第一話 未だ幼きPrincess ①
第一話 未だ幼きPrincess
「郵便でーす」
ある日の昼頃、茨木光太に一通のエアメールが届いた。差出人は茨木明里。
光太の母である。
『光太へ。風邪など引いていませんか? ご飯はしっかり食べていますか? 高校生の光太に一人暮らしさせること、未だに少し心配しています。どこぞの女どもを連れ込んで酒池肉林などに興じていたらお母さんは絶対許しませんからね』
「……」
ファンキーな発想を持った母である。
現在、光太が通う県立 名西高校は春休み中で、それが終われば二年生に上がる。
実家にて一人暮らしを初めてちょうど一年だ。
両親は海外に拠点を置く研究者で、とある国の歴史を調べている。母は光太の妊娠をきっかけにその一線から退いていたのだが、研究に大きな進展があったことで職場復帰を求められた。
それは光太が中学校を卒業する直前のこと。
当然ながら最初は光太もそれに同行する話になりはしたが、両親の職場であるラボはかなりの田舎にある為、インターナショナルスクールどころか高校もない。ついていったとしても学校のある街で一人暮らしとなってしまう。幸い、こちらの高校に合格していたこともあり、それならば、ということで現在に至っている。
その当初、母は気が気ではないようだったが、光太は「心配いらないよ」とその背中を押した。母がずっと研究のことを気にしていたのも知っていたし、実際一人での生活に不安を感じていなかったということもある。確かに最初は自分以外誰もいない一軒家の静けさに戸惑いもしたのだが、母の姉が近所に住んでいるし、隣人は幼馴染。家事も一通りできる光太からすれば慣れるまでさほど時間はかからなかった。
「問題はこの続きだよ……」
光太は手紙に綴られた文字を追う。
『寂しがっている光太に朗報です。リカルド先生のこと、覚えているでしょ? 近い内に先生が女の子を一人連れてそっちの家を訪ねます。当分の間、三人で一緒に暮らすことになるわ。詳しい話は先生から聞いてください。言うことをちゃんと聞いて、その子とも仲良くしてね。いじめちゃダメだよ? それでは、また手紙書きます。母より』
最後はハートマークで〆られている。
リカルド=チャップマン。両親が大学時代に世話になったという、いわば恩師にあたる人だ。何でも元軍人で、退役後には大学講師をし、その繋がりで今は両親と研究を共にしているらしい。
光太も小さい頃に何度か遊んでもらったことがある。その先生が女の子を連れて、しかもこの家で一緒に暮らすという。
だがそれも『今となっては』もういいだろう。
「光太! 飯、できたぞ」
手紙が配達されてすぐ、玄関先でそれを読んでいた光太を呼ぶ男の声。
「問題は……、この手紙より先に二人が到着してることなんだよなぁ」
光太は呆れ顔で手紙をしまいつつ、キッチンへと足を向ける。
手紙に書かれていた二人は昨晩すでに到着していたのだ。事情を全く知らなかった光太は思いっきり混乱したが、すでに夜も遅く、訪ねてきたのが見知った顔のリカルドだったこともあってとりあえずは一晩泊まってもらうことにした。
「母さんもこんな急な話なら電話で知らせてくれればいいのに」
愚痴る光太をキッチンで迎えたのは白髪をビシッとオールバックに決めたリカルドだった。年の頃は六十前後。鍛え抜かれた体躯にスーツを纏ってはいるが、その上に掛けられたファンシーなエプロンが物の見事にアンバランスさを醸し出している。それさえなければ見た目はかなり厳つい。例えるならばフライドチキンを売っているファストフード店の店先で佇むおじさんを日焼けさせて、より強そうにした感じだろう。
「明里からの手紙か?」
そんなリカルドが皿を片手に訊いてきた。
「はい。詳しい話は先生から、と」
光太はそう言いながら席に着く。すると、ここはレストランかと見紛う程の美味しそうな昼食がリカルドによって食卓に並べられた。こんがりと焼けたチキンのソテー、付け合わせのポテトサラダ、カップに注がれた香りの良いコンソメスープ。このどれもがお手製だというのだから驚きである。
その見た目に似合わず、リカルドは料理が趣味で大得意だった。
「相変わらず困ったやつだな……。まぁいい、食いながら話そう。レムも腹を空かせているみたいだしな」
光太の隣の席には手紙に書いてあった女の子、レムがちょこんと座っていた。地面に届きそうなほどの長い金髪が若干ボサボサになっていることからまだ寝起きだとわかる。だが、その碧い双眸は目の前の食事に釘付けとなっており、おあずけを告げられた子犬のような顔をしていた。
「いただきます」
光太はレムをチラリと一瞥してから手を合わせる。するとレムも真似するようにパチンッと手を合わせて、光太を見上げた。
「……いただきます、だよ」
視線を感じた光太がそう教えると、
「いただきます!」
と、レムは元気よく言ってナイフとフォークを手に取った。
(ちゃんと言葉は通じるみたいだな)
