第三話 碧き光、暗き闇 ④
四月二六日、午後十一時。
レムが十三歳を迎えるまで、残り一時間を切った。
場所は名西高校校庭中央。
レムを中心に据え、光太と恵、秀和と明里が四方を囲む。その横にはアイラ、美森が構え、その周囲に円を描くようにリカルド、リーナを初めとする軍部が配置された。
辺りの見通しの良さ、どの方向から来ても瞬時に対応できるように呈された陣形だった。
午前零時、その瞬間こそ予知されたものであり、それをコンマ一秒でも越えることが作戦成功と目されている。予知さえ覆せれば、レムの未来はそこから開かれるはずなのだ。
「レム、怖くないか?」
「だいじょぶ」
運命の瞬間が間近に迫り、さすがのレムも緊張がピークに達しているようだ。
「光ちゃん、レムちゃん」
恵が声をかけ、手を差し出す。
初めて会った時のように、レムを挟んで三人は手を繋いだ。
その手は震えていなかった。
――大人になります。
そう宣言したときと似たような雰囲気が感じ取られた。
レムは生きることを信じて疑っていない。
光太も恵も、ここにいる全員が同じだった。
「きたぞ!」
誰かが叫んだ。
校門前。黒いローブに身を宿した人影が一つ。
(一人だけ?)
そう思った、その時。
黒いローブが風に揺らいだかのように見えた。次の瞬間、そのローブの中から無数の黒い影が飛び出し、徐々に人の形を為していく。
それを見て、陣の外周を司る軍人たちは円形陣から、すかさず敵方向に壁を作るように隊列を移行した。
黒い影はゆっくりとその歩みをこちらに向ける。
「一斉射撃!」
リカルドの号令により、けたたましい銃声が鳴り響いた。
軍人たちは以前リーナが見せたものと同系のアサルトライフルを所持しており、それによる斉射を行った。込められた弾丸は実弾ではなく演習弾。
その理由は襲撃者を殲滅することが作戦に反するからだった。零時を迎えるまで耐え凌ぐ、あわよくば退ける。これが目的であるが故の措置だった。仲間が犠牲になることと同じく、相手を殺すこともまた、レムの未来にとっては好ましくない。そういった配慮もあった。
中には甘いという意見も出た。この先、生きていくことを決めたのならば、そういった犠牲はつきものになってくる。日々の食事や生活する上で考えてもそうだ。しかし、それでも、その門出くらいは真っ白であってほしい。そういった想いが汲みとられた結果だった。
いくら演習弾といえど、それでも当たれば相当痛い。当たり所が悪ければ怪我では済まず、怯ませるのには十分といえる。
だが、それも『当たれば』の話だった。
軍人たちの腕は優秀で、斉射された弾丸は迫りくる黒い影を確実に捉えていた。にもかかわらず、黒い影は怯んだ様子も全くない。それどころか当たった感触自体まるでなかった。
「中将!」
軍人の叫びが飛ぶ。
「構うな! 続けろ!」
リカルドは檄を飛ばすが、その顔色は優れない。
ライフルを飛び出した弾丸は黒い影へと触れるたび、その形を消滅させていた。
「ちょっとどいて!」
アイラはそう声を張り上げると、いつの間にやら持っていた槍を黒い影へと目掛けて投げ放った。形からして陸上競技で使う投擲用の槍だ。瞬間移動で体育倉庫から取ってきたのだろう。
素人が投げてもどうなるものではないが、アイラは見事に黒い影へと命中させた。
「ダメ、か……」
しかし、槍は黒い影の中へと取り込まれるようにして消えていく。当然貫いた様子もなく、あの長さを丸ごと飲み込んだようにも見えた。
影の進軍は止まらず、それに合わせて徐々に後退を迫られる。予想以上に為す術がなかった。
「先生!」
「光太! レムを連れて校舎内へ入れ!」
光太と恵はレムを連れて校舎の中へと入る。
その時、最初の犠牲者が出た。
「く、くそぉっぉぉ」
二人の軍人が黒い影に取り込まれ、その姿を消滅させたのだ。
それを境に、全員が撤退を余儀なくされた。次々と逃げ込む一同。その間に一人、また一人と黒い影に取り込まれていく。
影はガラス戸さえも通り抜け、後を追ってきている。
光太たちは階段を駆け上がり、二階にある教室の扉に片っ端から手をかけた。足止めができないなら、身を隠す他はない。
唯一鍵が開いていたのが二階一番奥の空き教室だった。
レムを先に中に入れ、恵、アイラ、美森が続く。
「父さん! 母さんも! 早く入って!」
「あなたこそ入りなさい!」
「急げ、光太! ここは父さんたちに任せておけ」
光太は秀和に教室の中へと押し込まれ、その瞬間に扉が勢いよく閉められる。
階段を駆け上がる音が聞こえる。
足音は、二つ。軍人の誰かだと思われた。
「光太! 何があってもここから出るなよ!」
リカルドの声。
「必ずお守りします!」
リーナの声。
他の声は聞こえない。それは他の軍人たちの全滅を顕著に表していた。
そして再び銃声が響き出す。
黒い影が二階へきたのだ。
「アイラ、レムを連れてどこか遠くへ飛んでくれ」
零時まであと五分。この場を凌ぎきるには永すぎる。
「コータ!」
レムが怒ったような声をあげた。初めて見る表情。
「早くしろ!」
「う、うん」
光太の怒鳴りに気圧されたようにアイラはレムを連れてこの場を脱した。
「古賀さんも、恵を連れて……」
「お断りします」
まるで光太が次に何と言うかをわかっていたように美森は答えた。
そして恵は光太の胸を軽く小突いた。
「メグ、でしょ? アタシもイヤよ。ここに残るわ」
鋭い睨みを効かせながら、恵までそう言った。
「それに何の意味がある!」
「だったら光ちゃんが残る意味もないでしょ?」
声を荒げる光太に、冷静に反論する恵。
「三人で逃げる。そう仰るならそうします」
美森は言った。
「時間稼ぎなんて一人でいいだろ?」
「なら私の方が適役ではないですか?」
「古賀さんが残るのは三人で残るのと同じ意味だ!」
「だったらそうすればいいじゃない」
何を言っても無駄。『メグミモリ』の頑固さを光太は痛感した。
その時、銃声がピタリと止んだ。
(終わった?)
