第一話 未だ幼きPrincess ⑤
風呂上がり、光太とリカルドはコップ一杯の水を飲み乾してから再びリビングへと腰を落ち着ける。恵に連絡を入れ、もうしばらくレムを預かってもらうことにした。今からする話をレムには聞かせたくないとリカルドが言ったからだ。
光太は人と比べて、相手の感情や会話に隠された意図を読み取ることに長けている。今もリカルドの様子から只事ではない何かを読み取っており、とても風呂上がりとは思えない張り詰めた空気がリビングには漂っていた。
まず口火を切ったのはリカルドから。
「光太、お前はお前の両親やワシが何の研究をしているか知っているな?」
もちろん知っている。『夢見の眠り姫』という童話。その舞台となったアウロラという国が実在する証拠が見つかったことにより、その国の歴史を調べている。
「二十年前に見つかったその証拠がレムなんだよ」
「え?」
童話に出てくる眠り姫が実在しているという事実は何よりもその証拠となる。それは光太も理解できたが、もっと別の、例えば歴史書だとか石碑だとかそういったものが発掘されたのだと光太は思っていた。
「お前の父親である秀和が別の研究で行われていた発掘中に偶然発見したのがレムだった。童話の中では眠り姫は『魔女の魔術で眠らされた』とあっただろう? あれは今でいうところのコールドスリープに近いんだろうな、レムは巨大な氷の中で安らかに眠っていた状態だった」
当然ながらそんな科学が三百年前に存在していたとは思えない。やはり何らかの魔術的な、特別な力が働いていたと推測できる。
「でも、どうしてそれがレムだと、眠り姫だとわかったんですか?」
「ああ、氷に文字が刻まれていたんだよ。『愛しの我が娘、レムの未来に光あれ』とな。アウロラ国王女のサインも入っていた。それがきっかけになり、辺りの調査を進めたワシたちは当時のものと思われる出土品が多く出たことからもアウロラが実在すると確信に至った、というわけだ」
光太は夢で見た女性、レムの母であるアウロラ国王女の姿が頭に過った。
「その氷が溶け出したのが今から約一年前。明里をラボに呼び戻したのはその時だ。完全に氷が溶け切ってレムが目を覚ましたのは一ヶ月くらい前だな。お祭り騒ぎだったよ。目覚めてほしいと思う反面、まさか本当に目覚めるとは思ってもいなかったというのが本音だった」
遺体を保存するのとは訳が違う。生きたまま三百年もの間、氷の中で眠らせるのだ。魔術だか何だか知らないが、今の常識からいえば中の人間の生死は絶望的。だれもがそう思うはず。
「二十年、じゃないか……。えっと、三百年溶けなかった氷がどうして今になって溶けたんでしょうか?」
「氷に施されていた魔術とやらに関しては依然調査中だが、童話の中ではレムが目覚めることイコール予知された死の回避となっているよな。逆を言えば死を回避できたからこそレムが目を覚ましたとも考えられる」
「あ、じゃあレムは」
誕生日の日に死なずに済む。童話はハッピーエンドで締めくくられるのだ。そう考えると自然と笑顔が浮かんだ。
「まぁそうなんだがな。確証がある訳じゃない」
だからこそレムを日本によこした。万全を期すために。
「その確証を得ようとすると、どうしても調べる必要があるのが……」
思い当たる節は一つしかない。
「魔女について、ですか?」
「そうだ」
この『夢見の眠り姫』という童話の中で最も謎に包まれているのが魔女の存在だ。作り話のままであったなら気にも留めないほどありふれている魔女という存在だが、こと実話だと言われるとそうもいかない。レムが生きて目覚めたことからも魔女の力は本物だとわかる。それ故にその原理を解き明かし、魔女の言葉に確固たる確度を得るをことができれば、レムがもう大丈夫であるという証明にも繋がるだろう。
しかし、この『魔女について』というのがかなりの曲者だったのだ。
専門的な知識を持たない者でもこの童話を読めば魔女に対してちょっとした違和感を持つに違いない。
その最たるは『魔女はいかにして知ったのか?』という点だ。
王女はレムの死を予知した時、おそらくだがそれを誰にも打ち明けなかったのではないだろうか。それを公表することは民に動揺を与える以外に何もなく、何一つとして得がないように思える。童話内の記述には『王女様は来る日も来る日も一人頭を抱えて悩みました』ともある。『一人頭を抱えて悩む』との表現からもそれが窺い知れるだろう。
にもかかわらず、魔女はどうしてそれを知ることができたのか。王女が誰にも話していないのならばそんな噂など流れるはずもなく、明らかにここに矛盾点が生じている。