昨晩ここに到着した時はすでに眠ってしまっていた為、レムとは今のが初めての会話だった。光太と顔を合わせるのは初めてだというのに、レムは物怖じも人見知りする様子もなく、チキンソテーをパクッと一口。『いただきます』からは子供っぽさが感じられたのだが、食事をする様子はやたらと大人びていた。テーブルマナーを叩き込まれているのか、ナイフやフォークの使い方も丁寧で、姿勢も良く、どこか気品を感じさせる。ただ、表情はニンマリとしており、やたらと美味しそうに食べている。事実、リカルドの手料理は格別の味だったのだが、それを除いたとしてもレムの表情はまさに御満悦といった様子だった。
「美味そうに食うだろう? こんな顔されるとあらば作り甲斐もあるってもんだ」
リカルドも同じく御満悦だった。
「この子ってもしかして先生のお孫さんですか?」
光太にはそれくらいしか思い当たる節がなかった。こうしてこの家で共に暮らすことになるほどの関係がある外国人の子供など他に考えつかない。
「ん? 面影あるか?」
しかし、そう訊かれれば、
「いえ、全く似てません」
と、答えるしかない。
「フッ、ハッキリ言ってくれる。まぁワシの血縁ではない」
光太も自分で訊いておきながら違うだろうとわかってはいた。そもそも顔立ちや肌の色からいって違う。美女と野獣、子猫とイエティほどの差がある。端的にいえばリカルドは南米系、レムは北欧系に近い。
ただそうなると、レムが一体どこの子なのかは光太の知らない話となるはずなのだが。
「光太もレムのことを遠からず知っているはずだ」
と、リカルド。
光太は覚えている範囲内での外国人の顔を思い浮かべた。
『遠からず』という一言から窺い知れるように、おそらく知り合いではなく、光太が一方的に知っている相手の子供と予想づけされる。
(となると……、芸能人とかか?)
そうは思ってもテレビなどスポーツくらいしか見ない光太には浮かぶ顔も少なかった。
「う~ん……、ちょっとわからないです」
光太が降参すると、リカルドは「だろうな」と頷き、相変わらず満面の笑みで食事を続けているレムに話しかけた。
「レム、光太に自己紹介してやってくれ」
「うん、わかった」
レムはナイフとフォークをそっと皿に置くと、椅子からピョンっと降りた。金髪をふわっと揺らしながら光太の方を向き、着ている純白ワンピースのスカート部分を両手で軽く摘んで会釈する。その一連の動作は信じられないほどに自然で、まるで社交界のワンシーンを見ているようだ。
「『レム=アウロラ』だよ。いちばん好きな食べ物はね、おでん!」
しかし、口を開いた途端にそんな優雅さは崩れ去る。上品にチキンソテーを食べていたくせにおでんが一番好きというのもとりあえず置いておこう。
「あ、ああ、これはどうも御丁寧に……。茨木光太です」
光太がしどろもどろにそう返すと、自己紹介はもう終わりといったようにレムは食事の続きへと戻った。よほど腹が減っているのだろう。
(えっと……、いま確かに『アウロラ』って言ったよな?)
光太にはその名に覚えがあった。知り合いではないという点は予想通りだったが、芸能人の類ではない。むしろ覚え通りだとしたら到底予想できるはずのないものだ。
「あの~先生、オレの知ってる『アウロラ』って名前は一つしかないんですけど……」
光太は半信半疑でリカルドに目をやると、首肯一つが返された。
(ということは……どういうことだ?)
光太の知る『アウロラ』という名。それは『夢見の眠り姫』と呼ばれる童話に出てくる国の名称だった。そのお話は予知夢能力を持ったアウロラ国王女がその夢で自らの娘である国のお姫様の死を視てしまい、その未来を避ける為に魔女の手を借りてお姫様を永遠に眠らせた、といった内容だ。
決してメジャーなお話ではないのだが、光太にとっては馴染みが深い。
二十年ほど前、それまでずっと『お話の中の国』として認識されていたアウロラという国が実在していたという証拠が見つかった。その発見者は茨木秀和、光太の父である。今は遠い異国の地にいる両親がしている研究とはまさにこの『アウロラの歴史』についてなのだ。
そのせいもあって、光太が幼少期に一番聞かされたお話といえばその『夢見の眠り姫』だった。よくある童話や昔話だと、その大多数が『こうして○○は幸せに暮らしましたとさ』といったように締めくくられるだろう。しかし、このお話は姫が眠りについたところで終ってしまう。光太は子供ながらにこの童話の未完成さにむず痒さを覚え、その後のお姫様がどうなったのかをよく母に問いかけたりもしていた。
では、その一国の名を個人の名として冠しているレムは一体何者なのか。
「もしかしてこの子、アウロラ国王家の末裔ってことですか?」
そう考えれば、両親が研究を進める中でレムと出会い、理由こそまだわからないがこの家に来ることになったと無理やり納得することも可能だ。
「いや」
しかし、今度はその首を横に振るリカルド。
「正確には『眠り姫本人』だ」
「……え?」
