第三話 碧き光、暗き闇 ③
「いってらっしゃ~い」
レムに見送られ、学校へと向かう光太。こんな状況でも学校には行かねばならない。
というのも、当日まで光太は新たに予知を視た時の報告くらいしか役割がなかった。襲撃に備えてリカルドを初めとする護衛軍チームは訓練を開始。その間、レムの傍にはアイラがいてくれる。もし、不測の事態が起こった場合でも彼女がいれば安心だろう。レムを連れて遠くへ飛べばいいからだ。
そして、光太と恵には今朝から美森が付き添うことになった。
「おはようございます」
光太が自宅を出ると、すでに『メグミモリ』が前で待ち構えていた。
「どったの光ちゃん? 朝から浮かない顔して。やっぱレムちゃんのことが心配?」
恵は光太の顔を心配そうに覗き込む。
「いや、まぁ……」
この先のことを考えれば心配に思う部分も在りはするが、今光太が浮かない顔をしている理由は別にある。もちろん、この二人と一緒に登下校しなければならないことだ。
本来ならば両手に花。喜ぶべき、自慢すべき状況。しかし、眩しく咲き誇る向日葵と可憐に咲き揺れる白百合、このどちらもが絶世と呼びたくなるほどの美しさ故に、光太には羨望の眼差しが突き刺さる。そしてもはや、それはどうやっても避けられない。
美森がいなければ万が一があった際、光太では恵を守り切れるか怪しいのだ。
(それも二日の辛抱、か……)
そう思ったところでふと光太は気になることがあった。
アイラの変身や瞬間移動といった特殊な力は目の当たりにしているが、美森にはそのような力があるのだろうか。ケット・シーであると告白されたこと以外、その証拠たる何かを光太はまだ見たことがない。レムは二人の猫姿を見せてもらったみたいだが、猫になれることが危機を脱する手立てになるとも思えなかった。
「そういえば古賀さん。オレたちのこと護衛してくれるのは助かるんだけどさ、その、大丈夫なのかな?」
その証拠を見せてくれ、と直球には訊けなかったが、美森には光太の言わんとしていることが伝わったようだった。
「正直言いますと、アイラほどじゃないです。あの子は特別ですから。ただ私も少しは力が使えますので……、お二人のことは必ずお守りします」
美森はにこやかに微笑んだ。できるだけ不安にさせないようにと、そう思ってくれているのが光太にはわかった。
(気を遣わせちゃったか)
光太としては不安というよりも確認的な意味合いが強かったのが、少し気
まずくなってしまった。
「あ~あ、アタシもミモリンが猫になるとこ見たかったぁ~!」
そんな空気をぶち壊すように、恵が声を大にした。
レムがアイラと美森の猫姿を見せてもらう時、恵も見たいと言っていたのだが、結局美森がそれを嫌がったのだ。
「ちょっとメグ、あんまり大きな声で……」
「大丈夫だよ~、聞かれてたってコスプレとかにしか思われないからさ!」
それはそれで美森からすれば困るのではないだろうか。
「ねぇ~、やっぱダメ? ちょっとでいいから! 首元とかこちょこちょしてあげるから!」
普通の飼い猫なら首元は喜んでくれる箇所ではあるが、どうやらケット・シーにも有効らしい。
「ダメ~。メグにそんなことされたら恥ずかしい」
美森は恥ずかしそうに顔を赤らめ、慌てて首元を手で隠すようにした。
「ええ~、じゃあさじゃあさ、肉球は? 肉球プニプニはいいでしょ?」
やたらと食い下がる恵。しかし、こうまで話が盛り上がってくると、光太としても美森の猫姿を想像せざるを得なかった。
(イメージからすると毛並みの良い白猫だな。あれ、ケット・シーって黒猫だっけ? ま、いいか。で、普段はおとなしいけど意外と飼い主思いだったりして、にゃ~んとか言って甘えてきたりとか……)
軽くトリップしていた光太だったが、気付いた時にはすでに遅かった。
凍りつくような、いや、明らかに軽蔑の込められた瞳が光太をしっかりと捉えていた。
「変態。なに妄想してるのよ」
「え、いや、これは猫に対する愛情の表れで……」
光太が言い訳がましくそういうと、隣の美森が先とは比べものにならないほどに顔を真っ赤に染め上げていた。
「へぇ~……、光ちゃんはそんなにミモリンに愛情を抱いてるんだぁ~、へぇ~……」
矢と化した恵の視線が光太を貫く。
「恵、それはちがっ」
ボディブロー。鋭角に食い込む重い一撃だった。同時にキッと睨んでくる。
「くっ……、メグ、誤解だ……」
「いこ、ミモリン」
「う、うん」
弁解の言葉はすでに届かず、痛みをこらえながら先を行く二人を追いかける光太。
それを見るように美森が不意に振りむいた。
「私も精一杯頑張ります。遠い昔の恩を返したいから」
アウロラ最後の姫。ケット・シーにとっても、美森にとっても大切な人。
レムを大切だと思う気持ちは通じて合っている。
「ああ」
光太が頷くと、
「ア・タ・シ・も! いるって事、忘れないでよね!」
思えば、最初にレムの心を案じたのは恵だった。光太にそれを気付かせてくれた幼馴染。忘れているはずがない。
「わかってるよ」
「……なんでそんなウザそうに言うの? ミモリンと態度違わない?」
想いは一つ。これ以上、言葉はいらない。
「さ、遅刻するから急ごうぜ!」
光太は恵の視線から逃げるように走り出した。
*
「ヒデもアカリもずっと寝てるね~」
「ん? ああ、二人ともここんところずっと徹夜続きで調査してたからね。報告が終わって疲れが出たんだよ」
