3 始めての我が家
私とお母様が無事に領界門まで辿り着いたあと、門番の兵士に拘束した五人の身柄を引き渡した。私の魔法は効果時間が短いと伝えると、お母様が拘束魔法でぐるぐる巻きにしたので、さして抵抗もされず簡単に運ぶことができたのだ。
……運んだというよりも引きずっていた、という言い方の方が正しいか悩むところだったけど
その時に気になったのが、手足が動かないようにがっちり固め猿ぐつわまでかませるという念入り具合なのだが、後程聞いてみたところ、魔法を使わせないようにする為らしい。その道のプロになれば詠唱無しで魔法を使ってくる事もあるから、精神系の魔法を使ったり、昏倒させたりしなければならないらしい。魔法って結構危険なんだな、と思った。
そっか、詠唱無しで魔法を使われることもあるのか。もし使われてたら私も危なかったな。
もうこんなことがあって欲しくはないが、また戦闘があった時の為に覚えておこうと思った。
門を抜けた先はお父様の統治するベネフィッド領だった。そして、さっき戦場だった場所が、お祖父様の統治する、ゲルバリオン領だ。そう考えると、二つの領地に挟まれた領界門で顔が知られているのは当然のことだった。
領地についてはエレネイア自身が幼く、興味がなかったこともあり、曖昧なことしか分からなかった。だが、ゲルバリオン領が落ちたことが信じられない、と思っていたのは、単に現実を理解したくないということではなく、要塞都市であり、防壁の要であったことも知っていたからのようだ。
……あれ?
そう考えると、ゲルバリオン領が落ちたことって、思ったよりヤバイんじゃ……
「奥様、お嬢様。まもなくベネフィッド城に到着致します」
そうこう考えている内にあっという間に着いてしまった。馬車の窓はカーテンで塞がれていたので、外の様子が全然わからなかった。ペラリと捲ろうとしたらお母様に笑顔で凄まれたのだ。
町並みとか見たかったんだけどな、と残念に思いながら馬車を降りたら思いもしない光景が目の前に映った。
……はえっ!?
えっ!?
待って、お城!?
我が家ってお城!?
そう言えば、御者の人がベネフィッド城がどうとか言ってたような言ってなかったような。
絶句した私の目の前にそびえ立つのは、尊厳に鎮座する私の我が家、ベネフィッド城だった。
勿論、私はすごく興奮した。これ以上ないって位テンションが急上昇した。
だってお城だよ!?
嘘でしょって思って記憶を探っても我が家確定だったんだよ!?
お嬢様というよりお姫さまって感じなんだよ!?
魔界でお城といえば、もっと、こう、おどろおどろしいような、そんな感じをイメージしてた。
どころがベネフィッド城は、そんな雰囲気は欠片もない。
大空に向かって伸びるように立つ城の塔は、巨人が手を翳しているようだ。城壁や至るところには星の一つ一つが埋め込まれたような繊細な装飾が施され、城を守る為の結界を張っている。時間帯が夜なだけに、とても神秘的だ。一見、要塞のような物々しい姿をしているのに全くそんな風に見えないのは、塔の各所に設置された綺麗な石が放つ青白い光が幻想的な光景を作り上げているおかげだろう。許可なく立ち入る者を許さないベネフィッドの番人がそこに築かれ、私を見下ろしていた。
エレネイアの思考では普通にただいま、というような気分だけど、私の思考はとにかく恍惚と見惚れていたい、という心情だった。
……が、そんなことは勿論叶わなかった。
執事や側仕えに出迎えられ、すぐにお風呂に連行されたのだ。地面に座り込んだり、木々の間を強硬突破していた私は顔をしかめるほど汚れていたのだろう。我が家の衝撃で意識外にあったとはいえ私も早くきれいになりたかったので、大人しく連行された。
お風呂も素晴らしい広さを誇っていた。控えめに彫刻が彫られた白い壁に、水の妖精のように透き通ったガラス製の少女達の手から継ぎ足される湯。もうこれだけで転生して良かったなんて思えてきた。
目を輝かせているだけで変にはしゃいだりしなかった私は偉いと思う。エレネイアの長年染み付いた居立ち振舞いが自制してくれて良かった。
身体も頭も洗ってもらえて、しかもマッサージ付き。柔らかいタオルで拭かれるのも、服を着せてもらうのも、全部側仕えの人達にやってもらえた。
くっ……、こんな贅沢すぎる生活を日常で送っていたなんて……、エレネイアめっ!!
