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  作者: さく
5/15

ふと目が覚めた。時計を見やれば午前4時ジャスト。

なんて時間に目を覚ましてしまったんだろう、と少し痛む頭を抱えて、楓は枕元の携帯電話を手に取った。旦那の死亡推定時刻。いろいろあってからこの時間に目を覚ますことはよくある話であったが、今日くらいは勘弁してほしい。そう思いながら眩しく光る画面には、新着メール1件の表示。ここまできて嫌な予感しかしない楓は恐る恐るメールを開く。


From若槻理

20XX/07/07 am0:03

遅い時間にすまない。読む頃には朝だろうが、少しは良くなったか?あれだけの高熱だったんだ、少し回復したからと言って油断するなよ。それから必ず食事も取るように。飲み物だけでもいいから取るんだぞ、いいな?あのちびが心配するだろうが。あと、無理だけはしてくれるな。母親だってたまには甘えたっていいんだ。休暇をもらえたとでも思って少しゆっくりするといい。何かあれば連絡する事。それじゃあお大事に。




今日は七夕だ。彦星様織姫様、短冊にお願いごとじゃなくてお礼を書いてもいいですか?


こんなもの、ご褒美以外の何物でもない。若槻課長からすればただの安否確認であろうに、わかっていても顔がにやけてしまう楓は、携帯電話をぎゅっと胸に握りしめた。


嬉しい。




そういえば体調はどうだろう、と身体を起こすと、あんなにも重かった身体が嘘のように軽かった。きっと熱も下がったろうと、階段を下りキッチンへ向かう。そうだ、と思い出したのは、課長が買ってくれた軽食だ。冷蔵庫を開けてそのビニール袋の中身を取り出す。


水×2

イチゴ牛乳×2

イチゴヨーグルト×1

イチゴのムース×1

イチゴのポッキー×1

干し梅(甘口)×1


何故イチゴオンリー!?そして何故に干し梅!?そしてあの顔でこの謎のチョイスは反則でしょ!若槻課長・・・!


リビングのテーブルに突っ伏して、耐えきれなくなった笑いを堪えることをやめた。午前四時にこんなに爆笑するとは。最悪な午前四時が、最高の午前四時に塗り替えられる。これでもう起きた時は怖くない。ただただ幸せな気持ちになれるなんて、何てお得なのだろうか。素敵な上司の配慮がありがたくて、なんだか泣き笑いになってしまう。

メールの言葉は、今の自分が欲しかった言葉のすべてかもしれない。一人で背負うには、もう肩が外れそうなのに。誰かに支えてほしかった。自分も誰かの支えになりたかった。生きている意味を与えてほしかった。


一人はもう、嫌なんだ。







次の週から仕事に復帰した楓は、医事課の朝礼で自分の分の仕事を手分けしてこなしてくれた皆に心からお礼の言葉を述べた。誰も嫌な顔ひとつせず、おかえりと言ってくれ、もうなんだか泣きたくなる。病み上がりはいろいろと緩いのだ。

朝礼の後、一人気を引き締めてデスクに着くと、若槻課長が楓の元へやってきた。


「よかったな。」

「はい!本当に本当にありがとうございました。もはやいい思い出です!」

「何だそれ、意味わかんねえ。」


その時、滅多に表情を崩さない課長がふわりと微笑んだ。初めて見る笑顔は、病み上がりの身には相当な破壊力。思わず見惚れてしまう。


こんな顔、できるんだ・・・。


そう思いながら見つめているが、課長は何とも言えない目線で見つめ返してくるのでなかなか目が反らせない。身体のどこも触れていないのに、課長に捕まえられたみたいな錯覚に陥る。目線で縛りつけられ、首すら動かせない。言葉のないままに楓はデスクから課長を見上げ、課長はデスクに手をついたまま楓を覗き込むように見下ろす。


「ちょっと、ちょっと。ちょっと誰か、私の右側だけなんか時間止まってんですけど?」

「華絵さん、誰もが思っている事を敢えて口にするなんて、勇者ですね。」

「仁香、あなたここに座ってみる?溶けるから。ここだけピンクに溶けてるから。しかもイチゴ牛乳の話してるし!理がイチゴとか、電動ノコギリでマシュマロ切るようなもんだよ!」

「華絵さん、よくわかりません。」

「まったく、なんなのこの二人・・・早く付き合っちゃえよ・・・」


はあ、と盛大にため息をついた華絵は山盛りの請求書から目を反らして、左隣の仁香の机に上半身をダイブさせた。そんな甘い話を間近できかされてはたまったものじゃない。


「何で干し梅だったんですか?」

「干し梅はうまい。」

「完全に若槻課長のお好きなものを選ばれたんですね。イチゴも干し梅も。」

「・・・不服か?」

「いえ!とんでもないです。おかげで嬉しい気持ちでいっぱいになりましたから!」


溢れんばかりの笑顔を向けられ、理はそっぽを向くしかなかった。それくらいに、余裕がない。さっきから、楓の表情がくるくると回ってそれが可愛らしくて仕方がないのだ。驚いて目をまんまるに見開くのも、困った笑顔で前髪をいじる仕草も、爆弾みたいに弾ける笑顔も。全部全部自分一人に向けられているものだとわかってしまったら、もういっそのこと楓をどこかに隠してしまいたい。後で小分けにしてこっそりと自分にだけみせてほしい。一気に見ると心臓が持たない。頼む。