学校に行った光太を見送った後、寝室で眠る茨木夫妻の様子を覗いたレムとアイラ。
「それにしてもこの感じ、懐かしいなぁ……」
アイラがボソッと呟いた。
「コータの家、前にきたことあるのー?」
「え、うん、まぁね……。お姫ちゃんはさ、お城のこととか思い出したりする?」
そう訊くと、レムは答えを探すように辺りをキョロキョロ見回した。
「今はワタシしか聞いてないからさ。気、遣わなくていいよ」
「ええ~、うん……」
レムは少し迷いつつアイラに目をやってから、意を決したように話した。
「ホントはいっつも思い出してるの。でも、レムはアイラみたいに懐かしいってのはよくわかんない。ついこのまえまでお城で、お母さんと猫さんといっしょにいたってかんじがする」
氷の中で眠っている時間はレムにとって存在していないもの。三百年という時の流れを自身で感じることはなく、変わってしまったのは周りだけ。ほんの一、二か月前の記憶として城での生活が思い出されているのだろう。
「やっぱ、寂しい?」
「う~ん……。もう会えないってお母さんに言われたときはレム泣いちゃったけど、今はもうヘーキ。お母さんとおんなじくらい、みんな好きだから!」
寂しさが全くない訳ではないはず。それでもレムはここで生きていこうと決められた。それは光太を初めとする皆の想いを感じたからではあるが、その最も中心にあるのは母の想いだった。その想いは、思い出すたびに切なさが過るもの、決して戻ることのできない過去そのもの。しかし今、それがなければ皆と出会えなかった、とレムは思えていた。それほどまでに温かなものへと変化を遂げていた。
母の想いと思い出がレムの根幹を支えてくれていた。
「まだちっちゃいのに、お姫ちゃんもすごいね」
アイラはそう言ってレムの頭を撫でた。
「ワタシも、思い出があるから強くなれたんだよ。もうここに戻ることはないって思ってたんだけど……。諦められない理由、一つ増えちゃったな」
レムは不思議そうにアイラを見つめ、
「アイラもおっぱいちっちゃいのにすごいね!」
と、背伸びしてアイラの頭を撫で返した。
「おっぱい関係ないじゃん!」
じゃれあう二人。
眠り姫と妖精猫の時代を越えた絆だった。
*
「隊列を崩すな! 今回の相手を人間だと思うなよ! 想定外のことが起こると常に頭の片隅に入れておけ!」
とある市民体育館。訓練用の広いスペース、且つ人目につかない場所が必要だった為にここが丸ごと貸し切られていた。
リカルドの指揮の元、当日の襲撃に備えたシミュレーションが行われていた。
敵が魔女である以上、どんな手段を用いて襲ってくるか、常識の範囲で考えているだけでは事足りない。常人が未知の力に対抗するにはいかなる状況にも取り乱さない冷静さを持つ必要があった。逆にいえば、それしかできないといっても過言ではない。
「中将、恐れながら一つよろしいでしょうか?」
汗だくになったリーナがリカルドに進言を申し出た。
「言え」
「はい。本当に我々だけで勝利を掴むことができるのでしょうか? この訓練はあくまで要人護衛の延長線、魔女が相手では力不足は否めません。ミモリン様たちの協力を仰がれてはいかかでしょうか?」
本来、指揮官の提示した作戦に部下が疑問を持つなどあってはならないこと。重大な軍規違反、懲罰房入りも免れない。リーナはそれを覚悟で進言していた。
しかし、これは軍属が集まっている為にその体裁が取られてはいるが、軍主導の作戦ではない。あくまでリカルド個人が依頼したものなのだ。リーナに対して叱ったり、罰を与えたりするつもりは毛頭なかった。
「もちろんそれも考えには入れてある。ケット・シーの協力は不可欠だといってもいい。しかしな、彼女たちには彼女たちの、ワシたちにはワシたちのやり方がある。同様に、やれることもまた違う。ワシたちは武器を手に取り、厳しい訓練の元に築き上げた連携で対処を図るしかない」
今作戦はこちらから仕掛けなければならない救出作戦のようなものではなく、襲撃に備えた防衛、迎撃が主だっている。それは同時に受け身になることが強制されており、どんな事態にでも対応できなければならない。その状況下ではいつも通りに事を構える他はなく、それが部隊の力を最大限に発揮できるものだとリカルドは考えていた。
「出過ぎた意見、失礼致しました。不肖リーナ=コストナー、この命に代えてもレム様をお守り致します」
リーナは敬礼した。
「それは違うぞ、リーナ」
「?」
リカルドの厳しい表情。進言を申し出た時よりも数段険しいものだった。
「ワシもな、一度はそう覚悟した。たがな、それでは守ったことにならない。そう光太に気付かされた……。リーナ、お前もそうだったろう?」
リカルドはそう言うと、その声を体育館中に響かせた。
「皆聞け! 敵はほぼアンノウン! 襲撃方法は不明! それでも今作戦に参加した全員、命を落とすことはこのワシが絶対に許さん! 幼き姫の未来に、その重みを残すような真似は絶対にするな! 必ず生きて守りきると、己が心に刻み込め!」
『ハッ!』
隊員全員の掛け声がこだました。
自分の為に、誰かが犠牲になることを決してレムは喜ばない。
何があっても守り切る。その思いでは救えない。
何があっても共に未来へ。その思いが救いとなる。
リーナはリカルドの言葉を胸に刻むように今一度敬礼し、訓練へと戻っていった。