「そこでワシたちは魔女についての調査に重点を置くことにした。何故ゆえ魔女は予知に関しての情報を手にしていたのか。いかにしてその予知を覆す方法を用意できたのか。そこにレムの未来を変える手立てやアウロラが現在地図上からその名を消した理由、そんな全てが集約されているような、まぁ研究者としての勘が働いたんだな。で、その矢先に……」
この事態、という訳だ。
「となると、今回の火事は誰かが意図的に……?」
こういった話をする以上、リカルドは作為的な何かを感じているはず。
「ああ。火の手が上がる直前にラボの職員が不審者の存在を目撃していたらしい。その正体まではわからなかったそうだ」
本来ラボとはいっても薬品や危険物を扱う類の場所ではなく、歴史研究を名目としている。そんな場所が建物丸ごと炎上させるほどの火災を起こすなど通常では考えにくい。放火されたという可能性に行きつくのは当然ともいえる。
「その理由はまだ確定できんが、ラボが狙われたという前提で秀和たちは動いている。万が一にもこちらにまで飛び火しないとも限らんからな。直接の連絡は可能な限り控えることになった」
それで両親からの連絡が直接光太に来なかったのだ。
「そういうことなら仕方ないです。でも、父さんたちは大丈夫なんですか?」
「心配には及ばん。ワシの軍時代の伝を辿って護衛を用意することにした。こちらにも数人呼んである。万が一に備えて、な」
レムの存在は極秘事項になっているとはいえ、ラボが襲われた以上はこちらも対策を講じる必要があるとリカルドは考えているのだ。
十三歳を無事に迎えるレムを見届けられればいい。そう思っていた光太だったがここにきて妙に話がきな臭くなってきた。ともすれば、先の夢で王女はこういった危険があることを予見し、注意を喚起しに現れたのではないかとまで勘繰ってしまう。
「あ、先生。そういえばこれに見覚えありませんか?」
光太が取り出したのはその夢で王女より手渡された碧い宝石だった。この話をしようと思って用意していたのだ。
リカルドはそれを受け取って眺めている。表情が見る見るうちに固まっていった。
「光太、お前これどうしたんだ……? レムが持っていたのか?」
「いえ……、オレとしても説明しづらいんですけど……」
光太はを一通り説明する。普通なら頭を疑われるかもしれない内容だが、この状況、ましてや相手がリカルドならばそんな気苦労も感じない。
話を聞き終えたリカルドはしばし黙考してから口を開いた。
「この石は『アウロラブルー』という。アウロラ国王女に代々授けられる物でな、レムも持っているはずだ。氷の中から目覚めたときに握り締めていたと聞いている」
「じゃあこれはレムのですかね」
光太が寝ている隙にレムが握らせたのだろう。そう考えた方が夢の中で手渡された物が現実になるよりよほど納得できる。
「いや、確認した方がいい。光太、すぐにレムを呼んでこい」
「あ、はい」
確かに確認自体はすぐできる。レムに訊けばいいだけの話なのだ。夢の話自体もレムに訊きたかったしちょうどいいかもしれない。
光太はレムを迎えに和久井家に向かった。
「うん、持ってる。ほらー」
レムは首に下げていた碧い石、通称『アウロラブルー』を二人に見せた。レムのそれは石の周りに金具で簡単な補強がしてあり、紐が通されて首から下げられるようになっていた。石自体は光太の物と全く同じに見える。が、こうして二つ同時に存在している以上、夢で王女から手渡されたということが現実であると証明されたことになる。
「レム、これ」
光太は自分が持っていたアウロラブルーをレムに見せる。
「あ、いっしょだー、エヘへ~」
レムはただ単にお揃いであることを喜んでいるようだ。
「レムさ、バスの中で寝てた時って何か夢見てなかったか?」
「え~、う~ん……、わかんない」
「そうか……」
レムも同じ夢を見ていたのならば何かわかったかもしれないが、それでもこうして光太の手にアウロラブルーがあるという事実に変わりはない。
「レムにも予知夢を見ることができると思うんだがな」
そう切り出したのはリカルドだ。
「そうなんですか?」
童話の中にも出てこない話。光太にとっては初耳だ。
「ああ、アウロラ国王家次期王女には予知夢の力と共にアウロラブルーが贈られる、とはワシたち研究チームの調べた結果でわかったことだ。言いかえればアウロラブルーを持ったレムはその力もすでに受け継いでいるんじゃないかってことなんだが」
レムの母固有の力ではないということらしい。アウロラブルー自体に何らかの力があるのかどうかは未だ不明だそうだ。
「ん~、レムね、夢って見たことない」
「そうなのか? 覚えてないだけじゃなくて?」
しかし、レムは「わかんない」と首を横に振る。
