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愛と、捨てる

作者: 色即是空

 生きる為にはお金がいる。お金を稼ぐには働くしかない。

働くということにもたくさんの種類がある。それは例えばコンビニのアルバイトだったり、スーパーのレジ打ち。遊園地の着ぐるみの中身、イベントの店頭販売員。でもそれはどれも履歴書が必要になってくる。名前、住所、年齢、家族構成、在学中の学校、かつて在学していた学校、全て書かなくてはいけない。でも私は、そんな経歴も、家族構成も、住所も、書けない。書ける項目は名前と年齢しかなかった。無いものは無い、書けないものは書けない。私は家も家族も在学している学校も、なにもかもない。



 けれど、生きていく為にはお金がいる。お金を稼ぐには働くしかない。



 都会の繁華街、私はここで初めて身体を売った。

履歴書も必要ない、名前も必要ない。ただ制服を着ているだけで向こうから声をかけて来る。万を超えた額を提示されれば抱かれた。アブノーマルなセックスにも耐えた。そのおかげか、私は繁華街でも有名になり、提示される額もどんどん増えていった。固定客もできて、お金は貯まる一方だった。

お客の名義を借りて、アパートを借りた。銀行口座はつくれないから、部屋には適当な家具と現金だけが増えていった。貯まるお金を最初は嬉々として数えていたけれど、それも途中で飽きてしまった。物欲はなく、日常的に買うものといえば、最低限の下着と、ピルくらいで。そんな自分が虚しくてたまらなくなって、私は現金だけを持って、またひとりになった。



 ずっと鳴り続けるケータイは真っ二つに折って捨てた。

もう何年も着ている制服も、少し色あせてきて、みっともなかったから一枚だけワンピースを買って、制服は捨てた。自分の年齢も考えれば、卒業もいい時期だったかもしれない。

暑さが続く日々で、ワンピースはとても涼しかった。白にしたおかげか、それほど太陽の暑さも感じない。さすがに鞄がなかったのは不便だったため、途中で小さな斜め掛けの鞄を買った。それから安い財布も。そこにぱんぱんに現金を入れた。入りきらない分は仕方が無いので封筒に入れて、鞄にしまった。学制靴だけが、私があそこに存在していたと証明するようで、それが嫌で学制靴も捨てた。代わりに昔憧れていた白いパンプスを買って、それを履いた。自分の青白い足が浮き出ているようで、少し面白かった。



 できるだけ遠くへ、電車を乗り継いだ。

ホテル代や食事代で減っていくお金、けれどまだまだ余っていて、どう使おうか迷う。これは使い果たしてしまいたい気がするのだ。お金に汚いも綺麗もないとは思う。ただ私はもう汚い。何人もの欲望を身体で受け止めてきた。子供を授かるなんてことはなかったけど、もう子供を授かれない身体にはなった。一万円を見る度に、それを思い出す。あの暗く、白い海に沈む日々。死んでしまいたいとも思わず、でも生きようとも思わなかった。生きる為に身体を売っていたのに、おかしな話しだ。つい誰もいない車両で吹き出してしまった。




 気づくともう終点だった。仕方がないので聞いた事もない駅で降りる。

そこは絵に描いたような田舎で、見渡す限り、田んぼと畑しかなかった。泊まる宿なんて、あるのだろうか。それでも私は歩いた。野宿でも構わないと思った。人っ子一人見当たらない。宿を聞こうにも誰もいないのではどうしようもない。ため息をつくと、ふっと太陽の光が遮られた。横を見ると、ひとりの男の人がいた。




