第ニ話 Resolutions ⑦
*
「レムから手を引け、だと?」
リカルドの声には自然と怒気が孕んでいた。レムの目の前でそれに頷けと言われてはさすがに怒りも込み上げてくるというものだ。
「そうです」
リカルドはただでさえ人を威圧する顔立ちをしている。普通の女子高生ならばそれだけで恐れおののくだろう。対話の意志を見せたとはいえ、リーナがライフルを所持していることもある。それでも美森は一切怯んだ様子はなく、淡々と相槌を打った。
美森が普通ではないと構えてはいたが、その様子からも本気さが伝わってくる。
「断る、と言ったら?」
「それが今の貴方に言えるのですか?」
静かな夜に波紋が広がるような美しい声。
しかし、無表情で話す美森の言葉には確かな棘があった。
「何が言いたい?」
「すでにお気付きかと思いますが」
そう試すように返されると、リカルドはその棘が胸に刺さったような痛みを感じた。美森の言わんとしていることをまさに痛感してしまったのだ。
「貴方は、いえ、貴方方は姫と関わることで無関係な人を巻き込んでしまっています。 突如として姿を消した茨木くん、今頃どうなっているでしょうね?」
美森は窓の外に視線をやった。
「光太様に危害を加えるのならば、この場で貴女を射殺します」
リーナは美森にすぐさまライフルの銃口を向け直したが、それをリカルドが制した。
美森は視線をベッドに移すと、
「そこで眠っているメグもそう。詳しい事情は話してなかったみたいですけど、結果として巻き込まれたことには変わりありません」
そう言って、今度はまっすぐリカルドを見つめた。
「全て貴方方の責任ではないのですか?」
認めざるを得なかった。害を為そうとしている本人に指摘されるのは癪ではあったが、全ての発端は自らの認識の甘さであるとリカルド自身がそう認めたばかりだった。
反論できないリカルドに、美森から更なる追い打ちが加えられる。
「そちらの目的はあくまで過去の歴史研究。姫の未来に関してはその本分ではないでしょう。誰かの犠牲の元に立つ未来を、姫御自身も望んでおられません」
リカルドが目をやると、レムはその視線から逃れるように俯いた。
それはまさしく、無言の肯定だった。
「貴方は責任を取らなくてはなりません。ですが、姫の御前で簡単に決断できないのもわかります」
美森は言った。
「もし、この場で決断して頂けたのなら茨木くんやメグの無事を保証致しましょう」
リカルドは息を飲まずにはいられなかった。
「もう一度言います。姫から手を引いて頂けますね?」
決断を迫られた。
提示された譲歩は自らの失態を帳消しにするほどのもの。
(三百年もの昔に予知されたレムの死。光太はそれがまだ回避されていないと憂慮していたが、童話のままレムが目覚めた時点で回避されたものとなっているかもしれないではないか? ここでワシたちが手を引いても、レムが助かる可能性は残る。逆に手を引かなければ仮にこの場を脱してもまた同じ目にあうやもしれん)
責任という一言がリカルドに重く圧し掛かる。
今まで軍人として、隊を纏める指揮官として、数多くの責任と名のつくものを背負ってきたリカルドですら、その重圧に負けてしまいそうだった。
「中将」
そんな時、声を上げたのはリーナだった。
「?」
リカルドが目をやると、リーナはライフルを美森に向け、今にもその引き金を引かんとする様な、気迫すら感じさせる面持ちだった。
「過去、私たちは多くの人質事件を対処する中で、助けられなかった人も大勢いました。自分自身の力の無さを不甲斐なく思います。それでも、だからこそ、私たちは立ち止まらなかった。迷わなかった。反省し、己を高め、一人でも多くの人を救うためだと信じてここまできました」
リーナは俯いたままのレムをチラリと見る。
「私たちは決して敵に屈しない」
そう言って再びその視線を美森へと向けた。
「ここでレム様を諦めることは、そんな思いに裏切ることと同じです」
レムは微動だにせず、俯いたまま。
「……詭弁、ですね」
美森がそう呟いた。
「巻き込まれただけの人々に対して同じことが言えますか? 貴女は次に備えて訓練でも何でもすればいいです。でも、そこで亡くなった人には次なんてないんです。いえ、もっと言えば今回の場合、巻き込んだのは貴女方。それでも貴女は茨木くんやメグの墓前で頭を垂れて終いにするつもりですか? ……人として最低ですね」
