エミリーちゃんは信号を無視させようとする
「あと少しもすれば、高校三年生ですねえ」
「そうだね。エミリーちゃんは進路とか決めてるの?」
「私は、まあ大学行こうかと。吉和さんは……無理ですね」
「決めつけないでよ……一年間猛勉強すれば、弘工大くらいは……」
「弘工大馬鹿にしすぎですよ……」
バレンタインも終わり、形だけの期末試験も終わり、もうすぐ楽しい春休み。きちんとエミリーちゃんにホワイトデーのお返しもしたし、後は三年生になってクラスが離れないかどうかの心配をするくらいだ。この日もごくごく一般的なカップルとして二人で学校から帰る。
「ここの信号長いですよねえ」
「そうだね。歩車分離式だしね」
「……」
信号を待ちながらぼーっとしていると、エミリーちゃんが一歩を踏み出す。やっと青信号になったかと俺も一歩を踏み出すと、すぐにエミリーちゃんが手で制止してきた。
「?」
「吉和さん、赤信号ですよ。何渡ろうとしてるんですか」
「え? え? いや、エミリーちゃんが渡ろうとしたから」
「フェイントですよフェイント、ふふふ……」
「ひっでえ」
言われて信号を見ると確かに赤だ。周りの人が渡ろうとしているから青だと思ってしまうのは悲しい人間の心理、しかもそれが彼女の行動だとしたら尚更信じてしまう。危うく赤信号を渡って車に轢かれてしまうところだった。
「いいですね、これ。今度人の多い時にやってみましょう」
「いやいや、やめなよ……」
邪悪な笑みを浮かべるエミリーちゃんに呆れる俺。そしてその週末に、俺達はデートをすることに。珍しくエミリーちゃんの方から誘ってきたので、柄にもなくオシャレを頑張ってみてデートに臨む。
「お待たせエミリーちゃん。どう? どう? 似合ってる?」
「……」
「いや、何か反応してよお願いだから」
「さあ、映画館行きましょうか」
前日にバイト代奮発してレフトワンで店員に勧められるままいい感じの服を買ったというのに華麗にスルーされてしまった。けれどもこれも一種の愛情表現と思えば一興。映画館に向かった俺達は、エミリーちゃんが前から見たがっていたという青春活劇を見ることに。恋愛物というだけあって周りの人達はカップルだらけ、しかし俺達も立派なカップル、何一つ恥じることなどないのだ。
「こんな恋愛してみたいですねえ……」
「じゃあする?」
「私はちょっと恥ずかしくて嫌ですね」
「じゃあ何で言ったのさ……」
そんな微笑ましいやり取りをしながら、スタッフロールが流れきるまで映画を堪能する。こういう普通のカップルとしての日常をずっと送っていたいという気持ちもあるけれど、エミリーちゃんの狂行に付き合って馬鹿をやりたいという気持ちもある。平凡な日常も、刺激のある毎日も送りたい。だから人間は剣と魔法のファンタジーに熱をあげる一方で、日常系なんてものを評価するのだろう。
「うーん、人がいっぱいいますねえ……あ、そうだ」
映画館を出て、街をぶらぶらする俺達。交差点で信号を待っている途中、エミリーちゃんがニヤニヤしながら赤信号だというのに一歩を踏み出す振りをした。勿論俺はわかっていたから今度は一歩を踏み出さないし、周りの人間も馬鹿じゃないから近くの人間が渡ろうとしたからって渡ろうとはしない。
「やめなよエミリーちゃん、本当に事故が起こったらどうするんだよ」
「その時はその時ですよ、他人の不幸は美味しいです」
「……」
呆れてエミリーちゃんを止めようとするが、エミリーちゃんの返しに口を噤んでしまう。俺は自分の中にあるその感情を否定できる程、聖人ではないのだ。周囲にいる人間の不幸で悲しくなる心を持っていても、テレビやインターネット越しに見た他人の不幸は、『馬鹿だろこいつ』とか、『いい気味だ』とか思ってしまう。俺がもしもエミリーちゃんの事件をネットのまとめサイトか何かで見ていたら、きっとエミリーちゃんを一緒になって叩いたし、不幸になったエミリーちゃんを哀れむ感情なんて持たなかったのだろう。『あの子、ネットで炎上してこの高校来たらしいぜ』とか、クラスメイトとそんな会話をしていたかもしれない。こういう形でエミリーちゃんと出会えたのは幸せなことなんだろうな、と考えている中、エミリーちゃんはクセになったのか新しい信号に来ては軽く一歩を踏み出している。
「エミリーちゃん、その辺に」
『プォーーーーーーー!』
『バァン!』
そんなエミリーちゃんの頭をポンポンと叩いて嗜めてやろうとしたその瞬間、けたたましいクラクションの音がしたかと思うと、何かと何かがぶつかった音。そしてすぐに周囲から悲鳴が上がる。
「……うげ」
人が撥ねられたのだ、と理解するのに時間はかからなかった。20m程離れた場所の交差点に、身体の一部が有り得ない角度になっている人だったものと血が見えてしまい、思わず吐きそうになってしまう。目の前で不幸が起きてそれを喜べる程、俺は悪人ではなかったようだ。恐らくは即死だろう、エミリーちゃんも嫌な光景を見てしまいさぞ気分を悪くしたことだろうと彼女の方を見ると、予想通り青ざめた顔。ただ、その理由は俺が思っていたのとは少し違っていた。
「……せいだ」
「エミリーちゃん? 大丈夫?」
「私の……せいだ……」
「……! 違う、違うよエミリーちゃん。ほら、事故のあった場所的に、そもそもエミリーちゃんなんて見えてないよ、きっとスマホしながら歩いてて信号に気づかなかったんだよ、だから」
「私が……私が殺したんだ……! あ、ああ、ああああああっ!」
エミリーちゃんがそんな表情になっている理由を察した俺は必死で彼女をフォローするが、彼女の耳には何も届いていないようだった。エミリーちゃんは最後にそう大声で喚くと、その場から逃げ出す。
「……! 待って、エミリーちゃん!」
反応が遅れたことと、野次馬が集まってきたこともあり、俺はあっという間に彼女の姿を見失ってしまった。死者に鞭打つようではあるが、お前さえちゃんと信号を見ていればと人だったものを睨みつける。悲惨な事故現場を見てしまって、自分が一番不幸なんだと言わんばかりにパニックを起こしている女性も睨みつける。今の俺にもエミリーちゃんにも、他人の不幸を悲しめる程の余裕はなかったのだ。




