6 初めての友人
ふわふわした夢見心地のような感覚の中、私はぼんやりと独白していた。
魔族は、人から常識を欠いた存在なのではないか、と。第一、私は別の場所へ移動する為に窓から飛び出す人を見たことがないし、聞いたことがない。過去一人もそんな人がいなかったと言うわけではないが、普通の人が取る手段ではないのだ。飛び出した窓が、大きく翼を広げやすい場所だったのも気にかかる。手すりも、落ちないようにする為の役割より、止まり木のような形をしていた気がする。
私はふわふわと飛びながら、目の前を横切る明るい青の綺麗な川を眺めた。
つまり、何が言いたいのかというと、あの窓は元々、部屋の出入口のような役割もこなしていたのではないか、と思ったのだ。最初からその目的の為に作られた物ならば、飛び出したルグナンシェに非は無いし、私が責めるのも筋違いなのだから。
「……して……さ……」
魔族には飛べる種族は数多く存在する。そのような役割を持つ道具や場所があってもおかしくない。私も一応、飛ぶことが出来る種……。
「お目覚め下さい、エレネイア様!」
はっ、と目を覚まし、私はすぐさま起き上がった。危ない、その川は越えちゃいけないヤツだった。
「あでっ!」
同時に、ゴンッ、という音が額に響き、じんわりと熱を帯びた。
「ったぁ……」
額に何か固い物がぶつかったと理解し、痛みを発する額をを手で抑え、痛みに耐えた。
「良かった……。お気づきになられたのですね」
私が顔を上げると、ほっ、と安堵に包まれた優しそうな少年がいた。少年も痛そうに片手で額を覆っている。年はさして変わらないように見えて、特徴的な金色の瞳はどこかで見たような既視感を感じた。
「叔父上が迷惑をかけました。申し訳ありません。具合はいかがですか?」
「あっはい、大丈夫……平気です」
「だから言ったろ。ほっとけばそのうち目を覚ますって」
私が目を瞬いて、目の前の少年と受け答えをすると、後ろから見知った声が聞こえた。
「叔父上、貴方の言う通り彼女はすぐ目を覚ましましたが、そもそも主人への対応ではありませんよ!?」
「大丈夫、大丈夫。まさか気を失うとは思わなかったけど、別に死んじゃいないんだからそう騒ぐなって」
けたけたと笑う男は私を気絶させた張本人、ルグナンシェだ。一発殴ってやりたい所だが、私は状況確認を優先させた。
どこだろ、ここ
私は自分を挟んで口喧嘩をする二人を放置し、周りを見回した。今私が座る場所はどうやら応接間のようで、複雑な模様の入った絨毯が敷かれている。ガラス細工の丸い物体が天井に吊り下げられ、部屋を明るく照らしている薄い紫色の、恐らく木でできたテーブルやソファーがすぐ近くにあったのだが、何故気絶していた私が床にいたのかが疑問だ。
「えっと……、ここは?」
私の呟きに答えたのは、近くに立っていた牛の頭を持った男性?だった。
「ヴェルローツェ塔のアルシップス様の部屋でございます。ルグナンシェ様が気を失われたエレネイア様を担ぎ、窓から入室してきたのです。」
びっくりした。周りは人形の魔族が多かったからかな。
この部屋の側仕えだろうか。親切に説明してくれた。他に状況が聞けそうな人もいないし、とりあえず、この人から話を聞くことにした。
「そ、そうなんですか。ルグナンシェが迷惑をかけたみたいですね。あなたは?」
「アルシップス様の側仕え、ノルバットと申します。こちらこそ、ルグナンシェ様がご迷惑をおかけしました。ルグナンシェ様がエレネイア様の護衛に付いたと聞き及んでいたのですが、本当だったのですね……」
信じられない、とでもいうような驚いた様子に私は首を傾げた。
「ルグナンシェがわたくしに仕えるのがそんなに不思議ですか?」
「いえ、そうではなく」
