2 お母様の救出
……じゃあ、お母様は?
どくん、と胸の中で、嫌な音が響いた。
正直に言うと、あの獣人の女性が母親だなんてすぐには理解できなかった。口ではお母様、なんて言っているが、それはエレネイアとしての記憶がそうさせているだけで、私が母親と認識していたから言っていた訳じゃない。
それに、さっきの戦場や悲鳴を聞いて私が最初に感じたのは混乱だったけど、それとは別の……私の感情じゃないものも混じっていた。
酷く悲しい気持ち。
信じられない気持ち。
戦火に巻き込まれた他の人達を案じる気持ち。
私の感情とエレネイアの感情が判別できないくらいにごちゃまぜになっていて。私はエレネイアになってしまったのだから、ごちゃまぜになろうと、全部私の感情なのだろうけど。それでも、自分のものではないような感情が、自分の中をぐるぐる回っているような、この感覚は。
気持ち悪い…………
エレネイアの記憶によれば、私は良いところのお嬢様、といった身分だったようで、この先にある領地を区切る門でも知られている顔だった。
門まで駆けつけて、兵を出してもらえばいいじゃない……
お母様、凄く強そうだったし、応援がくるまできっと持ちこたえてくれるよ
それに、わざわざ私が行ったって足手まといにしかならないし、逃がしてくれたとはいえ母親とも思えない人の為に危ない目になんて合いたくない
怖いよ
このまま助けを呼びに行くのが正解だ、と私は思う。なのに、正解な筈の答えを、エレネイアの記憶と感情が否定する。
お母様が心配です
助けに行かなければ
要塞都市だったお母様の故郷がこうも容易く落ちてしまうなんて、どう考えてもおかしいです
あの方々より、わたくしの魔力の方が大きいもの
わたくしが行けばお母様を助けられる
よくもお母様の故郷、ゲルバリオンを!
せめて一矢、報いるだけでも……
堰を切ったように溢れだすエレネイアの感情が、逃げようとする私の足を止めるのだ。
それでも、そんな感情を振り払おうと強引に足を動かしたが、次の感情で足が動かなくなってしまった。
お母様が死んでしまったら、どうしよう……
エレネイアの泣きそうな不安な気持ちに、押し潰される。
……確かに、私の母親はあの女性じゃない
あれはエレネイアの母親だ
でも、今の私の母親もあの女性だ。
「私の馬鹿っ!!」
私は勢いよく自分の頬を叩いた。乾いた音が鳴り、頬と手のひらがじんわりと熱を持った。
何をごちゃごちゃ言ってるのよ
何が助けを呼ぶのが正解、よ
それって逃げるための理由のようなもんじゃない
家族を見捨てるなんて、そんなの、絶対にしちゃ駄目だ。もし、そんなことしたなら、私は最低なヤツになる。
―――例え大嫌いだとしても、憎悪すら孕んでいたとしても……。
役に立てない、じゃない
役に立つ為に、行動するんだ
「ほら立て、私!」
私は立ち上がり、後ろを振り返って迷わず森に駆け出した。
暫く走っていたが、突然、霞のような、もやっ、とした何かの気配が感じられた。
……なに?
立ち止まって、その霞の正体を探ろうとしたら、甲高い金属音が森に響いていることに気がついた。もしやと思い、そろりそろりと足を忍ばせ木々の間からこっそり様子見して正解だった。
良かった……
お母様、思ったより大きな怪我は無さそう。
見事、互角の戦いを演じているお母様に心の中でほっ、と息を吐いた。後ろで警戒している4人に気付かれはしないかヒヤヒヤしたが、お母様を警戒しているのか、私が見つかることはなかった。
お母様が私の心配の余地もないほどカッコイイ。あの怖い女騎士相手に一歩も退いてない。これなら私が心配して戻ってこなくても良かったかも。
むしろ、私が今見つかったら盛大に足引っ張りそうだ。
お母様が大丈夫だとわかったので、邪魔をしないよう大人しく隠れていることにする。お母様がピンチになったら助けるということで。
私は予備軍、と心の中で決めていると、またも、もやっとした何かの気配を感じた。
まただ
何も起こらないから放っておいたけど、何だろう、これ?
