エミリーちゃんを説得する
「そういやエミリーちゃん、もう三日も来てないけどどったの? あ、あれか、孕んだのか」
「馬鹿言ってんじゃねーよ……」
「おお、怖い怖い」
あれからすぐにエミリーちゃんに連絡をとろうとしたが、電話は繋がらない、SMSも返ってこないという有様で気づけば水曜日になっていた。茶化すクラスメイトをぎろりと睨んで八つ当たりしながら、こうなったら彼女の家に直接向かうしかないと決意を固める。授業が終わると原付をかっ飛ばして彼女の家へ。彼女と一緒に登校しないからと、原付で登校している自分が最高に寂しい。早く彼女に会いたい。
「こんにちは、エミリー……じゃなかった、恵美さんの彼氏です。彼女に会わせてください」
インターホンを押して出てきた母親に、開口一番そう言って深く頭を下げる。誠意が伝わったのか、エミリーちゃんが俺の事を家族に好意的に話していたからなのかはわからないが、エミリーちゃんが引きこもってしまったのはお前のせいかと怒鳴られることなく、すんなりと俺はエミリーちゃんの部屋に通された。あの日、家に帰ったエミリーちゃんは吐いて、泣きじゃくって、疲れ果てて寝る、そんなことを繰り返しながら部屋に引きこもっているという。
「エミリーちゃん、入るよ」
「……」
返事も聞かずに彼女の部屋のドアを開く。始めて入った彼女の部屋を堪能する余裕は残念ながら今はない。これからたくさん堪能するために、今は彼女との関係を修復しなければならないのだ。ベッドの上に盛り上がった布団があり、ときおりかたかたと震えている。どうやら布団の中にくるまっているようだ。
「剥がすよ」
「……」
布団を剥ぎ取り、抵抗すらしない寝間着姿のエミリーちゃんとご対面。酷い顔だ、本当に。思わず目を背けたくなる程、生気が感じられない。お風呂にも入っていないのだろう、髪もめちゃくちゃで、とてもじゃないけど女子高生を名乗れない。
「エミリーちゃん、大丈夫……じゃないよね。とりあえず何か口に入れようよ、ほら、丁度おばさんがおかゆ作ってくれてたよ」
「……」
食欲はあるようで、あーんして貰うことなくおかゆを手に取るともしゃもしゃと食べ始める。まだ引きずっているであろうエミリーちゃんの傷口を広げかねないが、きちんと当時の事は説明しておくことにした。
「あの事故は結局、被害者がスマホ見ながら信号に気づかなかったのが原因だよ。場所的にもエミリーちゃんよりも前の方にいたんだし、エミリーちゃんは何も悪くないんだよ」
「……」
フォローを入れるがそれで彼女の表情が途端になんだよかったと明るくなる訳がないことは承知している。彼女に責任があるかなんて、本質的な問題ではないからだ。
「……もうやめようよ、こんなこと。結局、エミリーちゃんには無理だってわかっただろう? 目の前で事故が起こって責任感じてショックで引きこもるような優しいエミリーちゃんに、復讐なんて端から無理な話だったんだよ」
「……! ……」
無理なのだ。エミリーちゃんにはちょいワルが限界だったのだ。自分の人生を狂わせた世界や人間に復讐する覚悟なんて、彼女には無かったのだ。俺のその言葉にピクっと震えるエミリーちゃん。やがて食べ終えたおかゆを布団の上に置くと、今にも泣きだしそうな顔になり、ゆっくりと口を開く。
「……私は、私はやらないといけないんです。だって、だって悔しいじゃないですか。私、昔はとっても真面目で優しい子だったんです。一生懸命勉強をすればいい大学に入れて、いい会社に入れて、いい人生送れるって思ってたんです。なのに、なのに……」
今の私は……とだけ呟くと、ひく、ひくとすすり泣き始める。当時のエミリーちゃんを俺は知らないが、今のエミリーちゃんについは世界を呪い、ひねくれてしまった、けれども力のない存在だと客観的には分析できてしまうだろう。彼女も自分で理解してはいるはずだし、本当なら昔のように戻りたいのだろう。でも、どうにもならないのだ。口では簡単にトラウマを乗り越えるだとか、心を強く持つだとか言っても、漫画のキャラクターのような鋼のメンタルを、か弱い少女が持っているはずがないのだ。