今まで冷静に話していた美森が、ここにきてその感情を露わにした。
聞き分けのない子供を叱るようにも、エゴを押し付ける大人に苛立つようにも取れる感情だった。
「いくら罵られようが、私はここで諦めるという選択肢を持ち合わせておりません。確かに、巻き込んでしまったことに対しては謝罪する他なく、不甲斐ない自分を呪うと仰るのならばどんな報いでも受けましょう。ですが、例え呪いだとしても、恨みだとしても、そんな思いが私を強くさせ、ここまで突き動かしてきたのも事実です」
リカルドにとって、リーナの言い分はリーナ本人以上に染みついていることだった。理不尽に巻き込まれた人々を救えなかった過去は深く傷として刻み込まれており、その年季からして違う。加えて、自身の妻がまさにそうだったのだ。
今から二十年以上前、リカルドの妻は銀行強盗の立てこもり事件に居合わせた。そこで彼女は自ら軍人の妻であることを宣言し、人質の解放を推し進めた結果、凶弾を浴びてしまったのだ。
リカルドとは違い、何の訓練もしていない普通の女性が軍人と結ばれてしまったが為に犠牲となった。
当時、リカルドはそのことを激しく思い悩んだ。最愛の女性を危険に巻き込んでしまったことに対する後悔しか浮かばなかった。しかし、妻は病院へと搬送される間際、リカルドにこう一言告げたのだ。
――自分で、決めたことですから。
その一言が最期となった。
今となってはその言葉の真意はわからない。
リカルドとの結婚のことなのか。それとも、覚悟だったのか。
どちらにせよ、そう言った妻の顔は安らかだった。
「貴女のエゴに巻き込まれる人の気持ちを少しは考えてみてください。リカルドさん、貴方も同じ考えをお持ちなのですか?」
徐々に声を荒げる美森。いつのまにか必死の説得といった様相を呈していた。
話の矛先を向けられたリカルドは、ふと思い出しながら呟いた。
「……光太もさ、同じことを言ったんだよなぁ」
美森とリーナ、そしてレムまでもがリカルドに注目していた。
――オレ、もう決めましたから。
「何を決めたかまでは口にしなかったが、すぐに感じたよ。ここで」
リカルドは胸に手を当てている。
「だからなんですか? 茨木くんは自分で決めたんだから死んでも後悔しないと、そう言いたいんですか?」
詰め寄る美森。
「そうじゃないさ」
落ち着いた声に美森が一歩退いた。怒りを露わにしたリカルドにも動じなかった美森がここにきて怯んだようにも見えた。
「ワシもまた、決めただけだ」
リカルドは視線を送る。
「……諦めないことを、な」
その声に反応するように、碧い瞳から一筋の涙が滴った。
美森が深い溜息をついた時、
シュン、という音がしたかしないか、突然として室内に二つの影が出現した。
「コータ!」
レムが叫ぶ。
現れたのは光太とアイラだった。
「レム!」
光太はすぐさまレムに駆け寄ると、その涙の痕に気が付いた。
「どうした? 何か怖いことあったのか?」
「ううん……。コータは? ヘーキ?」
「何でもないよ。怪我もしてない」
光太が頭をくしゃくしゃと撫でてやると、レムはくすぐったそうに笑みを浮かべた。
「光太様、よくぞ御無事で」
リーナが潤んだ瞳で光太を見ていた。そしてリカルドもまた、優しげな笑顔を見せている。
「ミモリン、そっちは?」
アイラがそう声をかけると、美森は渋々といったように首を一つ縦に振ってそれに返した。
「そ、やっぱね。ま、これで納得したでしょ」
「……そうね」
二人はどこか嬉しそうだった。
「では、役者も揃ったところで本題に入っていいかな?」
アイラの一声により、皆の注目が集まる。
「まず、皆様には心よりお詫びします。今後に向けてどうしても必要なことだったとはいえ、数々の無礼に尽きましては全てが終わった後で何なりと」
美森と共だって深々と頭を下げる。
「どういうことだ?」
「先生、オレたちは試されてたみたいですよ」
光太のその一言に顔をしかめるリカルド。リーナも同様だった。
「その通りです。申し訳ございません」
美森は再度、リカルドに謝罪を入れる。その表情からは心苦しさが滲み溢れていた。
「皆様、すでにお気付きのように、三百年前に予知された姫の死は未だその回避には至っておりません。その日は刻一刻と、もう間近に迫っております。示された未来を変えるという重責を貴方方が担えるかどうか、それをどうしても確かめる必要があったのです」