即座にノルバットが首を振り理由を話してくれた。
「ルグナンシェ様は非常に気ままで自由な性格をしておりますゆえ。
幼い頃は側近を撒き危ない森の中を一人散歩し、
学生時代は王族と諍いを起こし、
戦場では一人暴走し、作戦を意味の無いものにする方でしたので」
物凄く不安に駈られる話を聞いた気がする……
その様子だと、人の話を聞かない問題児ではないか。そこまで問題のある人をお父様が護衛に付けるだろうか。
でも、一度失神させられた身としては同意せざるをえない内容だな
「アルシップス様、お客様がいらっしゃるのですから口論はそこまでに。それからルグナンシェ様、貴方様の仕事は甥に構うことですか?」
褐色の肌に金髪をひっつめにしたもう一人の側仕えと思わしき女性が終わらない口喧嘩に終止符を打った。終わりの見えなかった口論は的確な指摘によりピタリと収まった。まるで鶴の一声だ。
珍しいことに、ルグナンシェはこの人が苦手なようでいつも私にいつも言うような屁理屈は言わない。
「すみませんっ!僕はヴェルローツェの貴族、アルシップス・ホルセスヴェンと申します。叔父が多大な迷惑をおかけしましたこと、心からお詫び申し上げます」
私を置いて叔父と口論していたことに赤くなり、慌てて自己紹介をしてくれた。あのルグナンシェの甥らしい。なんとなく雰囲気が似ている。特に、ルグナンシェが猫被った時の様子に。ルグナンシェの親族ならこの人も猫被っていたりするのだろうか。瞳を見た時に感じた既視感はそのせいのようだ。
「えっと、そんなに謝らなくてもいいですわ。こちらこそ、ルグナンシェが迷惑をかけたようですね。わたくしも気絶してしまい迷惑をかけてしまったようで、お恥ずかしいかぎりです。わたくしの自己紹介もまだでしたね。御初にお目にかかります。グラシヴァンスの貴族、エレネイア・ベネフィッドと申します」
なるべく淑やかに立ち上がり、私も挨拶する。やっとこの場を仕切り直すことができたので、事の発端になったルグナンシェに質問することにした。
「……それで、ルグナンシェは何故、何も言わずわたくしを抱えここへ連れてきたのですか?」
努めて、笑顔でルグナンシェに質問した。今の私は結構怒っているのだ。ひんやりした笑顔を作ったつもりだが、予想以上に効果があったようだ。ルグナンシェに、ではなく周りに、だが。当の本人ではなくアルシップスの方がビクッと肩を揺らしたので、心の中で謝っておいた。
「何故って、お嬢は友人がいないようだったし、そういえばアルも友人がいなかったなって思い出して……。どうせなら、ぼっち同士くっつけちゃえばいいかなって思って」
……ぼっち言うなや
からからと笑いそう告げる。身も蓋もないこと言ってくれるが、考えなしに突撃訪問したわけではないらしい。
……やり方がやり方なだけに感謝できないんだけど
というか、考え方は普通なのに、なんでこんな行動に出るかなあ、コイツ……
ああもう、行動が読めない人ってホント面倒臭い。
私は、さも当然のことをしました、という顔をするルグナンシェを一瞥すると、アルシップスの様子を観察した。
アルシップスは、ルグナンシェが友達が出来ない、と言っていたのは本当のようで、自信のなさそうな顔をしている。うつむき気味の顔を見ると、さっきルグナンシェと口論を繰り広げていたとはとても思えない。頻りにこちらを伺う様子からもそれが読み取れる。
私の頭の中で「内弁慶」という言葉が浮かんだ。
わかる。前世でもクラスに一人は居たよねこういうタイプ。話慣れていないというか、仲良くなりたいけどどうすればいいかわからない、みたいな。
まあ、私は用事がある時以外は無関係を貫くタイプだったけどね
「アルシップス様」
「は、はいっ」
名前を呼ぶと、上擦った声でアルシップスが返事をした。なるほど、話すだけでも一苦労か。仕方ない。