もう一度正体を探るため、きょろきょろと周り見回した。よくよく感じ取ると、そのもやは、そこら辺に沢山あるのがわかった。
さっき走ってた時はこんなに無かったのに、と思っていると、そのもやは、お母様や敵の周りに沢山あるように感じた。というか、放出してた。
発生源、そこかよ
つっこみと共に心配して損したとため息をついたら、エレネイアの記憶の一つが脳裏を掠った。
……あれ?
待って、これって魔法を発動させた時に感じるやつと一緒じゃないの?
エレネイアも、少しだけなら魔法が使える。
魔法の練習していた記憶があったのだ。毎回もやっとした気配を感じていたみたいだが、エレネイアは気づいていなかったみたいだ。
しかし、その事実に気づいた瞬間、私は次の予測に顔が青ざめていくのが分かった。
もし……、もし、これが魔法発動時の残滓だというのなら、今戦っている敵の後ろに控える4人は、魔法で援護を行っていることになる。
私はお母様が戦っている女騎士をじっ、と観察した。思った通りだ。女騎士には目立った傷がない。お母様の攻撃が当たっていない訳ではなく、瞬時に治癒されているのだ。控える4人も見てみた。警戒もしているが、それよりも呪文を唱えるのに集中しているようだった。
なんてことだ。
一対一だと思っていた勝負がまさかの五対一だった。多勢に無勢とはなんて卑怯な。純潔のなんたらなんて叫んでいたから、てっきり正義の味方気取りのイタイ人かと思っていたが、そうではなかったらしい。
いやいやそんなこと考えている場合じゃないじゃん!!
見たところ互角のようだが、延長戦になれば話が変わる。このままではお母様が負けちゃう。
あああどうしよう、なんとかしなきゃ!
混乱しかける思考で、自分が今使える魔法を洗い出す。
水や火を打ち出して相手の気をひくのはどうかな?でも、そんなことしたら見つかるのは確実だし下手したらお母様の足を引っ張る結果になりそう。閃光の魔法で目眩まししたところで逃げ切れるとは限らない。植物や土を操る魔法では、そもそも攻撃とかできない。何より、一つでも魔法を使えば確実に気付かれる。長々と呪文を唱えてたら魔法発動前に気付かれちゃう。
何とかしなきゃと焦る心が余計に混乱を助長する。
おお落ち着け私
まずは何をすれば役に立つのか考えよう
まずは深呼吸
空気を大きく吸い込み、吐き出す。ふう、と息をついてもう一度思考を回転させる。
使える魔法は一つ
それも、短い呪文に限る
何の魔法なら相手の隙をつけるか考えるんだ
短い呪文に制限すると、使える魔法は三つ。
水魔法、火魔法、光魔法だ。
この三つで何が出来るか考える。呪文を唱える4人を見据えながら必死に唸る。
どうすれば敵を倒せるか、考えるんだ
どうすれば……
その時、天啓に似た閃きが頭に浮かんだ。
「そっか。倒さなくていいんだ」
私はすぐさま小さな声で早口に呪文を唱え始めた。
私の使える魔法の一つに誘眠魔法がある。範囲魔法で、効果時間も数十秒と非常に短い魔法だ。私が最初にこれを切り捨てていたたのは、眠らせることの出来る人数が限られていたからだ。それに、魔法に抵抗されて効かない場合も考えられた。
しかし、魔法をかける対称が警戒しているのはお母様。いまだに、気付かれていない私の魔法ならば、抵抗される可能性は低い。それに、魔力量は私の方が多い。何人かは魔力で押しきることもできるはずだ。
大事なのは、敵を無力化することなんだから。
「彼の者達を眠りに誘え。夢幻の誘惑!」
「人間共よ、只ではここを通さぬぞ!ここを通りたくばわたくしの屍を越えてゆくがいい!!」
私が呪文を唱え終わると同時にお母様の咆哮があがった。空気がびりびりと震えるような猛々しい大音声にこっちが悲鳴をあげそうになった。敵方も怯んでいる。
ひゃんっ!怖い、怖いってば、お母様!
