揺り籠を探す手に 08
美津が手渡してくれた白湯を、私は口に含む。
虎哉禅師は白湯で喉を潤しつつ、喜助が運んできたオニギリを手にしていた。
政景様もオニギリを咀嚼している。
傍らにある竹篭は静かである、腹が膨れて八房は眠ったのだろう。
白湯を手に持って私は籠をぼんやりと眺めた。
「……雛姫は、食べないのか」
「この子は、全くもって食が細くてな。
乳母の美津が過保護に世話するのも頷ける」
禅師の爆笑に驚き、駆けつけてくれた美津と喜助。
政景殿との挨拶を既に交わし、準備のため奥に下がっている。
急な出発を了承と、明日の準備を思案してくれて。
二人一緒に高森城へ同行が叶い、私は安堵と肩の力を落としていた。
政景様の随身の世話も兼ねているため、忙しく立ち回る親子に感謝したい。
「雛姫が居なくなったら寺が一気に寂しくなる。
八房の事もあって皆が世話を焼くものだから、真に寺が賑やかであった」
「随分と娘は可愛がられた様子ですね。
居城に着きましたら、虎哉禅師宛てに文を書き届けましょう」
「政景殿は度々米沢に来るではないか?
ならば、一緒に雛姫を連れて参るがよろしいのだ。
輝宗殿や政宗の相手をしている間、私が雛姫の相手をしてやる。
愚痴を聞いて慰めてやるのだ、養子に入れば何かと大変だろうからな」
「……お言葉ですが虎哉禅師。
私も留守家へと養嗣子に入った身ですよ。
馴染めぬ内の辛さは人一倍と身に沁みて理解しております」
「……そうであった、かな?」
初めて聞く事柄である。
政景様も養嗣子に入って苦労なされたのだと、この時始めて知った。
先代の重臣達との溝が中々埋まらず、大変と苦労した過去があるとも拝聴し。
留守家へは、押し付け同然に養子に入った旨、立場上気苦労が耐えなかったと。
そう自嘲し語る政景様が姿は大変印象的だった。
祖父である月舟斎殿が私を引き取る事を断念したのも、養子の心情を思っての事と私を慰めてくれた。
自らの生い立ち、境遇を私に重ねて接してくれる。
子供扱いではなく意思を持つ一人として、一人前の人として接してくれるのだ。
虎哉禅師が賞していた政景様像は、人望高く情に厚い人。
初対面に等しい私に親身となって接して下さる。
本当に尊敬できる素敵な御方だ……。
この方の養子に迎え入れてくださる事に、私は深い感謝の念を抱いた。
そして、オマケの講義があったのだ。
なんと夕餉の後に“親子の心得”を虎哉禅師が切々と説かれ……。
有難く説法を拝聴した俄親子の政景殿と私。
私は恵まれていると、今更に認識した。
* *
夜明け前、肌寒い初夏の朝。
身体を丸め臥所の中で眠ってた私を美津が起こしてくれた。
昨晩遅くまで虎哉禅師と政景様の談笑を聞いていたため、随分と寝るのが遅れたのだ。
身支度を整えて、何時ものように朝餉の支度を手伝う。
喜助とお膳の配置を終え、政景様と虎哉禅師に運び挨拶して面前に並べる。
「朝餉が済んだら、世話になった皆に礼を言いなさい」
「政景殿はすっかり父親気分だね、よい事だ」
元からその心算だったので返事し頷く。
朝食を取り、お世話になった皆に挨拶に出向く。
馬番はいつもより多目の雀を餞別にくれたり、捕まえるコツを教えてくれた。
行人は八房の竹篭を背負えるように紐を付けて手渡してくれ。
喜助と私が不在だったため、腹を空かせた八房に餌を与えてくれた台所番。
最後まで皆に世話を掛けさせてしまった。
* *
出立準備を急ぐ慌ただしさの中、初めて政景様の一行が連れている数頭の馬を見る。