「本人がそう言っている以上、ワシらじゃ確かめようがないんだよなぁ」
確かに夢を見ているかどうかなど本人にしかわからない。見た夢の内容を話してもらって初めてそれが予知夢かどうかを検証できるのだ。さすがに夢を全く見たことがないというのはないと思うが、覚えていなければ話のしようもない。
「ふわぁぁぁああ」
レムが大きな欠伸をした。時計を見ればもう夜十時を回っている。子供はもう寝る時間だ。
「続きはまた今度話そうか。現状ではこれ以上何もわからんしな」
「ですね。さ、レム、もう寝よう」
光太が眠そうに目を擦るレムを部屋に連れて行こうとすると、
「ねぇ~コータ。さっきメグが動物園連れてってくれるって言ってたのー。コータがいいよって言ったらって。レムね、動物園行きたいなー」
恵もレムの思い出作りに気を回してくれたのだろう。残り少ない春休みの内でないとそんな時間もなくなってしまう。光太としても連れていってやりたいとは思うが、この現状でそれは可能だろうか。その判断を仰ぐつもりでリカルドに目をやった。
「明後日ならいいぞ」
「だってさ。それでいいか、レム?」
「うん!」
どうやら明後日にリカルドが手配した護衛の人物がこちらに到着するそうだ。それならいざという時も安心だろう。もし何かあった場合、武芸の心得もない光太ではその身に余る。
(そんな事態は勘弁だけどな)
せっかくの機会、レムには楽しい思い出をいっぱい与えてやりたい。そんなことを思いつつ、レムを部屋へと連れて行った。
レムを寝かしてから、光太は自らの携帯電話を手に取ると慣れた手つきで電話をかけた。
「はーい、もしもし」
二コールを待たずして受話器の向こうからは恵の声が聞こえた。
「あ、恵?」
――プツッ、ツーツー
あっという間に通話が切られた。
「……」
光太は無言でリダイヤル。
「はい、もしもし」
再び聞こえた恵の声は少し苛立ちを含んでいた。その理由がすぐにわかった光太は仕方なく、
「メグ」
と、呼ぶ。
「なぁに、光ちゃん」
恵は「それでいいのよ」と言わんばかりに機嫌を改めたようだった。
「さっきは色々と悪かった。ちょっとばかし立て込んでたんだ」
「うん。別にいいよ。気にしてない」
先程、光太はあのニュースを見た直後に動揺した姿を見せてしまったが、恵はそれについて一切何も訊いてこなかった。同様のニュースは今も放映されているはずで、恵も自宅でそれを目にしている可能性がある。それを踏まえてなお、何も言ってこないということはやはり気を遣ってくれているのかもしれない。
(隙を見てどこかで心配ないと伝えなきゃな)
だが、さすがに今の段階ではまだ何も話すことはできず、光太は本題へと移ろうとした。
その時だった。
突然目の前がホワイトアウトしたように真っ白になり、それに続いて碧い光が世界を包み込むように広がっていく。
光太は思わず目を閉じた。しかし、目を閉じてなお、見える光景が変わらない。
眩しさに体がよろけ、倒れないように踏ん張った。すると次第に碧光は一点へと収束し、フッと消える。まだ目は閉じたまま。
にもかかわらず、光太は視えていた。
碧い光の後に広がった光景。見覚えのある景色。見覚えのある同級生。だが、見覚えのないワンシーン。そして最も衝撃的だったのは、目の前に茫然と立っている男の顔。
まるで写真か紙芝居の一ページに入り込んでしまったようにも思える異様な光景。ただ写真を見ているのとは全く違う。視えているもの全ては動いておらず、音も声も聞こえないが、確かなる現実感が存在していた。しかし、逆に自分自身にそれが感じられなかった。自分が視ているはずなのにどこか自分ではないような、視ているというよりも視せられている感覚。
光太は『自分が自分ではなくなった』と強烈に感じ、眩暈がした。
「……ーし、もしもーし」
そんな光景も電話越しの恵の声が光太の耳を震わしたと同時に暗闇へと戻った。光太が目を開けるとそこは紛れもなく自宅。立ち止まって電話をかけたそのままの場所。
「なんだ、今の……」
「へ? なに?」
光太は思わず声に出していた。当然ながら恵には状況がわからない。だが
それ以上に光太自身がわからなかった。
「あ、いや、なんでも、ない……」
何でもないはずがなかったが、他に言いようもなかった。
「そう? あ、そういえばレムちゃんから聞いた? 動物園の話」
「あ、ああ、明後日でもいいか?」
「春休み最後の日だね。お弁当作ってくってレムちゃんにも伝えておいて。じゃあね、おやすみ」
通話が終わる。光太の混乱は未だ収まらず、頭の中には先程の光景が鮮明に残っていた。
その夜はなかなかに寝付けなかった光太だった。




