第一話 未だ幼きPrincess ②
光太が一人で暮らしているとはいえ、元々家族で住んでいた一軒家だ。三人で生活するとしても十分に部屋はある。
が、生活用品は圧倒的に足りていない。特にレムの物だ。
持ってきていた着替えなどもせいぜい二、三着しかない上に、年頃の女の子ならば必要な物も色々とあるだろう。
しかし、買い物に出かけようにも姉も妹もいない光太にはレムに何が必要になるのかいまいちピンとこず、またリカルドは何やら用事があると言って、光太に任せて先に出かけてしまった。
帰りも遅くなるようで夕食は外で済ませるようにとも言われている。
「うわぁ、なにこの子~! お人形みたいでかわいい~」
玄関先でレムを見つけるなり、すぐさま駆け寄り抱きついて『いいこいいこ』し始めたのは光太の家の隣人であり、幼馴染にして同じ高校に通う『和久井恵』。学校でも凄まじい人気を誇るショートカットの美少女だ。演劇部に所属しており、文化祭で行われた演目でヒロイン役を演じたことがその人気を爆発させた。
和久井家とは小さい頃から家族ぐるみの付き合いをしていたこともあり、一見すれば高嶺の花にも思える恵だが、光太にとっては最も身近な存在だった。
光太はそんな恵に買い物への同行をお願いしたのだ。恵ならば必要な物を滞りなく揃えてくれるだろう、と思ってのことだったが、他に頼れる女友達がいないのも理由の一つ。
恵はやたらと面倒見がよく、いい意味で馴れ馴れしいところがある。初対面だろうが外国人だろうが関係なしでこの様子だ。
「ぐ、ぐるじいよぉ~」
恵の立派な胸に挟まれていたレムがもぞもぞと顔を出した。
「あっ、ごめんねごめんね! あんまり可愛かったからお姉ちゃんてばテンション上がっちゃったよ~」
恵は慌ててレムを解放し、乱れた長い金髪を整えるように優しく撫でた。
「アタシは和久井恵。メグって呼んでね」
「レムだよ! メグもいっしょに買い物行くー?」
レムは無邪気な顔で恵の袖を掴む。すっかり心を開いた様子だった。
「光ちゃん、この子さ、アタシにくれない?」
どこまで本気かわからない真剣な眼差しを光太に浴びせる恵。
「……バカ言ってないで出かけようぜ。日が暮れちゃうだろ」
レムのことは両親の知り合いの子供を預かることになったと恵には説明した。さすがに童話や眠り姫についてをむやみやたらと説明する訳にもいかず、一切他言しないようにとリカルドからも固く仰せつかった。当然ながら学校などにも通わせることはできないらしく、それでもレムには特殊な生い立ちに負けずに可能な限り幸せな生活を送ってほしいとのことで、きっと恵はそんな事情を知らずとも自ら一役買ってくれそうだと感じさせた。
デパートまではバスに乗って三十分ほど。
その間のレムのはしゃぎ様といったらなかった。なにせ眠り姫であるならば、レムは三百年以上前の世界しか知らないのだ。きっとリカルドに連れられてこの街まで来る時もこんな様子だったのだろう。目に映る全てが初めての物事ばかりでてんやわんやとなっているレムは隣で見ていてとても微笑ましいものだった。
「ふぇ~? コータ、メグ、これってお城?」
バスを降りるなり、レムはデパートを見上げてその目を真ん丸にしていた。
「ここはデパートっていって、買い物するところだ」
これほどまでに大きな建物は当時では城くらいしかなかったのだろう。しかもこの辺りは高層ビルの立ち並ぶ中心街なので時刻は昼過ぎながら、人の流れもかなりある。レムは道行く人々を目で追ってはまた建物を見上げ、とても忙しそうにしていた。
「さ、迷子にならないように手、繋ごっか」
挟むようにして光太と恵はレムと手を繋ぎ、デパートの中へと入っていく。
「さてと、とりあえず何から見る?」
大型百貨店だけあって大概の物はここで揃うはず。お金もリカルドからカードを預かってきたので問題なしだ。
「そうね、まずは着替えかな。それから日用品。女の子なんだから身だしなみが最優先よね~、レムちゃん」
恵がそう話しかけるが、レムは店内の様子に心奪われて聞こえていないようだった。
「こんなにデパートを珍しがるなんて、よほど田舎の子なのね」
スルーされた恵は気を悪くすることもなく、むしろ微笑ましそうにレムを見ていた。
田舎といえば田舎かもしれないが、そもそもレムは時間を超えてここにいると思われる。しかもお姫様という立場上、アウロラでもほとんどが王宮内での生活だったのではないだろうか。整然とした場所しか知らないとならば、こういった人が乱雑に流れる様子が珍しく思えてもおかしくはない。
