第ニ話 Resolutions ⑥
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「それはできない」
光太は答えた。寸分の迷いもなく、自然と言葉が口を出た。
アイラの表情は変わらない。
「どうしてなのかな? キミが頷くだけで大切に思う人も、キミ自身だって傷つかずに済むのに」
アイラの言うことは理解している。
「できない。それが答えだよ」
それでも光太はそう答えた。
アイラの眉がピクッと上がる。
「……キミは予知夢がちょっと視れるだけのただの高校生。そんなキミが本気で姫を救えると思ってる? 大切な人を犠牲にしてまで姫を優先させる理由がキミにはあるの?」
アイラはまるで光太を諭すように問いかけた。今ならまだ間に合うとでも言いたげだった。
「大切な人、か。オレの一言でみんなを巻き込まずに済むんだったらその方がいいし、オレだってまだ死にたくない」
「……だったらどうして?」
アイラは言葉の上では疑問を呈しているが、すでにその理由には察しがついているようだった。光太は確かに、アイラから諦めにも似た何かを感じ取っていた。
「もし最後の質問が別のものだったら、その気持ちを汲んだ答えを出していたと思う」
アイラはそこまで聞くと、そっと目を閉じた。
「お前の言ったその『大切な人』の中にレムが含まれていない。それが『できない』理由だよ。これでいいか?」
光太はレムだけを優先させた訳では決してなかった。死なせたくない、と感じた中には元よりレムも含まれていた。それだけのことだった。
「姫を見捨てて自分たちが助かるか、自分たちを犠牲にして姫を助けるか、この問いに対して後者を選択したの。これがどれだけ馬鹿げたことか、キミはわかってないんじゃない? 姫を助ける王子様にでもなるつもり? キミにそれは無理。だってこれは童話じゃない。現実なんだよ!」
声を荒げるアイラだったが、少なくとも光太にとって今この瞬間は『現実』ではなかった。
「わかってないのはお前だよ、アイラ」
「……え?」
光太は微笑んでいた。
「オレは質問に答えただけでお前の言う選択とやらはしていない。確かにさ、レムとはまだ会ったばかりで、よく知らない一面もあるだろうな。けどさ、親とか友達とか、付き合いが長いからとか短いからとか、そんなんで割り切れることじゃないんだよ。理屈じゃないんだ」
「ワタシはそれを割り切れって脅迫したつもりなんだけど?」
アイラは鋭い視線を光太に向けた。
「睨んだってムダだ。もう全部バレてんだよ」
光太は動じない。
そのまま睨み合いが続いた。アイラの強張った表情、光太の平然とした顔。
次第に緊張感に満ちていた空気が解けていく。
アイラの強張った表情が見る見るうちに綻んでいったのだ。
「プッ、ププ、フフフ、アハハハハ! ワタシに女優は無理だったかぁ~」
「演技自体は悪くなかったけどな、ラストの台本が悪過ぎだ」
光太が言うと、アイラは楽しそうに「台本考えたのは美森だからね」と笑っていた。
光太は最後の質問をした後のアイラの様子から、これが現実ではなく演技であると気が付いていた。レムから手を引くつもりはないと告げた時、アイラは確かに諦めと同時に喜びを感じていた。それを読み取った時点でバレていたのだ。
アイラは最初『光太を見極める』と宣言し、その通りに見極めていた。
脅しを加え、人質を取り、説得もした。
それでもレムを諦めないか。
その見極めに光太は叶ったのだ。
それを嬉しいと感じるアイラは、少なからず現時点でレムの死を望んではいない。
光太はそう結論付けた。
「もいっこだけ最後に訊いてもいい?」
「ああ」
「キミは本当に姫の事、救えると思ってるの?」
試すような質問。しかし、向けられた視線には期待が込められていた。
