第一話 未だ幼きPrincess ③
*
――。
笑い声が聞こえる。女の子の笑い声。
あれは、そう。レムだ。
隣の女性は、知らないな。会ったことがない。
でも綺麗だな。色白で、金髪がキラキラしてて。
二人は仲がいいみたいだ。
レムが笑ってる。
ああ、その人のこと信頼してるんだな。
さっきよりいい笑顔してる。
でも、隣にいる女性はどこか物悲しげな感じがするな。
なんでだ? けど、わかる気がする……。
あれはきっとレムの母親じゃないかな。
そう思うとよく似ている。目元とかそっくりだ。
レムが成長するとあんな感じになるんだな。
って、待てよ?
これはなんだ?
オレは夢を見ているのか?
でもおかしい。当たり前だけど、オレはレムの母親のことは見たことない。
そりゃあ、童話の挿絵では見たことあるけど……、どういうことなんだ?
あ、女性がこっちを見た。
後ろには、何もないよな。確かにオレを見てる。
近付いてきた。
レムと手を繋いで。
その間、ずっとオレの目を見つめている。
目の前で立ち止まった。
あ、どうも。えっと、これはどういうことなんでしょうか?
微笑み。悲しげな笑顔だ。
女性がレムの背中をそっと押してこっちに促すようにしてる。
レムは俯いてしまった。
どんな表情をしているのかは、見えないな。
この人は何がしたいんだ?
申し訳ないんですが、少し状況説明をお願いできませんか?
レムは貴女の傍にいたいみたいですけど……。
レムがオレの左手を掴んだ。
手を繋いで、横に並ぶように移動した。
俯いたままで。
おい、レム、いいのか?
女性がオレに何かを差し出した。
その手にあるのは、碧く輝く丸い、宝石?
くれるんですか?
女性は瞼で頷いた。
あ、じゃあ、えっと、ありがとうございます。
ん、眩し。
オレの掌にのった宝石がすごい勢いで光ってる。
眩しくて目を開けていられない。
え? なんですか?
今、女性が何か喋った気がした。
囁かれる美声。
その声は、確かにオレの耳に届いた。
碧い光が目の前を包み込んでいく。
オレの左手がぎゅっと握られた。
*
「――ゃん、光ちゃん」
声がした。光太にとっては聞き覚えがある声。
「……ん?」
「あ、目が覚めた。もう着くよ」
光太が目を開けると、そこは帰りのバスの中。一番後ろの席。左の窓際に座った恵がこちらを見ていた。
「あ、ああ」
光太はぼんやりとしたまま、窓の外を見た。そこから覗く景色は家の近くまで来ているようだった。ふと目線を下にやると、間に座っていたレムがいつの間にか光太の左手をぎゅっと握ったまま眠っていた。
「今日はいっぱいはしゃいだからね。よく寝てる」
「そう、だな」
レムの寝顔はとても安らかに見える。ただ一筋、涙の痕を除いては。
(なんだったんだ、今の? 夢、だよな?)
光太はそう思って、そこで初めてハッとした。
レムに繋がれた左手とは逆、右手の中に何かあったのだ。
「……え?」
掌を開くと、そこからは碧い宝石。
光を放ってこそいないが、間違いなく同じもの。
まだ夢から覚めていないような、妙な感覚が光太を襲う。
あの女性の最後の言葉。
――娘を、支えてやってください。
楽器を奏でたような美しい声で囁かれたその一言が、光太の耳には鮮明に残っていた。
レムを娘と呼ぶあの女性はまさしくレムの母親。
「王女様、か……」
ふと、光太はそう呟いていた。
「え、なに?」
「ああ、いや、なんでもない」
何気なしに口を出たその一言だったが、言葉にした光太自身が驚いていた。それはまさに確信と呼べるものだったからだ。
「ほら、光ちゃん。ボーっとしてないで降りるよ。荷物はアタシが持つから、光ちゃんはレムちゃんを抱っこしてあげて」
恵に急かされ、光太はまどろみの中から引き戻される。バスはすでに最寄りの停留所に到着しており、今まさにその扉が開かれるところ。光太は未だに眠ったままのレムをそっと背負ってバスを降りた。
家路に就く途中、背中にレムの重みを感じながら光太は先程の夢を思い出していた。とても夢とは思えないほどにはっきりと思い出せた。
信頼に満ちたレムの笑顔。王女の悲しげな微笑み。碧い宝石。そして最後の言葉。
思い出せば出すほど、何故か胸が熱くなる。
あれは本当に夢だったのか。もし違うとしても光太には別の言葉で言い表すことができなかった。
(もしかしたら、レムも同じ夢を見てたりしてな)
そんなことを考えていると、大量の荷物を抱えて一歩先を歩いていた恵がスッと振り返る。
「レムちゃん、ほんとかわいいよね」
「……ああ」
「親元を離れてさ、こうして遠い日本に来るのにはやっぱり事情があるんだろうけど、せっかくだからさ、楽しい思い出、いっぱい作ってあげたいね」
恵にそう言われ、光太は胸のあたりが苦しくなった。
その事情を恵は知らない。想像もできないだろう。
(レムは、もう二度と親元に戻ることはできないんだよな……)
あの女性を王女と確信したことが、光太にレムの置かれた境遇を自覚させていた。
まだ十二歳の女の子が親元を離れるどころか時代まで飛び越えてしまったのだ。一人暮らしをするのとはまるで違う。
それはどれだけ辛いことだろうか。どれだけ寂しいことだろうか。
光太は初めてそれを考えた。恵の方がよほどレムのことを気遣っていた。
そして先程の夢がまた思い出される。あの憂いに満ちた王女の表情。娘の死を予知しながらも自身ではどうすることもできず、未来に全てを託すしかなかった母親の気持ち。
(バカだ、オレは)
どう感じていたかなど本人にしかわからないとはいえ、そんなことにも気付けない自分に光太は腹が立った。
王女は自分の手で、自分の目で、レムの成長を見届けたかっただろう。だがそれは不幸にも叶わず、三百年という悠久の時間と夢までを超えて娘であるレムの未来を案じた。
とすれば、恵の提案はなんと素晴らしいものだろうか。目から大量の鱗が落ちたようだった。
「いっぱい美味いもの食わせて、いろんなところに連れてって、最高に楽しませてやりたい」
背負ったレムの寝顔を横目に、夢の中で見たあんな笑顔をまた見たいと、そう思った。
「だよね! 春休みがもっと長かったらよかったのになぁ」
学校が始まれば時間があまり取れなくなってしまうかもしれない。
それでも、
「ありがとな、恵」
大切なことに気付かせてくれた幼馴染に、光太はそう言わずにはいられなかった。
「な、なによ……、気持ち悪いわね。ってゆーか『メグ』って呼ばないとぶち殺すわよ? フフフ」
一人だったら背中に感じる重みをもっと感じていたかもしれない。幼馴染のニヤけた顔がとても頼もしく思える光太だった。