「ルグナンシェも悪気があった訳ではないようですし、このへんで許してあげましょう?それに、ルグナンシェが言ったことは本当のようですし、よろしければこの機会にお友達になりませんか?」
私がそう提案すると、アルシップスは目を丸くした。
「えっと、いいん……ですか?」
「やり方はどうあれ、折角機会を設けてもらったのですもの。ご迷惑でなけれ」
「とんでもない!大歓迎です!」
即答だった。
私の言葉を待たずに合意の言葉をくれた。よっぽど友達が欲しかったのだろう。目を輝かせてとても嬉しそうな表情をした。童顔のせいか、笑顔が無邪気な少年のようだ。素直なのはいいことだ。
「では、これから宜しくお願いします」
「こちらこそ。仲良くしていきましょうね」
こうして、私は魔族に転生して初めての友人を得た。
「で、これからどうしましょうか」
私は用意された紅茶を一口飲むと、にこりと笑い、やる事無くなったね、と切り出した。
「そうですね」
同じく紅茶を飲んでいたアルシップスが返事をした。どうやらこの人はとことん会話が苦手らしい。アルシップスの側仕えに席を進められ、紅茶を用意されるまでに至るまで、紅茶を飲むか口を開いては閉じ、を繰り返すかどっちかだった。私が話題を切り出すまでずっとぎこちない空間を形成していた。いつもうるさいルグナンシェは、私が折角甥とのお茶に誘ったのに
「護衛は職務上、主人の会話に混ざれません。非常に残念です」
と、にこやかな笑顔で会話に混ざるのを拒否しているので期待できない。言っている事は正しいのだが、護衛を理由ににやにやと会話の様子を楽しむのが魂胆なのは見え透いている。ルグナンシェのこの顔は結構イラッとしたので、後で参考書で殴ってやろうかと思った。
そういえば、貴族の名前は長く発音が面倒なものが多いが、公的な場では略称を呼んでもいいのだろうか。
ルグナンシェはアルシップスの事を、アル、と呼んでいたな。私もルグナンシェも貴族みたいだから身内以外に略称で呼ぶのはあまり見栄えが良くないかなって思ってたけど、そうでもないのかな?ちょっと聞いてみよう。
「そういえば、ルグナンシェがアルシップス様を、アル、と呼んでいましたが、アルシップス様の愛称ですか?」
「そうです。仲の良い方や、家族に呼ばれています。……エレネイア様も、仲の良い方に呼ばれている愛称などはありませんか?」
「当然ありますよ。エレンと呼ばれています」
仲の良い方、か。どうやらオッケーらしい。
前世の人間の歴史よりは規律が緩いのだろうか。前世と同じような交友関係で良さそうだ。姿形が違うだけで、人間とそんなに変わらないみたいで安心した。
いくら仲良く出来そうな魔族でも、自分の強さを誇示したがる魔族とか、殺人大好きですとか言っちゃえる魔族の方とは友達になれる自信がないもん……
今のところ唯一の例外は、アポ無しに甥の部屋に突撃訪問したルグナンシェだが、それは置いておこう。
「そうだわ!折角ですし、互いに愛称で名を呼びあいませんこと?」
「愛称を?その……いいのですか?」
アルシップスは面食らったような顔で驚いた。
「ええ。お互い初めての友人でしょう?初めてのお友達は特別ですもの。わたくしは愛称で呼びあえると、とても嬉しいです」
「……僕も、初めての友人は特別です。愛称で呼ばせてもらっていいでしょうか」
「勿論です。わたくしもこれから、アル様、と呼ばせていただきますね」
大分日数が空いてしまいました。ごめんなさい。体調を崩していました。
アルシップスが口下手なので殆どエレネイアが喋ってました。無言の空間ってなんか居心地悪いですよね。
次は試験です。タイトルから離れてきてますけど、そのうち何か起こります。多分。