「お姉さん、なにしてんの?」




麦わら帽子をかぶっていて、手は泥だらけ。多分田んぼをいじっていたのだろう。首にかけたタオルで汗を拭っていた。




「この辺りに、宿はありますか?」

「ないよ、ここは観光地じゃないし、なによりど田舎だからね」




あぁ、そうなると野宿になるのか。少し嫌だと思いながらも、その男の人に頭を下げて、お礼を言う。





「あ、待って待って。泊まる場所探してるの?」

「はい」

「じゃあ俺の家来る?」

「…いいんですか?」

「うん」



男の人は田んぼから出ると、行こうと一言行って、歩き始めた。私はその後に着いていく。

警戒心なんてなにも無かった。犯されてもいいとか、そんな気持ちではなく、ただなんとく、信用してしまった。仏頂面の男の人が、なんとなく。




 着いた先は小さな民家だった。

男の人が入っていくので、私も入る。




「おじゃまします、とかないの?」

「おじゃまします」

「うん、どうぞ」




 中は案外小綺麗になっていて、物は最低限のものしかなかった。多分男の人が一人暮らしなんだと思う。

小さな鞄を下ろして、小さな丸い机の前に座る。

男の人は手を洗っているようだったので、私も水の音がするほうに行った。案の定手を洗っていたので、私も洗わせてもらう。




「あんた名前は」

「ヒロ」

「男みたいな名前だな」

「あなたは?」

「サクラ」

「女みたいな名前だね」




 鏡越しに少しにらまれたので、少し笑ってしまった。

コンプレックスなのだろうか。それならお互い様だ。私もこの名前がコンプレックスでたまらない。見た事もない両親につけられた名前なんて、意味のないものだ。





「飯、軽く作るから座ってろ」




 そう言ってサクラはキッチンに行ってしまった。

言われた通り、また丸い机の前に座る。鞄から財布と封筒を出して、中身を確認する。財布の中が少し減っていたので、封筒から補充した。はち切れるくらいパンパンに入れて、それをまた鞄にしまう。この意味のない行動をもう何回しただろう。それでも封筒の中身はあまり減らない。増えもしないけれど。一万円というのは一枚で相当価値があるものらしい。そして減りにくいものらしい。そんなに高級な買い物をしているわけでもないから、当たり前といえば当たり前なのだろうけど。嫌な物を無くすように、私は旅をする。それでも嫌なものはなくならない。私は馬鹿だから、無くし方を知らない。わからない。だからもう。





「できた」




 サクラの声と、いい匂いでハッと意識が引き戻された。

サクラの手にはどんぶりがふたつあって、中身は親子丼だった。




「いただきます」

「いただきます」




 サクラががっついて食べ始める。私もつられて食べる。結構量あるな。それでも久しぶりに誰かの手作り料理を食べたので、無心で食べていた。箸が止まらない。ふと、サクラが私を見て箸を止める。そして私にテッシュの箱を手渡した。何故テッシュなのか分からず、首を傾げる。サクラは飽きれたようにテッシュを一枚取って、それで私の目元を拭いた。

 あぁ、泣いていたのか。それで初めて気づいた。サクラは優しいな。そう思いながら親子丼を食べ続けた。その間も、涙はずっと止まらなかった。




 サクラがお風呂に入っている間、私は食器を洗っている。

さすがになにもしないのは気が引けたので自ら申し出たのだ。ふと、サクラが使った箸が目に入る。あまり田舎者っぽくないサクラ。あの顔で体系なら、ここら辺の女の子たちは惚れ惚れしてしまうだろう。もしかしたらここ出身じゃないのかもしれない。けれど、そんなことどうでもよかった。サクラは、私になにも聞かない。ご飯の時だって、私が食べ終わるまでずっと涙を拭いていてくれた。そのあと自分の分をあっというまに食べ終えて、お風呂にさっさと入ってしまったのだ。なにかしら、聞かれると思っていた。けれど、サクラはなにも聞かなかった。

 箸を水につける。水の流れる音と、なにかの虫の声、そしてシャワーの音しか聞こえない。耳が、余計な音を察知しない。とても穏やかな気持ちになった。



 サクラの後に私もお風呂に入った。出たらもうサクラは寝る準備をしていて、布団は一式しかなかった。サクラが適当に寝るというから、私は布団を遠慮した。けれど、サクラは面倒そうに私を布団に寝転ばせて、どこか別の部屋に行ってしまった。


 電気が消えた部屋で、仕方が無いので布団に入る。

夏のせいで布団が暑い。パジャマがなかったのでワンピースを着たままだけれど、それも暑くなり、脱いでしまった。幸いにもこの部屋には鏡が無い。私は、自分の身体を鏡越しに見るのが怖かった。きっと、外身はどうにもなっていないと思う、けれど、見透かしてしまいそうで、自分の中身を見透かして、そして、怖くて、見る事なんてできなかった。ぶるりと身体が震える。怖くなって、脱いだワンピースを抱きしめた。小さく小さく丸くなって、自分を抱きしめる。


