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「ゆみだけは、ぜったい、ぜったい、なおくんをうら切らないよ。ずっとそばにいる、ぜったい、やくそくする!」


 目を真っ赤に充血させて、掌に爪が食い込むくらい固く握り締めて、それでも唇を噛んで泣くのを我慢する彼に、裕美子がそばにいるのだと、独りじゃないのだと知ってほしくて。

 固く閉じられた掌に、裕美子の掌を添えて、その時の裕美子が考えられる精一杯の言葉を伝えた。


「……ほんとう?」

「うん、ほんとだよ!」


  虚ろだった尚幸の目が裕美子を映し、尚幸の冷たくなった手が、裕美子の手を握ってくれたのがとてもとても、嬉しかった。


「ゆびきり、できる?」

「もちろん!!!」


 裕美子は勢いよく、尚幸の手ごと顔辺りに掲げ、自身の小指を立てる。尚幸はおずおずと、その手に自身の小指を絡めた。


「「ゆーびきった!」」


  そう言った後、二人はお互いの顔を見てほのかに笑った。


  この日以来、尚幸のそばでずっと尚幸を支えると、裕美子は誓った。そう、それは二人が幼い頃に交わした、今につながる永遠の約束。



 ****


 裕美子は、懐かしい夢からさめた。

 その夢は裕美子が今よりずっと幼くて、世界は尚之と裕美子の二人きりで成り立っていける、と信じきれてしまうほど愚かだった頃のこと。


「……あさごはん、作らなくちゃ」


 まだ少しぼうっとする頭を振って、布団から出る。立ち上がって腕を上に伸ばすと、背中からパキッと軽快な音がした。

 部屋の四角い窓から見える外の景色は、まだ薄暗い。夏の今日の朝はどこか、肌寒かった。両手を時折擦りながら布団を畳んだあと、居間に向かう。

 居間は一般家庭と比べたら、だいぶ殺風景だろう。白いテーブル台の上に載った小さなテレビ、あと目に入るのは、木製の机と椅子と、違和感のある三人掛けのソファのみ。けれど裕美子と母親の二人暮らしには、それだけで十分だった。物があるより使う人がいるということの方が大事だ、と二人は身に染みて知っていた。


 裕美子は顔を洗い、歯を磨いて、ついでに洗濯機を回してから、朝食を作るために台所へ向かった。

 朝食を二人分と、昨日の夕食の残りも使ってお弁当を二つ作る。いつもはお弁当は三つ作るのだが、母親の分は、今日は要らない。料理を終わるのとほぼ同時に、洗濯機が止まる。テレビで天気を確認すると、夕方から天気が崩れてしまうらしい。

 洗濯物を外に干し終えると、裕美子は一旦部屋に戻り、学校に行く支度を整える。時計を見て時間を確認すると、母親を起こすのにちょうど良い時間になっていた。部屋の向かい側にある、母親の部屋の襖を軽く叩く。


「お母さん、そろそろ起きて」


 何回か襖を叩き、声をかけ続けると部屋から物音がして、少ししてから襖が開く。


「うーん、もう朝かあ。おはよう、裕美ちゃん。今日の朝ごはんはなに~?」


 眠たそうに目を擦りながら、母親の美香はむにゃむにゃ言った。朝起きてすぐ朝食の内容を確認する美香に、裕美子は笑って答えた。

 二人並んで朝食を食べて、その後片付けも終わるころに、家のインターホンが鳴った。はいはーい、と嬉しそうに美香が玄関に駆けていった。


「裕美ちゃん! 尚幸くんきたよー!」


 美香のはしゃいだ声が、台所にいる裕美子にも聞こえた。裕美子はその声に笑って、うん、と答える。

 尚幸は、裕美子の幼馴染で美香のお気に入りの男の子だ。裕美子と共に、その成長を保育園の頃から側で見てきたのだ。お気に入り、というよりもはや息子のように思っている、というほうが適切だろう。

 尚幸は「文武両道、おしゃれなイケメン、けれどそれを鼻にかけない明るく爽やかな好青年」とご近所でも学校でも評判の有名人である。まるで二次元から飛び出してきたような彼の、二面性を知っている人は少ない。


 どうぞ上がって! と、美香のはしゃぐ声とそれを断っている微かな低い声がした。

 尚幸と裕美子は、小学生のころから共に登校している。奇跡のような幸福であるその時間を、傲慢にもどこかで当たり前だ、と裕美子は思っていたのかもしれない。私はいつも無くしてから気付くんだ、と裕美子は洗った食器を拭いながら、静かに自嘲した。


 尚幸をこれ以上待たせないよう、手早く食器を棚に戻し、部屋にある鞄を取って玄関に行く。玄関に行くと美香が機嫌よく何かを話し、キラキラ光る尚幸がにこやかにそれに相槌を打っている姿が見えた。裕美子の目に、尚幸の姿がキラキラと輝いて見えるのは、誤作動ではなく通常運転である。


「尚くん、おはよう」


 そう裕美子が声をかけると尚幸はにこっと笑っておはよう、と答える。尚くんは声まで格好いい、と裕美子はほう、とため息をつく。その二人の姿を美香はニヤニヤしながら見ていた。

 裕美子はローファーを履いて、尚幸の隣に並んだ。


「お母さん、今日は深夜だよね?」

「そう! お夕飯は作っておくから!」


 美香は看護師をしている。今日は深夜であるためこの時間に起きる必要はないのだが、日中家には美香の発案で、一緒に過ごせる時間は一緒に過ごそう! というルールがある。食事もできる限り、共に摂るのが好ましい。いつが別れになるか、分からないから。


「ありがとう」

「いえいえー!」

「あ、そうだ。今日、夕方から雨降るらしいから、もし降ってきたら部屋干しでお願い」

「ん、了解です!」


 美香が元気よく答えるのとほぼ同時に、あ、という声がした。


「俺、傘持ってきてないや」

「折り畳み持っていく?」


 玄関の靴置きの、空いたスペースに置いてあった折り畳み傘を裕美子が差し出す。折り畳み傘以外は美香の趣味で可愛らしい柄の傘ばかりなのだ。真っ黒の折り畳み傘なら尚幸が使っても違和感はないだろう。加えて、折り畳みなら予報が外れて雨が降らなくてもかさばらない。

 差し出されたそれをサンキュ、と尚幸は笑って受け取った。


「それじゃあ、行ってくるね」

「美香さん、行ってきます」


 裕美子に続いて、尚幸も笑顔で美香に挨拶する。


「はーい! 道中気を付けて、勉強頑張ってらっしゃい!」


 美香の元気な声に、二人は背中を押されるように外へ出た。


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