいだと責められ、いまだにそういう事をメールや電話で訴えられ続けていた。


「お前を今でも苦しめているのは旦那の両親か・・・。見切りをつけたお前の判断は正しいが、そこを皆がつつくんだろう。しかしな、吉岡。大事なのはそこじゃねえ。自分の撒いた種を拾いきれずに勝手に死んでいったんだ。真実を知る者しかこの考えには辿り着けないだろう。」

「・・・課長、真実を知っているのはほんのわずかな人たちだけなんです。本当は言ってやりたい、みんなに・・・あの人は本当にダメな奴で、最低で、最悪だったんだって・・・でも、言えないんです。」

「・・・璃子か。」

「・・・はい。あの子が大きくなって知恵がついた時、例えばこれが耳に入ってしまったとしたら、どんなに惨めな思いをするか。それを考えたら、やっぱり留めておくしかないんです。」

「お前は・・・吉岡は、いつでも正しい選択をするな。丸く収まるように、平和に。自分の事なんて後回しにしてきたんだろう。人間なんでも嫌な事は後回しにするが、お前が考えないようにしてたのは「気持ち」なんだな。吉岡、それは人間の中身の中で一番大事なもんだ。それが崩れたら元も子もない。現に旦那がそうだろう。中身が壊れたから身体も自分で壊したんだ。・・・だから、お前は自分の気持ちを大事にしなくちゃいけない。それは璃子のためでもある。」




若槻課長の言葉のひとつひとつを、楓が吸収する。すっと、すんなり入って来る。




「いいか吉岡、大事なのは生きている人間だ。死んだ人間じゃない。どんなに辛くても、生きていかなきゃならないんだ。自分で死んだ人間の気持ちなんかを汲むより、生きている人間の気持ちを大事にすることが大切なんだ。」

「課長、どうして・・・」




そこまで言ってくれるんですか?




若槻課長は楓の背に手を添えたまま、どこか遠い眼をしている。そして、ゆっくりと、楓の聞きたかった事を教えてくれた。


少しだけ、悲しそうな顔をして。






「10年前、俺の嫁も死んだ・・・子供を連れてな。」






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