しかし、その夕食メニューが常識の壁とも言える最初の難関であったことは、私は予想すらしていなかった。
湯浴みを終え、ほかほかになって食堂に着くと、天上に豪華なシャンデリアが飾られていた。
おお……、やっぱ当然の如くあったよ、シャンデリア
逆三角形の形のシャンデリアが存在感を主張している。ガラスの雫が蝋燭の光を反射して眩しい。
料理は前菜、主菜、と順番に出てくるようだ。
前世のイタリアンレストランでもこんな感じに出てきたな、と思いながら運ばれる様子を眺めてた。カトラリーもその都度使用する物が出される。
言うまでもなく絶品でしたとっても美味しいですありがとうございます!!
だが、そこは魔界。普通であって普通ではなかった。
迷いもなく口に運んだはいいが、よくよく皿を見つめてみると、とんでもないものが混入していた。
……ん?んっんー?
黒くて小さくて、細くて先が引っかけになった足が六本。
……あり?
そう、蟻だ。アントだ。外出すると地面でよく見かけるアレだ。
それが今、まさに、前菜として出てきたサラダの中に紛れていた。ドレッシングと一緒に入った調味料に紛れて、入ってた。
私はカトラリーを静かに置くと、お茶が注がれていたグラスを口元に一気に傾けた。
私が思わず口の中に残っていたサラダを吹かずに胃へ押し込んだのは、ひとえに、今までエレネイアが積んだ教育の賜物だろう。感謝しなければ。
そうじゃない、そうじゃないよ!!
一口目が美味しかったから騙された。至極さりげなく普通の豪華な料理が出てきたから忘れていたけど、ここは魔界だった。そう魔界だ。しかも不運な事に、この『ベムー(あり)とシルフのサラダの盛り合わせ、ベディコを添えて』は、エレネイアの大好物だった。嬉々として口に運ぶエレネイアの光景が記憶から引き出されたのだ。私が取るべき選択肢は、最初から一つしか残されていなかった。
食えってか!?この蟻サラダを食えってか!?
なんという拷問だろうか。あまりのショックで転生して良かったなんて夢心地の心も一気に現実に戻された。
世の女子も真っ青な昆虫サラダだよ……。
テレビで有名な芸能人が罰ゲームで実食しているのを見て笑っていたこともあったが、まさか私が実際に食べなければならない日が来ようとは思いもしなかった。あの頃は良かった。他人事だと思って笑っていられたあの頃は本当に素晴らしかった。
いやいや日本でも蜂の幼虫を炒めて食べていた地域もあった筈。蟻と蜂は同じ仲間だってなんかの本で読んだ気がするし、蜂が食えて蟻が食えない筈がない。いや、蟻を食用に使ってた外国があったからテレビで芸能人が食べていたのか。大丈夫。落ち着け、私。人間が食べられるものであれば、魔族に転生した私でも普通に食べられる筈。エレネイアの好物だったことから考えても食べても問題ない筈だ。そうに違いないそうに決まってるそう思わないと私が食べられない。
一口食べてみてもなんの問題もなかったし!
大丈夫、前世の記憶が偏見を起こしているだけだって!
震えそうになる手でもう一度サラダを口に運んだ。
……うん、美味しい
とっても美味しいよ
泣きそうになりながらも、半ばやけくその心境で完食した。
ワニーーーーーー!!
その後、メインディッシュにワニの頭が飾られたステーキが出てきて、これもエレネイアの好物だと判明した結果、そっと涙を拭い完食した。
夕食により甚大な精神的ダメージを負わされた私は、胃の中から込み上げそうになる何かを必死に押し戻しながら自分の部屋へと続く廊下を歩いていた。
そういえば、さっきまで気にしていなかったけど、お城の廊下ってどこもこんなに長いの?
