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「あれ、尚くん、どこかにお出かけしてたの?」
「……まぁな」
土曜日の夕方、買い物帰りにばったりと裕美子は尚幸と会った。
いつもより少し、オシャレな格好に髪型。インドア派の二人は、休日は日中家でくつろいだ格好で過ごすことが多い。
だから裕美子は、尚幸はどこかに出かけてきたのだろうと推測した。そして尚幸の歯切れの悪い答えに、裕美子の「女の感」が彼女とデートだったのだろう、とも。
何も言わずにじっと顔を見る裕美子に、尚幸は居心地悪そうに眉を寄せた舌打ちした後、さっと裕美子の持つ買い物袋を奪って、背中を向けて歩き出した。
その背中を、いつかのように裕美子はじっと見つめる。せめてその隣は歩けずとも、後ろに付き従って、倒れそうなときは支えてあげたいと思う。裕美子は、お似合いの二人が並ぶ前方の様子に絶対打ちのめされてしまうだろうが。
ふと、そんな裕美子の頭に山本の顔が浮かんだ。『いつでも頼って』と言ってくれた人。そうだ、倒れてしまいそうな時は山本にたくさん愚痴って相談して、慰めてもらおう、と思った。山本はきっと、とても一生懸命考えて慰めてくれるんだろうな、とその姿を想像して、裕美子は思わず笑ってしまった。
「おせえ」
気付けばだいぶ前に進んでいた尚幸に、裕美子は我に返って慌てて駆けだした。ごめんね、と言いながら走ったせいで乱れた髪の毛を整えている裕美子の姿を、無言でじっと、尚幸は見つめていた。
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秋吉に用事があるため、今日は裕美子と下校しようと尚幸は、裕美子のクラスへ向かった。裕美子に声をかけるため二年二組の教室を覗き込んだ尚幸は、その場で固まった。
目の前の光景を理解することを、尚幸の脳は拒絶した。尚幸の目に映るのは、隣の机をくっつけ仲良さそうに勉強する男女の姿。机の上に置かれた教科書とノートはお互い机の境界線など気にせず広げられていて、二人の距離はあまりに近い。裕美子が熱心に男になにかを語っていた。それを聞いていた男はすぐに頭を抱え、何かを言ったらしい。男の言葉に一瞬固まった後、裕美子は、あはは、と廊下にも届くような軽やかで楽しそうな笑い声を上げた。
それを見て、一気に尚幸の身体の中に黒い衝動が駆け巡った。許せない、と思った。
男の前で気安く無防備に笑っている裕美子も、笑っている裕美子を見て、愛おしそうに微笑む男も。ドロドロの感情が熱を持って幾度も尚幸の体を生々しく這いずり回り、やがて目の前が赤黒く染まった。
これまでの不満が全て怒りへの導火線になった。最近、裕美子が学校へ行くのが楽しみで仕方ないと言わんばかりの態度も。校内でよく、あの男と、共に行動するようになったことも。男が、裕美子に纏わりつくのを、裕美子自身が仕方なさげに許していることも。男と仲良さげに話すのも、昼休みに共に勉強しているらしいことも、全部、全部、全部ぜんぶ……!
ここ最近、裕美子は登下校中に時々、忌々しい男の話をするようになった。あの、二人だけの、尚幸にとって居心地の良かった、沈黙の時間に。
その時、誰かの声がした。
「あの二人、最近いい感じじゃね?」
「なー! 晴人もヘタレてないで告っちゃえばいいのにな」
「そこが晴くんの可愛いところじゃん!」
誰か知らない、男たちの声。その言葉で尚幸の体のどこかが、ぷつん、と切れた。
「どうして、おれから、はなれていく?」
憎い、と思った。二人だけの時間を邪魔する男が。尚幸の居場所を奪おうとする男が。裕美子の隣は、裕美子の一番は、裕美子のぜったいは、尚幸のものなのだ。だってそう約束したのだから。尚幸の左の小指が、存在を主張するかのように熱く煮えたぎっている。
裕美子が尚幸に背を向けて、遠く離れていく。そんな想像をして、
――ああ、また、世界がまっくろになる
もし、裕美子が尚幸から離れて別の男を選んだとしたら、奪われる前に全部壊してしまおう、と尚幸はおもった。