エミリーちゃんは純潔を散らす
「ホテル行きましょうよ。ホテル行って、エッチなことしましょうよ。大人になりましょうよ」
「何言ってるのさ……」
夏の夜、エミリーちゃんは高揚した感じで、ライブハウスの近くにあるラブホテルを指さす。先程の女の人と会話してから、エミリーちゃんは明らかにおかしい。気分がハイになりすぎているような気がする。
「吉和さんも、本当はそういう展開にならないかな、なんて思ってたんじゃあないんですか? 夏のアバンチュールに身を任せて、女の子とデートして、あわよくば……なんて考えてたんじゃあないんですか?」
「……」
俺の心を見透かすように、腕に手を回したまま上目遣いで見つめてくる彼女。彼女の言っていることは嘘ではない、俺だって男だ。いい雰囲気になったら、あわよくばエッチなことができないかな、なんて思っているに決まっている。けれど、これがいい雰囲気だとはさっぱり思えないのだ。
「夏の夜、ライブで盛り上がって、憎い人間も報いを受けた……私、こんなに気持ちが盛り上がっているのは初めてかもしれません。いいんですか? このチャンスを逃すと、一生彼女も作れない、エッチもできない情けない男のままかもしれませんよ?」
「……」
「高校二年生がエッチなことするなんて、珍しくもなんともないですよ。そんな話ばかりしているクラスメイトだってたくさんいるじゃないですか」
そう言いながら、グイグイとホテルの方へ引っ張っていくエミリーちゃん。彼女の言うことは正しい。恋人持ちで、毎日のようにヤっているクラスメイトなんて珍しくもない話だし、ここが底辺校だからという話ではない。進学校だろうがお嬢様校だろうが、恋人持ってる人は持っているし、大抵そいつらはヤっている。性欲まみれの気持ち悪いオタクが読んでそうな本の中にしか、性欲のないなよなよした男と、それに群がる女共はいないんじゃないか……そんな偏見すら持っている程だから、何らおかしくはないんだと自分には言い聞かせてみるが、やはり実際にそういうことするとなると、怖い、というか、ヘタレ精神を発揮してしまうのだ。
「へえ、これがラブホテルですか。想像していたのより綺麗なんですね。私てっきり、男の人のアレで汚れているものかと」
「……」
ヘタレ精神を発揮したはいいが、それでもやっぱり俺も男。性欲もしっかり発揮しているらしく、気づいた時にはラブホテルに入って不愛想なおばちゃんにお金を渡して、ベッドにシャワーに変な自販機に、煌びやかな一室の中に立っていた。ライブで汗かいてますからシャワー浴びてきます、吉和さんはあんまり汗かいてないみたいですし全裸でベッドに犬のように待機してください、なんて言いながらシャワールームの中に消えていくエミリーちゃん。一方の俺は、確かにライブであまり汗はかいていなかったがベッドでのたうち回りながら冷や汗をかき始める。
「……あー! あー! いいのか? いいのかこれで? いやエミリーちゃん結構タイプだし胸も結構あったしまだ成長しそうだし……じゃなくて!」
このまま流れに身を任せていいのか。でも脱童貞したい……そんな様々な感情から苦悩している間にも時間は刻一刻と過ぎていき、気づけば鼻歌を歌いながら、タオル一枚でいい感じに髪の濡れたエミリーちゃんがベッドに座っていた。
「ああ、これで私も女になれるんですね。善は急げです。早くヤりましょうよ」
なんだかんだいいつつもベッドでパンツ一丁で悶えている俺を見下ろす扇情的なエミリーちゃん。俺も男だ、覚悟は決めよう。けれど、その前にどうしても聞かなければいけないことがある。むくりと起き上がると(ついでに下も起き上がってる)、エミリーちゃんの顔をじっと見る。
「エミリーちゃんに何があったのさ。話してよ。俺はよくわかんない女の子を抱ける程、いい加減な人間じゃないよ」