アイラが続けた。
「そして、キミたちは答えを出した。自らで決め、それを貫き通す強き意志。その意志に敬意を表してワタシたちから情報を提供します」
「ちょちょ、ちょっと待ってくれ」
止めたのは光太だった。
「オレたちは確かにそう決めた。でもさ、勝手に決めたことなんだよ。自分でそうしたいと思ったから決めたんだ。だからさ、その、なんていうか、あまりそういう話をレムに意識してほしくないっていうか……」
光太はレムを心配していた。自らの命の為に他人が危険な目にあうかもしれないという責任など、十二歳の子供に背負わせたくなかった。背負うべきではないと思った。仮に十三歳の誕生日を迎えられたとして、その祝いの席に座るであろう人物が一人でも欠けていたとしたら、レムはきっと喜べない。
「ワシたちの立場がないな、リーナ」
「……そうですね。光太様はお優しいです」
二人からすれば、光太だってまだ子供だ。その光太に先んじてそんなことを言われてしまえば立つ瀬がなくなってしまう。ただ、それ以上に二人はそんな光太を誇らしく思った。
「コータ」
レムが光太の背中に抱きついた。
「レムもね、決めたよ」
そう言って顔を背中に埋めてしまう。
いきなりどうした、そんな空気が光太、リカルド、リーナを包む。アイラと美森はその言葉の意味がわかったようだった。
「姫はこの先、御自身に危険が降り注ぐことを御存じだったようです」
『え?』
美森の言葉に、三人が一斉に声を上げた。
今を持ってしても、三人はその確証に届いていない。ただ、そんな予感を感じているに過ぎないのだ。予知夢を覚えていられないレムがどうしてそれを知ることができたのか。
「それは古賀さんが教えたのか?」
どうやらその確証を得ているらしい美森が伝えたとすればまだわかった。しかし、美森は首を横に振って否定した。
「どうして、知ってたんだ?」
光太はしゃがんでレムをしっかり抱き直し、極めて優しい声で囁いた。
「だれかが教えてくれたの。レムが寝ちゃう少し前に」
三百年前、レムが眠りに就く直前に、ということだろう。その状況にいたと想定される人物は魔女か、もしくは王女だ。
しかし、それではおかしい。
魔女は眠りから目覚めれば命の危険は回避されると宣言している。それを自ら覆す発言などするはずがない。
もし王女だとするならば、レムが目覚めた先で危険な目に遭うと知っててなお、魔女の言うままにレムを眠らせたことになる。我が子との別れだけが訪れるそんな未来をみすみす選ぶとはとても思えない。
「でもね、こうも言ってた。『目が覚めて、光を見つけたなら、あとは自分で決めなさい』って」
「光?」
それが何を指し示しているのか。
「そういえば、レムが眠っていた氷にも『愛しの我が娘、レムの未来に光あれ』と刻まれていたな」
リカルドは思い出したかのように呟いた。
光――。差し当たって光太がすぐに思い浮かべたのはあの碧光。
「レムね、ホントは一つだけ見た夢、おぼえてる。コータのうちにきたときに見た夢」
リカルドに連れられて茨木家までやってきた時、レムは眠ってしまっていた。その時の夢。
「碧い光でいっぱいだった。やさしくて、あったかくて、お母さんとそっくりなかんじがしたの。それでね、声がしたのもおぼえてる……。コータの声、だよ」
「オレの……?」
あの夜、家に着くなりレムを部屋に寝かしたのはリカルドだった。特に光太は寝ているレムに話しかけた覚えもない。にもかかわらず、その時はまだ知るはずのない光太の声を聞いたレム。それはすなわち未来を予知したということに相違ない。
「夢の中のオレはなんて言ってた?」
そう問うと、レムは抱きつくのを止めてしゃがんだ光太と目線を合わせた。
「『決めたよ』……だって」
光太が決めたこと。それは諦めないことだ。
「レムはバカだから予知夢とかよくわかんないけど、もしホントにコータがそう言ってくれたら、そのだれかが言ってくれた通りにレムも決めようって思ってたんだよ?」
そう言うとレムはニコッと笑った。
「何を?」というのは訊かなくてもわかった。
「……レムは、コータといっしょに大人になります」
そう言ったレムからはいつもの幼さが感じられず、決意に満ち溢れた高貴さを纏っていた。
それはレムが初めて見せた、この時代で生きることへの明確な意志表示だった。