光太はすぐには理解できなかった。
「三百年近い眠りから覚めた眠り姫。あの童話が実話だっていう生きた証拠なんだよ、レムは」
(実話……)
童話内に登場する国が実在していようが光太は『夢見の眠り姫』をあくまで作り話だと思っていた。それはごく自然なことで、専門家でもなければそんな可能性を考えることなどしないだろう。もちろん両親やリカルドはその専門家なのだからいいかもしれない。しかし、ちょろっと知っている程度の光太からすればあまりにも唐突な話。童話が事実であるということもそうだが、その証拠たる眠り姫がこの家にやってきたこと自体が唐突過ぎた。
しかし、光太はリカルドの表情からこれが与太話の類ではないと読み取った。光太は相手の表情や仕草から感情やその場の空気を読み取ることに長けている。自他共に認める『空気マスター』として、リカルドが嘘をついていないことがわかってしまった。
そして、心の中では全くピンときていない訳でもなかったのだ。
(う~ん……)
眠り姫だと思いながら改めて見ると、レムは確かにその特徴的な金髪が一般的に童話の挿絵に描かれたイメージに近く、記述から連想させる眠り姫の性格にも通じるものを感じさせる。それにテーブルマナーや立ち振る舞いに気品があるのも王族だというならば頷けるし、単純に見て、光太が思い描いていた眠り姫にも近いといえば近い。そういった面からすると信憑性を感じずにはいられない。
一先ずは納得したということにしておこう、そう思った時、ふと光太は気になった。
眠り姫がその呼び名の通りに永き眠りに就いた原因についてだ。
「レム、いま何歳?」
光太は訊いた。
眠り姫は十三歳の誕生日にその命を失うと予知されたことがきっかけで永き眠りに就いた。その間は年を取らないのだとしても、こうして目覚めた今はそうはいかない。
すでにレムが十三歳になっているのならば予知された未来は変えられたことになる。
「十二だよ~?」
しかし、童話の最後にハッピーエンドを書き加えるのはまだ少し先のようだった。
「レムの誕生日は四月二七日だと推測された。未来を変える為には色々試した方が良いとの案が出てな、生活場所を日本へと移してみようってことになったんだ」
童話の中で魔女はお姫様が眠りから目を覚ました時は未来が変わっていると言っているが、その確証はどこにもない。
ならば三百年前では考えられなかったことを実行してこそ、わざわざ眠った意味が生まれるといえよう。予知された当時の常識ではレムが遠い日本で生活するなど考えられなかったはず。そこに未来を変える可能性があるとの仮説は試すだけの価値が十分にありそうに思える。元々常識外れな予知夢という能力を無理やり常識の枠に収めることに疑問を抱かない訳でもないが、やれることはやるに越したことはない。そう両親たちは考えたのだろうと光太でも想像できる。
「この家での生活な、明里は手紙でなんて言ってきたか知らんが、光太が嫌なら断ってくれてもいい。言っても三週間ほどの短い滞在だからな、ホテル暮らしでも問題はない。ただ……」
リカルドは食事に夢中のレムを眺め、
「レムに普通の生活ってやつを見せてやりたいとは思ったんだ。ワシも明里たちも、な」
「……」
(そんな風に言われたら断り辛いよ!)
確かに、光太の目から見てもレムは不思議な雰囲気を持った子だ。眠り姫だと言われればそう思えなくもない。それでも、童話が現実であるという点についてはいまいち腑に落ちなさが拭い切れていなかった。
しかし、光太は断るつもりなどなかった。リカルドの様子が真剣なのも影響しただろう。本来、あまり好奇心旺盛な性格ではないのだが、この話に関しては興味をそそられていた。
すっかり慣れ、快適に思ってきた一人暮らしが終わることと引き換えに、突如として子供の頃からずっと知りたかった童話の結末が間近で見られることになったのだ。散々むず痒い思いをさせられてきたのだから、それをこの目で確かめたいという気持ちが生まれるのは至極当然。
例え与太話だったとしても、たかが三週間の共同生活。その間、リカルドの美味しい料理が食べられると考えれば決して損ではない。
逆に真実だとすれば、あの童話の続きを書こうとする際に光太自らもその登場人物となる訳で、それにワクワクしないといったら嘘になってしまうだろう。
ただの高校生の自分に何ができる訳でもないのは光太自身重々承知してい
た。お姫様を幸せにする王子様役はきっと他にいるだろうとも思った。自分がただの端役だとしても、ハッピーエンドが間近で見られるのならば、一人暮らしの快適さなど安いもの。
「じゃ、しばらくは三人で生活ってことですね」
「よろしく頼む。レム、これから光太と仲良くできるな?」
二人が視線をやると、レムはチキンソテーの最後の一口を飲み込んでから、
「うん!」
と、元気良く返事をした。そして、
「おかわり!」
と、空になった皿を差し出した。
意外にも大食漢な眠り姫による童話の続きが、今こうして始まりを告げたのだった。