甘い甘い空気に包まれる医事課。

皆の祝福の眼差しを一身に浴びながら、二人はいつまでも仕事に戻れないでいた。








8月のある土曜日。今日は楓にとって意味があるようでない1日。どうでもいい日にしようと頭では思っているのだが、どうしてもこの日が近づくにつれてカレンダーを気にしてしまう自分が嫌で仕方なかった。


それとは別に、今日は楓の29歳の誕生日でもあった。娘が「ママに!おめれと!」と張り切って書いてくれた絵が嬉しくて、それだけに気持ちが救われる。保育園で書いて来たらしきその絵は、絵と言うには程遠いのだけれど、一生懸命いろんな色を使い、あの小さなおててで、頑張って色鉛筆を握りしめながらぐるぐる~と歌いながら書いたのかな、なんて想像しただけで楓は胸がいっぱいだ。


そうだ。今日は誕生日なんだ。

何かひとつくらい良い事があってもいいよね?神様。







同日。夏の終わり、セミの大合唱が響き渡る中、午後の休憩を自分のデスクで取っていた楓。なんてったって、今日はお盆休み。病院はがらんとしていて、時折誰かのパタパタと歩く靴の音が響くだけで、他には何の音もしない。お盆でも、病院は交代で電話交換や急患の対応をしなければいけない。お盆休みくらい家でのんびりしていたいと思ったが、思えば仕事をしている方が余計な事を考えずにすむからマシだと、自ら出勤を申し出た。


今日は楓、榎本先輩、若槻課長の3人が出番。榎本先輩は午前上がり、楓は夕方までの1日勤務で、若槻課長は熱心にも休日出勤。誰もいない方が仕事が捗る、と一人パソコンと向かい合う。




休憩も残りわずかだ、とお手洗いに席を立った楓が休憩室の和室の横を通りすぎようとしたその時。ブルルルル、と携帯電話が振動した。立ち止まって開くと、今日は一番見たくなかった、目を背けたい人物からの、それだった。その場で消してしまうこともできた。どうせ相手にしないなら見なきゃいい。それなのに、なぜか吸い込まれる様に和室に入った楓は、身体の左側を壁に預け、見てしまったのだ。

もう、身体は動かなかった。







華絵からのメール。13:40分に届いたその内容に、理は一人トイレで声を荒げた。


「お疲れ!休日出勤お疲れさま(^◇^)ところで今日は楓ちゃんも出勤だったよね?誕生日プレゼントは何かあげたの?この際婚約指輪でもあげたら?そうしないとあの鈍感ちゃんは気づかないかもよ(^^)/思い切ったもんをあげることをおススメするよー!私からも伝えておいて、happybirthday☆」


彼氏と県外の温泉リゾート地へ旅行中の華絵は、ご丁寧にも写真付きのメールを寄こしてきた。そんなもん見てる暇あるかと、休憩を取ったばかりの理はまず楓を探すことにした。一刻も早くおめでとうと言いたい。知っていたら朝一で言っていたし、なんなら昨日からメールだって作っておくこともできたのに。メールなんてほとんど使わないが、楓のためとあらば話は別だった。熱の時のメールが余程嬉しかったのか、楓は今でも話題に出すくらいだ。そこまで言われれば送ってやりたくもなるだろう。


一階をかなりうろついては見たが、人っ子一人とも出逢わない。仕方ない、メールで済ますかと携帯をいじりながら歩いていると、薄暗い廊下の突き当たりにある和室の襖が不自然に開いたままになっていた。誰かが閉め忘れたのか、中に誰かいるのかと首だけ覗かせてみたが誰もいない。すっと襖を閉めて廊下を歩きだした理であったが。




ん?



何かなかったか?


左側に黄色い塊があったような?


でかい荷物か、納涼祭の準備の品か?




つつつっと後ろ歩きで戻り、襖をあけて左側を見やると。


身体の左側を壁にくっつけたまま、じっと動かないその黄色いカーディガンを羽織った主は、理が探していたまさにその人だった。




ゆっくりと近づいて覗き込むと、そこには命の感じられない瞳がぽっかりと開いていた。ただでさえ薄暗い和室、楓の瞳は白目がなく真っ黒なのではと思う程の闇を宿している。畳にぼたぼたと垂れる水滴。涙がとめどなく流れ、頬を伝っては畳に水たまりを作る。


なんだ、どうしたっていうんだ。

また、旦那(あいつ)の事なのか?


死んでもなおお前を苦しめるそれって、一体なんなんだよ。





34の大の大人がどうしていいかわからないなどみっともない話ではあるが、今は何をどうしても動かないであろう彼女を冷たい壁から剥がし、静かに腕の中に収めてやることしか思い浮かばなかった。


外は猛暑だと言うのに、楓の身体は衣服の上からでもわかるくらいに冷たくなっていた。








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