第ニ話 Resolutions ⑤
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「どう、なっている……?」
突如目の前に起こった光景に、リカルドは足を前に出すことができずにその場で茫然と立ち尽くしていた。
「消えた、としか……」
そしてリーナも同様だった。
光太から連絡を受け、急ぎ名西高校までやってきた二人。光太は校門前にはおらず、校舎の麓に立つ姿が目に入った。しかも何者かと対峙している。
脅迫電話を受けたと報告された矢先のことでもあり、すぐに二人はそれが敵であると判断した。確証など在った訳ではなく、最も危険な状況を想定して動いたに過ぎない。勘違いならただの笑い話で済むだけの事。だが、敵であった場合は何が何でも光太を守らねばならず、その為に二人はこの日本にやってきていると自覚していた。
大概の事態なら何とかするだけの自信も、また実力も持っていた。
リカルドは現役こそ退いたとはいえ、元軍人。しかも所属は要人警護、人質救出などを主な任務とする特殊警備部隊、その指揮を取る部隊長。階級は中将に相当する軍全体の幹部だった。
更にリーナは同部隊で活躍する現役のエースときている。
後方支援に更に二人の仲間が控えていることからも、この程度の事態ならば如何様にも対処できるはずだったのだ。
それが常識の範囲内だったならば。
「敵は、何者なんでしょうか……?」
リーナはライフルを構え、周辺警戒をしながら呟いた。突然姿が消えたように見えたのは確かだったが、姿を隠した可能性を憂慮してのことだった。
「現状ではアンノウンだと評するしかあるまい」
リカルドはリーナと背中合わせになり、同じく周辺を警戒している。その手には護身用のハンドガンが握られていた。
「リーナ、あの二人に通信。周辺の捜索に当たらせろ。ワシたちはこのまま乗り込む」
「乗り込む、とは?」
リーナは構えたライフルを下ろし、携帯電話を取り出しながら訊き返す。
「あそこだ。どうやら招待してくれるらしい」
リカルドの視線の先にはガラス戸越しにこちらを覗く人影があった。十分に警戒していたはずのリーナだったが、言われるまでそれに気が付かなかった。まるで今この瞬間に現れたような、そんな感覚さえした。
「一筋縄ではいきそうにありませんね」
「鬼が出るか蛇が出るか、どちらにせよアンノウンよりはマシだろう」
見えざる敵を想像し、知られざる力に翻弄させられることがどれほどやっかいなのかを二人は過去の経験から痛いほど学んできていた。
未知に勝る恐怖はない。
対策を立てる上で敵を知ることがいかに重要かを十二分に理解している二人だったが、その『知』によってもたらされる恐怖もあるのだと、この後痛感することになるとは今はまだ思ってもいないことだった。
リカルドとリーナの二人は校舎内へと入る。
先程人影が見えた部屋は一階の端。途中に職員室があったが宿直の教師が待機しているようなことはなく、辿りついた先には『保健室』とのプレートがかけられていた。
引き戸には曇りガラスが張られており、中を覗き見ることはできない。
二人はそれを挟むように位置取り、壁に背中を付けた。不測の事態に備え、リーナはライフルを構える。リカルドはそれを確認してから、慎重に引き戸を開けた。
「どうぞ、入ってきてください」
すると、すぐにそんな声がかけられた。女性の声。
リカルドは開け放たれた入口から顔だけを出して部屋内の確認を試みるが、入ってすぐの場所にはパーテーションが置かれていた為、それは叶わない。月明かりに照らされて人影がぼんやりと映し出されているだけだった。
(先に行く。後方注意を怠るな)
(了解)
サインを送り合い、意志の疎通を図ってから保健室へと足を踏み入れた。
リカルドがパーテーションの横から顔を出すと、
「レム!」
そこには丸椅子にちょこんと腰かけたレムの姿があった。
そしてその先には、
「こんばんは。お二人とも、先程はありがとうございました。とても楽しかったですね、動物園」
そう言って柔らかな笑みを浮かべる古賀美森の姿もあった。
「ミ、ミモリン様……?」
動揺を露わにしつつも、リーナはその手に持ったライフルの銃口を美森へと向ける。知った顔だからといって油断するほどリーナはアマチュアではない。だが、知った顔だからこそ引き金に触れる指に緊張が走った。レムと同じく攫われただけの可能性も否定はできない。
すると、美森はすぐに両手を上げて降伏の意志を示し、同時にリーナを制するようにレムが立ち上がった。
「何ともないか?」
「うん。メグも大丈夫だよ」
部屋の隅に三つ並べられたベッドの一つには横たわる和久井恵の姿があった。どうやら眠っているらしいが、レムと同様に怪我をした様子もなければ具合が悪そうでもない。それを確認すると、リーナはスッと構えを解いた。無論、警戒心までは解いていない。
「美森さん、だったかな? この場の状況説明を頼みたいのだが」
リカルドはレムをリーナの元へ寄せると、美森にそう問いかけた。
すると美森は挙げていた両手を下ろして「はい」と頷いた。その様子には敵対する意志がなかったことから、ほんの一瞬、場が緩んだ。
しかし、告げられた美森の言葉にリカルドとリーナは衝撃を受けた。
「貴方方には私と、そちらの『姫』の話を聞いて頂いた上で決断して頂くことになります」
美森はレムにチラリと目をやった。
レムが童話で語り継がれた眠り姫だと知るものは多くない。研究スタッフや協力を仰いだ軍のほんの一部の者たち、そして光太だけだった。そのどこからか情報が漏れていたのか、その情報に価値を見出す者とは誰か、そんなことが頭に過る。
そもそも、現時点でレムやアウロラが実在していたという事実が開示されていない理由は歴史的混乱を防ぐ未然策としての役割に過ぎなかった。要するに、調査研究がしっかりとまとまるまでの措置と言い換えてもいい。根拠、証拠、裏付けをキチッとした上で、ゆくゆくは公表する予定だった。
それ故、リカルドは自らの認識が甘かったと認めざるを得なかった。
レムの存在が明らかとなれば、予知夢の力を利用しようと考える輩が現れることに対しての危機感が足りていなかったのだ。もちろん、そういった不測の事態を想定した上で軍に協力要請していたのも間違いないが、この現状が全てを物語っている。
レムの傍にいてなお、このような事態を防げなかった無能な自分を悔いるリカルドだったが、いつまでも後悔の念を抱いている暇はない。
事の次第によっては目の前にいる女子高生を撃ってでも、また、自らの命を投げ打ってでもレムを守らなければならない。
そう覚悟を決めて、その口を開いた。
「で、ワシらは何を決断すればいいのかね?」
美森は答えた。
「姫から手を引いて頂くことです」
と。