光太は時計を見た。零時、二分前。
黒い影が教室の中へと姿を見せた。
次々と。次々と。
瞬く間に教室の半分以上のスペースが黒い影で埋まっていく。
徐々に隅へと追いやられる三人。
光太が一歩前に出て、両手を広げて二人を後ろに追いやった。
あと三歩。そこまで黒い影が迫っている。
時計の針が止まってしまったかのように感じる時の長さ。
(ダメか)
そう思った時、光太が広げていた両手をまるで鉄棒かの如く潜り抜け、『メグミモリ』の二人が前に出た。まるで鏡映しかのように息の揃った動きだった。
そして、笑顔。
光太は何が起きたのかわからなかった。
「おい」という言葉が口を出たのは、目の前の景色がガラリと変わった後だった。
光太が立っていたのは名西高校校庭。当初陣取っていた辺りだ。
美森に瞬間移動で飛ばされたと気付くまでには一瞬の時間を要した。しかし、隣には『メグミモリ』の姿はない。光太だけがこの場に立っている。
いや、正確には違う。
前方、校門付近には最初に姿を現した黒いローブの人影がそのまま立っていた。
光太は走った。その人影に向かって。全速力で。
人影は微動だにする気配がない。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉお!!」
光太は走る速度を緩めずに、気迫を込めてその人影に殴りかかった。
しかし、その拳に伝わるは布の感触のみ。
ローブの中は暗闇だった。
光太は勢いのまま、その中に取り込まれた。
*
暗い。何も見えない。
オレの目は開いているのか。閉じているのか。
それすらわからない。
そうか、これが死ぬって事なのか。
メグ、古賀さん、せっかく助けてくれたのにごめん。
先生、リーナ、オレは何もできませんでした。
父さん、母さん、期待に添えなかったな。
アイラ、あとは頼む。
レム、……生きてくれ。
なんだ。
碧い、光。
声がする。
ありが、とう。
*
「光ちゃん!」
恵の声。
「茨木くん!」
美森の声。
「光太!」
リカルドの声。
「光太様!」
リーナの声。
『光太!』
両親の声。
次々と名前を呼ぶ声が耳に届き、光太はその目を開けた。
すると、目映いばかりの碧い光が目に入る。
しかも、体が宙に浮いていた。
下に目をやると、心配そうに見上げる皆の姿が小さく見える。
碧い光は柱となって地面から天高く続いており、その中に光太は浮かんでいた。
「にゃーん」
猫の鳴き声。
碧光柱の上から一匹の猫がふわふわと降りてくる。
光太はそれを受け止めた。抱きかかえて顔を見ると、その猫には見覚えがあった。忘れもしない、小さい頃に家で飼っていた猫、アリアだ。
「お前、なんで?」
似ているだけでは決してない。黒毛に胸と額にある白の模様。まさにアリアの特徴だった。
「コーター」
続いて今度はレムが上から降りてきた。
光太はアリアを首に巻き、レムを両手で受け止めた。
「レム、何ともないのか!」
――ゴン!
そう声をかけるなり、レムは光太に頭突きを浴びせる
「痛っ、なんだよ」
レムは涙を浮かべていた。痛みのせい、ではないだろう。
明らかに怒っている。頬をこれでもかというくらいにパンパンに膨らませていた。
「ごめん」
光太は素直に謝った。
レムを先に逃したこと。それに怒っているとわかったから。
恵と美森に同じことをされて、光太もそんな気持ちになったのだ。
「レムはね、いっしょに大人になるって決めたんだよ?」
忘れていた訳じゃない。ただ、人間誰でも必死になると、得も知れぬ行動を取ってしまうこともあるのだ。
「にゃーん」
しかし、大人しく首に巻きついていたアリアまでがそれを咎めるように鳴き、光太はもう一度頭を下げてから、こう告げた。
「誕生日おめでとう、レム」
四月二七日、午前零時二分。
レム、十三歳のバースデーを迎えていた。