「オレさ、レムが予知された日をまだ向かえていないって知った時……、助かってくれればいいなとは思ったけどさ、同時にオレなんかには何もできないけどって自然とそうも思ったんだよな。姫を救う王子役じゃなくていい、チョイ役でいいやって。今でも王子役がやりたいとは思わないけど、一つだけ変わったことがあるんだ」
「変わったこと?」
アイラはまるで子供がお話を聞いているかのように楽しそうだった。
「動物園でさ、もう帰ろうって話が出た時。レムのやつ、オレの事を見たんだよ」
あの時の光太は予知というものを目の当たりにして動揺していた。まるでその様子を気遣うようにレムは光太に視線を送っていたのだ。
「もっと遊びたかったはずだよな……。子供のくせにさ、そういうところに敏感なんだ、レムは。そのくせ、もうすぐ自分が死ぬかもしれないって事はおくびにも出さない。怖いだろ、普通。お前の言う通り、これは現実なんだ」
レムは目覚めてから一度も泣いたことがない。そう言ったのはリカルドだ。レムはいつも笑顔を絶やさなかった。唯一切なそうな顔を見せるのは腹が減った時くらいだろう。
「もっと言えばさ、レムはオレが予知夢を視ているのに気付いてるんじゃないかってすら思うんだよ。夢を覚えてないってのは嘘じゃないって感じたけど、予知夢っていう力に誰よりも触れてきたのはレム自身だからな。察しはついていてもおかしくない」
予知した美森の私服姿を見て動揺した光太。それ怪しまれるかと思った時、結果だけ見ればレムが庇ってくれたとも考えられる。今思い返せば、ということではあるが、あの時、レムが美森の気を引いてくれていなければ光太の動揺は周りに伝わってしまっていただろう。
「ただ漠然と、せっかく眠りから目覚めたんだから幸せになってくれればいいなって思ってたことがさ、そんなレムを見てる内に不安になったんだ。同じ時間に生まれた人が誰もいないこの世界で、どうやってコイツは幸せになるんだろうって。そう思った時にはさ、もうオレ決めてたんだよな」
レムに一人ぼっちじゃないことを伝えたかった。みんなと一緒に、この世界で幸せになるのだと。
「オレには三百年前に予知された死がどうもたらされるのかはわからない。その内、予知で視るかもしれないけどな。今頃、うちの両親が必死こいて調べてるはずだから、ま、そっちの方が早いかもしれない。オレが今できるのは諦めないことと、レムの傍にいることだけだ」
光太はそう話し終えると、緊張で固まってしまった体をほぐすように大きく伸びをした。
「質問の答えになったか?」
すると、アイラは少し悲しげな笑顔を見せてから、
「ほんっとうにすごいね、キミは」
そう言って、
「こんなマネを仕出かしたこと、心からお詫びします」
と、深々と頭を下げた。
「キミの答え、普通なら出せないものだと思う。ワタシはこうなるって思ってたけどさ……。まぁそれはいいか。キミが『ワタシのこと』をどう判断したのかはわからないけど、これから話す『ワタシたちのこと』はきっと軽蔑すると思う。それでも悪いだけの話じゃないから……、聞いてくれるかな?」
顔を上げ、光太の目を見てアイラは言った。
作りものではない真っ直ぐな感情。それがアイラの表情から伝わってきた。切れ長の目が少し垂れ、上目づかいで言うアイラに光太はふと懐かしさを感じた。昔飼っていた猫と、そんな仕草が似ていたのかもしれない。そう思うと少しばかり愛着が湧く。
光太としても、ここで話を訊かないという選択肢はあるはずがない。
魔女であるという正体を聞かされても、その真の目的までは聞かされておらず、光太を見極めなければならなかった理由についてもそうだ。
「もちろん聞く。オレばっかり長々と喋らされたら不公平だしな」
「フフ、そうね」
すると、アイラは光太の腕にしがみつく。
「……とう」
何やら呟いたその言葉が光太の耳に届く前に、また目の前の景色がガラリと変わった。