「泣き寝入りしろって言うんですか! 世界を呪いながら! 私は弱者です、可愛そうな存在なんですって自分に言い聞かせながら! 嫌ですよ、そんなの……私は、私はやらないといけないんです……私を壊した人達に、私を笑った人達に、自分達のした事の結果を、最悪の形で見せつけてやらないといけないんです……痛々しいって笑われてもいい! そうでもしないと、私は……今の自分を……肯定できないんです……」
俺にすがりつき、怒涛の勢いで恨みつらみを述べ始めるエミリーちゃん。いかに自分が不幸か、世界が憎いか……そんな話題が何度も何度もループする。どんな優しい言葉をかければ彼女を宥めることができるのだろうかと、彼女の話をうんうんと頷きながら考えていたが、伝染したのだろうか、段々と俺の心にもモヤモヤが溜まり始める。彼女が自分は不幸だと言う事は、俺の彼氏としての頑張りなんて何の意味もなかったことになるわけで。俺を否定されたも同然なわけで。
「……本当だったら、今頃私は……」
「うるせえ!」
「ひぃっ!?」
そしてとうとう限界だったようで、俺は怒鳴りながらエミリーちゃんをベッドに押し倒して馬乗りになり、思い切り壁をぶん殴って力をアピールする。馬鹿な俺には、年不相応に大人びた学生のように綺麗事を並べることなんてできない。年相応、頭相応のガキのように、怒りには怒り、哀しみでは哀しみに、条件反射のように対抗するしかないのだ。
「さっきから黙って聞いてりゃ、高校が底辺だの、ロクなやつがいないだの……ふざけんなよ! そりゃあ、皆頭悪いよ! モラルだってねえよ! 世間には笑われてるだろうよ! それでも、それでも、頭悪いなりに生きてんだよ……毎日クラスでバカ騒ぎして、世間に迷惑かけて、そんな連中だけど、俺にとってはいいクラスメイトなんだよ……エミリーちゃんだって、本当はわかってるんだろう? 頭のいい人間にも悪い人がいるって知ってるなら、頭の悪い人間にもいい人がいるって気づいているんだろう?」
「それは……」
この一年、エミリーちゃんはそれなりにクラスに馴染んでいたように俺は感じていた。底辺だけど、住めば都だな、なんて彼女が思い始めていたと俺は楽観的な事を考えていたが、それは幻想だったのだろうか? 俺が駄目な自分を肯定するために、無理矢理持ちあげているだけで、どうしようもない、ゴミのようなコミュニティなのだろうか? そう考えると、どうしようもなく虚しくなってきて自然と目が潤む。
「俺だって精一杯生きてんだよ……馬鹿なりに色々考えて、エミリーちゃんのことだって考えて、幸せにしよう、支えになろうって、やってきたのに……」
「……」
「頼むよ……自分を否定しないでくれよ……エミリーちゃんが自分を否定するってことは、エミリーちゃんのために頑張ってきた俺を否定するってことなんだよ……世間からも馬鹿だって笑われて、大切に想ってきたエミリーちゃんにまで存在を否定されて、俺は、俺は何のために頑張ればいいんだよ……う、うう、ううううっ」
エミリーちゃんと出会って、自分の人生に転機が訪れたと思っていたのは一方的な幻想だったのだろうか。馬鹿は一生馬鹿なままで、愚者は一生愚者なままなのだろうか。そんな事を考えているうちに、ぼろぼろと涙が流れ出す。そのままエミリーちゃんに抱き付いて、おいおいと泣き始めた。
「お願いだよエミリーちゃん、いぐっ、俺を拒絶しないでくれよ……エミリーちゃんにとってみれば、本当は俺なんて復讐のための手駒でしかなかったのかもしれないけど、ひぐっ、それでも俺はエミリーちゃんと一緒にいる時が幸せだって思えたし、少なくとも、今の俺にとっては、大切な存在なんだよ……」
「……ごめんなさい……私……私……悔しくて……吉和さんの事……全然考えてなくて……ごめんなさい……ごめんなさい……うわぁぁぁぁん」
俺の必死な想いが伝わったのか、エミリーちゃんも俺をぎゅっと抱きしめて謝罪の言葉を口にしながら泣き始める。みっともない恋人達の抱擁がしばらく続いた後、自然と俺達は愛を確かめ合って、全てが終わった時には、彼女の顔は晴れやかになっていて、まだ引きずっている俺を『いつまで落ち込んでるんですか、情けないですね』と笑うのだった。