夕食の一件で、すでにふわふわした心地を引き剥がされていた私は、打ちのめされた感情からか愚痴が湧いてきた。
玄関からお風呂まで、お風呂から食堂まで。部屋を行き来するだけで、五分か十分か、それくらいかかっているのではなかろうか。城の大きさを考えると当然だが、端から端まで一体どれくらいの広さがあるのだろうか。
あ、そういえば、私って今、悪魔じゃん
記憶の端にパタパタと可愛らしく飛んでるエレネイアを思い出した。こんなに長い廊下をしずしず歩かなくても、飛んで移動すれば速いのではないか。これで着くのに時間がかかると悩んでいた問題が片付く。早速羽を出そうとしたら、ぞわっ、と背中に悪寒が走った。
……今、後ろから笑顔で凄まれた気がする
後ろを振り返ってはいけない。今、振り替えれば怖い笑顔が私を迎える。
私は飛んで部屋を移動する作戦を諦め、大人しくしずしずと歩いた。
ゆったり歩かなければならないむず痒さが募る中、やっと自室にたどり着いた。
前世に帰りたくなってきた……
白や花柄を基調とした家具や、天蓋付きのベッド。予想通りの可愛らしいお嬢様部屋だったが私の心は微動だに揺れなかった。
「少し、一人にしてくれないかしら。心を落ち着かせたいの」
「かしこまりました、お嬢様」
私が気落ちした声で側仕えにそう伝えると、すっ、と言い返されることなく一人にしてくれた。
さすがプロ
こういう所だけが前世より良いところなのに……
ポスン、とベッドに腰かけると、そのままダイブした。
ホテルなどに着いた時、一番にすることがお布団ダイブだ。ふわふわでいい匂いのお布団にダイブして、ぺしゃっ、と潰れるととても気持ちいいのだ。ちなみに、私は前世では二段ベッドの下で寝ていたので、お布団ダイブはできなかった。ダイブしようとしても、頭を打ちつける結果に終わるからだ。
んー……
流石、良いところのお嬢様ベッド
素材からして違うわぁ
お布団ダイブをして、ある程度へこんだ精神を元に戻した後、むくりと起き上がった。最初にピシッ、と整えてあったシーツがぐちゃっ、となっていたが、まあ、使われる物の定めとでも思っておこう。
気分を持ち直した所で、改めて自分の部屋を見回した。小花が装飾された家具が基本で、無駄な物はあまり見当たらない。清潔で清楚な雰囲気の可愛らしい部屋だ。記憶を探ってみると、何がしまってあるのか、何に使うのかが鮮明に映った。
ふーん……
エレンは今、学校お休みだったんだ
それで、久しぶりにお祖父様に会いにゲルバリオン領に遊びに行っていたって訳か
その気になれば、我が家の様子や誰が側仕えなのかわかるだろうが、魔界の新鮮さを楽しみたいが為に記憶を無視していたのだ。
……まあ、その性で夕食の惨事が起こったんだけどね
もし、これから何が出てくるか、どんな素材を使っているか、どんな気持ちで食べるのかエレンの目線で見ていたならば、あんな悲劇は起こらなかっただろう。ただ、大好物が出てきてラッキー、で済んだだろうに。あんな素材が入っていることさえ気づかず良い気持ちで食事を終えることができただろうに。
今頃気づいても後の祭りだけど。
エレンの目線に変えてみると違和感がなくなる世界に、ここは日本じゃないんだと自覚した。
もしかしたら、なんて甘い考えをまだ大事に持っていたことに気づいて、自嘲した。
戻れない過去に意味の無い未練を引きずってるなんて、アホらしい
軽く頭を振って、勉強机を見てみた。変わった形の時計と筆箱が置いてあり、教科書などはきっちりしまってある。
そういえば、エレンって魔法が使えたよね?
学校で習うのもそこらへんだろうか。極自然に魔法を使っていたけど、思い返してみれば以外と興奮する事項だったかも。前世では一種のロマンだったのだ。あのような状況でなければ、ファンタスティック!、とか、叫んでいたことも否めない。
お、なんか興奮が戻ってきたかも
見方を考えれば、魔法が使いたい放題の素敵な世界に来ちゃったとも言える。休校期間中に宿題とか出ていないのだろうか。エレンは基本、スペックは高そうなんだから勉強してればそのうち周りに差が出来てきそうなのに。遊んでばっかりじゃ時間がもったいないじゃん。私は早く、もっと色々な魔法が使ってみたい。
「よーし、そうと決まれば早速……」
コンコン、とノックの音が響いた。
「お嬢様、旦那様がお呼びです。お疲れでしょうが、せめてお顔だけでもと旦那様が仰っておりました」
いざ魔法の勉強をしようとしたらストップがかかった。なんて間の悪いと思いながらも、私は断り方を知らなかった。
連行されながら、魔法よりお嬢様としての勉強が大事だと悟った。
食事中の方ごめんなさい。いないと思うけれどごめんなさい。
常識の壁って、なかなか越えられませんよね。
側仕えの人達はエレンの好物を夕食に出して元気づけよう作戦を実施中ですが、肝心のエレンが気づいていません。
おいしいんですよ、とっても。素材がアレなだけで。