「……そうですね。吉和さんは信用できる人間だと思ってますし、喋りますか」
今度はエミリーちゃんがベッドにごろんと横になる。俺も再び横になり、ベッドに半裸の男女が二人で寝頃ぶ、まだ何もしていないのに事後のような状況で彼女は身体を震わせながら喋りはじめた。
「私、本当は元町高行く予定だったんです。それも推薦で」
「へえ、元町に推薦。凄く頭よかったんだね」
「頭もよかったですけど、とにかく真面目でしたから。内申がよかったんです」
でも、真面目な人って、嫌われますよね。特に中学生には。そんなわけで苛めも受けてたんです……と、そのままサラリと言ってのけるエミリーちゃん。どう返答すればいいのか困っていると、少し泣いているのか、声も震え始める。
「それ、で。いつのまにか噂が流れてたんですよ。私が万引きしたとか、喫煙したとか。……私はやってないんです、私はやってないんですよ」
「うん、わかってる。エミリーちゃんは何もやってないんだよね、信じるよ」
「本当ですか? 吉和さんも本当は疑ってるんじゃないんですか? 現に、皆信じてくれなかったんです。クラスメイトも! 先生も! インターネットも! 何でですか? 私が李なんて名字だからですか? 私に人望が無かったんですか? 噂をばらまいたあいつらが、それほど悪質だったからですか!? それとも本当は私はやっていたんですか!? え、えぐ、おええええぅ」
昔を思い出して耐えられなくなったのか、嗚咽めいた泣き声を発し始める。ここで抱きしめて慰めるべきなんだろうか、としどろもどろになっているうちに、彼女の方が落ち着いたようで乾いた笑いを見せた。
「はぁ……はぁ……ふぅ。こうして私は推薦も取り消され、家族にも迷惑をかけてしまって気まずい関係になり、こんな底辺高校に行く羽目になりました。めでたしめでたし」
「……月並みな事しか言えないけどさ。いいことあるよ、きっと。ここの高校だって、言うほど悪くないと思うぜ? 馬鹿だけど、なんだかんだいっていい奴多くね?」
「そうですね。入学した時に比べたら、そう思いますよ。……話には続きがあるんです。私の無実が証明されたんですよ。全部いじめっ子の捏造でしたって」
さっき会ったのはその主犯格。高校退学になったらしいですよ、他の連中も、私よりずっと酷い目にあったりして、ざまあないですね……と心から喜んでいるような笑みを浮かべるエミリーちゃん。他人の不幸を喜ぶのは悪い事かもしれないけれど、それで彼女の心が晴れるのならば、いくらでも喜べばいいと思っている。所詮第三者に、被害者の気持ちなんてわからないのだ。
「……誰も、謝りに来ないんです」
「?」
「私が無実だってわかったのに、誰も。昔の教師も、私を責めたてたクラスメイトも、扇動されたネットの人間も。誰も。私を陥れた人を代わりに責めることばかり考えて、誰も私のことなんて考えてなかったんです。誰も私を肯定してはくれなかったんです。かつて攻撃した人のことなんて、どうでもよかったんです」
「……」
エミリーちゃんは、悲劇のヒロインにはなれなかった。悲劇のヒロインとして同情されることなんてなく、一部の人には加害者として今も扱われたまま、心に傷を負ったまま。
「それが、人間の本性なんですよ。だから私は、復讐しないといけないんです。真面目な少女から、世界を呪う少女にならないといけないんです。……吉和さん、私を女にしてください。過去の私を殺してください。そして、私の理解者になってください……わがままな願いでしょうか?」
今にも消え入りそうな、虚ろな目で俺の方を見つめる彼女に、それでも人間を信じよう、なんて無責任な言葉は言えなかった。俺にできるのは、ただ彼女を抱きしめて、彼女を想う人間もいるんだって、証明するくらいなものだった。