「まぁな」
光太は曖昧に首肯しながらも『レム=眠り姫』という話を噛みしめていた。レムを見ていると、徐々にその事実に対するモヤモヤが薄まっていく感じがしていたのだ。
恵に対して隠し事をする若干の後ろめたさも同時に感じていたが、こればかりは仕方がない。
(ハッピーエンドの瞬間には恵も一緒にレムを祝えたらいいな)
きっとレムも喜んでくれるだろう。光太は一つ楽しみが増えたような、そんな気分に自然と笑みがこぼれてしまった。
「ほら、レムちゃん! 次はこれ試着してみよ!」
三人は子供服売り場にやってきていた。恵は売り場に来るなりレムにまるで着せ替え人形のように服を宛てがえ、レムはレムとてそれを思いっきり楽しんでいた。
レムはどうやら着替えが苦手なようで、恵も試着室に入り込んで着替えさせてやっている。試着室の外で待機させられた光太はカーテンが開けられる度に変わるレムの服装をさながらファッションショーのように見物していた。
「ああ~、レムちゃんってば何着ても似合うわ~」
恵の顔はこれでもかというほどに綻んでいる。
「コータ、どう? これかわいい?」
カーテンの中から現れたレムは首元にリボン、裾にフリルがついた薄いピンクのワンピースを着て、くるりと回った。
「うん、よく似合ってる」
そう答えた光太の顔は引きつっていた。確かに良く似合っている。子供服のファッションモデルでもこうは着こなせないだろうとも思う。
しかし、その感想を一体何度口にしたことか。
なにせこのファッションショーが始まって、すでに一時間以上は優に経過しているのだ。当然ながら他の買い物は一切終わっていない。最初は光太もレムの可愛さを純粋に楽しめていたが、これはいくらなんでも長すぎた。
レムが光太に褒められて「えへへ~」とニコニコ顔で鏡を見ている隙に恵にそっと耳打ちした。
「おい、そろそろ他も回らないと帰りが遅くなるぞ」
「ん? あ、ああ、そうよね。ごめんごめん。これだけあれば当分着替えには困らないだろうし、いいかな。じゃ、これだけお会計よろしく~」
そう言って恵はどっさり積まれた子供服の山を光太に手渡すと「先に隣の売り場に行ってるね」とレムを連れて行ってしまった。
「全部で十七点ですね、お会計は……」
光太がレジに品を出すと、その金額に驚愕せざるを得なかった。恵の遠慮のなさが顕著に表れている。
(リカルド先生、御愁傷様です)
心の中で手を合わせ、光太は「カードで」と店員に一言告げた。
「コータぁ、レムね、おなか空いた~」
一通り買い物も終わり、時刻は夕方。間もなく日も暮れるだろう。夕食の時間としてはちょうどいい。レムはすっかり空腹になってしまったらしく、お腹を押さえて切なそうな表情で光太を見上げている。光太も両手にどっさりと荷物を抱えて歩かされたので、さすがに休憩したかった。未だ元気なのは恵だけ。
「じゃあ、飯食っていこうか。恵もいいよな?」
「うん、いいよ。レムちゃんは何が食べたいのかなー?」
恵が訊くと、レムはこれまで見せたことないような真剣な顔で「う~ん」と悩み、
「ラーメン!」
と、今日一番の笑顔で答えた。
その笑顔に逆らえる者はこの場には存在しない。
幸いにもこのデパートの地下に美味しいと評判なラーメン屋があったので三人はそこへ向かうことになった。
ラーメン屋では箸を使うことに慣れていないレムが悪戦苦闘する様がとても愛らしく、店主もその姿に心ときめいたのか、豚の角煮がサービスされる一幕があった。レムは大層喜んでそれをぺろりと平らげた挙句、替え玉までした。昼食の時もそうだったが、この小さな体のどこにそれだけの量が収まるのか不思議でならない。しかし、さも美味しそうに食べるその姿は愛らしい小動物の様で店主の気持ちも重々納得できるというものだった。
帰り際、バスに乗ってすぐにレムがうつらうつらとし始める。
「あ、眠くなっちゃったかな」
あれだけはしゃいで、空腹も満たされれば眠くなるのも仕方ない。かくいう光太も目を閉じればすぐに眠れそうだった。
「光ちゃんも寝てていいよ。着いたら起こしてあげるから」
「ん。じゃあそうさせてもらうかな」
恵は相変わらず平気そうだったので光太はお言葉に甘えさせてもらうことにした。バスの揺れが心地よく、浅い眠りに就くまではほんの一瞬だった。