だが、私の魔法はしっかり効いたようで、後ろにいた4人が意識を失って倒れた。狙った内、4人も魔法が効いたのは嬉しい誤算だった。
なんだかお母様が濡れ衣を着せられているようだが気にしない。大人数で卑怯な、と思っていたくせに何の戸惑いもなく闇討ちした私も十分卑怯だなんて気にしない。勝てばよかろうなのだ。
でも、少しおかしい。
魔法を使ったのは私な筈なのに、あの女騎士が最初に疑ったのはお母様なのだ。ひょっとして、お母様もタイミング良く魔法を使ったのだろうか。もしくは、魔法が使われたことに気づくには少しばかり時差があるのではないか。
ひょっとすると、まだ私が魔法を使ったことに気づいていなかったり……
「よくも私の仲間を……お前か!!」
……しませんでした。
ですよね、知ってた。流石にバレちゃったか。
女騎士は流石隊長格と言うべきか、当然の如く魔法に抵抗した。
殺意が何の隔てもなくこちらに向けられる。その瞬間、恐怖に身体が凍りつき、心臓が鷲掴みにされたように息がしづらくなる。涙がこみ上げ、視界が少し悪くなった。
なのに、私の思考は何の問題もないかのように平然としたままだった。
大丈夫
私はただ呪文を唱えればいい
女騎士が、私を殺さんと槍の切っ先を向けこちらに駆け出した。私の姿に驚き出遅れたお母様が、女騎士を止めようと手を伸ばす。
「エレン!!」
私は小さく動かしていた口を止め、悲痛な声をあげて自分の名を呼んだ母親に、にこりと笑って顔を上げた。
「閃光!!」
カッ、と眩い光が私と女騎士の間で放たれた。
「馬鹿め、そんなただの初歩魔法が私に効くか!」
女騎士が勝ち誇ったように槍を構えた。しかし、女騎士の槍が私を貫くことはなかった。女騎士が上手く地を踏みしめることが出来ず、態勢を崩したのだ。
「なっ!?」
「初歩魔法の一つ、『緑の歩み』です」
女騎士の驚愕に染まる表情に、事も無げに原因を述べた。簡単な話だ。私が発動させた魔法 『緑の歩み』で女騎士の足元に輪を作り、足を引っかけただけだ。
人間、身体を動かす時には、誰でも特定の箇所に力を入れる。立つときは足の裏に、息をする時には肺に、といった具合に。だから、力を入れる箇所に上手く力が入らないと、バランスを崩す。それが予想していなかったことなら、尚更。
そして、予期せず自分が倒れそうになった場合、大抵の人は大きく分けて二通りの行動をとる。足を踏んばらせ、自分が倒れないようにする人と、倒れる自分を無視し、別の行動をとる人。
「ふん、ただの時間稼ぎか」
どうやらこの人は前者だったようだ。瞬時に態勢を整え、槍を振りかざした。どっちでも問題なかったけど、後者ならばまだ勝機は残っていたかもしれない。でも残念。この人は選択を誤った。
「そうよ。わたくしはただの時間稼ぎ」
先程と変わらない態度で、静かに答えた。
そう、私の役目は敵を倒すことじゃない
「かっ……はっ……!」
余裕の戻った女騎士の顔が痛みに歪んだ。硬い鎧が引き裂かれ音と同時に地面に伏した。
私の役目は敵に一瞬の隙をつくることだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「エレン!!」
座りこんだ私にお母様が駆け寄った。その顔を見ると、心配させてしまったことがよく分かり、とても申し訳ない気持ちになった。
「お母様……ご心配をおかけ……」
「なんて無茶なことをするの!!」
謝ろうとした言葉がお母様の抱擁で遮られた。
「本当に……、本当に、あなたって子は……」
きつく抱き締めるお母様の腕から逃れることは叶わず、私は暫くされるがままになった。
「お母様、悪いことだとわかっていたのですが、お母様が心配で……」
「ああ、皆まで言わないで良いのよ。貴女は優しい子ですからね。心配になって戻ってきてしまったのでしょう?」
お母様が、銀色の柔らかい毛の生えた手で私の頭を撫でた。葛藤もあったが、助けに来た理由はお見通しのようだ。
どうにもむず痒い気持ちが沸いてきた。私は少しでもその気持ちを誤魔化したくて、お母様に抱きつき顔を埋めた。始めてのはずのこの人の温もりに安心した。
そして、この温もりを失わずにすんで良かった、と心の底から思った。
4500字~5500字が目標です。ポケモンの技で、「草結び」というのがあった気がするので、それを参考にしました。物語の流れは決まってたんですが、主人公にどうフォローさせるのかがすごく悩みました。