寺で飼育されている馬の体格と違って随分と大きい。
並べたら親子ほど差があるのではないだろうか。
日本の在来馬は小柄だったと聞いてた。
軍馬と農耕馬では、種類に体格も違うのだろうか……。
疑問を浮かべ、思わず首を傾げる。
見上げる私に、徒歩小姓が近寄り丁寧に馬の説明してくれた。
政景様の愛馬は、全体が茶褐色の鬣・尻尾と膝下が黒い馬と云う事を。
種類は鹿毛で“青墨”が名前だと。
とても穏やかな気性で怖がらなくても大丈夫、噛み付かないと。
しかし、競走馬のサラブレッドのような体格である。
実際生で見た事は無いのだが、走りを追求した芸術的な体躯。
「雛姫は馬が好きならば、道中は馬で参ろう」
編み笠を被り、準備の整った政景様が傍らに立っていた。
既に喜助と美津も荷物を纏め、一行の列に加る。
私は馬を見つめて随分と呆けていたらしい……苦笑う。
「一人では乗れないのです、宜しければ父上の青墨にご一緒させて下さい」
「では、高森に帰ったら乗馬の練習を致そう?」
一日も経たずに打解けて会話する二人。
周りの家臣らが驚きで眼を見開く。
喜助と美津は周囲の反応に微笑み「仲がよろしいですね」と頷き笑う。
見送りに出て来た虎哉禅師は、声高に笑いながら私の頭を撫でた。
“八房は飼い主に似ているのか”と一人愚痴って。
虎哉禅師に、資福寺の皆には感謝しきれない程お世話になった。
頭を下げ別れの挨拶を済ませる。
傍らに立っていた政景様が、私の脇に手を差し入れて抱き上げる。
『ヨッ……』と、馬上に乗せてくれた。
「それでは出立いたします。
近く虎哉禅師、またお会いしましょう」
「お待ちしているよ」
鞍の上は不安定で心許無かったが、直ぐに背中に政景様を感じて安心した。
落馬防止に手を回され、頭に小袖を被せられる。
「日差しが強いからね、日除けだよ。
雛姫は色白で可愛いからね、道中に焼けてしまっては勿体無い」
小袖の上から頭を撫でられる。
背中に感じる男性の体温、さり気無い優しさと気配り。
間違いなく頬は赤くなっている。
たとえ十歳の子供だとしても、この扱いは乙女心をくすぐる。
「乗馬が上達したら私と遠乗りに出かけよう。
連れて行きたい、見せたい場所が高森には沢山とあるんだ」
「頑張って練習します。遠乗りの御約束、決して御忘れないで下さいませ」
馬上から見える六月の空、水田の青々とした緑。
風にそよぐ稲の葉を聞きながら、ユックリと街道沿いを進む。
馬の背で優しく揺られる。
落馬防止とお腹に回った腕が温かく優しい。
小袖の隙間から日差しが零れ瞬きした。
私は、緩々と揺れる優しい揺籠に乗っている。
抱えられた腕に手を添えて、目を閉じた。
「眠いのなら構わないよ、眠りなさい」
差し伸べられる手を探していた。
心細かった私が、安堵し守られる場所を。
此処に居て、此所から始まるのだ……と、自らに言い聞かせた。
此処から創まる物事の初め、私の歴史が始まるのだと。
-留守政景-伊達晴宗公の三男。当初、石川氏を継ぐ予定でしたが留守家の養嗣子となりました。
後に登場したり、話題に上がるので御兄弟の説明を……。
長男(親隆・岩城重隆養子)長娘(阿南姫)次男(伊達輝宗様)次女(成実様の母)三女・三男(政景様)四男(石川氏の養嗣子)四女・五女・四男(国分氏の養嗣子)・五男(杉目氏へ養嗣子)女性は近隣の蘆名氏や佐竹氏へ嫁いでいます。
文章を書くにあたって夏刈(現・夏茂)の資福寺へ出向きました。なんか、小学校の社会科実習だったか、遠足だったか…以来。