きぃ、と小さく扉の開く音がする。足音が近づいてきて、私のそばに座ったのがわかる。

大きな手が、私の頭をゆっくりと撫でる。




「どうしてわかったの?」

「あんたの心が見えたから」

「嘘だ」

「嘘じゃない、現にあんたは泣いてるだろ」




 泣いてない、なんて言えなかった。嗚咽に邪魔されて、声が出なかった。

なんだか耐えきれなくなって、私はサクラの胸に飛び込んだ。裸の私を驚くそぶりもせずに、サクラは私の頭を撫で続けた。




「ねぇ、サクラ」

「なに」

「セックスしようか」

「しない」




サクラの即答に、顔を上げる。暗くてよく見えない。




「私、そんなに魅力ないかな」

「そんなことはない」

「じゃあどうして?」

「セックスする度に、傷つくのはお前だ」




 どうして、この人にはわかってしまうんだろう。まだ出会って一日なのに。

そんなこと関係ないのかもしれない。もしかしたらサクラは、本当に私の心が見えているのかもしれない。もしかしたら人間じゃないのかもしれない。それでもサクラの胸の暖かさが、心地よかった。




「勃ってるけどね」

「…生理現象だ」




 お互い少し笑う。それでも離すことはなく、私とサクラは一晩、抱きしめ合って眠った。




 目覚めると、サクラはいなかった。

代わりに机に置き手紙が置いてあった。昨日の田んぼにいるらしい。私はワンピースを着て、財布と封筒を持って、田んぼへ向かった。誰ともすれ違わないこの地で、サクラはひとりで暮らしてきたのだろうか。寂しくはなかったのだろうか。そんなことはわからない。でも私だったら、寂しかったかもしれない。サクラはきっと、強いんだ。誰かの悲しみを背負えるくらい、優しくて強いんだ。




「サクラ!」




田んぼをいじっているサクラに向かって叫ぶ。




「サクラ、サクラ」




叫びながらサクラの元へと駆けていく。





「どうした」

「ねぇ、サクラ。私が死んだら、悲しい?」




私の質問に、サクラは考えるそぶりもせずに「悲しくない」と答えた。それはそうだ、だって昨日出会ったばかりなのだから。けれど、サクラは「でも」と続けた。




「多分、寂しい」




 あぁ、それだけで十分です。

そう思いながら、私は田んぼに向かって財布から出した札束を投げ捨てた。空に舞うお札が。まるで雪みたいで、季節外れの雪みたいで、ロマンチックに思えた。




「お前、これ」

「こんなものでも、田んぼの肥やしにはなるでしょ?」

「もったいない」

「もったいなくないよ。これは、いらない愛だから」




 私に愛を囁いてきた、たくさんの男性。

それでも胸に響いたのは、サクラの「寂しい」だけだった。そんなことを言ってくれたのは、サクラが初めてだったから。でもそれだけで十分だった。それだけで、嬉しかった。




「ヒロ」

「なに?」

「死ぬの?」

「それはね、考え中」

「なら、俺がバイトで雇ってやるよ」




サクラの言葉に、嬉しくなり、笑みを零す。




「仕事したことないよ」

「これから覚えればいい」

「身体売ってたよ?」

「それって過去のことだろ」

「子供産めないよ」

「別にいいよ」

「汚いよ?」

「それは俺が決める」



「いつか、死ぬかも」

「人間なんて、そんなもんだろ」





 思わずサクラに抱きついた。よろめきながらもサクラは受け止めてくれた。

田んぼに沈んでいくお札に、さよならを告げる。あなたをもらった日はとてもうれしかった。けれど、そんなの比じゃないくらい、その時死にたくなった。裸で、血が滴っていて、一人取り残された部屋で、私はあなたと向き合っていた。あなたのこと、本当は嫌いでした。




 さようなら、私はあなたを捨てます。私の過去は持っていきます。

そしてまだ芽生えぬなにかと共に、生きていきます。



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