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エミリーちゃんは痴漢に遭遇する

「電車の旅は嫌いじゃないけど、男としては痴漢冤罪が怖いね」


 基本的に学校から帰る時に乗る電車は社会人の帰宅ラッシュとは被らないけれど、今日は学校近くのカフェで軽くお茶をしたのでいつもより遅れてしまい、結果として結構な満員電車の中しっかりと吊革を持つ羽目に。できることなら、両手で吊革を持ちたいくらいだ。まだ学生で、失うものも少ないかもしれないけれど、それでも痴漢に間違われることが恐ろしいことくらい知っている。


「社会的に殺されますからねえ、そう考えると、高校が変わったくらいで済んだ私は、とても恵まれているのかもしれませんね」

「そうだよ、だからあまり社会を憎まない方がいいと思うよ」

「恵まれていようと、他にもっと悲惨な人がいようと、なかなか憎しみってものは消えないんですよ。特に私のような、多感で未来もあった少女にとってはね」

「……」


 俺の隣で右手で吊革を持ち、左手でスマートフォンを弄りながら、電車の中でするにはふさわしくない、ネガティブな自己分析を行うエミリーちゃん。行くはずだった高校に行けなくなって、しばらくネットで根拠もない噂で叩かれて、忘れ去られるのは、正直言って似たような事例の中では傷が浅い方じゃないか、なんて事を俺は思っている。けれども、傷が浅かろうと彼女の心には立派な傷を残したのだ。真面目にルールを守り、正義を愛し、頭も良く、未来のあった少女がこんな風になってしまうくらいには、彼女は傷ついたのだ。今の発言はちょっと無責任だったなあなんて反省していると、エミリーちゃんはウキウキと辺りを眺める。


「……ああ、それにしても痴漢冤罪って素敵な響きですね、この世は女尊男卑です、私がその辺のおっさんの手をとって、痴漢ですなんて言うだけで勝ちはほぼ確定したようなものですからね」

「駄目だよそんなことしちゃあ」

「わかってますよ、私は自分の手を汚しませんから。皆が匿名性を盾に自分の手を汚さずに人の不幸を楽しんだように、私もそうするんです」

「……」


 周囲にいる人間は、『大丈夫かこの女……?』と思っていることだろう。けれどもエミリーちゃんを大丈夫ではなくしたのも間違いなく周囲の人間なのだろうから、複雑な気持ちで彼女が期待してるような目で辺りを見渡すのを眺める。多分彼女は、今ここで痴漢事件が起こらないか、なんて思っているのだろう。



「この人痴漢です!」


 そんな可愛そうなエミリーちゃんの願いを神様は聞き入れてしまったようで、次の駅に着く直前、少し近くでそんな声が聞こえる。すぐにがやがやと周囲が騒ぎだし、扉が開くと痴漢の容疑者であろうおじさんは、被害者であろう女子高生に手を掴まれたままホームへと引きずりだされてしまった。


「……エミリーちゃん、俺達も降りるよ」

「野次馬ですか? 吉和さんも趣味が悪いですね」

「違う。あの人は痴漢なんてやってない」


 痴漢がどのくらいが本物で、どのくらいが冤罪かなんて、そんなの誰にもわからない。けれど、あのおじさんは間違いなく痴漢なんてしていない。背が高めだったから俺の位置からでもはっきりと彼が片手で吊革をがっしりと持ち、もう片手にカバンを持っていたのを見ることができたのだ。




「この人が、この子のお尻を触って……」

「違う、私はやっていない……!」


 駅員に拘束され、自らの潔白を訴えるおじさん。彼の言っていることは正しい、そもそも被害者の女子高生は彼の後ろにいたのだ。前に立っていた上に両手が塞がっていた人が、一体どうやってお尻を触るというのか。一緒に降りてその騒ぎを見ている人の中にもそれを見ていた人がいるはずなのに、余計な事に首を突っ込みたくないのか、事実確認を周囲の人間に求める駅員の呼びかけに答えない。ここで俺が彼の味方をしても、どうにもならないのかもしれない。けれど、俺には黙っていることなんてできなかった。例えこのおじさんが少女の悪意に負けて、示談金を支払う羽目になったり、社会的に殺されてしまったとしても、味方がいるということを伝えたい。自己満足かもしれないけれど、まだ青くて若い俺にはそうしなければ一生後悔しそうだったし、大人になってからでは、できないかもしれないから。


「私、見てました」


 義侠心から発言しようとする俺だったが、先に発言したエミリーちゃんに遮られてしまう。駅員や周囲の人間の視線を集めるエミリーちゃん。彼女は何を言うつもりなのだろうか。まさかあの女子高生の味方をして、おじさんを社会的に殺そうなんて思っているのだろうか。頼むよ、そんなことはやめてくれよと固唾を飲みながら彼女の続く言葉を待つ。


「この二人、電車に入ってきた時に『あ、あのおっさんにしない?』『あーいいねー』なんて会話してました。最初からでっち上げるつもりだったんですよ。吉和さんの場所から、現場見えてましたよね?」

「……! あ、ああ。この人は吊革とカバンを持っていたから両手は塞がってたし、被害者の前に立っていた。他にも見ている人がいるはずだ」


 俺は聞いていなかったが、エミリーちゃんはしっかりと被害者、というか加害者の悪巧みが聞こえていたようだ。エミリーちゃんからバトンタッチされるように事実を述べて、周囲の人にもバトンタッチをする。俺とエミリーちゃんの勇気ある行動? に感化されたのか、『そういえば確かに自分もそんな会話を聞いたな』『タイミングを見計らっておじさんの手を掴んで叫んだように見えた』なんて次々と流れが冤罪になるような証言が飛び出してくる。


「や、やば、逃げるよ!」

「うん!」


 結局、一転攻勢になって焦った女子高生二人組が脱兎の如くその場から逃げ出し、一応は事件は収束したようだ。俺とエミリーちゃんに何度もお礼を言って去っていくおじさんを眺めながら、エミリーちゃんの頭をよしよしと撫でる。


「流石だねエミリーちゃん、俺は信じてたよ」

「別に。気まぐれですよ」


 少し照れながら、バツが悪そうな顔をするエミリーちゃん。彼女は、まだ壊れてなんかいないんだ。



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